孔あな貞さだ運うん(1574年ねん—1644年ねん),字じ開ひらき仲なか,號ごう玉たま横よこ,直ちょく隸應おう天てん府ふ句く容よう縣けん籍せき池州いけす府ふ建德けんとく縣けん人ひと,祖そ籍せき山東さんとう曲きょく阜,明朝みょうちょう政治せいじ人物じんぶつ,孔子こうし第だい六ろく十じゅう三さん代だい孫まご。孔あな聞敕第だい二に子し,萬曆四十一年癸丑科進士孔あな貞時さだとき弟おとうと。
萬まん曆れき四よん十じゅう年ねん(1612年ねん)鄉さと試ためし中ちゅう舉。萬まん曆れき四よん十じゅう七なな年ねん(1619年ねん)成なり己おのれ未み科か莊そう際ぎわ昌あきら榜進士しんし一いち甲かぶと第だい二に名めい(榜眼),授翰林院かんりんいん編修へんしゅう。天啟てんけい五ご年ねん(1625年ねん)充たかし任にん會かい試ためし考試こうし官かん。天啟てんけい七なな年ねん(1627年ねん)升ます左ひだり春はる坊ぼう左ひだり諭さとし德とく。崇たかし禎ただし元年がんねん(1628年ねん)任にん國子くにこ監かん祭さい酒しゅ,升ます為ため詹事。崇たかし禎ただし九きゅう年ねん(1636年ねん)官かん至いたり首くび輔。諡おくりな文忠ふみただ。