房ぼう谋杜断だん。这个典故てんこ出自しゅつじ唐から朝あさ。相あい传李り世よ民みん有ゆう两个门客,一いち个叫作さく房ぼう玄げん龄,一いち个叫作さく杜もり如晦。两人均ひとし非ひ等とう闲之辈,房ぼう玄げん龄善于谋划,而杜如晦则善于判断はんだん、拍板びんざさら拿主意しゅい,两上均ひとし深ふか得え李り世よ民みん信任しんにん。房ぼう、杜もり两人也是玄武げんぶ门之变的てき主要しゅよう策さく划人,后きさき来らい两人在ざい李り世よ民みん称しょう帝みかど后きさき分ぶん别出任にん左ひだり、右みぎ僕ぼく射しゃ,是ぜ开创“贞观之の治ち”的てき重要じゅうよう功臣こうしん。
《资治通どおり鉴》