縣けん,王おう邑外懸かか也(古懸こがけ為ため縣けん)。始はじめ春秋しゅんじゅう之これ世せい,封建ほうけん崩壞ほうかい,諸侯しょこう相しょう併,新得しんとく之これ地ち不ふ封ふう采さい邑,改あらため以縣官かん,給きゅう米まい為ため俸。初はつ置おけ邊地へんち,爾後じご內地采さい邑日廢はい,縣けん乃內置おけ,邊あたり廣こう而人稀まれ,置おけ為ため郡ぐん。戰國せんごく末世まっせ,以郡地ち大だい而日興にっこう,位い縣けん之の上うえ。秦はた併天下か,分ふん三さん十じゅう六ろく郡ぐん,郡ぐん下か置おけ縣けん。漢かん改あらため郡ぐん國こく,國下こくが亦また有ゆう縣けん者しゃ。漢かん世よ縣けん大だい,歷れき南北なんぼく朝あさ,至いたり唐とう世よ縣けん微ほろ。縣けん制せい行ぎょう之の千せん年ねん不易ふえき,至いたり今こん仍置,中華ちゅうか合ごう有ゆう千せん數すう。周圍しゅうい諸國しょこく亦また有ゆう縣けん制せい。