張ちょう璐(1617年ねん—?),字じ路ろ玉だま,自じ號ごう石せき頑老人じん,江南こうなん長洲ながす(今こん吳くれ縣けん)人にん。明あきら末すえ清きよし初はつ名醫めいい。
明代あきよ按察使し張ちょう少しょう峰みね之これ孫まご。生なま于明萬まん曆れき四よん十じゅう五ご年ねん(1617年ねん),少しょう穎悟えいご,能のう讀四書しょ又また兼けん攻おさむ醫い。明あかり亡ほろび後ご不ふ仕つかまつ,隱居いんきょ洞ほら庭山にわやま十じゅう餘よ年ねん,著書ちょしょ立りつ說せつ。順治じゅんじ十じゅう六ろく年ねん(1659年ねん),返かえし鄉里きょうり,與あずか喻昌、吳ご謙けん齊ひとし名めい。著ちょ有ゆう《張ちょう氏し醫い通どおり》16卷かん、《傷寒しょうかん纘論》2卷かん、《傷寒しょうかん緒論しょろん》2卷かん、《本ほん經けい逢原》4卷かん、《診み宗そう三昧さんまい》。曾為孫まご思おもえ邈《千金せんきん方かた》作さく註解ちゅうかい,寫うつし作成さくせい《千金せんきん方かた釋義しゃくぎ》30卷かん。其子張ちょう登のぼる、張ちょう倬亦また學がく医い。