內門紫竹しちく寺てら位くらい於臺灣わん高こう雄市ゆういち內門區く觀かん亭てい里さと,已やめ建けん寺てら超過ちょうか三さん百ひゃく年ねん,主おも祀まつ觀音かんのん佛祖ぶっそ,是ぜ全ぜん臺たい觀音かんのん信仰しんこう的てき中心ちゅうしん寺てら廟びょう。
農のう曆れき二に月がつ十じゅう九日觀音佛祖誕辰為重大祭典。[1]內門紫竹しちく寺てら特別とくべつ奉祀ほうし觀音かんのん佛祖ぶっそ的てき父親ちちおや「妙みょう莊そう王おう」即そく為ため「武功ぶこう尊王そんのう」[2]以及妙音みょうおん、妙みょう元もと、妙みょう善ぜん三さん位い公主こうしゅ,而根據こんきょ《香山かやま寶たから卷まき》所しょ述じゅつ妙みょう善ぜん公主こうしゅ即そく是ぜ觀音かんのん佛祖ぶっそ化身けしん。
內門紫竹しちく寺てら奉祀ほうし觀音かんのん佛祖ぶっそ、大だい佛祖ぶっそ妙音みょうおん公主こうしゅ、二に佛祖ぶっそ妙みょう元もと公主こうしゅ、三さん佛祖ぶっそ妙みょう善ぜん公主こうしゅ、釋迦牟尼しゃかむに佛ほとけ、韋馱菩薩ぼさつ、地藏じぞう菩薩ぼさつ、武功ぶこう尊王そんのう、城しろ隍爺、福德ふくとく正神しょうがみ、虎とら爺じい、十じゅう八はち羅漢らかん、善ぜん才ざい童子どうじ、龍りゅう女おんな娘むすめ娘むすめ、文ぶん昌あきら帝みかど君くん、六ろく十じゅう甲子きのえね太ふとし歲とし星ぼし君くん、「義民ぎみん神祇じんぎ」劉りゅう明元あけもと等とう五ご十じゅう一いち位い[3]。
乾いぬい隆たかし七なな年ねん(1742年ねん)水みず師し提督ていとく吳くれ必達路ろ過か此地,因いん聽聞ちょうもん紫竹しちく寺てら香が火ひ鼎かなえ盛もり於是進入しんにゅう膜まく拜はい,看み到いた此一蓮花盆地驚嘆之餘,便びん賜たまもの匾,匾文即そく是ぜ「紫竹しちく生せい春はる」,這塊近きん300年ねん的てき牌ぱい匾,仍然受到良好りょうこう的てき保存ほぞん[4]。
此碑乃清道どう光こう25年ねん(1845年ねん)台灣たいわん府ふ台灣たいわん縣けん知ち縣けん胡えびす國榮こくえい給きゅう立りつ告示こくじ,嚴禁げんきん新しん豐里とよさと舊きゅう社しゃ之の惡あく丐擾民みん,以安庄しょう民みん,並なみ重じゅう申さる前任ぜんにん知ち縣けん陳ちん炳極所ところ開ひらく列れつ之の仁德にんとく北里きたさと舊きゅう規ぶんまわし五ご條じょう,作為さくい新しん豐里とよさと丐首乞討與庄しょう民みん給付きゅうふ的てき依據いきょ。