清光せいこう绪修《江こう苏无锡顾氏し宗むね谱》載の雙そう丸公まるこう像ぞう
顧煜(1602年ねん—1659年ねん),字じ銘めい柏かしわ,號ごう雙そう丸まる,江蘇こうそ無む錫すず人ひと。清朝せいちょう官かん员。
顧煜為ため順治じゅんじ六ろく年ねん(1649年ねん)己おのれ丑うし科か進士しんし,官かん至いたり浙江せっこう象山ぞうざん縣けん知ち縣けん。順治じゅんじ十じゅう六ろく年ねん(1659年ねん)卒そつ。
顧煜出身しゅっしん於無錫すず顧氏,其家据すえ称たたえ為ため三さん國こく吳ご丞相じょうしょう顧雍之これ後ご,明あきら初はつ自じ蘇州そしゅう遷至無む錫すず膠にかわ山やま。明あかり中期ちゅうき曾有顾可学がく、顾可适、顾可久ひさし兄弟きょうだい进士。此后至いたり清末きよすえ家族かぞく又また有ゆう多た人じん登とう科か。