無む壬みずのえ(?—?),是ぜ《吴越春秋しゅんじゅう》记载的てき越えつ国こく君主くんしゅ。无余建立こんりゅう的てき越えつ国こく传了十じゅう几代,不能ふのう自立じりつ,沦为庶民しょみん。其中有ちゅうう个人指ゆび天てん向こう大だい禹墓说道:“我わが是ぜ无余君くん之の苗なえ末まつ,我わが方ほう修おさむ前ぜん君きみ祭祀さいし,复我禹墓之の祀まつ,为民请福于天,以通鬼神きじん之の道みち。”民みん众大喜き,请他主持しゅうもち祭祀さいし大だい禹,承うけたまわ继越君くん之の后きさき,后きさき有ゆう君臣くんしん之の义,号ごう称しょう无壬。