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P-66 (航空機こうくうき)

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P-66 ヴァンガード

P-66 ヴァンガード

P-66 ヴァンガード

P-66 ヴァンガード(P-66 Vanguard)はアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくバルティしゃだい世界せかい大戦たいせん直前ちょくぜんから初頭しょとうにかけて開発かいはつ製造せいぞうした戦闘せんとうである。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

1939ねんにバルティしゃは、H-1B設計せっけいおこなったリチャード・W・パルマー[1]主任しゅにん設計せっけいしゃに、社内しゃない名称めいしょうモデル48とばれる輸出ゆしゅつ単座たんざ戦闘せんとう開発かいはつ開始かいしした。この機体きたいは、P&W R-1800-33空冷くうれいじゅうほしがたエンジン搭載とうさいしながら、えきひやエンジン搭載とうさいのようにしぼんだ機首きしゅち、機首きしゅ一体いったいになる鋭角えいかくプロペラスピナーゆうしていた。機首きしゅ下面かめん空気くうきこうしきにして空気くうき抵抗ていこうらすことで速度そくど上昇じょうしょうねらっていた。

試作しさく1号機ごうきは1939ねん9がつ8にちはつ飛行ひこうしたが、エンジンの冷却れいきゃく不足ふそくいちじるしく、試験しけん飛行ひこうすらままならない[2]うえに、プロペラシャフトながいため重量じゅうりょう過大かだい振動しんどうなやまされた。バルティしゃは、空気くうきこう拡大かくだい固定こていなどをはかったが根本こんぽんてき解決かいけつにならず、速度そくどめんでもおもったほど向上こうじょうられなかった。りしも、この機体きたいスウェーデン政府せいふ興味きょうみしめしたため、バルティしゃでは結局けっきょく通常つうじょう機首きしゅ形態けいたいもどし、出力しゅつりょく多少たしょう向上こうじょうさせたエンジンを搭載とうさいした社内しゃない名称めいしょうV-48C1940ねん完成かんせいさせた。スウェーデン政府せいふは、V-48を空軍くうぐん名称めいしょうJ10として採用さいようし、144発注はっちゅうした。この発注はっちゅうともない、尾翼びよく拡大かくだい主翼しゅよく上反かみたんかく増加ぞうかなどのしょう改良かいりょうくわえ、1940ねん10がつから生産せいさん開始かいし1941ねん9がつまでに受注じゅちゅうぶんぜん完成かんせいした[2]

配備はいび[編集へんしゅう]

しかしそのころアメリカ政府せいふ交戦こうせんなか国家こっかへの武器ぶき輸出ゆしゅつさだめたレンドリースほう制定せいていしたため、中立ちゅうりつこくであるスウェーデンへの武器ぶき輸出ゆしゅつ禁止きんしされてしまった。ちゅういたかたちとなったV-48のうち、129[2]イギリス経由けいゆしてカナダにレンドリースとして供与きょうよすることになった。このときにイギリスがわからヴァンガード愛称あいしょうあたえられた。

カナダでは高等こうとう訓練くんれんもちいられる予定よていであったが、さきまったのもつかの今度こんどはイギリスがこれらの機体きたい日本にっぽんぐんとの戦闘せんとう苦戦くせんする中華民国ちゅうかみんこくぜん供与きょうよすることをめてしまった。そこでアメリカがわではV-48をP-66と改名かいめいし、1941ねんから順次じゅんじカリフォルニアニューヨークから中国ちゅうごくけて船積ふなづみされた。しかし、そのあいだ日本にっぽんぐんによる真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき勃発ぼっぱつしたため、カリフォルニアから中国ちゅうごく輸送ゆそうされる予定よていだった機体きたい内約ないやく4~50は、そのままアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいだい14追撃ついげき飛行ひこうたい配備はいび[1]手薄てうすとなったカリフォルニア南部なんぶでの防空ぼうくう任務にんむいた。

P-66は実質じっしつ高等こうとう練習れんしゅうとして運用うんようされ[2]操縦そうじゅうせい良好りょうこうという一定いってい評価ひょうかた。しかし、重心じゅうしんたかいため[3]地上ちじょう滑走かっそうなかスピンするくせがあり、15がその事故じこうしなわれた。いずれにせよ、P-66はあくまでも西海岸にしかいがん新型しんがた戦闘せんとう配備はいびされるまでのつなぎとしての機体きたいであったため、実戦じっせん経験けいけんすることなく、1942ねん2がつには高性能こうせいのう戦闘せんとうわってぜん退役たいえきし、8がつまでに梱包こんぽうされた状態じょうたいで、当初とうしょ供与きょうよさきである中華民国ちゅうかみんこくへと船積ふなづみされていった。

中国ちゅうごく供与きょうよされた機体きたいのほとんどは、カラチ陸揚りくあげされててられたうえフェリーされた。しかし、輸送ゆそう途中とちゅう事故じこうしなわれた機体きたいや、インドでの訓練くんれんなかうしなわれた機体きたいおおく、実際じっさい国民こくみん革命かくめいぐん受領じゅりょうした機体きたい少数しょうすうだった。中華民国ちゅうかみんこくでは、こんあきらだい23戦闘せんとう集団しゅうだんだい17戦闘せんとう飛行ひこうたいなど複数ふくすう戦闘せんとう部隊ぶたい配備はいびされた[3]実戦じっせんにおいては日本にっぽんぐん機体きたいとも戦火せんかまじえたといわれるが、機体きたいすうすくなさにくわえて、ここでも地上ちじょう滑走かっそうちゅうのスピンによる喪失そうしつ相次あいつぎ、また大半たいはん機体きたいちゅうちゅう日本にっぽんぐん空襲くうしゅううしなわれたこともあって、ほとんど戦力せんりょくにならずそのまま退役たいえきしていった。

当時とうじ交戦こうせんこくであった日本にっぽんにもほん情報じょうほうつたわっており、「ヴァルティー・ヴァンガード」ので3めん紹介しょうかいされていた[2]。また、外観がいかんはやぶされいせん酷似こくじしていたため、アメリカぐんパイロットなかにはれいせんをP-66のコピーだとくびっていたものもおり[2]ぎゃく中国ちゅうごく大陸たいりくではP-66がはやぶされいせん間違まちがえられて、味方みかた対空たいくう砲火ほうか撃墜げきついされることもあったという[3]

スペック[編集へんしゅう]

試験しけん飛行ひこうちゅうのモデル48。空冷くうれいエンジンにもかかわらず、空気くうき抵抗ていこう軽減けいげんねらった細長ほそなが機首きしゅ特徴とくちょう
  • 全長ぜんちょう:8.63 m
  • 全高ぜんこう:2.87 m
  • 全幅ぜんぷく:10.97 m
  • つばさ面積めんせき:18.3 m2
  • 自重じちょう:2,376 kg
  • 全備ぜんび重量じゅうりょう:3,221 kg
  • エンジン:P&W R-1800-33 空冷くうれいほしがた14気筒きとう 1,200hp
  • 最大さいだい速度そくど:547 km/h
  • 航続こうぞく距離きょり:1,368 km(正規せいき
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど:8,595 m
  • 乗員じょういん:1めい
  • 武装ぶそう
    • 12.7mm機関きかんじゅう × 2(主翼しゅよく
    • 7.62mm機関きかんじゅう × 4(機首きしゅ
    • ばくだん搭載とうさいりょう不明ふめい

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c だい二次大戦米陸軍機全集 航空こうくうファンイラストレイテッドNo.74 ぶん林堂はやしどう 1994ねん P59
  2. ^ a b c d e f 大内おおうち建二けんじわすれられた軍用ぐんよう られざるだい大戦たいせん傑作けっさく光人みつひとしゃ 2004ねん ISBN 4-7698-2424-6 P.317~323
  3. ^ a b c 岡部おかべださく世界せかいさく 3』 だい日本にっぽん絵画かいが 2003ねん ISBN 4-499-22823-9 P.53~58

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]