(Translated by https://www.hiragana.jp/)
中立国 - Wikipedia コンテンツにスキップ

中立ちゅうりつこく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
SIG SG550アサルトライフル携帯けいたいしたままものするスイス民兵みんぺい
スイスは永世えいせい中立ちゅうりつこくであると同時どうじに、徴兵ちょうへい制度せいどゆうする国民こくみん皆兵かいへい武装ぶそう中立ちゅうりつ国家こっかでもある。

中立ちゅうりつこく(ちゅうりつこく、えい: neutral country)とは、自国じこく中立ちゅうりつ保障ほしょう承認しょうにんされている国家こっか呼称こしょうである。国際こくさいほううえ中立ちゅうりつには、戦時せんじ中立ちゅうりつ永世えいせい中立ちゅうりつ区別くべつがある。

戦時せんじ中立ちゅうりつとは、戦時せんじ国際こくさいほううえ中立ちゅうりつ法規ほうき陸戦りくせん場合ばあいニ於ケル中立ちゅうりつこく中立ちゅうりつじん権利けんり義務ぎむせきスル条約じょうやく」および「海戦かいせん場合ばあいニ於ケル中立ちゅうりつこく権利けんり義務ぎむせきスル条約じょうやく原則げんそくもとづき、交戦こうせんこくからの侵攻しんこう攻撃こうげきけないわりに、交戦こうせんこくのいずれにも便宜べんぎあたえてはならないとする立場たちばのことをす。

永世えいせい中立ちゅうりつふつ: La neutralité permanente)とは、国際こくさい条約じょうやくまたは自国じこく宣言せんげんによって、将来しょうらいのすべての戦争せんそう交戦こうせんこくたいして中立ちゅうりつであることを義務ぎむづけられている立場たちば国家こっかのことを[1][2]永世えいせい中立ちゅうりつこくもっと代表だいひょうてきれいとして、スイスげられる。戦争せんそうにおける中立ちゅうりつ概念がいねんせま定義ていぎされており、中立ちゅうりつたもつという国際こくさいてきみとめられた権利けんり見返みかえりとして、中立ちゅうりつ当事とうじしゃ特定とくてい制約せいやくしている。

中立ちゅうりつ定義ていぎ[編集へんしゅう]

中立ちゅうりつこくには他国たこく紛争ふんそう荷担かたんする行為こういなど、戦争せんそうまれるおそれのある行為こういつつしむことももとめられる[3]。スイスは中立ちゅうりつこくであったために、他国たこくからの政治せいじてき亡命ぼうめいしゃがスイスにおいて活動かつどうすることもあった。ルイ・ナポレオン(のナポレオン3せい亡命ぼうめいしたさいにはフランス政府せいふ軍事ぐんじてき威嚇いかくおこない、ルイ・ナポレオンが自発じはつてき退去たいきょおこなったこともある[4]。 また国家こっかたいする経済けいざい制裁せいさい参加さんかすることも中立ちゅうりつ違反いはんとなる。しかしローデシア問題もんだいのように、国家こっか承認しょうにんられていない独立どくりつ主張しゅちょうする政権せいけんたいする経済けいざい制裁せいさいは、中立ちゅうりつ違反いはんとはられていない[5]。また中立ちゅうりつこく他国たこく戦時せんじ債券さいけんうことは中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんとなる。

また国際こくさいほうじょうにおける中立ちゅうりつ国民こくみん立場たちばをも統制とうせいするものではない。中立ちゅうりつこく国民こくみん戦時せんじ債券さいけんうことは中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんではない[6]。また国民こくみん戦争せんそう義勇ぎゆうへいとなることも自由じゆうであり、中立ちゅうりつこくはこれを抑止よくしする義務ぎむたない[6]

永世えいせい中立ちゅうりつ[編集へんしゅう]

永世えいせい中立ちゅうりつ条件じょうけん[編集へんしゅう]

永世えいせい中立ちゅうりつ伝統でんとうてき中立ちゅうりつとともにふる歴史れきし概念がいねんであり、かなりふるくから国際こくさいほう存在そんざいしていた[1]。そのため、以下いか条件じょうけんたす必要ひつようがあるとかんがえられている[1]

  1. 複数ふくすう国家こっか同意どういによる「中立ちゅうりつ」が必要ひつようである[1]。このためアミアンのやくさいイギリス提案ていあんしたマルタ中立ちゅうりつは、関係かんけい諸国しょこく承諾しょうだくられず、実現じつげんしなかった事例じれいがある[7]
  2. 中立ちゅうりつ参加さんかした諸国しょこくは、永世えいせい中立ちゅうりつこく独立どくりつ領土りょうど保全ほぜん常時じょうじ保障ほしょうする義務ぎむがある[1]
  3. 永世えいせい中立ちゅうりつこくはその中立ちゅうりつである領土りょうど他国たこく侵害しんがいからまも義務ぎむがある[8]。そのため常設じょうせつてき武装ぶそうもとめられる[1][9]
  4. 永世えいせい中立ちゅうりつこくは、自衛じえいほか戦争せんそうをする権利けんりたない[1][8]
  5. 永世えいせい中立ちゅうりつこくは、他国たこく戦争せんそう状態じょうたいにあるときには伝統でんとうてき中立ちゅうりつまも義務ぎむがある[1]
  6. 永世えいせい中立ちゅうりつこくは、平時へいじにおいても戦争せんそうまれないような外交がいこうおこな義務ぎむがある。したがって、軍事ぐんじ同盟どうめい軍事ぐんじ援助えんじょ条約じょうやく安全あんぜん保障ほしょう条約じょうやく締結ていけつおこなわず、他国たこくたいして基地きち提供ていきょうしてはならない[10][11]戦時せんじにおいては外国がいこく軍隊ぐんたい国内こくない通過つうか領空りょうくう飛行ひこう船舶せんぱく寄港きこうみとめないが、これは中立ちゅうりつこく一般いっぱん義務ぎむでもある[12]
  7. 永世えいせい中立ちゅうりつこく軍事ぐんじてき国際こくさい条約じょうやく国際こくさい組織そしきには参加さんかでき、思想しそうてき中立ちゅうりつまも義務ぎむ出版しゅっぱん言論げんろん自由じゆう制限せいげんする義務ぎむたない[10]
  8. 永世えいせい中立ちゅうりつこく原則げんそくてき保障ほしょうこく許諾きょだくしに領域りょういき割譲かつじょう併合へいごうなどの変更へんこうおこなわない。なお、ベルギーによるコンゴ自由じゆうこく併合へいごうのように、保障ほしょうこく許諾きょだくられる事例じれいもある[12]

軍事ぐんじ同盟どうめいくにいため、他国たこくからの軍事ぐんじてき脅威きょういえば、如何いかなる同盟どうめいこくにもたよらず、自国じこく軍隊ぐんたいのみで解決かいけつすることを意味いみする。すなわち、『どのような戦争せんそうたいしても「かならず/固定こていてきに」中立ちゅうりつ立場たちば国家こっか』という意味いみである。日本語にほんごわけの「永世えいせい」のような『永遠えいえんに』『これからさきもずっと』という意味合いみあいは、まったっていない。

よって、状況じょうきょうによっては「永世えいせい中立ちゅうりつ」を一方いっぽうてき放棄ほうきすることも可能かのうであり、実際じっさい放棄ほうきされた事例じれいもある。

永世えいせい中立ちゅうりつ国際こくさい関係かんけい[編集へんしゅう]

永世えいせい中立ちゅうりつはあくまで戦時せんじにおける中立ちゅうりつさだめたものであり、平時へいじにおける国家こっかあいだ条約じょうやくによる経済けいざい協定きょうていや、国連こくれん機関きかん設置せっち国連こくれん組織そしきへの参加さんかみとめられている[13]

1920ねん発足ほっそくした国際こくさい連盟れんめいは、違反いはんしゃへの軍事ぐんじ制裁せいさいおこなうことができる国家こっかあいだ連合れんごうであり、いわゆる伝統でんとうてき中立ちゅうりつ抵触ていしょくする可能かのうせいがあった。このため国際こくさい連盟れんめいはスイスは長年ながねん永世えいせい中立ちゅうりつたもった実績じっせきをもっているため、国際こくさい連盟れんめい軍事ぐんじ制裁せいさい参加さんかしないことをゆるされた特例とくれいてき中立ちゅうりつこくとするロンドン宣言せんげん採用さいようした。これにより、スイスは国際こくさい連盟れんめい加盟かめいしている[14]。しかし、だいエチオピア戦争せんそうさい国際こくさい連盟れんめいイタリア王国おうこくたいする経済けいざい制裁せいさい議決ぎけつしたさい、スイスは加盟かめいこくであり、経済けいざい制裁せいさいへの参加さんか義務付ぎむづけられていたにもかかわらず、伝統でんとうてき中立ちゅうりつ政策せいさく回帰かいきして経済けいざい制裁せいさいおこなわなかったという事例じれいもある[14]。スイスは国際こくさい連盟れんめいでの中立ちゅうりつ困難こんなんであるとしており、伝統でんとうてき中立ちゅうりつへの回帰かいきはかり、1938ねんには国連こくれん承認しょうにんされた[14]

このためスイスは1945ねん国連こくれん発足ほっそくたっては、中立ちゅうりつ義務ぎむ遂行すいこう国連こくれん加盟かめい両立りょうりつしないとして加盟かめいしなかった[13]一方いっぽうオーストリアは1955ねん国連こくれん加盟かめいおこなったが、そのさいにオーストリアの永世えいせい中立ちゅうりつ問題もんだいにしたくに存在そんざいせず、中立ちゅうりつ義務ぎむまもることが可能かのうであるという見解けんかいがとられていた[15]。なお、オーストリアとスイスが欧州共同体おうしゅうきょうどうたい参加さんかすることは、中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんであるとしてソビエト連邦れんぽうなど東側ひがしがわ諸国しょこくから反対はんたいされていた[16]。しかし欧州共同体おうしゅうきょうどうたいおよび後継こうけい欧州おうしゅう連合れんごうとの関係かんけいつよく、スイスは1972ねん欧州共同体おうしゅうきょうどうたい自由じゆう貿易ぼうえき協定きょうていむすんで以来いらいシェンゲン協定きょうていなど120以上いじょう協定きょうてい締結ていけつしている[17]冷戦れいせんなかのスイスについて、チューリヒ大学だいがくのステファニー・ヴァルターは「スイスは暗黙あんもくのうちに西側にしがわくみしていた。人権じんけんかんしても一定いってい態度たいど表明ひょうめいをしている」とひょうしている[18]

永世えいせい中立ちゅうりつ軍事ぐんじ[編集へんしゅう]

永世えいせい中立ちゅうりつ武装ぶそう意味いみせず、いわゆる「武装ぶそう」や「防備ぼうび都市とし」とは、まった概念がいねん理念りねんことなるものである。スイスぐんよう強力きょうりょく国防こくぼう政策せいさく場合ばあいもある(武装ぶそう中立ちゅうりつ)。

スイスでは憲法けんぽう軍隊ぐんたい保持ほじ国民こくみんみな兵制へいせい規定きてい(58じょう、89じょう)しており、2013ねん市民しみん運動うんどう団体だんたいによるスイスぐん軍隊ぐんたい廃止はいしかんする国民こくみん投票とうひょう実施じっしされたさいも73%の多数たすう否決ひけつされ、徴兵ちょうへいせい存続そんぞくまった[19][20]

また、国連こくれんにおける平和へいわ維持いじ活動かつどうへの兵力へいりょく派遣はけんは、中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんとはなされない[21]。オーストリアは1965ねん憲法けんぽう改正かいせい以降いこうコンゴ動乱どうらん国際こくさい連合れんごうキプロス平和へいわ維持いじぐんぐん派遣はけんしており[22]、1968ねんには国連こくれん要請ようせいたいして即時そくじ対応たいおうするために国連こくれん待機たいきぐんドイツばん設置せっちしている[23]。またスイスも2002ねん国連こくれん加盟かめいまえからPKOに参加さんかしており、1993ねんには待機たいきぐん組織そしきしている[23]。これはPKOにおける派遣はけん強制きょうせいてき性格せいかくのものであり、公平こうへいせい義務ぎむづけられていたために、中立ちゅうりつ義務ぎむはんしないというかんがえによるものである[24]

また、他国たこくあいだ紛争ふんそう抑止よくしすることは中立ちゅうりつこく自体じたい利益りえきとなるともかんがえられてきた[24]平和へいわ維持いじ活動かつどうで、自衛じえいほか軍事ぐんじりょく執行しっこうすることについては中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんであるという解釈かいしゃく一般いっぱんてきであったが、冷戦れいせん終結しゅうけつには変化へんかしょうじている。平和へいわ維持いじ活動かつどうによる平和へいわ強制きょうせいのための軍事ぐんじ行動こうどうは、ほう執行しっこうであり中立ちゅうりつ義務ぎむ違反いはんではないという解釈かいしゃくである。この解釈かいしゃく有力ゆうりょくになり、スイスおよびオーストリアの政府せいふおな見解けんかい表明ひょうめいしている[25]

保障ほしょうこく立場たちば[編集へんしゅう]

中立ちゅうりつこくは、中立ちゅうりつ条約じょうやく締結ていけつこくによって中立ちゅうりつ法的ほうてき地位ちい保障ほしょうされるのを原則げんそくとしている。ゆえ中立ちゅうりつ保障ほしょうこく中立ちゅうりつこく独立どくりつ領土りょうど保全ほぜん尊重そんちょうし、その独立どくりつ第三国だいさんごくによって侵犯しんぱんされたならば、武力ぶりょくをもってこれを排除はいじょする義務ぎむう。このため、 1955ねんのオーストリアの永世えいせい中立ちゅうりつこくによって、オーストリアはスイスの保障ほしょうこくから離脱りだつしたという事例じれいもある[21]

一方いっぽうでオーストリアの永世えいせい中立ちゅうりつたっては、国際こくさい条約じょうやくわすという形式けいしきらず、交換こうかん公文こうぶんによっておこなわれたが、これらのくにはオーストリアの中立ちゅうりつ尊重そんちょうするとしたものの、保障ほしょうおこなわなかった[26]中立ちゅうりつ保障ほしょうしたのは、オーストリアとソ連それんあいだわされたモスクワ覚書おぼえがきによるものである[27]

また、保障ほしょうこく中立ちゅうりつこく憲法けんぽう改正かいせいなど、内政ないせい干渉かんしょうする権利けんりたない[3]。しかしクラクフ共和きょうわこく大量たいりょう亡命ぼうめいしゃによって政府せいふ転覆てんぷくされた(クラクフ蜂起ほうき英語えいごばんポーランドばんさいには、亡命ぼうめいしゃれをきんじた事前じぜん協定きょうていはんするとして、保障ほしょうさんこくプロイセン王国おうこくオーストリア=ハンガリー帝国ていこくロシア帝国ていこく)による軍事ぐんじ占領せんりょうおこなわれた事例じれいもある[3]

永世えいせい中立ちゅうりつこく一覧いちらん[編集へんしゅう]

周辺しゅうへんこくとう承認しょうにん[編集へんしゅう]

周辺しゅうへんこくとう承認しょうにんにより成立せいりつしている諸国しょこく

宣言せんげんのみ[編集へんしゅう]

以下いかくに永世えいせい中立ちゅうりつ宣言せんげんしているにまる。

かつての永世えいせい中立ちゅうりつこく[編集へんしゅう]

ベルギーとルクセンブルク[編集へんしゅう]

列強れっきょう独立どくりつ承認しょうにんしたベルギールクセンブルクロンドン条約じょうやくにより、永世えいせい中立ちゅうりつさだめられた[32][33]。しかし両国りょうこくとも、だいいち世界せかい大戦たいせんではドイツ帝国ていこく侵攻しんこうけた。ベルギーは国土こくど大半たいはん占領せんりょうされながらも抵抗ていこうし、武装ぶそうであったルクセンブルクは、全土ぜんど占領せんりょうされた[33]。その1920ねん発効はっこうしたヴェルサイユ条約じょうやくで、永世えいせい中立ちゅうりつ義務ぎむ解除かいじょされた。

ベルギーはその連合れんごうこく一員いちいんとしてロカルノ条約じょうやくひとし参加さんかしたが、ロカルノ体制たいせい崩壊ほうかい中立ちゅうりつ回帰かいきした[34]。ルクセンブルクは国際こくさい連盟れんめいによってロンドン条約じょうやく有効ゆうこうであるため永世えいせい中立ちゅうりつこくであるとさい認定にんていされ[35]武装ぶそう中立ちゅうりつ政策せいさく継続けいぞくしていたが、両国りょうこくとも1940ねんナチス・ドイツ侵攻しんこうけ、国土こくど占領せんりょうされた[33]

ベルギーは、だい世界せかい大戦たいせんのち中立ちゅうりつ政策せいさく放棄ほうきしている[33]一方いっぽうでルクセンブルクは、1948ねんNATO加盟かめい憲法けんぽう改正かいせいにより、事実じじつじょう中立ちゅうりつ政策せいさく放棄ほうきした。ただし憲法けんぽうじょうでは、中立ちゅうりつ政策せいさくると規定きていしている[33]

その過去かこ永世えいせい中立ちゅうりつこく[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける永世えいせい中立ちゅうりつこく議論ぎろん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽんにおいては、日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょう侵略しんりゃく戦争せんそう軍隊ぐんたい戦力せんりょく放棄ほうき規定きていもうけられたこともあり、日本にっぽん中立ちゅうりつこくとなるべきであるという主張しゅちょうべる論者ろんしゃも、おおあらわれた[33]。しかし現実げんじつには日米にちべい安全あんぜん保障ほしょう条約じょうやくむすばれているので、中立ちゅうりつこくではなくかくかさまもられている。もし台湾たいわん有事ゆうじにアメリカが参戦さんせんしたら、日本にっぽんにあるべいぐん基地きち拠点きょてんになる。武力ぶりょく行使こうしことわっても武器ぶき物資ぶっし供給きょうきゅうことわれないし、それにおうじればにちちゅう戦争せんそう状態じょうたいになってしまう。

たとえば、1949ねん昭和しょうわ24ねん)3がつダグラス・マッカーサーが「日本にっぽん極東きょくとうのスイスたるべき」と発言はつげんしたという報道ほうどう[37]同年どうねん3がつ3にち・4がつ9にちづけ読売新聞よみうりしんぶん社説しゃせつなどにられる[38]

ところが、中国ちゅうごく大陸たいりく共産きょうさん朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつにより、保守ほしゅ右派うはにとって、永世えいせい中立ちゅうりつ現実げんじつ幻想げんそうてきなものとめられるようになった。しかし革新かくしん左派さはによる中立ちゅうりつ永世えいせい中立ちゅうりつ主張しゅちょうは、よりつよくなっていく[33]

サンフランシスコ講和こうわ会議かいぎにおいては、ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく連邦れんぽう日本にっぽん永世えいせい中立ちゅうりつ提案ていあんし、その1958ねん昭和しょうわ33ねん)に同様どうよう提案ていあんおこなっているが[39]日本国にっぽんこく政府せいふはこれを拒否きょひしている[40]

冷戦れいせん終結しゅうけつ中立ちゅうりつ[編集へんしゅう]

スイスでは冷戦れいせん終結しゅうけつに「中立ちゅうりつのコンセプトのさい調整ちょうせい」がおこなわれ、1991ねんだいいち湾岸わんがん戦争せんそうではイラクへの経済けいざい制裁せいさい措置そち参加さんかした[41]。また、スイスは1996ねんには北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう(NATO)の平和へいわのためのパートナーシップに参加さんかし、1999ねんにコソボの平和へいわ尽力じんりょく支援しえんのための任意にんい武装ぶそうぐん組織そしきしている[41]。2002ねんには国際こくさい連合れんごう正式せいしき加盟かめいした。また1995ねん1がつ1にち、オーストリアは同様どうようつよ中立ちゅうりつ政策せいさくをとっていたスウェーデンフィンランドとともに欧州おうしゅう連合れんごう参加さんかしている。

2011ねん国籍こくせきぐんによるリビア攻撃こうげきで、スイス政府せいふはイギリスぐん車両しゃりょう20だい領土りょうど通過つうかみとめ、戦闘せんとう領土りょうど通過つうか承認しょうにんする方針ほうしんをとった[42]。この方針ほうしんには批判ひはんされ連立れんりつ与党よとうスイス国民党こくみんとうからも反発はんぱつがあったが、ミシュリン・カルミー=レイ大統領だいとうりょうは「『中立ちゅうりつ』は『関心かんしん』を意味いみしない」と反論はんろんしている[42]

2022ねん発生はっせいしたロシアのウクライナ侵攻しんこうは、ヨーロッパにおける中立ちゅうりつ政策せいさくおおきく転換てんかんさせることにつながった。スウェーデン・フィンランドは中立ちゅうりつ政策せいさく事実じじつじょう放棄ほうきし、5月12にち北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこうへの加盟かめい申請しんせいおこなった[43]永世えいせい中立ちゅうりつこくであったスイスもたいロシアへの経済けいざい制裁せいさい参加さんか[44]、ロシアによる「友好国ゆうこうこくリスト」に掲載けいさいされたが、スイスのパスカル・ベリスヴィル国連こくれん代表だいひょうは「中立ちゅうりつたとえば国際こくさい赤十字せきじゅうじ中立ちゅうりつとはことなる」「スイスの中立ちゅうりつにはなん変化へんかもなく、スイスが中立ちゅうりつではなくなったと認識にんしきされていることも確認かくにんできていません」とべている[45]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 30.
  2. ^ 礒村いそむら英司えいじ 2013, p. 39.
  3. ^ a b c 山尾やまお徳雄とくお 1983, pp. 190.
  4. ^ 山尾やまお徳雄とくお 1983, pp. 137.
  5. ^ 山尾やまお徳雄とくお 1985, pp. 150.
  6. ^ a b 津野つのしげるまん 1993, pp. 23.
  7. ^ a b 山尾やまお徳雄とくお 1982, pp. 132.
  8. ^ a b 山尾やまお徳雄とくお 1983, pp. 195.
  9. ^ 山尾やまお徳雄とくお 1983, pp. 193.
  10. ^ a b 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 30–31.
  11. ^ 津野つのしげるまん 1993, pp. 28.
  12. ^ a b 山尾やまお徳雄とくお 1983, pp. 194.
  13. ^ a b 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 34.
  14. ^ a b c 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 32.
  15. ^ 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 37.
  16. ^ 津野つのしげるまん 1993, pp. 27.
  17. ^ スイス、EUとの条約じょうやく交渉こうしょう協定きょうてい乱立らんりつつづ」『BBCニュース』。2022ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  18. ^ KathrinAmmann,SibillaBondolfi (2022ねん3がつ28にち). “スイスはどれくらい中立ちゅうりつなのか?”. swissinfo.ch. 2022ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  19. ^ 欧州おうしゅうはウクライナを中立ちゅうりつさせる?「フィンランド」とはなにか【2】EUからみたウクライナ危機きき今井いまいたすくいとぐちさと) - 個人こじん”. Yahoo!ニュース. 2022ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  20. ^ 永世えいせい中立ちゅうりつ概要がいよう永世えいせい中立ちゅうりつこく平和へいわ外交がいこう意義いぎ/礒村いそむら英司えいじ”. SYNODOS (2018ねん3がつ7にち). 2022ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  21. ^ a b 津野つのしげるまん 1993, pp. 26.
  22. ^ 広瀬ひろせ孝文たかふみ・ボーチェック・ボレスラフ 1976, pp. 47.
  23. ^ a b 礒村いそむら英司えいじ 2013, p. 42.
  24. ^ a b 礒村いそむら英司えいじ 2013, p. 41.
  25. ^ 礒村いそむら英司えいじ 2013, p. 45.
  26. ^ a b 山尾やまお徳雄とくお 1982, pp. 138.
  27. ^ 山尾やまお徳雄とくお 1982, pp. 137.
  28. ^ 津野つのしげるまん 1993, pp. 25.
  29. ^ a b 山尾やまお徳雄とくお 1982, pp. 133.
  30. ^ だい1しょう カンボジアにかんする基礎きそ情報じょうほう - 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国際こくさい協力きょうりょく機構きこう I-2p
  31. ^ 山岡やまおか加奈子かなこコスタリカ外交がいこう -理念りねん現実げんじつ-日本にっぽん貿易ぼうえき振興しんこう機構きこうアジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ、アジけん選書せんしょNo.36、2014ねん2がつ21にち。『コスタリカ総合そうごう研究けんきゅう序説じょせつ所収しょしゅう
  32. ^ 山尾やまお徳雄とくお 1982, pp. 132–133.
  33. ^ a b c d e f g くらあたまはじめあかり 1971, pp. 228.
  34. ^ 田村たむらみゆきさく 1969, pp. 33–34.
  35. ^ 田村たむらみゆきさく 1969, pp. 36.
  36. ^ a b 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんないのLa neutralité permanenteの言及げんきゅう-コトバンク
  37. ^ くらあたまはじめあかり 1971, pp. 233.
  38. ^ くらあたまはじめあかり 1971, pp. 234.
  39. ^ 田村たむらみゆきさく 1969, pp. 48–49.
  40. ^ 田村たむらみゆきさく 1969, pp. 50.
  41. ^ a b 中立ちゅうりつ(2021ねん12月20にち)スイス連邦れんぽう外務省がいむしょう
  42. ^ a b 永世えいせい中立ちゅうりつはんする?リビア攻撃こうげき支援しえんのスイスで波紋はもん(2011ねん3がつ29にち朝日新聞あさひしんぶん
  43. ^ スウェーデンとフィンランド、正式せいしきにNATO加盟かめい申請しんせい 「歴史れきしてき瞬間しゅんかん」と事務じむ総長そうちょう - BBCニュース”. BBCニュース. BBCニュース (2022ねん5がつ19にち). 2022ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  44. ^ ReutersStaff (2022ねん3がつ25にち). “スイス、たいロシア制裁せいさい強化きょうかEUと歩調ほちょうわせる”. Reuters. 2022ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  45. ^ SibillaBondolfi (2022ねん3がつ21にち). “「スイスの中立ちゅうりつにはなん変化へんかもない」国連こくれん代表だいひょう”. swissinfo.ch. 2022ねん6がつ6にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]