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藝文げいぶんこころざし

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藝文げいぶんこころざしはじめはんかた漢書かんしょ》,刪定りゅうななりゃく》而成,ため後代こうだい正史せいし藝文げいぶんこころざし始祖しそ史傳しでん書籍しょせきひらきそうきゅうりゅうじゅういえ,「きゅうりゅうじゅういえいち便びん出自しゅつじ漢書かんしょ藝文げいぶんこころざしりゃくじょ》。

體裁ていさい流傳りゅうでん

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刘歆《ななりゃくほんぞう补其ちち刘向别录》而来,其中记载りょう许多しつ传先はたせきてき纲要。《艺文こころざし》紧随刘向刘歆父子ふし创立てき书目けい统,例外れいがい很少。总序しょう

刘歆划出だいななりゃく《輯略》记录自己じこうつしてき书。はんかたざい引用いんよう刘歆《ななりゃく》时,じゅう新用しんようかい刘向てきろくりゃくけい统,并重しんしょう刘歆てき作品さくひん六个类别分类。另外,はんかた还给《ななりゃく》诞生きさき(?-23)、《汉书》せんうつしまえ(?-92)てき其他作品さくひんじゅう标题,其中也ちゅうや包括ほうかつはんかた自己じこてき作品さくひん

あい較於《史記しき》,《漢書かんしょしんぞう刑法けいほうこころざし》、《ぎょうこころざし》、《地理ちりこころざし》、《藝文げいぶんこころざしよんこころざし。其中《漢書かんしょ·藝文げいぶんこころざし》以《ななりゃく》“ろくふんほう方式ほうしき,“删其よう,以备へんせき”,記載きさいさきしんいた西にしかん學術がくじゅつ發展はってんてき狀況じょうきょう分類ぶんるい記錄きろく當時とうじそんてき典籍てんせききょう6りゃく38类,计著录596いえ、13269かん中國ちゅうごく現存げんそん最早もはやてき圖書としょ分類ぶんるい目錄もくろくれい如“きゅうりゅうじゅういえてき稱呼しょうこ及其りゅうそく出自しゅつじ於《漢書かんしょ·藝文げいぶんこころざし》。じゅうろくなかこれ大部たいぶ份正ひとしゆう藝文げいぶんこころざしある經籍けいせきこころざし》,れい如《きゅうからゆう《经籍こころざし》,《しんからのりあらためため《艺文こころざし》,ただしなみまい一部いちぶ史書ししょゆう,如《新元しんもとぼつゆう

ずいしょのりゆう經籍けいせきこころざし》,《ずいしょ·經籍けいせきこころざしそうじょ曰:“たかしだいかん掇遺ほろびぞうざい秘書ひしょ中外ちゅうがいさんかく秘書ひしょろうていだまはじめせいちゅうけい”。《ずいしょ·經籍けいせきこころざしのりだい一位把經籍分為經、ふみしゅうよんよんじゅうるい,另附ふつみちりょうるい典籍てんせきゆう总序、しょうじょ也有やゆうしょうちゅうあずか《汉书·艺文こころざしあい仿。一直到清代編《よん全書ぜんしょ》仍以よん沿用。《ずいしょ·經籍けいせきこころざしてき成就じょうじゅざい於對すすむ南北なんぼくあさ史學しがく發展はってんくびきゅう全面ぜんめんそうゆい。《きゅうとうしょ·經籍けいせきこころざしはた訓詁くんこしょ文字もじしょ音韻おんいんしょ書法しょほうしょとう圖書としょ著錄ちょろくまたはたぜにたけしたがえ牒類》ちゅううつりじょなみ劃歸至子よしこ

内容ないよう

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《汉书·艺文こころざし内容ないよう
りゃく たね いえ へん/まき
六藝りくげいりゃく 9 103 3,123
諸子しょしりゃく 10 189 4,324
詩賦しふりゃく 5 106 1,318
兵書へいしょりゃく 4 53 833
術數じゅっすうりゃく 6 190 2,528
かたわざりゃく 4 36 868

後世こうせい考證こうしょう

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そうだいおう应麟さく《汉书艺文こころざしこう证》じゅうかん,对さんひゃく八十多种图书进行了详细考订,“ところこう证者,汉书ちょ记即起居ききょちゅういえ语非いま语,邓析产所杀、しょうゆるがせ严助驳文,逢门そく逄蒙类,さんじょう而止”,またおさむ录之书じゅうなな种,“《えきるいぞう連山れんざん》、《かえりぞう》、《なつえきでん》;《るいぞうもとおう》;《れいるいぞうだい戴禮》、《しょう戴禮》、《王制おうせい》、《かん》;《らくるいぞうらくけい》、《らくもとかたり》;《春秋しゅんじゅうるいぞうめい春秋しゅんじゅう》;道家どうかぞう老子ろうしゆび》、《もとおうみょうろん》;法家ほうかぞうかんりつ》、《かんれい》;縱橫じゅうおうぞうおに谷子たにこ》;天文てんもんぞうなつ日月じつげつでん》、《あまとしぼしけい》、《いしぼしけい》、《みこ咸五ぼしうらない》、《しゅう髀》、《ほしつたえ》……”[1][2]だい一部いちぶけい研究けんきゅう《汉书艺文こころざしてきがく著作ちょさく[3]おう应麟みとめため《汉书·艺文こころざし中将ちゅうじょう于长《天下てんか忠臣ちゅうしん》归入“阴阳恰當てき[4]またこうじょうすめらぎはじめところうんいん汤液》そく《汉书·艺文こころざし《汤液经法》[5]また如:“老子ろうしゆび[6]ちょ录隋こころざしじゅういちかん严遵せんれつ释文うん遵,君平くんぺいさくゆびじゅうよんへんえんじかいせんぶん。”

清人きよひと姚振むねまたさく《汉书艺文こころざしじつ补》ろくかん,补书さんじゅうよん种。

評價ひょうか

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おう鸣盛评价《汉书·艺文こころざし,引きむ语:“不通ふつう《汉书·艺文こころざし》,不可ふか以读天下でんか书。《艺文こころざししゃがく问之眉目びもく著述ちょじゅつ门户也。”[7]

えびすてきひょう藝文げいぶんこころざしりゃくじょ時評じひょうはんかたため文太ぶんた主觀しゅかん夠客かん

注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ よん全書ぜんしょそうまきはちじゅうかん藝文げいぶんこころざし考證こうしょう提要ていようじゅうろくしゅゆうあやましょうりょう黃石こうせきおおやけ》。姚振むね认为“其书こう证本文者もんじゃひゃくななじゅうろくじょうこう证篇じょしゃななじゅうはちじょうこう本志ほんししょちょ录者じゅうななじょうそく就所さくたまかい》观之,所得しょとくとめ于此,はん复详かん其未成之しげゆきさく”。(《汉书艺文こころざしじつ补叙》)
  2. ^ よしみすず表示ひょうじおうおう麟所ぞうこれしょゆう份是“いちしょめい”,如《なつえきでん》,そくかんこころざし》《えきかん》;《だい戴禮》、《しょう戴禮》そくれいひゃくさんじゅういちへん;《おに谷子たにこそく縱橫じゅうおう》。また如《王制おうせいざいれいちゅう,《らくもとかたりためかわあいだけんじおう所傳しょでん,《しょく貨志》ちゅう引鄧てんとうざいらくおう禹記》じゅうよんへん內。(《よしみすずせつ文獻ぶんけんがく》)
  3. ^ 《四库全书总目提要》うんおう应麟“捃摭きゅうぶんかく为补ちゅう载汉こころざし全文ぜんぶんおもんみ以有しょ论辨しゃ、摘录为纲,りゃく如《经典释文》れい”。
  4. ^ おう应麟:《こまがく纪闻》まき12《こう
  5. ^ 姚振むねきさき汉艺ぶんこころざし·张仲けいかたじゅうかんじょう指出さしで:“按王应麟《汉书艺文こころざしこう证》引皇はじめ谧曰:なかけい论广《いん汤液》为じゅうすうかん。按,汉志经方ゆう《汤液经法》さんじゅうかんなかけい论定しゃ,盖即书。”
  6. ^ まいりそう
  7. ^ おう鸣盛《じゅうななしょう榷》まきじゅう

延伸えんしん阅读

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[ざい维基すうすえ]

维基文库中的相关文本:漢書かんしょ/まき030》,出自しゅつじはんかた漢書かんしょ
维基文库中的相关文本:しんとうしょ·まき057》,出自しゅつじしんとうしょ

參考さんこう書目しょもく

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  • 张舜徽《汉书艺文こころざしどおり释》