姜きょう實みのる(1464年ねん—?),字じ若わか虛きょ,陝西せんせい西安しーあん府ふ華はな州しゅう蒲かばの城じょう縣人けんじん,軍籍ぐんせき,明朝みょうちょう政治せいじ人物じんぶつ。
陝西せんせい鄉きょう試ためし第だい五ご十じゅう一いち名めい舉人。弘治こうじ三さん年ねん(1490年ねん)中ちゅう式しき庚かのえ戌いぬ科か三甲さんこう第だい一いち百ひゃく三さん十じゅう五ご名めい進士しんし[1][2]。
曾祖そうそ姜きょう能のう;祖父そふ姜きょう凱;父ちち姜きょう武たけし,母はは王おう氏し[3]。
《天てん一閣藏明代科舉錄選刊.登とう科か錄ろく》之の《弘治こうじ三年庚戌科進士登科錄》