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武装ぶそう中立ちゅうりつ

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武装ぶそう中立ちゅうりつ(ひぶそうちゅうりつ)とは、国家こっか集団しゅうだんなどの安全あんぜん保障ほしょうかんがかたひとつであり、自衛じえいふくめた軍備ぐんび放棄ほうきした中立ちゅうりつ主義しゅぎおこなうことである。

概要がいよう

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武装ぶそう中立ちゅうりつには、戦時せんじのみのものや、平時へいじふくむものがかんがえられる。永世えいせい中立ちゅうりつこくとはことなり、平時へいじふくめて自衛じえい戦争せんそうのための常備じょうびぐん廃止はいしし、特定とくてい軍事ぐんじ同盟どうめいにも加盟かめいしないものとされる場合ばあいおおい。

思想しそうとしては、平和へいわ主義しゅぎガンディーキング牧師ぼくしなどの暴力ぼうりょく主義しゅぎ、あるいは国際こくさい社会しゃかいへの信頼しんらいなどにもとづき、それを国家こっかレベルや平時へいじにも拡大かくだいしたものともえる。

武装ぶそう中立ちゅうりつ政策せいさくは、世界せかいてきにはヨーロッパ小国しょうこくなどで採用さいようされたれいがあるが、一時いちじてきまたは限定げんていてきとどまっている。日本にっぽんではだい世界せかい大戦たいせん反省はんせいと、戦後せんご日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょう東西とうざい冷戦れいせん関連かんれんもあり、日本にっぽん社会党しゃかいとうなどにより主張しゅちょうされた。

なお、武装ぶそう中立ちゅうりつとは国家こっかレベルの政策せいさくであり、かならずしも国家こっかレベル以外いがい軍備ぐんび自衛じえい戦争せんそうすべ否定ひていするものとはかぎらない。国際こくさい連合れんごう憲章けんしょうでは、国際こくさい平和へいわ安全あんぜん維持いじまたは回復かいふくするために、常設じょうせつおよび常設じょうせつ国連こくれんぐんみとめており、かり侵攻しんこうけた場合ばあい暴力ぼうりょく抵抗ていこうつづけながら国連こくれんぐん救援きゅうえんことかんがえられる。ただし、現在げんざいでも常設じょうせつ国連こくれんぐん組織そしきされたことい(このため自衛隊じえいたい指揮しきけん国連こくれん移管いかんし、常設じょうせつ国連こくれんぐんとする意見いけん存在そんざいする。その場合ばあい任務にんむ日本にっぽん防衛ぼうえいのみとなるとはかぎらない)。また、安保理あんぽり常任じょうにん理事りじこく拒否きょひけん発動はつどうすれば国連こくれんぐん行動こうどうできないため、かり常任じょうにん理事りじこく自身じしん常任じょうにん理事りじこく支持しじするくにから侵攻しんこうけた場合ばあいには、事実じじつじょう期待きたいできない。

また、軍備ぐんび有無うむにかかわらず国家こっか自衛じえいけん自体じたい国際こくさいほううえ存在そんざいしているため、侵攻しんこうけた以後いご民兵みんぺい義勇軍ぎゆうぐん組織そしきすることもかんがえられる。ただし、急造きゅうぞう武装ぶそう組織そしき近代きんだいせんでの有効ゆうこうせい疑問ぎもんであり、日本国にっぽんこく憲法けんぽうにおいてもなん規定きていされておらず、捕虜ほりょなどの戦時せんじ国際こくさいほううえ保護ほご課題かだいとなる。

世界せかい

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武装ぶそう中立ちゅうりつろんは、ヨーロッパでも社会しゃかい防衛ぼうえいろんとして、軍事ぐんじによる国土こくど防衛ぼうえい放棄ほうきし、自国じこく外国がいこく軍隊ぐんたいによって占領せんりょうされたとしても、手段しゅだんデモすわボイコット協力きょうりょくとう)によって他国たこくからの領土りょうど支配しはい拒絶きょぜつするとする政策せいさくろん存在そんざいする。

バチカンは、ラテラノ条約じょうやくによって国家こっかとしてのバチカンこく成立せいりつし、対外たいがいてき永世えいせい中立ちゅうりつ宣言せんげんしたのち武装ぶそう中立ちゅうりつおこなっているとえる。スイス傭兵ようへいかかえてはいるがあくまで儀礼ぎれいてきなものであり、唯一ゆいいつ国境こっきょうせっするイタリアとの関係かんけい良好りょうこうである。しかしローマ教皇きょうこうのような特別とくべつ権威けんいつという性質せいしつを、くに模倣もほうすることはきわめて困難こんなんである。太平洋たいへいようにはツバルバヌアツといった武装ぶそうで、同盟どうめい政策せいさくかかげるくにはあるが、いかなる紛争ふんそうたいしてもの中立ちゅうりつ宣言せんげんしているわけではない。

明確めいかく武装ぶそう中立ちゅうりつ宣言せんげんしたくににはコスタリカげられる。1983ねん永世えいせい武装ぶそう中立ちゅうりつルイス・アルベルト・モンへ英語えいごばん大統領だいとうりょう宣言せんげんしている。ただしコスタリカは常備じょうびぐん設置せっち禁止きんししているだけで、非常ひじょう事態じたいには徴兵ちょうへいせい軍隊ぐんたい組織そしきすることができる。コスタリカ共和きょうわこく憲法けんぽうだい12じょうには「大陸たいりくあいだ協定きょうていによりしくは国防こくぼうのためにのみ、軍隊ぐんたい組織そしきすることができる。」としている。また国家こっか警備けいびたいおよ地方ちほう警備けいびたいが、重火器じゅうかきひとし保持ほじし、隣国りんごくニカラグア軍事ぐんじさんばい(2005ねん 外務省がいむしょうのデータ)をていることや、べいぐんグリーンベレーによる軍事ぐんじ訓練くんれんけていたこともある[1]など、国防こくぼうぐんてき要素ようそそなわった武装ぶそう組織そしきとなっており、純粋じゅんすい武装ぶそうとはびがたい。また中立ちゅうりつというめんでは、安全あんぜん保障ほしょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく依存いぞんしており、さらに米州べいしゅう機構きこうのメンバーでもあり、1965ねんきたドミニカ内戦ないせんさいには米州べいしゅう平和へいわ維持いじぐん一員いちいんとしてドミニカ共和国どみにかきょうわこく立憲りっけん政権せいけん転覆てんぷくさせるために、ラテンアメリカ反共はんきょう国家こっか軍隊ぐんたいとも武装ぶそう警察けいさつ派兵はへいしたこともあり、イラク戦争せんそうにおいても有志ゆうし連合れんごう支援しえんこくとなった[2]。またコスタリカの警備けいびたいは1999ねんむすばれたアメリカとの麻薬まやく取締とりしまり協定きょうていもとづき、べいぐんとともに大西おおにしひろし太平洋たいへいよう共同きょうどうパトロールをおこなってきた。その拠点きょてんとしてココとう限定げんていしてべいぐん駐在ちゅうざいみとめてきたが[3]、2010ねん7がつにコスタリカ議会ぎかいは、べいぐんのコスタリカ国内こくないにおける自由じゆう移動いどう許可きょかと、46の軍艦ぐんかん、200の戦闘せんとうヘリコプター、7000にん海兵かいへい隊員たいいん派兵はへいれることを賛成さんせい可決かけつ決定けっていした[4]。このような状況じょうきょうからも、国際こくさいてきには中立ちゅうりつこくとしてみとめられない。

同様どうようリヒテンシュタイン武装ぶそう中立ちゅうりつかかげている。ひろしおう戦争せんそう当時とうじ密接みっせつ関係かんけいにあったオーストリア敗北はいぼくし、安全あんぜん保障ほしょう政策せいさく見直みなおしが必要ひつようとなった。しかし自国じこく軍事ぐんじりょくでは近隣きんりん諸国しょこく到底とうてい対抗たいこうできないため、1868ねんぐん解体かいたい武装ぶそう中立ちゅうりつ政策せいさく転換てんかんした。ただし、リヒテンシュタインへの侵攻しんこうこった場合ばあいじゅん軍事ぐんじ組織そしきであるリヒテンシュタインこうたて保安ほあんたい事実じじつじょう軍隊ぐんたいとして機能きのうする。 どう保安ほあんたいは、同国どうこく警察けいさつ強力きょうりょくにバックアップするほか、王宮おうきゅう公式こうしき行事ぎょうじでの儀仗ぎじょうへいつとめている。 しかし、リヒテンシュタインは必要ひつよう判断はんだんされれば軍隊ぐんたい復活ふっかつさせることができる。 リヒテンシュタインはだいいち世界せかい大戦たいせんなか中立ちゅうりつだったが、オーストリア・ハンガリーとは関税かんぜい同盟どうめいむすんでいたため密接みっせつ関係かんけいにあり、中央ちゅうおう同盟どうめいこく同調どうちょうしていた。だいいち世界せかい大戦たいせんにおけるオーストリア=ハンガリー帝国ていこく崩壊ほうかい以降いこうスイスとの関係かんけい強化きょうかしている。このためリヒテンシュタイン国内こくないには有事ゆうじさいにはスイスの軍事ぐんじてき援助えんじょおこなわれるという見方みかたひろまっているが、スイスがリヒテンシュタインを保護ほごする条約じょうやくじょう義務ぎむ存在そんざいしていない。だい世界せかい大戦たいせんなかにはスイスはリヒテンシュタインを同一どういつ経済けいざい圏内けんないくことで保護ほごしたが、リヒテンシュタインのみが攻撃こうげきされた場合ばあいには防衛ぼうえいしないという立場たちば明確めいかくにしていた[5]スイスぐん国民こくみん保護ほご観点かんてんからリヒテンシュタインと協力きょうりょくおこなうことはしばしばあり、リヒテンシュタイン国内こくない防災ぼうさい訓練くんれんにスイスぐん参加さんかすることもある[5]。 また、100めいほどの国家こっか警察けいさつ隣接りんせつする諸国しょこくぐん(スイスぐんおよびオーストリアぐん)と密接みっせつ関係かんけいっている。

また、武装ぶそう中立ちゅうりつのみによって戦争せんそう被害ひがい完全かんぜんまぬかれえるわけではない。ルクセンブルク1867ねん建国けんこくより、武装ぶそう政策せいさく永世えいせい中立ちゅうりつこくであり、現在げんざいでも憲法けんぽうでは中立ちゅうりつこくであると規定きていしている[6]。しかしだいいち世界せかい大戦たいせんだい世界せかい大戦たいせんではドイツフランスへのより安全あんぜん侵攻しんこうルートを確保かくほするため、シュリーフェン・プランおよマンシュタイン・プランもとづいてルクセンブルクとベルギー中立ちゅうりつ一方いっぽうてき侵犯しんぱんして両国りょうこく武力ぶりょく占領せんりょうした[6]。このためルクセンブルクは、だい世界せかい大戦たいせん1949ねんNATO加盟かめいし、徴兵ちょうへい制度せいど採用さいよう(1968ねん志願しがんせい移行いこう)、永世えいせい中立ちゅうりつおよび武装ぶそう政策せいさく事実じじつじょう放棄ほうきした[6]。バチカンやサンマリノだい世界せかい大戦たいせんちゅうには武装ぶそう中立ちゅうりつ立場たちばったが、空襲くうしゅう占領せんりょうによる被害ひがいけている。また戦争せんそういたらない事例じれいでもソロモン諸島しょとう内乱ないらん沈静ちんせいできず、太平洋たいへいよう諸島しょとうフォーラム諸国しょこく国籍こくせきぐん派兵はへい要請ようせいする事態じたいきている[7]

武装ぶそう中立ちゅうりつかかげる政党せいとう政権せいけん与党よとうとなったれいとしてはキプロス共和きょうわこく労働ろうどう人民じんみん進歩しんぽとう(2001ねん~2010ねん)があるが、具体ぐたいてき軍備ぐんび廃止はいし同盟どうめい関係かんけい離脱りだつにはおよんでおらず、国軍こくぐんであるキプロス国家こっか守備しゅびたい解体かいたい国内こくない駐屯ちゅうとんする国際こくさい連合れんごうキプロス平和へいわ維持いじぐんおよびイギリスぐん英語えいごばんギリシャぐんギリシアばん英語えいごばん撤退てったいなどはおこなわれていない。

日本にっぽん

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日本にっぽん武装ぶそう中立ちゅうりつろんしゃは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう前文ぜんぶんだい9じょう根拠こんきょ自衛隊じえいたいざい日米にちべいぐん存在そんざい憲法けんぽう違反いはんだと主張しゅちょうしている。そして日本にっぽん安全あんぜん保障ほしょう政策せいさくとして、自衛隊じえいたい廃止はいしと、ざい日米にちべいぐん肯定こうていする日米にちべい安全あんぜん保障ほしょう条約じょうやく廃止はいし主張しゅちょうしている。現在げんざい日本にっぽん政党せいとうでは護憲ごけん自衛隊じえいたい違憲いけん)・武装ぶそう党是とうぜとしている社民党しゃみんとうかかげている[8]。また護憲ごけん左翼さよく団体だんたいとして「9じょうかい」「9じょうネット」がおり、日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょうまも活動かつどうをしており、現時点げんじてんでは自衛隊じえいたいなどの防衛ぼうえいりょく容認ようにんしつつ最終さいしゅうてきには軍備ぐんび永久えいきゅう放棄ほうき視野しやれている。

武装ぶそう中立ちゅうりつろんしゃには護憲ごけん左翼さよくおおく、自衛隊じえいたいざい日米にちべいぐん存在そんざい明白めいはく肯定こうていするためのだい9じょう改定かいていつよ反対はんたいしている。かつて、1979ねん森嶋もりしま通夫みちおLSE教授きょうじゅ当時とうじ)が独自どくじ理論りろんによる武装ぶそう中立ちゅうりつろん発表はっぴょう[9]よく1980ねんには、日本にっぽん社会党しゃかいとう石橋いしばしまさし委員いいんちょう当時とうじ)も自著じちょ[10]なかで「武装ぶそう中立ちゅうりつろん」を展開てんかいした。

終戦しゅうせん占領せんりょう開始かいし当初とうしょにおける米国べいこくたいにち戦略せんりゃくは「日本にっぽん中立ちゅうりつ武装ぶそうして中国ちゅうごく中華民国ちゅうかみんこく)をアジア盟主めいしゅとすること」であったが、一方いっぽう日本にっぽん民主みんしゅ軍事ぐんじ達成たっせいされればべいぐん早期そうき撤退てったいさせる方針ほうしんでもあった。しかし中国ちゅうごくでは国共こっきょう内戦ないせんにおいてみんこく主導しゅどうする中国ちゅうごく国民党こくみんとう完敗かんぱいきっし、台湾たいわんしまなどをのぞ中国ちゅうごく本土ほんどには中国共産党ちゅうごくきょうさんとういちとう独裁どくさい中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく成立せいりつした。さらには朝鮮ちょうせん戦争せんそう勃発ぼっぱつ激化げきかをも経験けいけんした米国べいこくは、日本にっぽんを「反共はんきょうかべ」と位置いちづけさい軍備ぐんびみとめる一方いっぽうで、ざい日米にちべいぐん駐留ちゅうりゅう継続けいぞくする。いわゆる冷戦れいせん発生はっせいの「ぎゃくコース」である。

だい9じょう改定かいてい反対はんたいのすべてが武装ぶそう中立ちゅうりつろん立場たちばっているわけではなく、たとえば河野こうの洋平ようへいなど自民党じみんとううち護憲ごけんは、自衛隊じえいたい存在そんざい容認ようにんしている。

2009ねん内閣ないかく実施じっしした調査ちょうさによれば、「日米にちべい安全あんぜん保障ほしょう条約じょうやくをやめて、自衛隊じえいたい縮小しゅくしょうまたは廃止はいしすべき」とした回答かいとうしゃ全体ぜんたいの4.2%だった[11]

日本にっぽん社会党しゃかいとう社会しゃかい民主党みんしゅとう

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日本にっぽん社会党しゃかいとう安全あんぜん保障ほしょう政策せいさく自衛隊じえいたい日米にちべい安保あんぽ条約じょうやく違憲いけんとする「武装ぶそう中立ちゅうりつ」であった[12][13][14]

社会党しゃかいとう左派さはけい社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいぞくした山川やまかわひとし武装ぶそう中立ちゅうりつろんは、永世えいせい武装ぶそう国家こっか志向しこうしたものではなかった。しかし、戦後せんご日本にっぽん武装ぶそう中立ちゅうりつろん形成けいせいおおきな役割やくわりたした。山川やまかわ日本にっぽん復興ふっこうするあいだのみでの武装ぶそう復興ふっこう武装ぶそう中立ちゅうりつろん)をいただけで、ソ連それん脅威きょうい十分じゅうぶん認識にんしきしたうえでの将来しょうらいてき武装ぶそうみとめていた。軍備ぐんび偏重へんちょうであった戦前せんぜん社会しゃかい反省はんせいし、社会しゃかい資本しほん復興ふっこう集中しゅうちゅうするねらいがあったとみられている。また、社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい代表だいひょう社会党しゃかいとう顧問こもんであった向坂さきさか逸郎いつお1977ねんに『諸君しょくん!』(1977ねん7がつごう)のインタビューで、「日本にっぽん社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかになれば、帝国ていこく主義しゅぎたたか社会しゃかい主義しゅぎまもるために軍備ぐんびつのは当然とうぜん」とかたっている。向坂さきさか主張しゅちょう理論りろんじょう自然しぜんなもので、とう看板かんばん政策せいさくを「政権せいけんるまでの方便ほうべん同然どうぜんとみなした発言はつげんにもかかわらず向坂さきさか社会党しゃかいとうからなん処分しょぶんけていない[15]

自社じしゃ政権せいけん首相しゅしょういた村山むらやま富市とみいちは1994ねん7がつ衆院しゅういんほん会議かいぎで、「自衛隊じえいたい憲法けんぽう違反いはん」「武装ぶそう中立ちゅうりつ」という党是とうぜとう憲法けんぽう解釈かいしゃく変更へんこうし、「自衛隊じえいたい憲法けんぽうみとめるものだ」とべた[16]

同年どうねん9がつとう大会たいかいで「自衛隊じえいたい憲法けんぽうわくない日米にちべい安保あんぽ条約じょうやく堅持けんじする」と公式こうしきとう政策せいさく転換てんかんした。自社じしゃ政権せいけん終了しゅうりょう日本にっぽん社会党しゃかいとう社会しゃかい民主党みんしゅとう改称かいしょうされたが、2004ねん社民党しゃみんとう福島ふくしま瑞穂みずほ党首とうしゅは、自衛隊じえいたい日米にちべい安保あんぽ条約じょうやく違憲いけんとの立場たちば表明ひょうめいした[14]福島ふくしまは2009ねん鳩山はとやま由紀夫ゆきお内閣ないかく入閣にゅうかくしたが、そのさいには「閣僚かくりょう」としては自衛隊じえいたいは「合憲ごうけん」であるが、とう見解けんかい変更へんこうしていないと答弁とうべんしている[17]

日本にっぽん共産党きょうさんとう

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日本にっぽん共産党きょうさんとう安保あんぽ外交がいこう部長ぶちょうであった松竹まつたけ伸幸のぶゆき日本にっぽん共産党きょうさんとう政策せいさく委員いいんちょうであったふでさか秀世ひでよによると、日本にっぽん共産党きょうさんとう自衛じえいけん重要じゅうようせい主張しゅちょうし、1990年代ねんだいまで安全あんぜん保障ほしょう政策せいさくで「中立ちゅうりつ自衛じえい政策せいさく主張しゅちょうしていた[18][19]

日本にっぽん共産党きょうさんとう安全あんぜん保障ほしょう政策せいさくは、自衛隊じえいたい憲法けんぽう違反いはんであるが、主権しゅけん国家こっかとして自衛じえいけんつことは否定ひていしない「中立ちゅうりつ自衛じえい」で、自衛隊じえいたい解消かいしょうし、あらたな自衛じえい措置そち整備せいびするための憲法けんぽう改正かいせいとなえていた[12]

きゅうソ連それん崩壊ほうかいきゅう社会党しゃかいとう自民じみん連立れんりつ政権せいけんへの参加さんか自社じしゃ政権せいけん誕生たんじょうという国内外こくないがい情勢じょうせい変化へんか影響えいきょう[12]、1994ねん志位しい和夫かずお憲法けんぽう9じょう将来しょうらいにわたって堅持けんじする方針ほうしんし、とう方針ほうしんを「中立ちゅうりつ自衛じえい」から「武装ぶそう中立ちゅうりつ」へ転換てんかんさせた[20]。しかし2000ねんとうは、自衛隊じえいたい解消かいしょうまでのあいだ日本にっぽん他国たこくから侵略しんりゃくけた場合ばあい自衛隊じえいたい活用かつようする方針ほうしん変更へんこうした[12]

2000ねん8がつ27にちテレビ朝日てれびあさひサンデープロジェクト不破ふわ哲三てつぞう議長ぎちょう出演しゅつえんしたときに、小沢おざわ一郎いちろうから、安全あんぜん保障ほしょう政策せいさくかんして「そういう議論ぎろん憲法けんぽう解釈かいしゃくしていると、日本にっぽん防衛ぼうえい日本にっぽん軍備ぐんびでやるべきだという議論ぎろん発展はってんしていくんですよ。」「どうやって日本にっぽんまもるのか」と追及ついきゅうされた[19]。このさいに、不破ふわは「急迫きゅうはく不正ふせい主権しゅけん侵害しんがいこった場合ばあいには、自衛隊じえいたいふくめてあらゆる手段しゅだん行使こうしして、国民こくみんいのち日本にっぽん主権しゅけんまもりぬく」という従来じゅうらいとう主張しゅちょうとはことなる「自衛隊じえいたい活用かつようろん」を展開てんかいした[19][20]不破ふわはこの討論とうろんかい政策せいさく委員いいんちょうであったふでざかへ、「自衛隊じえいたい問題もんだいをもうすこふかめる必要ひつようがあるね」と電話でんわをした[19]。この討論とうろんでの不破ふわ発言はつげんのため、2000ねん日本にっぽん共産党きょうさんとうとう大会たいかいで、志位しいは「自衛隊じえいたい活用かつようろん」をんだ決議けつぎ準備じゅんびをせざるをなくなった[20]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ “VOICES FROM COSTA RICA, Interviews by Andrew Reding”, World Policy Journal , Vol. 3, No. 2, World Policy Institute, Spring 1986(『世界せかい政策せいさくジャーナル』、だい3かんだい2ごう、1986 ねん
  2. ^ 山岡やまおか加奈子かなこコスタリカ総合そうごう研究けんきゅう序説じょせつ」、日本にっぽん貿易ぼうえき振興しんこう機構きこうアジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ、2010ねん 、24p
  3. ^ 「コスタリカの武装ぶそう内容ないようについて」アジア・アフリカ研究所けんきゅうじょ所員しょいん 新藤しんどう通弘みちひろ
  4. ^ WeLoveCostaRica.com 「「46 US Warships Plus 7,000 US Marines On Route To Costa Rica?」」 Scott Oliver - July 2010
  5. ^ a b SibillaBondolfi (2022ねん7がつ2にち). “スイスとリヒテンシュタインの微妙びみょう関係かんけい”. swissinfo.ch. 2022ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c 若松わかまつしん欧州おうしゅうにおける独立どくりつこくとしての小国しょうこく地位ちい--ルクセンブルクの言語げんご,軍隊ぐんたい,通貨つうかをめぐって
  7. ^ しょうかしわ葉子ようこソロモン諸島しょとうにおける民族みんぞく紛争ふんそう解決かいけつ過程かてい調停ちょうてい活動かつどう とその意味いみ
  8. ^ 政策せいさく基本きほん課題かだい (6)世界せかい人々ひとびと共生きょうせいする平和へいわ日本にっぽん”. 2018ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  9. ^ 北海道新聞ほっかいどうしんぶん』(1979ねん3がつ9にちづけ)への寄稿きこう論文ろんぶん。なおこれについて谷澤たにさわ永一えいいちは「森嶋もりしまはそんな(武装ぶそう中立ちゅうりつ真面目まじめしんじるような)アホではない」「社会党しゃかいとう共産党きょうさんとうソ連それん日本にっぽんめてきてもらって日本にっぽん降伏ごうぶくして傀儡かいらい政権せいけん首脳しゅのうになれればいいとおもっているのをいたブラックユーモア」とべている(「正体しょうたいたり社会しゃかい主義しゅぎ」P47~49、PHP文庫ぶんこ
  10. ^ 石橋いしばしまさし嗣『武装ぶそう中立ちゅうりつろん』(日本にっぽん社会党しゃかいとう中央ちゅうおう本部ほんぶ機関きかんきょく, 1980ねん10がつ)、(復刊ふっかんばん明石書店あかししょてん, 2006ねん9がつ, ISBN 4750323985
  11. ^ 日本にっぽん防衛ぼうえいのありかたかんする意識いしき自衛隊じえいたい防衛ぼうえい問題もんだいかんする世論せろん調査ちょうさ』(プレスリリース)内閣ないかく、2009ねん1がつhttps://www8.cao.go.jp/survey/h20/h20-bouei/2-6.html2010ねん5がつ27にち閲覧えつらん 
  12. ^ a b c d 岐路きろ共産党きょうさんとう自衛隊じえいたい活用かつようろん」の本気ほんき 松竹まつたけ伸幸のぶゆき”. 毎日新聞まいにちしんぶん政治せいじプレミア」. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ 日本にっぽん戦略せんりゃく研究けんきゅうフォーラム(JFSS)”. www.jfss.gr.jp. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ a b 自衛隊じえいたい違憲いけん」 社民しゃみん福島ふくしま党首とうしゅとう見解けんかい変更へんこう意向いこう - asahi.com : 2004参院さんいんせん : ニュース”. www.asahi.com. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  15. ^ 稲垣いながきたけし『「悪魔あくまばらい」の戦後せんご 進歩しんぽてき文化ぶんかじん言論げんろん責任せきにん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1994ねん8がつ、25-26ぺーじISBN 4163491708 
  16. ^ 自衛隊じえいたい憲法けんぽうみとめるものだ」 村山むらやま首相しゅしょうだい転換てんかん”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2015ねん10がつ18にち). 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  17. ^ asahi.com(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ):福島ふくしま自衛隊じえいたい合憲ごうけんみとめる答弁とうべん ただし「閣僚かくりょうとして」 - 2010鳩山はとやま政権せいけん”. 2023ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  18. ^ 編集へんしゅうちょう冒険ぼうけん » 矛盾むじゅんちた共産党きょうさんとう安全あんぜん保障ほしょう政策せいさく共感きょうかんする理由りゆううえ”. 編集へんしゅうちょう冒険ぼうけん. かもがわ出版しゅっぱん. 2023ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d 志位しい委員いいんちょう自衛隊じえいたい活用かつようろん」のだいウソ もと幹部かんぶは「とう綱領こうりょうんでいないんじゃないか」”. デイリー新潮しんちょう. 新潮社しんちょうしゃ. 2023ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  20. ^ a b c 共産きょうさん志位しい委員いいんちょうは「自分じぶんくちえばいいとおもう」 「党首とうしゅ公選こうせん」への反応はんのうめぐりベテラン党員とういんいた違和感いわかん(J-CASTニュース)”. Yahoo!ニュース. 2023ねん2がつ6にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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