原文げんぶん英語えいごで、これはその翻訳ほんやくです。

最初さいしょ声明せいめい

これは、GNUプロジェクトのオリジナルの声明せいめいです。リチャード・ストールマンによって1983ねん9がつ27にち投稿とうこうされました。

実際じっさいのGNUプロジェクトの歴史れきしは、さまざまなめんで、この最初さいしょ計画けいかくとはことなります。たとえば、開始かいしは1984ねん1がつまでおくれました。自由じゆうソフトウェアのいくつかの理念りねんかんがえは、すうねんまで明確めいかくされませんでした。


自由じゆうなUnix!

今年ことし感謝かんしゃさいから、わたしは完全かんぜんにUnix互換ごかんのソフトウェアシステム、GNU(Gnu's Not Unix, 「グヌーはUnixではない」のりゃく)をはじめ、それを使つかえる全員ぜんいんにフリーで [1]わたそうとかんがえています。時間じかん、おかね、プログラム、そして装置そうち貢献こうけんがとても必要ひつようです。

まずはじめに、GNUはカーネルとCのプログラムをいて実行じっこうするのに必要ひつようなすべてのユーティリティ(エディタ、シェル、Cコンパイラ、リンカ、アセンブラ、そしてそのほかのいくつか)からなるでしょう。その、わたしたちは、テキストフォーマッタ、YACC, Empireゲーム、スプレッドシート、そしてほかのなんひゃくにもなるものを追加ついかするでしょう。わたしたちは、最終さいしゅうてきには、通常つうじょうUnixシステムに付属ふぞくするすべての有用ゆうようなものと、オンラインとハードコピーの文書ぶんしょふくめ、有用ゆうようなものはなんでも、提供ていきょうしたいとかんがえています。

GNUはUnixのプログラムを実行じっこうすることができるでしょう。しかしUnixと同一どういつではないでしょう。わたしたちは、ほかのオペレーティング・システムの経験けいけんにもとづいて、便利べんりなすべての改善かいぜんをするでしょう。具体ぐたいてきには、ながいファイルめい、ファイルのバージョン番号ばんごうたいクラッシュファイルシステム、おそらくはファイルめい補完ほかん、ターミナル独立どくりつのディスプレイのサポート、そして最終さいしゅうてきには、Lispベースのウィンドウ・システムでいくつかのLispプログラムと通常つうじょうのUnixプログラムがひとつの画面がめん共有きょうゆうできるようなものを計画けいかくしています。CとLispの両方りょうほうがシステム・プログラミング言語げんごとして利用りよう可能かのうになるでしょう。MITカオスネットプロトコルをベースとしたネットワークソフトウェア、UUCPよりもとても素晴すばらしいもの、をゆうするでしょう。UUCPと互換ごかんのものもゆうするかもしれません。

わたしは何者なにもの?

わたしはリチャード・ストールマン、たくさん模倣もほうされたオリジナルのEMACSエディタの発明はつめいしゃで、いま、MIT人工じんこう知能ちのう研究所けんきゅうじょにいます。コンパイラ、エディタ、デバッガ、コマンド・インタプリタ、インコンパチブル・タイムシェアリング・システム(ITS)、そして、Lisp Machineオペレーティング・システムについて、おおくの仕事しごとをしてきました。わたしは、ITSのターミナル独立どくりつのディスプレイサポートを開拓かいたくしました。くわえて、わたしは、たいクラッシュファイルシステムひとつと、Lisp Machineのふたつのウィンドウシステムを実装じっそうしたことがあります。

なぜGNUをかねばならないか

黄金おうごんりつは、もしわたしがあるプログラムをこのむとき、わたしはそれをこのむほかの人々ひとびと共有きょうゆうしなければならないと要請ようせいする、とわたしはかんがえます。わたしは良心りょうしんから、開示かいじ契約けいやくやソフトウェア・ライセンス同意どういしょにサインできません。

わたしの原則げんそく違反いはんせずにコンピュータを使つかいつづけることができるように、わたしは、十分じゅうぶん自由じゆうソフトウェアをひとそろい、まとめようと決意けついしました。そうして、どんな自由じゆうでないソフトウェアなしでもやっていけるように、です。

どのように貢献こうけんできるか

わたしは、コンピュータの製造せいぞう業者ぎょうしゃにマシンとおかね寄付きふもとめています。個人こじんにはプログラムと作業さぎょう寄付きふもとめています。

あるコンピュータ製造せいぞう業者ぎょうしゃがすでにひとつのマシンを提供ていきょうしてくれました。しかし、わたしたちはもっと使つかえるでしょう。マシンを寄付きふした場合ばあい期待きたいできるひとつの結果けっかは、GNUははや時期じきにそのマシンでうごくだろう、というものです。マシンは居住きょじゅう地域ちいき稼働かどうし、特別とくべつ空調くうちょう電力でんりょく設備せつび必要ひつようとしないほうこのましいです。

個人こじんのプログラマは、Unixのユーティリティの互換ごかん複製ふくせいぶついて、わたしに提供ていきょうすることで貢献こうけんすることができます。ほとんどのプロジェクトでは、そのようなパートタイムの分散ぶんさんした仕事しごと調整ちょうせいすることがとてもむずかしいもので、独立どくりつかれた部分ぶぶん一緒いっしょにはうごかないものです。しかし、Unixをえるというこの具体ぐたいてきなタスクについては、この問題もんだいはありません。それぞれの貢献こうけんがUnixのほかの部分ぶぶんうごくのであれば、おそらくGNUのほかの部分ぶぶんとおそらくうごくでしょう。

金銭きんせん寄付きふられれば、フルタイムあるいはパートタイムで何人なんにんかをやとうことができるでしょう。給与きゅうよたかくはないでしょうが、人類じんるい役立やくだつことは金銭きんせんおなじく重要じゅうようなことであるとっている人々ひとびとさがしています。わたしは、これを、専任せんにん人々ひとびとがそのすべてのエネルギーをGNUの作業さぎょうけることを可能かのうにする方法ほうほう、とかんがえています。べつ方法ほうほう生計せいけいてる必要ひつようからまぬかれることができますから。

詳細しょうさい情報じょうほうについては、連絡れんらくしてください。

Arpanetメール:
RMS@MIT-MC.ARPA
Usenet:
...!mit-eddie!RMS@OZ
...!mit-vax!RMS@OZ
合衆国がっしゅうこく郵便ゆうびん:
リチャード・ストールマン
プロスペクトがい
ケンブリッジ、マサチューセッツしゅう 02139

脚注きゃくちゅう

  1. ここでの言葉ことばづかいは注意深ちゅういぶかいものではありませんでした。この意図いとは、だれしもが、GNUシステムを使つか許可きょかのために支払しはら必要ひつようがない、ということでした。しかし、この言葉ことばはこれにかんして明確めいかくではなく、人々ひとびとおおくの場合ばあいこれを、GNUのコピーは、つねに、ほとんど料金りょうきんらないか無償むしょう配布はいふするべきとっている、と解釈かいしゃくしました。これはけっしてその意図いとではありませんでした。その、わたしは、自由じゆう意味いみでの“free”と値段ねだん意味いみでの“free”を注意深ちゅういぶか区別くべつすることをまなびました。自由じゆうソフトウェアは、ユーザが配布はいふ変更へんこうする自由じゆうのあるソフトウェアです。あるユーザはコピーを無料むりょう入手にゅうしゅできるかもしれませんし、ほかのユーザは入手にゅうしゅ支払しはらうかもしれません。もして、もし資金しきんがそのソフトウェアを改善かいぜんすることを支援しえんするならば、よりおおくがいでしょう。重要じゅうようなことは、ひとつのコピーをゆうするだれもがそれをほかのひととともに協力きょうりょくして利用りようする自由じゆうがあることです。

    この“give away”の表現ひょうげんは、わたしがまだ値段ねだん問題もんだい自由じゆう問題もんだい明確めいかくにはけていなかった、もうひとつの徴候ちょうこうです。いま、わたしたちは自由じゆうソフトウェアについてかたるときに、この表現ひょうげんけることを推奨すいしょうします。よりくわしくは、「誤解ごかい言葉ことばといいまわ」をごらんください。