辛からし谧(?—351年ねん),字じ叔重,晋すすむ朝あさ陇西郡ぐん狄道县(今いま甘あま肃省临洮县)人にん。幽かそけ州しゅう刺史しし辛からし怡之子こ。
辛からし谧性情せいじょう恬静,年ねん轻时有志ゆうし尚なお,不ふ好こう交游,博学はくがく善ぜん文章ぶんしょう。工こう于草くさ书、隶书。朝廷ちょうてい多た次つぎ征せい召不就。晋すすむ怀帝永えい嘉よしみ末すえ年ねん,以辛谧兼散ち骑常侍さむらい,入いれ关中抚慰。长安陷落かんらく,被ひ刘聪所ところ俘。刘聪征せい拜はい太ふと中なか大夫たいふ,固辞こじ不ふ受。历经后きさき赵石いし勒、石いし虎とら之これ世せい,拒こばめ不ふ出仕しゅっし。冉闵夺取后きさき赵政权,建立こんりゅう冉魏国くに,征せい辛からし谧为太ふとし常つね,辛からし谧绝食しょく而死。
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