(Translated by https://www.hiragana.jp/)
立岩真也「質問+日本のことを幾つか」
HOME > Tateiwa >

質問しつもん日本にっぽんのことをいくつか」

立岩たていわ しん 2009/07/14
「ダイレクト・ペイメント、その論点ろんてん――Simon Prideauxはなす」立命館大学りつめいかんだいがく


ダイレクト・ペイメントについてのメモ
 2009/07/24 ver.1
 研究けんきゅうかいわされた議論ぎろんかえりながら、論点ろんてん整理せいりし、日本にっぽん状況じょうきょうらせるためにかれた。今後こんごよりまとまった文章ぶんしょうにして発表はっぴょうする予定よていである。また英訳えいやくばん作成さくせいする予定よていである。

■ダイレクト・ペイメントに関連かんれんして過去かこいた文章ぶんしょうから

◆ヒューマンケア協会きょうかい地域ちいき福祉ふくし計画けいかく策定さくてい委員いいんかい 1994/03/30 『ニード中心ちゅうしん社会しゃかい政策せいさく――自立じりつ生活せいかつセンターが提唱ていしょうする福祉ふくし構造こうぞう改革かいかく,ヒューマンケア協会きょうかい,88p.,1000えん

 V 社会しゃかいてき支援しえんシステムを変更へんこうする
「07 社会しゃかいてき支援しえん供給きょうきゅう形態けいたいとして、くに自治体じちたいのレベルではおも資源しげん給付きゅうふおこない,それをもちいて個々人ここじんがサービスをけられるようにする。 」

 「☆07 行政ぎょうせい所得しょとく保障ほしょうし、また福祉ふくしサービスを提供ていきょうするかたちには、大別たいべつして、直接ちょくせつ本人ほんにん現金げんきん支給しきゅうするかたちと、もの・サービスを直接ちょくせつ提供ていきょうするかたちとのふたつがある。基礎きそてき所得しょとく保障ほしょうについては当然とうぜん前者ぜんしゃかたちをとるべきだが、個々人ここじん必要ひつようおうじたもの・サービスの提供ていきょうについてはどうか。これまで社会しゃかい福祉ふくしサービスとわれるときには、当然とうぜんのように後者こうしゃとされ、民間みんかん依託いたくとうはその原則げんそくから逸脱いつだつするものとして批判ひはんされてきた。  だが、その問題もんだいてんは、行政ぎょうせい一方いっぽうてき依託いたくさき決定けっていし、しかもサービスのしつにかかわる責任せきにん所在しょざい曖昧あいまいにされ、利用りようしゃがわ要求ようきゅうなん反映はんえいされなかったところにあった。このてん変更へんこうし、利用りようしゃがわ選択せんたく保障ほしょうされ、その要求ようきゅうこたえなくてはサービスの供給きょうきゅう主体しゅたいとして存続そんぞくできないようにすれば、行政ぎょうせい唯一ゆいいつサービスの直接的ちょくせつてき供給きょうきゅう主体しゅたいとしてある場合ばあいよりも、むしろサービスのしつ向上こうじょうするはずである。ゆえに、現金げんきんによる給付きゅうふおこなう範囲はんい従来じゅうらいよりも拡大かくだいすべきである。」

立岩たていわ しん也 1998/06/25  「どうやって、英国えいこくわだちまず、なんとかやっていけるだろうか」 、『季刊きかん福祉ふくし労働ろうどう』79:12-22

 だれにどれだけサービスを提供ていきょうするのかという問題もんだいは「「ダイレクトペイメント」(介助かいじょ費用ひよう直接ちょくせつ支給しきゅう)をどう評価ひょうかするかにもかかわる。政府せいふから支給しきゅうされる介助かいじょりょう使つか介助かいじょしゃ利用りようしゃ雇用こようするというこの方式ほうしきは、英国えいこくでは―きゅうきゅうろくねん法律ほうりつされた。『報告ほうこくしょ』では英国えいこくとカナダのオンタリオしゅう制度せいど紹介しょうかいされている。これは利用りようしゃによる選択せんたく確保かくほする有効ゆうこう手段しゅだんではある。ただだいいちに、日本にっぽん生活せいかつ保護ほご他人たにん介護かいご加算かさんもまたおな形式けいしきなのではあって、その意味いみではとく目新めあたらしいわけではない。だいに、現金げんきんというものはなににでも使つかえてしまうので、介助かいじょ費用ひよう以外いがい流用りゅうようできる可能かのうせいがある。この可能かのうせいが、必要ひつようりょう判定はんていしなくてはならないという理由りゆうにされる可能かのうせいがある。もし介助かいじょというサービス自体じたいはあればあるほどよいというものではなく、またそのサービスのための費用ひよう流用りゅうようする可能かのうせいがないのであれば、判定はんていということ自体じたい不要ふようなのだと主張しゅちょうできる余地よちがある。そして現金げんきん給付きゅうふだけが利用りようしゃによる選択せんたく確保かくほのための唯一ゆいいつ手段しゅだんではない。いわゆる「自薦じせん登録とうろくヘルパー制度せいど」でも、利用りようしゃによる選択せんたく確保かくほされる。とすると、この方法ほうほうをとり、サービスりょう判定はんていおこなわないという方向ほうこうかんがえられる。アセスメントをれたうえでのダイレクトペイメントとくらべてどうか。こうしたことをかんがえる必要ひつようがある。(『報告ほうこくしょ』でもこのことをべた。)

立岩たていわ しん也 1998/11/23 「いらないものがあってしまう」日本にっぽん社会しゃかい学会がっかいシンポジウム「医療いりょう福祉ふくしのパラダイム転換てんかん社会しゃかいがく」 於:関西学院大学かんせいがくいんだいがく

「◇3 (↑について「社会しゃかい福祉ふくしみとめたうえで)基本きほんてきに、負担ふたん側面そくめん利用りよう側面そくめんとをけ、おかね社会しゃかいてき負担ふたんし、その使つかかた消費しょうひしゃめる、というあんがある。(これはかつて主張しゅちょうされ、いまわれる「福祉ふくし多元たげん主義しゅぎとう――それらは費用ひよう負担ふたんのレベルで多元たげん併用へいようすすめる――とはちがう。)
 これをつね最初さいしょかれるべき価値かちにしようというのではない。だが、すくなくともものごとをかんがえるうえでのひとつの参照さんしょうてんとしてくことはできる。そしてこれは相当そうとうにもっともな主張しゅちょうである。まず、自分じぶんかねならきなものがえるが、税金ぜいきん使つか場合ばあいにはそうでなくてよいという理由りゆうはない。つまりだいいちに、えらべることはたりまえのことである。だいに、供給きょうきゅう主体しゅたい参入さんにゅう自由じゆう否定ひていする理由りゆうはない。だいさんに、選択せんたく競争きょうそうにより、供給きょうきゅうサイドが利用りようしゃにするように仕向しむけ、しつ向上こうじょううながすことができる。(以上いじょうから、供給きょうきゅう主体しゅたい自体じたい複数ふくすうせいつね要求ようきゅうされるのでないにしても、供給きょうきゅう主体しゅたい一翼いちよくにな存在そんざいとしてのNPOの役割やくわりおおきくなる。)
 そしてここからかんがしてみるとなかなかおもしろいことがわかるとおもう。「公共こうきょうざい」については個別こべつ料金りょうきんをとれない、そして/あるいは、とるべきでないとわれる。しかし、そもそも公共こうきょうざいとはなにか。うえの「そして/あるいは」にしても相当そうとうあやしい。たとえば、「文化ぶんか」や「学問がくもん」や「技術ぎじゅつ」に税金ぜいきん使つかわれることの正当せいとうは、すこかんがえてみると、そう容易よういなではない。等々とうとう。……theme2☆03
 消費しょうひしゃ利用りようしゃたち運動うんどう以上いじょう主張しゅちょうしてきたし、ある程度ていどそれを実現じつげんさせてきた。そのもっとも簡単かんたんなものは、支給しきゅうされたおかね使つかって自分じぶんでサービスをうという方法ほうほう英国えいこくなどで「ダイレクトペイメント」とばれるもの。しかしかならずしも現金げんきん支給しきゅうかぎられない。自分じぶんえらんだひと、サービスに費用ひよう支給しきゅうされればよい。具体ぐたいてきには、日本にっぽんでは「自薦じせん登録とうろくヘルパー制度せいど」(自身じしん推薦すいせんするひとをホームヘルパーとして登録とうろくする)。☆04
 ただ、上記じょうきした「使つかかた自分じぶんめる」をみとめるにしても、そもそもの、供給きょうきゅう可否かひ決定けってい、そしてどれだけを供給きょうきゅうするのかの決定けっていをどうおこなうかという問題もんだいのこっている。これもとても大切たいせつ主題しゅだいであり、1とも関連かんれんする。このこともまたそんなにかんがえてこられなかったとおもう。……theme3☆05

立岩たていわ しん也 2000/10/23 よわくある自由じゆうへ――自己じこ決定けってい介護かいご生死せいし技術ぎじゅつ青土おうづちしゃ,357+25p. 2940 [amazon][kinokuniya] ※

だいしょうとおはなれ遭遇そうぐう――介助かいじょについて」だいせつ機構きこう」1「本人ほんにんめる」
 だいせつで、強制きょうせいりょくかいした徴収ちょうしゅう分配ぶんぱいによって介助かいじょするひと生活せいかつささえることが支持しじされるとべた。つまり、それぞれのひときる権利けんりみとめるとは、すべてのひとがそのひとがそれぞれ介助かいじょ必要ひつようであれば介助かいじょきるためのことをなす義務ぎむうことだとかんがえるなら、唯一ゆいいつ強制きょうせいりょくゆうする国家こっか費用ひようあつ配分はいぶんする主体しゅたいとしての役割やくわりたす。すなわち、サービスは基本きほんてき有償ゆうしょうとし、税金ぜいきんとうさい分配ぶんぱいによってその費用ひようがまかなわれる。それが介助かいじょ実際じっさいおこなうひと支払しはらわれる。
 しかしこのことは、その資源しげん使つか生活せいかつしていく過程かていのすべてについて国家こっか決定けっていすべきこと、決定けっていしてよいことを意味いみするのではまったくない。たりまえのことだが、その資源しげん使つかってらすひとにとってよい介助かいじょがなされたほうがよい。それが可能かのうであるような、容易ようい可能かのうであるような機構きこう必要ひつようとなる。それは基本きほんてき直接ちょくせつ選択せんたく機構きこうである。本人ほんにんによる決定けってい選択せんたく支持しじされる。
 この主張しゅちょう自体じたいはたいへん簡明かんめいなものである。基本きほんてき負担ふたん側面そくめん利用りよう側面そくめんとをける。負担ふたんのありかたについて、「社会しゃかい福祉ふくし、すなわち社会しゃかい責任せきにんうことを前提ぜんていとする。そのうえで、その使つかかた利用りようしゃ消費しょうひしゃめればよいと主張しゅちょうする。資源しげん供給きょうきゅうとサービス(の提供ていきょうしゃ)についての決定けってい分離ぶんりし、前者ぜんしゃ政治せいじてきさい分配ぶんぱいによって確保かくほし、後者こうしゃ当事とうじしゃ利用りようしゃゆだねるのである。このことを社会しゃかいサービスを利用りようするひとたちはずっとってきた。つまり「かねせ、あとはわたしめる」とってきたのである。このたいへんたりまえ主張しゅちょうがながらくそのようにはあつかわれず、ところが近頃ちかごろ事情じじょうわってきたことをどう理解りかいすべきかについては本節ほんぶしだいこうかんがえることにするが、ともかく、これはもっともな主張しゅちょうである。
 まず、自分じぶんかねならきなものがえるが税金ぜいきん使つか場合ばあいにはそうでなくてよいという理由りゆうはない。場面ばめんでもえらべることがたりまえなら、ここでもえらべることはたりまえのことである。同様どうように、供給きょうきゅう主体しゅたい参入さんにゅう自由じゆう否定ひていする理由りゆうはない。わたしがその仕事しごとをしたいのだとして、そのためにどうしても公務員こうむいんにならなくてはならないというのはおかしい。
 普通ふつうおなじが当然とうぜん――「ノーマライゼーション」☆26――という理由りゆうでよいならこれでんでしまっている。それ以上いじょうのことを必要ひつようもない。ただもうすこ積極せっきょくてき理由りゆうくわえてうこともできる。これはもちろん、自律じりつ自己じこ決定けっていがなぜ支持しじされるのかといういとおなじである。そしてここでは、自己じこ決定けっていろんとき曖昧あいまいにする、なにについてめることができるのかというてんについての基本きほんてき方向ほうこうしめされている。べたり、外出がいしゅつしたりしてすくなくとも「人並ひとなみ」の生活せいかつをすることについての決定けっていみとめられるものとする☆27
 それがみとめられるべきであるのは、自分じぶんめることがなによりよいことだからというよりは、ひとがそのひとめてはならないという規範きはんひとつのいいかえであるからだとわたしかんがえるのだが、この、存在そんざい尊重そんちょうすべきであるという規範きはんには、そのひとがそのひとなりのよさを享受きょうじゅできるべきであることがふくまれる。もちろんめたのち後悔こうかいしたりすることもあるのではあるが、それでもおおくの場合ばあいひとめさせるより、くじをくよりは、自分じぶんえらんだほう自分じぶんにとってよいものがはいるだろう。
 そして、サービスを提供ていきょうするひと、あるいはその提供ていきょうしゃかぎらず本人ほんにん関係かんけいしゃたとえば家族かぞくとの関係かんけいにおいて、そのひとたちに決定けっていゆだねてしまうと、そのひとたちはそのひとたちのきなようにしてしまうことがある。それをふせ手立てだてとして本人ほんにんめるのがよく、められるようになるほうがよいということがある☆28。
 さらに複数ふくすう選択肢せんたくしからえらべる場合ばあいには、利用りようしゃにおいて選択せんたく可能かのうとなり、供給きょうきゅうがわ競争きょうそうしょうずることにより、供給きょうきゅうがわ利用りようしゃにするように仕向しむけ、しつ向上こうじょううながすことのできることが、つねにではないが、ある。市場いちばにおいては、ってもらえないものはれないから、(消費しょうひしゃかねをもっていればだが)消費しょうひしゃ意向いこうとお方向ほうこう調整ちょうせいされうる。しかしあらかじ供給きょうきゅうしゃまっていれば、その供給きょうきゅうしゃ消費しょうひしゃのことをにする必要ひつようがなく、その結果けっかしつ低下ていかすることになりうる。これは構造こうぞうてき問題もんだいであり、そうした仕事しごと従事じゅうじするひと心性しんせい問題もんだいではない。だから問題もんだいしょうじにくい仕掛しかけを仕込しこんでおく必要ひつようがある。そしてここで競合きょうごう競争きょうそう是認ぜにんすることは価格かかく競争きょうそうみとめることとおなじではない。価格かかく一定いっていとされたじょうでも、供給きょうきゅうしゃえらべる機構きこう採用さいよう可能かのうだし有効ゆうこうである。
 以上いじょうけて供給きょうきゅう主体しゅたいについてかんがえるとき政府せいふ供給きょうきゅう全体ぜんたい決定けっていすること、政府せいふだけが供給きょうきゅう主体しゅたいであることが適当てきとうであることはあきらかである。
 政府せいふはその行政ぎょうせい区域くいきについてつね単一たんいつ主体しゅたいであるため、利用りようしゃにとっては選択肢せんたくし存在そんざいせず、競争きょうそうはたらかない。だから政府せいふだけが直接的ちょくせつてき供給きょうきゅう主体しゅたいであるのはよいことではない。ただ介助かいじょ場合ばあい必要ひつようなのはひと選択せんたくできることであって、そのひとぞくする組織そしき複数ふくすうせいかならずしももとめられていない場合ばあいもあるかもしれない。この場合ばあいにはその仕事しごと従事じゅうじするひとがみな役所やくしょ登録とうろくするといったもある。しかし、サービス提供ていきょうのありかた企画きかく決定けってい部分ぶぶんまでになおうとするひとたち、組織そしきがあるなら、そしてこの部分ぶぶんでの多様たようせいもとめられるなら、 供給きょうきゅう主体しゅたい自体じたい複数ふくすうせいみとめられたほうがよいことになる。
 供給きょうきゅうしゃ利用りようしゃ利害りがい対立たいりつしうるというところからかんがえ、そのうえでそれをどうするかをかんがえていくべきだと、このことが、「ふれあい」とか「たすい」とか、われかれ差異さいをうやむやにしてしまう言葉ことば使つかわれ、「ケア」というかたりもちいられるなか曖昧あいまいにされてはならないと、だいせつべた。でないと、結局けっきょく供給きょうきゅうしゃがわ利害りがいによって利用りようしゃがわもとめているものをられないことになってしまうからだ。介助かいじょされるがわ介助かいじょ使つかがわが、みずからが選択せんたくけん獲得かくとくすることによって、わがかれちから関係かんけいえようとする。だから、この主張しゅちょう運動うんどうが、供給きょうきゅうしゃ(およびそれにつらなる学問がくもん)のがわからなされることがなかったのももっともなことだ。もちろん教科書きょうかしょには「主体性しゅたいせい尊重そんちょう」などといったことがそのだいいちしょうあたりにいてあるのだが、それがみずからがえらばれるがわになるという現実げんじつむすびつくことはなかったということである。消費しょうひしゃ利用りようしゃたち運動うんどう――たとえばいちきゅうなな年代ねんだい以降いこう障害しょうがいしゃ社会しゃかい運動うんどう――が以上いじょう主張しゅちょうし、ある程度ていどそれを実現じつげんさせてきた。そこに提起ていきされ現実げんじつされたものをれば、それは「利用りようしゃ主体しゅたい」のひとつのありかたとしてたしかにすじかよってしまっているから、既存きそん供給きょうきゅうがわもそれをれざるをえないということになる。
 そのもっとも単純たんじゅんなものは、政府せいふから支給しきゅうされたおかね使つかって自分じぶんでサービスをうという方法ほうほうである。介助かいじょサービスではデンマーク、英国えいこく、カナダ、米国べいこくとう一部いちぶ採用さいようされはじめている「直接ちょくせつ支払しはらい(direct payment)」とうばれるシステムがこれにたる。日本にっぽんでも実質じっしつてきにはそのようにして使つかわれている制度せいどがある(生活せいかつ保護ほごの「他人たにん介護かいご加算かさんとう)。ただあらかじめ使途しと限定げんていされている場合ばあいには、方法ほうほうかならずしも現金げんきん支給しきゅうかぎられず、ようするに自分じぶんえらんだひと、サービスに費用ひよう対価たいか支給しきゅうされればよい。日本にっぽんでは、自身じしん推薦すいせんするひとをホームヘルパーとして自治体じちたいあるいは自治体じちたい事業じぎょう依託いたくしている民間みんかん団体だんたい登録とうろくする「自薦じせん登録とうろくヘルパー制度せいど」とばれるものが導入どうにゅうされつつある。直接ちょくせつ現金げんきん支給しきゅうするのとそうでないのと、双方そうほう長所ちょうしょ短所たんしょがあり、それを見比みくらべながら具体ぐたいてきにどういう機構きこうせていくのか、さらにかんがえにれるべきいくつかについて検討けんとうしてから、あとべるとしよう。
 ただ個人こじん単独たんどくなにもかも決定けってい采配さいはいするのはむずかしいことがある。あるいは面倒めんどうなことがある。これもあたりまえのことで、介助かいじょ場面ばめんかぎらない。商品しょうひんならべてくれている商店しょうてんったり、旅行りょこう手配てはいをしてくれたり計画けいかくてるのを手伝てつだってくれる旅行りょこう会社かいしゃ利用りようしたり、わたしたちは様々さまざまなサービスぎょうのサービスを利用りようしている。介助かいじょ場合ばあいにも、介助かいじょ介助かいじょするひと利用りようしゃとを媒介ばいかいする活動かつどう組織そしきがあったほうがよいことがある。営利えいり組織そしき営利えいり組織そしきともこの仕事しごとにないうる。いちきゅうはち年代ねんだい、「住民じゅうみん参加さんかがた在宅ざいたく福祉ふくし団体だんたい」などとばれた組織そしき活動かつどうひろがったのだが、これは費用ひよう社会しゃかいてき供給きょうきゅうがないなかで、利用りようしゃ自身じしんあるいは家族かぞく利用りようりょう負担ふたんするものであり、その料金りょうきん対価たいかひくいところにかれ、それでその活動かつどう従事じゅうじすることができるのは時間じかんてき経済けいざいてき余裕よゆうのある主婦しゅふそうがおもだった。それに「有償ゆうしょうボランティア」といった言葉ことば使つかわれた。いちきゅうはち年代ねんだい後半こうはん以降いこうあらわれる「自立じりつ生活せいかつセンター」とばれる組織そしきは、費用ひよう公的こうてき財源ざいげんもとめることを主張しゅちょうしながら、こうした組織そしき運営うんえい方法ほうほう摂取せっしゅして、サービスの供給きょうきゅう媒介ばいかい活動かつどうおこなう組織そしきであり、同時どうじに、組織そしき運営うんえい主導しゅどうけん利用りようしゃ障害しょうがいしゃ掌握しょうあくする組織そしきである。介助かいじょかかわる費用ひよう獲得かくとく運動うんどう連動れんどうすることによって、仕事しごとへの対価たいかさきの「在宅ざいたく福祉ふくし団体だんたい」にくらべればたかいところにくことが可能かのうになり、それによってより広範こうはんそうから介助かいじょしゃることができ、それまでなかったいちにちよんあいだとしさんろくにち介助かいじょ派遣はけんおこなうところがあらわれた。この運動うんどうは、必要ひつようなものを要求ようきゅうするだけでなく、余計よけいなことを拒絶きょぜつし、必要ひつようなものが供給きょうきゅうされる経路けいろ変更へんこうさせようとする。もちろん以前いぜんから自己じこ決定けってい大切たいせつだといったことはわれてきたが、それはたんなる理念りねん、お題目だいもくであるか、あらかじ仕切しきられたわくないのものでしかなかった。それが、実際じっさい実現じつげんされるべきものとして、そして介入かいにゅうけ、使つか勝手がってをよくするための現実げんじつてき方法ほうほうとして追求ついきゅうされるのである。☆29
 まとめてしまえばまったく単純たんじゅんな、どうということのない機構きこうではある。しかし、かなり根本こんぽんてき提起ていきがここにはあるとおもう。つまりこれをすすめていったさきにあるもっとも極端きょくたんぞうは、政府せいふぜん予算よさん一人ひとりいちにんってしまうというものだ。すべてが個々人ここじんわたり、それを使つかってどこから具体ぐたいてきざいるかは一人ひとりいちにんめることになる。もちろん、公共こうきょうざいについてはそうはかないだろうという疑問ぎもん必要ひつよう一人ひとりいちにんことなるのだから均等きんとう配分はいぶんのぞましくないとすればそれをどうやって算定さんていするのか、等々とうとう問題もんだいがすぐにあらわれるのではある。たとえば社会しゃかい福祉ふくし施設しせつ一人ひとりあたまいくらという計算けいさん役所やくしょからおりるかねをなんとかやりくりしてひとより手間てまのかかるひとふくめてなんとかやっているのに、それができなくなってしまい、結果けっかとして手間てまとおかねのかかるひと排除はいじょされてしまうことを心配しんぱいするひともいるだろう。「改革かいかく」としておこなわれたことの結果けっかが、結局けっきょくそこに投下とうかされる費用ひよう削減さくげんでしかなかったというのはよくあることである。だから理論りろんてきにも、現実げんじつてき対応たいおうとしてもかんがえるべきことはおおい。しかしこれは、すくなくともいったん、かんがえてみるにあたいすることだとおもう。この仮想かそう起点きてん基点きてんから現実げんじつて、そこに存在そんざいする差異さいはかり、その差異さいについてかんがえることができるのである。☆30」
 9「おぎな代行だいこうする機構きこう必要ひつようとその危険きけん回避かいひする機構きこう必要ひつよう
 「[…]本人ほんにんたちは、自分じぶんたちはわれているほどよわくはない、よわられてしまっている、またよわくさせられてしまっているだけなのであり、自分じぶんめる、必要ひつようなら手助てだすけをるが、できるかぎ自分じぶん管理かんり自分じぶんめると主張しゅちょうしてきた。はたからるとそれは、そんなにがんばってわなくてもよいではないかとおもえるほどなのだが、しかしそれにはいまべたように相応そうおう事情じじょうがある。こうした領域りょういきみずからの存在そんざい横領おうりょうされる危機ききかんじたから、強硬きょうこうなほど自己じこ決定けってい主張しゅちょうされてきたのでもある。本節ほんぶしだいこうでふれた「直接ちょくせつ支給しきゅう」という運動うんどうこったのも、ひとつには、そのひとたちが自分じぶんへの介助かいじょ自分じぶん管理かんりするから、どうのこうのってほしくないとおもったからである。またひとつには、この部分ぶぶん余計よけい経費けいひをかける必要ひつようはなく直接的ちょくせつてき介助かいじょ使つかえる費用ひようおおくしたいというところからはっしている。
 やっかいな問題もんだいは、では側面そくめんてき支援しえん媒介ばいかい活動かつどう不要ふようであるかとえばそうではない、その必要ひつよう度合どあいは様々さまざまであるにしても、必要ひつようであるということだ。たとえば介護かいご保険ほけんで「ケアマネジメント」とばれているものは、そのいまのところの実際じっさいにおいては、さだまった金額きんがくをどのようなサービスに配分はいぶんするかをるという仕事しごとであるだけなのだが、いまべたような仕事しごと想定そうていしてはいるのであろう。これが領域りょういき、「障害しょうがいしゃ福祉ふくし」とばれる領域りょういき導入どうにゅうされようとしたとき利用りようしゃがわ対応たいおう困難こんなんは、この、どれほどかはあってよいのだが、しかし、危険きけんでもありうるものにどう対処たいしょしたらよいのかという困難こんなんである☆57。」


UP:20090702 REV:20090716
ダイレクト・ペイメント  ◇立岩たていわ しん  ◇Shin'ya Tateiwa
TOP HOME (http://www.arsvi.com)