強首こわくび(?—?),新しん羅ら國こく儒學じゅがく家か。大約たいやく生活せいかつ於公元もと7世紀せいき晚期ばんき到いた八はち世紀せいき初期しょき。
有ゆう的てき文獻ぶんけん資料しりょう記載きさい以漢字かんじ偏旁へんぼう讀寫韓かん語ご的てき吏讀りと為ため692年ねん強首こわくび與あずか漢學かんがく家か薛聰等とう創造そうぞう,這種用よう漢字かんじ部首ぶしゅ或ある讀音標記ひょうき新しん羅ら語ご的てき方法ほうほう使し新しん羅ら人じん能のう用よう本ほん族ぞく語ご理解りかい漢文かんぶん,對たい於新羅ら國こく的てき文化ぶんか前進ぜんしん起おこり到いた了りょう卓越たくえつ的てき貢獻こうけん。
高麗こうらい國こく的てき 金富かなとみ軾撰せん的てき《三さん國史こくし記き》對たい強首こわくび有ゆう些充分ぶん的てき肯定こうてい,在ざい列傳れつでん第だい六ろく,與あずか 薛聰 , 崔ちぇ致遠等とう儒學じゅがく大家たいか合あい撰せん。