破壊王襲撃事件の〝真相〟とは――。バルセロナ五輪柔道銀メダルの〝元暴走王〟小川直也氏(56)が、自身のユーチューブチャンネル「小川直也のハッスルch」を更新。自身の最大ライバルで元盟友の〝破壊王〟こと橋本真也さんを襲った舞台裏を初告白した。
同級生で大相撲の元関脇貴闘力の鎌苅忠茂氏(56)をゲストに迎えた動画で、2000年3月11日に横浜アリーナで行われた大会「メモリアル力道山」を回顧した。同大会では小川氏は大抗争を繰り広げていた橋本さんとまさかのタッグを結成。1か月後には東京ドームで橋本さんの「負けたら引退」がかかる一騎打ちを控えていただけに、話題を呼んでいた。
同大会は、新日本プロレスや全日本プロレスではなく「力道山OB会」が主催。小川氏は「メモリアル力道山は違う人が主催者だった。ネタがないからやべーと思っていた」ところで、師匠の故・アントニオ猪木さんからも「盛り上げて来いって言われた」という。猪木さんにとって力道山は師匠。自身も同大会を盛り上げるため当時の超人気アイドル、滝沢秀明とエキシビションマッチを戦っており、当然の指示だったが、例によって暴走王は「盛り上げて来い」の意味を曲解してしまう。
「どうしようかなと思ってたら、ふと村上が目に入って。いいヤツいた!と」と振り返る。「村上」とは1998年から猪木門下に入り、小川氏のタッグパートナーだった村上和成のこと。暴走王は「猪木さんに頼まれているからオレさ。お前、行ってこい! 後は任せる。目いっぱい行ってこい!」と、襲撃を指示したのだという。
これを真に受けた村上は、横浜アリーナの駐車場で、会場入りしたばかりの橋本さんを襲撃。飛び蹴りを浴びせると、駐車場のアスファルトに橋本さんを叩きつけ、額をざっくりと割った。橋本さんは大流血。何とか試合には出場したが、ダメージは大きく天龍源一郎、BB・ジョーンズ組に完敗を喫した。
小川氏は「(村上は)やりすぎだろっていうくらい。フラフラになるくらい、やるなよって。戦えなくなるくらいやっちゃって。あの人(橋本さん)、血を出し過ぎちゃって、フラフラになっちゃって…。(マイクで)『おい、小川!』って言ったのに『お~い、おがわぁ』ってなってた」と言い「橋本さんはえらい怒ってたらしいもん」と、人ごとのように笑い出した。そもそも師匠の指示とはいえ、試合前にタッグパートナーを襲撃させること自体がすべての間違いなのだが…。
破壊王襲撃事件の〝首謀者〟と正式に認めた小川氏だが、当時の報道では「知らないって言ってるだろ。村上とはあれから連絡がつかない。まあ、村上のやったことは決していいこととは言えない」などと、しれっと語っていた。一方、村上はこの襲撃事件を機に「平成のテロリスト」として名を売りブレーク。新日本やノアでの活躍につなげた。また、橋本さんはこの際のダメージが残っていたのか、約1か月後の一騎打ちで小川のSTO連発の前にKO負け。一度は引退を余儀なくされている。