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趙宋 - 維基大典 とべいたり內容

ちょうそう

やめけん
ぶん維基大典たいてん
わたりみなみそう
そう
宋之所在
そう所在しょざい
國體こくたい 君主くんしゅせい
元首げんしゅ 皇帝こうてい
そう どう中書ちゅうしょもん下平しもだいらあきらごと
尚書しょうしょひだりぼくしゃ尚書しょうしょみぎぼくしゃ
太宰だざい
ひだり丞相じょうしょうみぎ丞相じょうしょう
くに 東京とうきょう開封かいふう
西京にしぎょう河南かなん
北京ぺきん大名おおな
南京なんきんおうてん
くだりざい臨安
國語こくご 雅言がげん
通貨つうか どうぬさ交子ともこ
立國りっこく たてたかし元年がんねんがつ
ふとしそく皇帝こうてい
亡國ぼうこく やすしかんねんきたそう
とくゆうねん舊曆きゅうれきよんがつみなみそう,臨安陷落かんらく
さちきょうねんはる正月しょうがつみなみそうぜんぐん覆滅ふくめつ
前後ぜんごれきさんひゃくじゅうねん

そうはじめふとしただしたねしつこく徽宗ただし前後ぜんごいちひゃくろくじゅうななねんつてきゅうみかど紹興しょうこう元年がんねんこうはじめ構光紹九かなえ臨安ためみなみそうきたこうきむ西にしふくだいこくひがしかい淮水西にしかい以大せき割據かっきょ南方なんぽうほろびもとくに祚九みかどひゃくじゅうさんねんごうさんひゃくじゅうねん

興廢こうはい

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立國りっこく

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しゅう顯德けんとくななねん殿しんがりまえけんてんちょうただしたねゆう大志たいし,鎮,ていしゅうすんでゆうほうきたぐんみなみ寇,しゅうしょうおうふとしきさき以時殿しんがりまえ點檢てんけんちょうただしたねりょうぐんこばめこれぐんいたりひねきょうえき從弟じゅうていただしよし部將ぶしょういしもりしんはかりごとほう,引軍ふくあずか眾誓やくとくおどろきどうじん入城にゅうじょうにちあらため肆,きょうみかど旋禪ふみ翰林かんりん學士がくしうけたまわむねすえたにざいつくりしょ懷中かいちゅう而進,曰:やめなり矣。

たてたかしもと年春としはる大赦たいしゃ改元かいげん定國さだくにごう曰宋。しょしば子弟してい安堵あんど如初。太平たいへい興國こうこくさんねんおさめえつこくうつり其主ぜに俶至汴京。翌年よくねんふとしそうきたかんとりこ其主りゅうつぎもとひろ引軍つばめくもじゅうろくしゅうためりょうしょはいとげふく北進ほくしんねん,交趾ちょう內亂,そうよくかさね而有,其將はじむさそえそうぐん深入ふかいり王師おうしはい績,とげふく南下なんかよし疆土じょう

澶淵めい

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けいとく元年がんねんりょうしょうふとしきさき揮師南侵なんしん大破たいはそうぐんしょみち直下ちょっか汴梁,いたり澶淵,真宗しんしゅうつねしたがえ寇准おやせいそうぐんだいとげなり澶淵めいりょうそう乃議つうはたすすむこう

けいれき和議わぎ

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いぬいきょう元年がんねん太子たいしただしつぎためじんむねけいれきよんねん西にしなつひがしはんそう於關ちゅうはいそうぐんしゃ再三さいさん,而國りょくささえとげしょうしん於宋,なりけいれき和議わぎ而去。じんむねせい簡約かんやくこのみ帑幣,在位ざいいよんじゅうゆうねん文教大ぶんきょうだい,內無ぐんみだれそとなり和議わぎみんすうふけふけしか焉,ゆうそう以降いこう文化ぶんかしょはしみなゆう此始。ためひとしそう盛治もりじ

治平じへいさんねんえいむねあけぼの司馬しばひかりしつらえきょく專修せんしゅうどおり

熙寧へんほう

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熙寧元年がんねんかみはじめれいおうやすしせきへん祖宗そそうほうたて新法しんぽうため熙寧へんほう新法しんぽうすんでぎょうへいりつげん

及元ゆう元年がんねん司馬しばひかりつきはい新政しんせい

あきらそう煦元ゆうちゅう宣仁のぶひとふとしきさきしゅ新黨しんとうためげんゆたか黨人とうじんきゅうとうためげんゆう黨人とうじんぎょう舊法きゅうほう。紹聖元年がんねん宣仁のぶひとふとしきさき薨逝,あきらそう親政しんせいふくゆき新法しんぽうようあきらあつし曾布ため紹聖紹述ひろ西にしなつやぶこれなつ乞和。

もとさんねん徽宗ただし即位そくい欽聖ふとしきさきしょうせい,并用新舊しんきゅうりょうとう,以熙恰朝廷ちょうていふとしきさき薨,新黨しんとうとくぜいよう蔡京,たかしやすしよんねんこくもとゆう黨人とうじん,以司馬しばひかりきゅうとうため奸臣かんしん。徽宗あいだ,蔡京くだり新法しんぽうへんしおほうみん怨之,而後世こうせいしおほう竟多仿京これしょせい

やすしかんはじ

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やすしかんねんかねぐんかこえ汴京,さきそう廷罷つな,雖致きたじん南下なんか,而復したがえ開封かいふういんなによういつわりみんかくきょう,聚眾ななせんななひゃくななじゅうななにんごう曰神へい十一月じゅういちがつへいたつそうぐん開城かいじょう,以神へいげききんぐん大敗たいはいかねぐん登城とじょうしょしょう,徽欽みかどきたとりこきたそうとげほろびためやすし康之やすゆきはじ

そうしつみなみ

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けんえん元年がんねん五月ごがつはついちだかむね踐祚せんそ南京なんきんおうてんひろはしあげしゅう北兵きたへいつい而不しゃこうはじめとげこう臨安,かんただし大敗たいはいかんがおむねかねじん乃班

紹興しょうこう和議わぎ

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紹興しょうこうはちねんそうきん和議わぎはじめなりじゅうねんかねじんやく南下なんかふくりゃく河南かなんしょ,乃以たけ討之,軍次ぐんじしゅせん鎮,こうはじめけつそつようはたひのきけい,誅之。紹興しょうこう和議わぎ乃成。

りゅうきょう和議わぎ

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紹興しょうこうさんじゅういちねんはるがつ金主きんしゅかんがおあきらきょうせいそうようちんやすしはく禦之,十一月じゅういちがつ中書ちゅうしょ舍人とねりおそれまことぶんはいきんじん採石さいせきあきら乃移ふりしゅうこれがつかねぐん以亮ためぬし無道むどう,乃弑國難こくなんとげかいこうむねりゅうきょうねんそうきむたかしきょう和議わぎなりやく以叔侄之れいきたじんあらためみことのり爲國ためくにしょあらためとしみつぎためとしぬさはじめとく國體こくたい於金焉。

よしみてい和議わぎ

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じゅんじゅうろくねんこうむねぜんじゅうはなみやあつし嗣,ためこうむね在位ざいいねん皇后こうごうせん擅,恤親。朝野ちょうや怨之。ぜん擴立,ためやすしむね。紹熙ねんあきはちがつやすしそう聽政。ひらきねんしたがえ宰相さいしょうかん侂胄きたかね王師おうしはい績。かねじんらい討,以渝めい也。乃梟かん侂胄くび以獻。よしみてい元年がんねんあきよしみてい和議わぎなりきむため叔,そうため侄。としぬささんじゅうまんりょうきぬさんじゅうまんひき。犒軍ぎんさんひゃくまんりょう

よしみていじゅうななねんあきはちがつやすしそうくずしそうしょうふみわたるとお太子たいし竑。そう侄昀りつためむね。紹定ねんふゆじゅういちがつそうあずかもとひと討金。めつそうじんにゅう開封かいふうはしひらた元年がんねん,謁宗廟そうびょうしょりょう於汴。ためはしひら入洛にゅうらくひらきけい元年がんねんもとひとかつそうよんがわけいじょうねんふゆじゅうがつみかどくずし。侄禥嗣,ためむね改元かいげん咸淳。在位ざいいじゅうねんそうえき危。咸淳じゅうねんあきなながつみかどくずし㬎嗣,ためきょう皇帝こうてい。二年而宋降於元。あに昰立,ためはしむね。遷宗廟そうびょう於閩。泉州せんしゅうおちいみかど遷於粵。くずしおとうと嗣。

さちきょうねんはる正月しょうがつ王師おうしせんもとひと厓山はい績。丞相じょうしょうりく秀夫ひでおみかどとううみそうほろび

內政

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外交がいこう

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禮儀れいぎ

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そう祭祀さいしこれせいいんとうおもまつひろしてん上帝じょうていまつりすめらぎ地祇ちぎ及千ひゃく神明しんめい皇祖こうそ皇宗こうそう冬至とうじまつ上帝じょうてい夏至げしさい地祇ちぎやや而虧其恭つとむ真宗しんしゅう大中おおなかしょうはちねんじゅうがつきゅうにちふとつねてら以諸ほこらけんじかんしょうぞう其員。かみはじめもとゆたかさんねん議定ぎてい郊祀れいせい[いち]

昭文あきふみかんあつまりけんいんふみたて爲三ためぞうかんそうためたかしぶんいん中有ちゅううかく,以三かん文物ぶんぶつげんゆたかあらためせい省三しょうぞうかんおけ祕書ひしょしょう[]

けい

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やすし康之やすゆきはじかねじん擄徽、欽二きんじそうきたかりきたそうほろびこうはじめ中興ちゅうこうへんやす於臨やすはじめみなみそうこれ

くにほろび於元。

よりどころ

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  • そうもと丞相じょうしょう だつだつせん
聲音こわね動靜どうせいろく維基どもとおるそう
  1. [いち]そうかいよう禮一れいいち
  2. ほど俱《麟臺故事こじ卷一けんいち