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王平 - 維基大典 とべいたり內容

おうたいら

ぶん維基大典たいてん

おうたいらひとしかんともえ西にし宕渠じん也。ほんやしなえがいなん復姓ふくせいおうずいもりほおえびすまい洛陽らくようかりこうじょうしたがえ曹操そうそうせいかんちゅういんくだりゅうはいきばもんはた、裨將ぐん

けんきょうろくねんぞくさんぐん馬謖ばしょく先鋒せんぽう。謖舍水上みずかみさん,舉措はん擾,ひられんぶんまわし諫謖,謖不能ふのうよう大敗たいはいまちてい。眾盡ぼしおもんみひら所領しょりょうせんにんたかしはたちょううたぐ其伏へい往偪也。於是ひら徐徐じょじょおさむごうしょ營遺ほとばしりつ將士しょうし而還。丞相じょうしょうしょかずらあきらすんで誅馬謖及將軍しょうぐんちょうきゅうもりだつ將軍しょうぐんかさねとうへいひらとくたかしあきらはいさんぐんすべけんとう營事,しん討寇將軍しょうぐんふうていこう

きゅうねんあきらかこえ祁山たいらべつもりみなみかこえ大將軍だいしょうぐん司馬しばおさむあきらちょう郃攻ひらめひら堅守けんしゅ不動ふどう,郃不能ふのうかつ。      

じゅうねんあきらそつ於武こうぐん退すさかえのべさくみだれいちせん而敗,平之ひらのこう也。遷後てんぐんあんかん將軍しょうぐんふくくるま將軍しょうぐんじゅうかんちゅうまたりょうかんちゅう太守たいしゅ

じゅうねんしんふうやすかんこうだいいちとくかんちゅう

のべ熙元ねん大將軍だいしょうぐん蔣琬じゅう沔陽,ひらたさらためぜんまもるぐんしょ琬府ごと

ろくねん,琬還じゅう涪,はい平前たいらまえかんぐん、鎮北大將軍だいしょうぐんみつるかんちゅう

ななねんはる大將軍だいしょうぐん曹爽りつじゅうあまりまんこうかんがわぜんほこさきやめざい駱谷。どきかんちゅう守兵しゅへい不滿ふまんさんまんしょしょうだいおどろきある曰:「こん力不足ちからぶそく以拒てき,聽當固守こしゅかんらくしろぐうぞくれいいれなんじあいだ,涪軍あしとくすくいせき。」ひら曰:「しかかんちゅう涪垂千里せんりぞくわかとくせき便びんため也。いまむべ先遣せんけんりゅうまもるぐんもりさんぐんよりどころきょうぜいひらためこばめわかぞくぶんこう黃金おうごんたいらりつせんにん臨之,なんじあいだ,涪軍ぎょういたり,此計うえ也。」おもんみまもるぐんりゅうさとし與平よへいどうそく便びん施行しこう。涪諸ぐん及大將軍しょうぐん成都せいとあいつぎ而至,ぐん退すさかえ,如平ほんさく鄧芝ざいひがしうまただしざいみなみひらたざい北境きたざかい,咸著名跡みょうせき

じゅういちねんそつゆういちくん

ひら生長せいちょうえびすたび能書のうがき,其所識不十字じゅうじ,而口授くじゅさくしょみな有意ゆうい使つかいじん讀《ふみ》、《かんしょ紀傳きでん,聽之,備知其大義たいぎ往往おうおう論說ろんせつしつ其指。遵履法度はっとげんおどけ謔,したがえあさいたりゆう端坐たんざてっふところ武將ぶしょうからだしかせいせまおかせうたぐためじんけい,以此ためそん焉。

ひょう

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ちんひさし曰:おうたいら忠勇ただお而嚴せい

よりどころ

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  • 三國志さんごくし·しょくしょ·おうたいらでん