F-105 (戦闘せんとう)

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リパブリック F-105 サンダーチーフ

第465戦術戦闘飛行隊が運用していたF-105D型とF型

だい465戦術せんじゅつ戦闘せんとう飛行ひこうたい運用うんようしていたF-105DがたとFがた

F-105 サンダーチーフ (F-105 Thunderchief:かみなりおう雷神らいじん) はアメリカリパブリックしゃ開発かいはつした軍用ぐんようである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

単座たんざ単発たんぱつ(F/Gがたふく)の戦闘せんとう爆撃ばくげきで、同社どうしゃF-84後継こうけいである。はじめて機体きたいないばく弾倉だんそうをもった戦闘せんとう爆撃ばくげきであり[1]、そのばくげき能力のうりょくけいばくげきというジャンルを不要ふようにし「FとBを間違まちがえた」とさえいわれた。しかし、けっして戦闘せんとうとしての本質ほんしつうしなったわけではなく、ベトナム戦争せんそうではおもばくげきおこないながらも、きたベトナム軍機ぐんきを 27.5撃墜げきついしている。当時とうじ単発たんぱつ戦闘せんとうとしてはおおきなエンジン出力しゅつりょくほこり、それをかして機動きどうりょく搭載とうさいりょう両立りょうりつさせたほんは、いまでいうマルチロール先駆さきがけであるともえる。

ニックネームの“サンダーチーフ”は同社どうしゃ戦闘せんとうあたえられてた“サンダー**(Thunder-)”の伝統でんとうのっとったものであるが、それ以外いがいにも多彩たさい愛称あいしょう現場げんば関係かんけいしゃから非公式ひこうしきあたえられた。

おもとしてもちいられた、当時とうじ屈指くっし戦闘せんとうようだい出力しゅつりょくターボジェットエンジンであるP&W J75英語えいごばんにちなんでThudThunderthud(いずれも、“かみなり轟音ごうおんててちる”の)、大量たいりょうばくだん投下とうかすることから“地面じめんかえすもの”としてHyper-HogUltra-Hog(ともに“すごぶた(いのしし)”の)、同様どうようたかばくげき能力のうりょくからSquash Bomber(にぎりつぶす(ように爆撃ばくげきする)爆撃ばくげき)、機体きたい平面へいめん形状けいじょうからIron Butterfly(てつちょう)、センチュリーシリーズ戦闘せんとうの5番目ばんめ(F-10“5”)であることから5セント硬貨こうか材質ざいしつにかけてThe Nickel(前述ぜんじゅつとお5セント硬貨こうかてんじて、しょうぜに[2]意味いみする)、戦闘せんとうばくげきかく攻撃こうげきをこなす用途ようとせいからOne-Man Air Force(一人ひとり(で全部ぜんぶやってしまう)空軍くうぐん)、Triple Threat(3つの脅威きょうい)、頑丈がんじょう機体きたい[3]つくったメーカーに敬意けいいあらわしたRepublic Iron(リパブリックしゃ製鉄せいてつこう製品せいひん、もしくは“リパブリック鉄工てっこうしょ”の)などがられている。

開発かいはつ経緯けいい[編集へんしゅう]

F-105Bに搭載とうさいされた、P&W J75のエンジンノズル着陸ちゃくりくとうさいにはノズル部分ぶぶん展開てんかいして、エアブレーキ役割やくわりたす。

リパブリックしゃ1951ねんに、自社じしゃ資金しきんでアメリカ空軍くうぐん次世代じせだい戦闘せんとう爆撃ばくげき開発かいはつし、社内しゃないに「アドバンスド・プロジェクト63」をげた。設計せっけい主任しゅにんにはP-47 サンダーボルト戦闘せんとう設計せっけいしゃであるアレキサンダー・カートベリが任命にんめいされ、P-47の基本きほんてき概念がいねん踏襲とうしゅうしたAP63をまとめあげ、1952ねん3がつアメリカ国防総省こくぼうそうしょう提案ていあんした。提出ていしゅつされた設計せっけいあん慎重しんちょう検討けんとうされた結果けっか、9月には正式せいしき開発かいはつ契約けいやくとF-105の制式せいしき名称めいしょうで、199生産せいさんし、1955ねんからの配備はいび開始かいしというめもわされた。AP63設計せっけいあんは、RF-84Fのデザインを拡大かくだい発展はってんさせたもので、侵攻しんこう高速こうそく性能せいのう確保かくほするために当時とうじはまだ大型おおがただったかくばくだん機内きない収容しゅうようするばく弾倉だんそうつ、大型おおがたとなる計画けいかくだった。

1953ねん3がつには発注はっちゅうすうがXF-105先行せんこう量産りょうさん37とRF-105偵察ていさつ9削減さくげんされ、10月のリパブリックしゃ工場こうじょうでのモックアップ審査しんさでは、搭載とうさい予定よてい開発かいはつちゅうアリソンせいJ71ターボジェット・エンジンに十分じゅうぶん信頼しんらいがおけないとして、アメリカ空軍くうぐん暫定ざんていてきP&WせいJ57-P-25エンジンの搭載とうさい要求ようきゅう。これによりJ71の搭載とうさい構想こうそうえとなり、試作しさく2にはJ57が搭載とうさいされ、量産りょうさんではこれをさらに発展はってんさせたJ75エンジンが搭載とうさいされることとなった。一方いっぽう、リパブリックしゃでは、F-84Fの開発かいはつ量産りょうさん遅延ちえん忙殺ぼうさつされており、その影響えいきょうでF-105の開発かいはつにも遅延ちえんしょうじるようになっていたため、1953ねんすえにアメリカ空軍くうぐんさい調整ちょうせいおこない、1954ねん2がつになってあらたにF-105A 2とF-105B 10、RF-105 3けい15試作しさく発注はっちゅうされた。なお開発かいはつ遅延ちえんともない、元来がんらいべつ目的もくてき機体きたいであったF-100F-101りょう戦闘せんとうが、戦闘せんとう爆撃ばくげきとして採用さいよう運用うんようされている。

試作しさくYF-105A初号しょごう1955ねん10月22にちエドワーズ空軍くうぐん基地きちはつ飛行ひこうし、エリアルールなどのしんコンセプトをれていないにもかかわらずマッハ1.02を記録きろくした。ただ、YF-105A初号しょごう同年どうねん12月16にち試験しけん飛行ひこうちゅう降着こうちゃく装置そうち故障こしょう胴体どうたい着陸ちゃくりくし、修理しゅうりのためリパブリックしゃ工場こうじょうもどされたが、1956ねん1がつ28にちにYF-105A 2号機ごうきはつ飛行ひこうし、試験しけん飛行ひこう継続けいぞくされた。F-105の開発かいはつ遅延ちえんは1956ねんになっても改善かいぜんされるきざしをせないものの、同年どうねん5月26にちにはP&WせいJ75-P-3エンジンを搭載とうさいし、エリアルールを適用てきようした胴体どうたいくさびがたエアインテークそなえたYF-105B初号しょごうはつ飛行ひこうし、マッハ2の高速こうそくたっしたが、降着こうちゃく装置そうち故障こしょう胴体どうたい着陸ちゃくりく余儀よぎなくされ、またしても開発かいはつ遅延ちえん原因げんいんとなってしまった。なお、同年どうねん6がつになってアメリカ空軍くうぐんはF-105へ、リパブリックしゃから提案ていあんのあった「サンダーチーフ」の愛称あいしょう承認しょうにん。1957年度ねんど予算よさんにはF-105B 65、RF-105B 17ぶん総額そうがく1000まんドルをんでいる。

こうした状況じょうきょう同年どうねん9がつ10日とおかノースアメリカンしゃ開発かいはつしていたF-107Aはつ飛行ひこうし、F-105との比較ひかく審査しんさおこなわれたがもとから保険ほけんてき意味合いみあいしかなかったF-107Aが採用さいようされることはなく、1957ねん1がつにリパブリックしゃたいしてF-105の正式せいしき発注はっちゅうおこなわれた。また、アメリカ空軍くうぐんでは同年どうねん11月22にち情勢じょうせい変化へんか対応たいおうするためさい検討けんとう実施じっしし、AN/APN-105全天候ぜんてんこうドップラー航法こうほうシステムの搭載とうさい、コクピット計器けいきパネルの改良かいりょうMk.43かくばくだん運用うんよう能力のうりょく付与ふよなどの追加ついか指示しじされた。

マーチ空軍くうぐん博物館はくぶつかん展示てんじされている、F-105D

初期しょき量産りょうさんがたのF-105Bは1958ねん5月27にちから戦術せんじゅつ航空こうくう軍団ぐんだんわたしが開始かいしされ、8がつだい4戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだん英語えいごばんだい335戦術せんじゅつ戦闘せんとう飛行ひこうたい最初さいしょ受領じゅりょうした。F-105Bは技術ぎじゅつてきトラブルが比較的ひかくてきすくなかったが、アビオニクス関連かんれんのトラブルが非常ひじょうおおく、アメリカ空軍くうぐんテスト機関きかんやリパブリックしゃなどがその解決かいけつ全力ぜんりょくげねばならなかった。アメリカ空軍くうぐんでは65のF-105Bと17のRF-105の調達ちょうたつ決定けっていしていたものの、のちにRF-105があまりに高価こうかとなったためキャンセルされ、結局けっきょく、F-105Bは1959ねんまでに65生産せいさんされたのみで、その生産せいさんはF-105Dに移行いこうした。

F-105D初号しょごう1959ねん6月9にちにリパブリックしゃのファーミングデイル工場こうじょうはつ飛行ひこうしている。アメリカ空軍くうぐん当初とうしょ1,400のF-105Dを14航空こうくうだん配備はいびする計画けいかくだったが、1961ねんロバート・マクナマラ国防こくぼう長官ちょうかん機種きしゅ統一とういつ国防こくぼう予算よさん抑制よくせい見地けんちから海軍かいぐん採用さいようされたF-4 ファントムII導入どうにゅうはたらきかけたため、調達ちょうたつすうは610削減さくげんされ、のこりの予算よさん空軍くうぐんがたのF-4C/Dの購入こうにゅうまわされた。F-105Dは、エンジンをP&WせいJ75-P-19Wにかわそうし、AN/ASG-19サンダースティック火器かき管制かんせい装置そうち、NASARR R-14A目的もくてきモノパルス・レーダー・システムとドップラー・レーダーを搭載とうさいした全天候ぜんてんこうがた戦闘せんとう爆撃ばくげきで、1960ねん5月からだい4戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだんへの引渡ひきわたしが開始かいしされ、1961ねん3がつからはネリス空軍くうぐん基地きち編成へんせいされただい4520戦闘せんとう乗員じょういん訓練くんれん航空こうくうだんでの乗員じょういん養成ようせい開始かいしされた。

もなく海外かいがい展開てんかい部隊ぶたいへの配備はいびすすめられ、最初さいしょ受領じゅりょうしたのは西にしドイツビットブルク空軍くうぐん基地きち英語えいごばん展開てんかいするだい36戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだん英語えいごばんで、1962ねんにはシュパンダーレム空軍くうぐん基地きち英語えいごばんだい49戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだん英語えいごばん同年どうねん10がつ嘉手納かでな基地きちだい18戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだん英語えいごばん1963ねん5月板付いたづけ基地きちだい8戦術せんじゅつ戦闘せんとう航空こうくうだん英語えいごばんがそれぞれF-100D/F スーパーセイバーから機種きしゅ転換てんかんしている。F-105は高性能こうせいのう単座たんざだったため、当初とうしょからパイロット訓練くんれんようふくがた開発かいはつ必要ひつようされていた。このためF-105CやF-105Eなどのふくモデルが計画けいかくされたが開発かいはつ経費けいひ高騰こうとうなどで実現じつげんせず、結局けっきょく、F-105DをふくしたF-105Fが開発かいはつされた。F-105F初号しょごう1963ねん6月11にちはつ飛行ひこうし、1964ねんすえまでに143生産せいさんされた。

実戦じっせん投入とうにゅう[編集へんしゅう]

KC-135から空中くうちゅう給油きゅうゆけるF-105D

ベトナム戦争せんそう最初さいしょの4年間ねんかんにおいて、きたベトナムたいするばくげき攻撃こうげきの75%はF-105によるものだった。ただしほん特徴とくちょうづける機体きたいないばく弾倉だんそう戦術せんじゅつかく専用せんようであり通常つうじょうばくだん運用うんようにはてきさず、ばくそう外装がいそうおこなわれ、ばく弾倉だんそう燃料ねんりょうタンクの収納しゅうのうスペースとしてもちいられた。

きたばく当初とうしょきたベトナム空軍くうぐんミコヤンMiG-17撃墜げきついされるという事件じけんこり、「やはり戦闘せんとう失格しっかく」という評判ひょうばんみ、マッハ1きゅう戦闘せんとうであるF-100に、マッハ2きゅうであるほん護衛ごえいされるという屈辱くつじょくてきあつかいをけた。

だが結局けっきょくF-100のほうはいちもMiG撃墜げきつい戦果せんかのこせなかったのにたいし、ほん果敢かかんにMiG-17にいどんで撃墜げきつい記録きろくのこし、戦闘せんとう失格しっかく汚名おめい返上へんじょうしている。ただしたい戦闘せんとう戦闘せんとうおこなさいばくだん途中とちゅう投棄とうきせざるをず、結果けっかとしてきたベトナム空軍くうぐんばくげき阻止そし成功せいこうしたことになる(ベトナム空軍くうぐんもそれを意図いとした迎撃げいげきおこなった)。またより高性能こうせいのうMiG-21撃墜げきついした記録きろくはない。かく攻撃こうげき能力のうりょく傾倒けいとうする一方いっぽうせいそら戦闘せんとうたず、ほんのような戦闘せんとう爆撃ばくげきのみ重視じゅうししたため、ベトナム戦争せんそうよう戦闘せんとうでの対応たいおうくるしんだことかんがえると、アメリカ空軍くうぐん判断はんだんミスはおおきかったとえる。

主力しゅりょくがたとして生産せいさんされたDがたからは、航法こうほう火器かき管制かんせいばくげき管制かんせいかく装置そうち連動れんどうさせた統合とうごう自動じどうシステムを搭載とうさいし、出撃しゅつげきから帰還きかんまで自動的じどうてき作戦さくせん遂行すいこう出来できようになった。ただし、回避かいひ機動きどうなどをおこなえないため使用しよう頻度ひんどすくなかった。なんかのF-105は、レーダー妨害ぼうがい装置そうちそなえた ワイルド・ウィーゼルF-105Gとしててき対空たいくうミサイル破壊はかいする任務にんむ使つかわれた。このベトナム戦争せんそうにおいて、きたばく主力しゅりょくとして使用しようされたD/Fがたそう生産せいさんすう751うち、385戦闘せんとう作戦さくせんちゅうのトラブルでうしなわれ、51戦闘せんとう以外いがい運用うんようじょうのトラブルでうしなわれている。

ベトナム戦争せんそう終結しゅうけつは、空軍くうぐん州兵しゅうへい(ANG)とう後方こうほう任務にんむまわされ、1983ねん5月25にちジョージアしゅう航空こうくうたいだい128戦術せんじゅつ戦闘せんとう飛行ひこうたいおこなったフライトを最後さいごすべてのミッションをえて退役たいえきした。

また、1964ねんにアメリカ空軍くうぐんのアクロバットチーム、サンダーバーズ使用しようとして採用さいようされたが、同年どうねん5がつ事故じここしたこととその直後ちょくご発生はっせいしたべつ部隊ぶたいでの墜落ついらく事故じこふたつが理由りゆう一時いちじてき飛行ひこう停止ていし処置しょちにより、早々そうそう使用しよう中止ちゅうしとなってしまった。一方いっぽう、ワイルド・ウィーゼルのF-105Gは、そのなが正規せいき空軍くうぐんだい一線いっせんとしてもちいられ、1980年代ねんだいより徐々じょじょ後継こうけいであるF-4G交代こうたいした。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

YF-105A
試作しさく。2製造せいぞう
YF-105B
試作しさく。エリアルールの採用さいようなど。4製造せいぞう
F-105B
初期しょき生産せいさんがた75製造せいぞう
RF-105B
偵察ていさつかた。17発注はっちゅう計画けいかく中止ちゅうしにより、JF-105Bに改装かいそう
JF-105B
RF-105Bから改造かいぞうされた試験しけんよう対空たいくうミサイルの試験しけん使用しよう。3改装かいそう
F-105C
ふく練習れんしゅうかた。1957ねん計画けいかく中止ちゅうし
F-105D
全天候ぜんてんこう能力のうりょく強化きょうか。610製造せいぞう
F-105E
Dがたふく練習れんしゅうがた。1959ねん計画けいかく中止ちゅうし
F-105F
Dがたふく練習れんしゅうがた。143製造せいぞう
EF-105F
Fがたてき防空ぼうくうもう制圧せいあつ任務にんむワイルド・ウィーゼルよう改修かいしゅうしたかた非公式ひこうしき名称めいしょう制式せいしきめいはF-105Fのまま)。Fがたより86改装かいそう
F-105G
てき防空ぼうくうもう制圧せいあつ任務にんむ(ワイルド・ウィーゼル)。Fがた、EF-105Fがたより61改装かいそう

仕様しよう (F-105D)[編集へんしゅう]

出典しゅってん: 世界せかい傑作けっさく No.4 リパブリックF-105サンダーチーフ』(ぶん林堂はやしどう、1987ねん),en:F-105 Thunderchief

しょもと

性能せいのう

  • 最大さいだい速度そくど: 2,208 km/h (マッハ2.08) (1,192 kt) (高度こうど11,000 m(36,000 ft)
  • 戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい: 1,259 km (680 nm)
  • フェリー飛行ひこう航続こうぞく距離きょり: 3,553 km (1,918 nm)
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど: 14,783 m (48,500 ft)
  • 上昇じょうしょうりつ: 195 m/s (38,500 ft/min)
  • つばさめん荷重かじゅう: 452 kg/m2 (93 lb/ft2
  • 推力すいりょく重量じゅうりょう: 0.74

武装ぶそう

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登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

ファイヤーフォックス
ベトナム戦争せんそう当時とうじのミッチェル・ガントのあいとして登場とうじょう

漫画まんが・アニメ[編集へんしゅう]

エリア88
グエン・ヴァン・チョムのあいとして登場とうじょうしている。
ゲゲゲの鬼太郎おにたろう
泥田どろたぼう」に航空こうくう自衛隊じえいたいとして登場とうじょう配備はいび基地きち出現しゅつげんした泥田どろたぼう妨害ぼうがいけて離陸りりく直後ちょくご墜落ついらくする事故じこ頻発ひんぱつし、調査ちょうさおとずれた鬼太郎おにたろうふくがた搭乗とうじょうしている。

ゲーム[編集へんしゅう]

『Strike Fighters』 Third wire
フライトシミュレーター。主要しゅようなタイプはすべ操縦そうじゅう可能かのう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 先行せんこうするF-101戦闘せんとうばく弾倉だんそうゆうするが、本来ほんらいそら対空たいくうミサイルよう弾薬だんやくくらとして設計せっけいされたものの転用てんようであり、元来がんらい設計せっけいとしてばく弾倉だんそうゆうする戦闘せんとう爆撃ばくげきとしてはF-105がはつである。
  2. ^ ほんのすこしだがいまこのときには重要じゅうような、という意味いみのスラングでもある
  3. ^ ベトナム戦争せんそうさい信管しんかん不発ふはつとなった対空たいくうミサイルに激突げきとつされてミサイルが機体きたいさったまま帰還きかんした、という逸話いつわ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 世界せかい傑作けっさく No.4 リパブリックF-105サンダーチーフ』(ぶん林堂はやしどう、1987ねんISBN 4-89319-003-2

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]