デジタルライブラリーのなかから、いくつかの資料しりょう紹介しょうかいいたします。
県立けんりつ図書館としょかんでの閲覧えつらん地域ちいき資料しりょうコーナー ご利用りよう案内あんないのページをごらんください。
また、三重みえけん関係かんけい資料しりょうデジタル画像がぞうリンクしゅうもご利用りようください。

きょうえい五十鈴川いすずがわ

外題げだいは「狂歌きょうか五十鈴川いすずがわ」。このとしだい流行りゅうこうした集団しゅうだん伊勢いせ参宮さんぐう「おかげまいり」を題材だいざいにした狂歌きょうかしゅう上方かみがた中心ちゅうしんに、北陸ほくりく東海とうかい狂歌きょうかおさめています。

文政ぶんせい13ねん(1830ねん版本はんぽん 20ちょう 23センチメートル (文学ぶんがくコーナー資料しりょう 391)

狂詠五十鈴川

訂正ていせい再版さいはん 新撰しんせん 三重みえけん地誌ちし ちょんあきら

著者ちょしゃ村上むらかみ政太郎まさたろう小学校しょうがっこうよう教科書きょうかしょ風景ふうけい動植物どうしょくぶつ工芸こうげいひんなどの挿絵さしえおおっており、当時とうじ三重みえけん様子ようすがよくわかります。

明治めいじ25ねん(1892ねん訂正ていせい再版さいはん 版本はんぽん 27ちょう 23センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L375 ム)

訂正再版 新撰 三重縣地誌 全全

にゅうたび日記にっき ひつじさる

作者さくしゃ伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくう浦田うらた太夫たゆうちょういちほんまき瀬戸内海せとないかい沿岸えんがんから福岡ふくおか大分おおいた熊本くまもといたたび様子ようすが、洒脱しゃだつ文章ぶんしょう風景ふうけいえがかれています。

よしみなが6ねん(1853ねんごろ 写本しゃほん 47ちょう 16センチメートル (貴重きちょう 915.5 エ 1)

絵入旅日記 坤

じょうつて三井みついじょう」)

呉服ごふくてん大丸だいまるげん大丸だいまる江戸えどてんのものと推定すいていされる「じょう経営けいえい方針ほうしん服務ふくむ規定きていしゅう)」。松阪まつさか出身しゅっしん豪商ごうしょう三井みつい」の三井みつい高利たかとし商法しょうほう経営けいえい哲学てつがく色濃いろこ影響えいきょうしています。(だい41かい地域ちいきミニ展示てんじ三井みつい高利たかとしとその商法しょうほう追記ついき)」をご参照さんしょうください)

だい41かい地域ちいきミニ展示てんじ 三井みつい高利こうりとその商法しょうほう

寛延かんえい2ねん(1749ねん写本しゃほん 63ちょう 31センチメートル (武藤むとう L336 ミ 1)

御定目(伝「三井家御定目」)

蚕桑こぐわべん

著者ちょしゃ伊勢いせ山田やまだ野村のむら義雄よしお上巻じょうかんにはおもくわ生育せいいく方法ほうほうが、下巻げかんには様々さまざまくわかいこ飼育しいく方法ほうほう道具どうぐとうが、絵入えいりで解説かいせつされています。

明治めいじ8ねん(1875ねん版本はんぽん 37ちょう 26センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L620 ノ 1、2)

蚕桑弁

救荒きゅうこうくさひん救荒きゅうこうさいそう

平松ひらまつらくとき先生せんせい略伝りゃくでん』(梅原うめはらさんせんちょ 昭和しょうわ4年刊ねんかん 武藤むとう文庫ぶんこL289)に、「後代こうだいよしみ永年えいねんあいだきょう歉に、はんくさかゆ調理ちょうりほう領民りょうみんしめしてこれ奨励しょうれいし、さかなまち富商ふしょうおか嘉平かへい半藤はんどう左衛門さえもんは「救荒きゅうこうさいそう」を上梓じょうしして附近ふきん農村のうそん頒布はんぷせり。」とあり、本書ほんしょ正式せいしき書名しょめいは『救荒きゅうこうさいそう』とかんがえられます。食糧しょくりょう不足ふそくそなえ、食用しょくようとなる野草やそうを、調理ちょうりほうとともに図解ずかいしたほんです。

よしみなが4ねん(1851ねん版本はんぽん 8ちょう 23センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L616 キ)

救荒草品図(救荒采草)

かくれんぼ

斎藤緑雨さいとうりょくうちょ近世きんせい戯作げさくふう文語ぶんごたい小説しょうせつ。「正直しょうじきせい太夫たゆう」の序文じょぶんみどり自筆じひつによるもので、著者ちょしゃ一流いちりゅう毒舌どくぜつ諷刺ふうしちています。

明治めいじ24ねん(1891ねん版本はんぽん 13ちょう 24センチメートル (文学ぶんがくコーナー資料しりょう 75)

かくれんぼ

伊勢いせ名物めいぶつどおり神風かみかぜ

式亭しきてい三馬さんばさく歌川うたがわ国直くになお江戸えど吉原よしわら京島きょうじまばらならしょうされた伊勢いせ古市ふるいち遊郭ゆうかくの「牛車うしぐるまろう備前屋びぜん」をルポふう紹介しょうかい宣伝せんでんする「江戸えど広告こうこく文学ぶんがく」です。

文化ぶんか15ねん(1818ねん版本はんぽん 5ちょう 18センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L935 シ)

伊勢名物通神風

ふと神宮じんぐうりょう殿どの通俗つうぞく畧記

伊勢いせこくいとしょうみん河野こうのぼうちょ自序じじょ(2ぺーじみぎ)に「衣服いふく祖神そしんとくを賤女やまおっと(しづのめやまがつ)までにさとさんことを」とあります。

天保てんぽう6ねん(1835ねん版本はんぽん 16ちょう 27センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき 鈴木すずき敏雄としお文庫ぶんこ 186)

太神宮両御機殿通俗畧記

いきおいしゅう鈴鹿すずか孝子こうし万吉まんきちでん かん

植村うえむらかんわたるちょ鈴鹿すずかぐんいませきまち坂下さかしたで、たいへんおや孝行こうこうし、となえられた「万吉まんきち」というどもの物語ものがたりです。(だい42かい地域ちいきミニ展示てんじ三重みえけん孝子こうしでん 」をご参照さんしょうください)

だい42かい地域ちいきミニ展示てんじ三重みえけん孝子こうしでん

寛政かんせい元年がんねん(1789ねん版本はんぽん 16ちょう 23センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L289 マ)

勢州鈴鹿孝子万吉傳 完

ちゅうひゃくしゅ

荒木田あらきだ守武もりたけの「ちゅうひゃくしゅ」(1525)に解釈かいしゃく川島かわしま重信しげのぶ)をけたほんです。

天保てんぽう6ねん(1835ねん版本はんぽん 4ちょう,51ちょう 26センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L911 ア)

世中百首絵鈔

いきおいしゅう白子しらこかみあきらまる船頭せんどう漂流ひょうりゅう

大黒屋だいこくや光太夫こうだゆうがロシアから日本にっぽん帰還きかんしたとき文書ぶんしょこう太夫たゆういそきちただすこと」「漂民御覧ごらん」「雑録ざつろく」の写本しゃほんひとつです。

寛政かんせい5ねん(1793ねん写本しゃほん 32ちょう 26センチメートル (地域ちいき和漢わかんせき L298 セ)

勢州白子神昌丸船頭漂流記