禺山是ぜ古こ时广州的てき一个小山冈,与あずか东侧的てき番ばん山さん组成番ばん禺这个地名ちめい。
禺山位い于现时广州しゅう市区しく中山なかやま四よん路ろ和わ北京ぺきん路ろ附近ふきん,东侧与番ばん山相さんそう对,两山之の间的坳口曾是唐から朝あさ时广州しゅう城じょう的てき南みなみ门。在ざい唐とう末まつ907年ねん为开拓つぶせ城ぐすく区く,已やめ把わ禺山凿平。
現時げんじ陳ちん李り濟わたる舊きゅう廠しょう房ぼう(銀座ぎんざ廣場ひろば)南側みなみがわ存そん有ゆう禺山路ろ此一地名ちめい。