穆きよし斯塔法ほう·雷かみなり希まれ德とく帕夏 (鄂圖曼土耳みみ其語 قوجه مصطفی رشید پاشا/Mustafa Reşid Paşa)者もの,鄂圖曼帝國こく伊い斯坦堡人ひと。生なま於西元にしもと一いち八はち零れい零れい年ねん三さん月がつ十じゅう三さん日にち,卒そつ於一いち八はち五ご八はち年ねん一いち月がつ七なな日にち。雷かみなり氏し少しょう警敏,父ちち歿,從したがえ叔阿里さと帕夏學がく。及長,叔以雷かみなり氏し諳庶政しょせい,乃薦入にゅう外交がいこう部ぶ供きょう職しょく。一いち八はち三さん八はち年ねん,授外相がいしょう。雷かみなり氏し性せい開明かいめい,既すんで柄がら外務がいむ,遂とげ與あずか西洋せいよう各國かっこく修おさむ約やく,由よし是ぜ維國權けん、復ふく失地しっち頗力焉。一いち八はち三さん九きゅう年ねん十一月じゅういちがつ,雷かみなり氏し疏請蘇そ丹まこと變へん法ほう。蘇そ丹まこと準じゅん奏そう,遂とげ頒詔於花廳ちょう,師し泰西たいせい、裁たっ冗員じょういん、罷やめ苛稅、定てい新しん律りつ、勵留學がく。既すんで曉あかつき諭さとし中外ちゅうがい,時じ號ごう曰「坦ひろし志こころざし麥むぎ特とく改革かいかく」。