焦こげ琏(1599年ねん—1651年ねん),字じ瑞みず庭にわ,天主教てんしゅきょう聖名せな路ろ加か(Lucas),陕西人じん。
早年そうねん從軍じゅうぐん,以功任にん参さん将はた、中ちゅう军官、平ひら蛮将军副总兵等とう。清しん兵へい入いれ關せき後ご,焦こげ琏与瞿式耜迎むかい立たて桂かつら王おう(永えい历帝朱しゅ由ゆかり榔)于悟州しゅう。永なが曆れき元年がんねん(1647年ねん)清せい將すすむ李り成しげる栋攻おさむ桂かつら林りん,被ひ焦こげ琏杀得とく大だい败。因よし功こう累加るいか焦こげ琏太子たいし少しょう师、左ひだり都と督とく宣せん國こく公こう。永なが曆れき五ご年ねん九きゅう月がつ(1651年ねん),在ざい武たけ靖やすし州しゅう被ひ暗中あんちゅう投とう清きよし的てき陈邦傅でん所ところ殺ころせ[1]。