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大天 - 维基百科,自由的百科全书

だいてん

诃提ばば梵语महादेव,Mahadeva),译为だいてん印度いんど佛教ぶっきょう比丘びく,约生活せいかつざいおもねそだておう时代,はた佛教ぶっきょう传播到みなみ印度いんどだい众部早期そうき领导しゃいち,《异部むね轮论しょうせい以他为始祖しそ

ざい一切いっさいゆうだい毘婆すな》记载ちゅうだいてん提出ていしゅつ项新がく说(だいてんこと),いん而引おこり上座かみざあずかだい众部分裂ぶんれつ。对大てんさい极负めん态度。

传说

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だいてん比丘びく

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からあさげん译《异部むね轮论》记载ゆう两位だいてんだい一位出于佛灭一百余年后,生活せいかつざいおもねそだておう时代。《だい毘婆すなかずからあさげん译《异部むね轮论》记载ざい早期そうき佛教ぶっきょうちゅうはつ创异见,提出ていしゅつだいてんことまとがく说,引起上座かみざそう团的[1],拥戴しゃさらしょう为大众部[2]执异论疏ちゅう,认可こと符合ふごう佛法ぶっぽうだいてんせん说五事来掩饰自己出家后的五项劣迹[3]窥基瑜伽ゆが师地论略纂ちゅう,认可こと符合ふごう佛法ぶっぽう,认同だいてん为受到诽谤てき佛教ぶっきょう大宗たいそう[4]

だい毘婆すな》记载商人しょうにんてき儿子,曾与其母どおり奸,杀父杀阿罗汉杀母,はんさんぎゃくざいこれきさき为求灭罪而出[5]。《おもねそだておうちゅうひっさげいたざい优波きくおお时,いちみなみ天竺てんじく比丘びく,其事迹与《だい毘婆すな论》しょ说的だいてん近似きんじ可能かのう其原そのはらがた[6]

执异论疏げんだいから西域せいいき》还有传说とう时阿そだておうとう于大てんよく悉杀上座かみざ圣僧,彼等かれら而往迦湿わたる罗国[7]。《だい毘婆すな》记载いんだいてん提出ていしゅつ五事导致斗诤,そう分裂ぶんれつ上座かみざ和大かずひろ众部,上座かみざそういん国王こくおう赞同だいてんまた破船はせんがいそう,于是ほどこせてん神通じんずうじょうそら西北せいほく而去,いたり迦湿わたる罗国[8]また载因其恶见,だいてんきさき,无法よう焚葬,よう秽物洒之,ぽうはたしかばねたい烧为はい[9]

からあさげん译《异部むね轮论》记载,だい二位大天在佛灭后二百年,曾是外道げどうだい众部ちゅう出家しゅっけじゅうしんせん扬大てんこと建立こんりゅうせい山部やまべ[10]上座かみざたたえ为“贼住だいてん”。此前姚秦しつ译的《じゅうはち陈朝译《执异论ちゅうただゆういち外道げどうだいてんふつ灭一百余年后提出五事导致根本こんぽん分裂ぶんれつてきさん比丘びく[11]ある外道げどう[12]

みなみ传《ぜん见律毘婆すな》记载ざいふつひゃくねんきさきおもねそだておう时代,ざいそう中有ちゅうう一位名望极高的大天比丘,曾为阿そだておう长子哂陀十戒じっかい担任たんにんおもね阇黎[13]ざいだい三次结集后僧团派他至摩酰娑慢陀罗国传教[14],一般认为是现在南印度的迈索尔也有やゆう说是讷尔默达河なかゆうてき Māhissati

だいてん圣王

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ぶん功德くどくひさげ及了いちだいてん圣王[15],此ほんせい故事こじ[16]てき记载见于《根本ねもと说一切有部毘奈耶破僧事》:“复次诸仁,其大天王てんのう,复于わたる耻罗じょうちゅう相承そうしょうはちまんよんせんだいみなめいだいてん,并得せんどおり,及修戒行,正法しょうぼうじん[17]

现代こう

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だい毘婆すな》记载だいてん提出ていしゅつ五事导致根本分裂,ひさげ及朋とう于大てんてき揭陀こく华氏じょうおうてき名字みょうじ;《じゅうはちかず执异论》记载おもねそだておう时因五事而发生根本分裂,而未ひさげ及是だいてんざい此时提出ていしゅつりょう这五ごとげんところ译的《异部むね轮论》以及《だいから西域せいいきちゅうてきおもねそだておう朋党ほうとう提出ていしゅつ五事的大天的说法可能是综合各家记载而成。吕澂认为贼住だいてんしんてき历史人物じんぶつしょうぬし之子ゆきこだいてんてきかげうつししゃ[18],进而みなみ传的だい天和てんわきた传的贼住だいてん可能かのうどう一人ひとり

ちゅう释与引用いんよう

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  1. ^ だい毘婆すな论》:“だいてん于后しゅうさきしょ说。恶见ごと。而作颂言。余所よそ诱无。犹豫れいいれみちいんごえおこりめい佛教ぶっきょう。于后渐次鸡园寺中じちゅう上座かみざ苾刍みな灭殁。じゅう五日夜布洒他时。つぎとうだいてんのぼり说戒。”
  2. ^ 《异部むね轮论》:“ふつうすとぎ梵般涅盘きさきゆうひゃくねんさき圣时淹,如日ひさぼつ揭陀こく苏摩じょうおうごう无忧,统摄赡部かん一白いっぱく盖,あまねじんしん时佛ほうだい众初やぶ,谓因よん众,きょう议大てんこと不同ふどうふん为两一大いちだい众部,上座かみざ。”
  3. ^ 执异论疏》:“だいてんしょ说五事亦有虚实。ともおもえ摄。いちしゃ魔王まおう天女てんにょ。实能以不净染罗汉ころもしゃ罗汉。不断ふだん习气。不具ふぐ一切いっさいさとしそく为无あかりしょくつがえ三者さんしゃ须陀洹人。于さん解脱げだつ门。一无不自证。乃无复疑。于余事よじちゅう。犹有疑惑ぎわくよんしゃ钝根はつはて不定ふてい知得ちとくあずかとく。问善识。とく须陀洹有わか为事しょう识为说有坏净。谓若于四谛无疑、于戒无失、于三宝さんぼうとく坏信しゃ、此人やめ证初はてよしさら观察。知得ちとく。五者圣道亦有因言显者。如舍利しゃりどるとうとうくち诵偈时。そくとく圣道。わか如此。说者そくめい为虚。”
  4. ^ 窥基瑜伽ゆが师地论略纂》:“だいてんめい高德こうとくだいはて证年卑。おう贵钦风,僧徒そうとおおせどうすんで而卓ろう无侣,とげ为时ぞくしょ嫉,谤之以造さんぎゃく以增ことだいてん颂言:‘余所よそ诱、无知,犹豫、れいいれみちいんごえおこりめい佛教ぶっきょう。’”
  5. ^ だい毘婆すなまき99:“むかしすえ罗国ゆういちしょうぬししょう娉妻しつなまいちなん儿,颜容端正たんせいあずかだいてん。”“だいてん虽犯さんぎゃくざいしか善根ぜんこんだんふかなま忧悔。闻沙门释ゆう灭罪ほうとげ诣鸡园寺,于其门外闻一苾刍诵伽陀曰:わか人造じんぞう重罪じゅうざいおさむぜん以灭じょかれのうあきら间,如月きさらぎうんかげかれ闻已欢喜,往一苾刍しょ请出だいてん聪明,出家しゅっけひさ便びんのう诵持三藏さんぞう说法,自称じしょうおもね罗汉,上下じょうげ归仰。”
  6. ^ おもねそだておう传》まき5:“みなみ天竺てんじく有一ゆういち男子だんしあずか妇女交通こうつうはは语儿ごと:‘あずか交通こうつうだい恶法。淫欲いんよくみち,无恶みやつこ。’闻是语已,そく杀其はは。往至他家たけもとめ彼女かのじょにん,竟不获得。こころなま厌恶,そく便びん出家しゅっけひさ受持うけもち读诵三藏さんぞう经教,习徒众多。诸弟子でしはた其徒众,至尊しそんしゃきくしょ尊者そんじゃ其犯于逆ざい,竟不あずか语。而作ねんおかせぎゃくこれにん无有どうはて尊者そんじゃきくあずか语故,そくはた众还归本しょ。”
  7. ^ 西域せいいきさん曰:“竭陀こく无忧おう,以如来にょらい涅槃ねはんきさきだい一百年命世君临,ことぞくふか信三しんぞうたから,爱育よんせい。时有ひゃく罗汉そうひゃく凡夫ぼんぷそうおうしょ敬仰けいぎょうきょう养无ゆう凡夫ぼんぷそう诃提ばばからげんだいてん,阔达さとしかそけ求名ぐみょう实。潭思さく论,违圣きょう。凡有闻知,ぐん从异议。无忧おう识凡圣,同情どうじょうしょこのみとう授所亲。召集しょうしゅうそうとく赴殑とぎかわよく沉深りゅう,总从诛戮。时诸罗汉すんで逼命难,咸运神通じんずうしのげきょくつそららいいたり此国,やま栖谷隐。”
  8. ^ だい毘婆すなまき99:“おうとげれいそう两朋别住。贤圣ともない耆年虽多而僧すうしょうだいてんともない耆年虽少而众数多すうたおうとげ从多だいてん众。诃伏あまり众。こと毕还宫。尔时鸡园诤犹いききさきずい异见とげぶんいち上座かみざだい众部。时诸贤圣众乖违。便びんしゃ鸡园よく往他处。诸臣闻已とげそく白王しらおうおう闻既瞋便敕臣曰。むべみな引至殑伽かわ边。载以破船はせん中流ちゅうりゅう坠溺。そく验斯辈是圣是凡。しんたてまつおうげん便びんはた验试。时诸贤圣かくおこり神通じんずう。犹如かりおうりょうきょ而往。复以神力しんりき摄取せんちゅうどうしゃ鸡园とくどおりしゃ。现诸しん变作种种形相ぎょうそうつぎじょうそら西北せいほく而去。おう闻见やめふかなま愧悔。闷绝躃地すい洒乃苏。はやそくひと寻其しょおもむき使つかい还知ざい迦湿わたる罗。复固请还そうみないのちおうとげ总舍迦湿わたる罗国。みやつこそうとぎ安置あんち贤圣众。ずいさきしょ变作种种がたそく以摽题僧とぎ蓝号。谓[1]鸡园とうすうゆうひゃく。复遣使じん珍宝ちんぽう营办什物じゅうもつ而供养之。よし尔来此国ゆう诸贤圣众にん持佛じぶつほうあい传制づくり于今犹盛。なみ吒梨おうすんでしつかれ众。そうりつきょう养住鸡园そう。”
  9. ^ だい毘婆すなまき99:“いたりだいななにちかれとげいのち终。おう及诸しん城中じょうちゅう庶,悲哀ひあい恋慕れんぼかく办香たきぎ,并诸酥油花香はなかひとしぶつ,积置いち处而焚葬もちらい烧,ずいいたりずい灭,种种かた计,竟不能ふのうしかゆううらないしょう师,谓众じん曰:‘かれけし此殊胜葬むべ以狗粪而洒秽。’便びんよう其言,とげえん发。须臾焚荡,にわかなりはい烬,暴风そついたり,飘散无遗。彼是あれこれぜん恶见とうおこり,诸有智者ちしゃ,应知避之。”
  10. ^ 异部むね轮论》:“だいひゃくねん满时,ゆういち出家しゅっけ外道げどうしゃよこしま归正,まためいだいてんだい众部ちゅう出家しゅっけ受具,闻精进,きょせいおおさんあずかかれそうじゅう详五ごとよし兹乖诤,ふんさんいちせい山部やまべ二西ふたにし山住やまずみさんきた山住やまずみ。”
  11. ^ しつ译《じゅうはち》:“时有比丘びくいちめいのう二名にみょういん缘。三名さんみょう闻。说有处以きょう众生。ところ谓从饶益无知。うたぐよし观察。げん得道とくどう。此是ぼとけきょう)。从始せい。”
  12. ^ 译《执异论》:“如是にょぜ时中だい众破やぶ散大さんだい众凡ゆうよん种。いち大国たいこく众。がい边众。さん闻众。よん大德だいとく众。此四だい众。きょう外道げどうところりつ种因缘。いん缘者。如彼说。余人よにんしみ污衣。无明うたぐ。圣道げんしょ显。诸佛正教せいきょうおもえ择此处。ぶんなり两部。”
  13. ^ ぜん见律毘婆すなまき2:“众僧やめ受,そく推目揵连みかど须为和尚おしょうしかつつみばば为阿阇梨,授十戒じっかい大德だいとくまつ阐提为阿阇梨,あずか具足ぐそく戒。时摩哂陀ねんじゅうそく具足ぐそく戒,于戒坛中とくさん达智,六神通漏尽罗汉。”
  14. ^ ぜん见律毘婆すなまき2:“そく大德だいとく: ‘まつ阐提!なんじいたり罽宾、揵陀罗吒こくちゅうしかつつみばばいたり酰婆まつ陀罗こく。勒弃いたりばばばばわたしこく。昙无とくいたり阿波あわ兰多迦国。诃昙无德!いたり诃勒吒国。しか勒弃いたり臾那世界せかいこく(汉地也)。すえしめせいたり雪山ゆきやま边国。须那迦郁罗!いたり金地きんじこく哂陀、いくみかどよるさんばばろう拔陀!いたり师子こくかく竖立佛法ぶっぽう。’于是诸大德だいとく各各おのおの眷属けんぞくにん,而往诸国竖立佛法ぶっぽう。”
  15. ^ ぶん功德くどく论》まき1:“むかしだいてん圣王,よん梵堂,てん转相绍,乃至ないしはちまんよんせんおうみなゆう梵堂。ただだいてんいちにんだい,其余みなしょう节。”
  16. ^ げんだいから西域せいいき·ほえしゃ釐国》:“ほえしゃ釐城西北せいほくひゃくゆうしろあら芜岁ひさしきょじん旷少,中有ちゅうう窣堵ふつざいむかし为诸菩萨じんてんだい众,引说ほんせいおさむ菩萨ぎょう,曾于此城,为转轮王,ごう曰摩诃提ばば(からげんだいてん),ゆう七宝しっぽう,应王よん天下てんか。睹衰变之しょうたい无常めい怀高蹈,忘情だいしゃこく出家しゅっけしみころも修学しゅうがく。”
  17. ^ ちゅうおもね含经·おうしょう应品·だいてん奈林经》:“世尊せそんつげ曰:おもね难!ざいむかし异时,此弥萨罗奈林なか,于彼ゆうおうめい曰大てん,为转轮王,聪明智慧ちえゆうよん种军,せい天下てんかゆかりおのれ自在じざい如法にょほう法王ほうおう成就じょうじゅ七宝しっぽうとくじんよん如意にょいとく。……おもね难!为从至子よしこ,从孙いたり孙,从族いたりぞく,从见いたり见,てん转八まんよんせん转轮おうじょ须发,ちょ袈裟けさころもいたりしんじしゃ、无家、がくどうがく仙人せんにんおう修行しゅぎょう梵行,ざい此弥萨罗だいてん奈林ちゅう。”
    根本ねもと说一切有部毘奈耶药事》:“ふつつげ大王だいおうわが为求无上菩提ぼだい修行しゅぎょう布施ふせさく诸福业。大王だいおう谛听,乃往古昔こせきわたる罗国,ゆう转轮おうめい为大てんわが于《ちゅうおもねきゅう》,やめ广说讫。”
  18. ^ 印度いんど佛教ぶっきょうりゃく》:“ぜんきさき毕竟どういちにんそく贼住だい天真てんしん为历人物じんぶつ,舶主儿大てん则其かげうつししゃ也。”

まいり

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外部がいぶ链接

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