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立岩真也「白黒つけたい:「事実への信仰」より・10――「身体の現代」計画補足・475」
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荻上チキ×立岩真也×岸政彦の「事実への信仰――ディティールで現実に介入する」。『現代思想』2018年2月号(特集「保守とリベラル――ねじれる対立軸」)に掲載。
http://www.arsvi.com/ts/20180001.htm
その(ほぼ)私の発言部分、続き。第10回。校正前の原稿なので雑誌の文章は違うかもしれない。
岸 […]それ〔「よくわからない」〕がやはり大事なのですか。
立岩 そういうことが大切だと思うのと同時に、私は白黒つけたい人間なのです。中途半端は嫌いです。なので、本当は最後に「こちらの勝ち」とか「こちらの負け」とか言っているつもりです。
二つあって、まず「黒とも白とも言えない灰色がこんなに広がっているんだよ」とちゃんと言うということはちゃんとした仕事です。だけどもう一つ、例えば先ほどの話では、なんだか変な人が「好き好んで」と言っている、それに反論したい。そういうときの反論をどのように立てるかです。まず私たちは、好き好んでではなく「仕方なく選んでいる」というふうに言ってしまう。実際におおむねそうではあります。おおむねそうなのですが、でも論陣を張るということは、そういうことも言いつつ、「まったく好き好んで選んだと言えるとしても、そういう人が全部その責任を引き受ける必要はない」と言う、「それでも社会に何かしらの義務がある」といったことを言う、その根拠を言う。それが理詰めというものです。それはいろいろな事例をとってくるというだけの話ではなくて、「仕方なくではなく好き好んで選んだとしてもこういうふうに言えるんだ」ということを理屈で言うことであって、私は、それはそれで詰めていきたいと思う★。だから、白か黒か、一番白いやつだって、社会あるいは政府だって、無罪放免にはならないのだということを言う。だから両方要るのです。
【★ 立岩真也『良い死』(筑摩書房、二〇〇八年)、第1章「私の死」。】