GNU宣言
その
GNU/Linuxシステムをインストールしたい
GNUプロジェクトはソフトウェアのユーザの
GNUってなに? GnuはUnixではない (Gnu's Not Unix)!
GNU、それはGnuはUnixではない(Gnu's Not
Unix)を
いままでに、わたしたちは、エディタ・コマンドを
GNUはUnixプログラムを
GNUは
とんでもない
なぜ、わたしはGNUを書 かねばならないか
わたしは、
なぜGNUはUnixと互換 となるのか
Unixはわたしの
どのようにしてGNUは利用 可能 となるのか
GNUはパブリック・ドメインではありません。
なぜ、たくさんのほかのプログラマが援助 したいのか
システムソフトウェアの
プロプライエタリのプログラムではなく、GNUについて
どのようにあなたは貢献 できるか
コンピュータ
マシンを
とてもたくさんのプログラマがパート・タイムでGNUの
お
なぜ、すべてのコンピュータ・ユーザが利益 を受 けるのか
これは、すべての
あるプログラムを
プログラムのすべてあるいは
GNUの目標 に対 する容易 に反駁 できる反論
-
「それが
自由 ならば誰 も使 わないでしょう。なぜなら、それにはどんなサポートも期待 できないことを意味 するからです。」 -
「サポートを
提供 するために料金 を支払 うよう課 すべきです。」 -
人々 が、GNUを無料 でサービスなしではなく、むしろGNUと加 えたサービスに支払 うのであれば、GNUを無料 で取得 した人々 にサービスだけを提供 する会社 が利益 を生 むでしょう [4]。実際 のプログラミングの仕事 の形態 のサポートと、単 なる取扱 いを区別 しなければなりません。前者 はソフトウェア・ベンダには期待 できないものです。あなたの問題 が十分 な人々 に共有 されていない場合 、ベンダーはあなたに、失 せろ、というでしょう。あなたのビジネスがサポートに
期待 する必要 がある場合 、唯一 の方法 は、必要 なソースとツールをすべて持 つことです。そうすれば、あなたはあなたの問題 を修正 する人 を誰 でも良 いから雇 うことができ、あなたは、どの個人 の慈悲 にすがる必要 もないのです。Unixでは、ほとんどのビジネスにおいて、ソースコードの値段 のため、これは考慮 の対象 となりません。GNUではこれは容易 となるでしょう。誰 も競争 力 を持 った人 がいない、という可能 性 もなおありますが、この問題 は配布 の取 り決 めに対 して文句 を言 うものではありません。GNUはこの世界 のすべての問題 を一掃 するのではありません。問題 のいくつかに過 ぎません。一方 、コンピュータについて何 も知 らないユーザは取扱 いを必要 とするでしょう: かれら自身 で容易 にできるけれども、どうやったらいいか知 らないことを、かれらのためにするのです。そのようなサービスは
単 に取扱 いと保守 を売 る会社 によって提供 できます。もし、ユーザがお金 を費 やしてサービス付 きの製品 を入手 するというのが当 たっているならば、製品 を無料 で入手 してサービスを買 いたいでしょう。サービスの会社 はその品質 と値段 で競争 するでしょう。ユーザはどの特定 の会社 にも縛 られません。一方 、サービスは必要 としないわたしたちは、サービスに支払 う必要 なく、プログラムを使 えるべきです。 -
「
広告 なしには多 くの人々 に届 くことができません。そしてそれをサポートするにはプログラムに(料金 を)課 さねばなりません。」 -
「
人々 が自由 に入手 できるプログラムに広告 することなど無用 です。」 -
GNUのようなものについてたくさんのコンピュータユーザに
知 らせるのに使 える無料 あるいはとても安 い広報 の様々 な形態 があります。しかし、たくさんのマイクロコンピュータのユーザに、広告 でたどり着 けるというのは事実 でしょう。本当 にそうであれば、料金 をとってGNUをコピーして郵送 するサービスに広告 を出 すビジネスは、広告 の支払 いをするのに十分 足 るように成功 するでしょう。この方法 では、広告 から利益 を得 るユーザだけがそれに支払 いをするのです。一方 、多 くの人 がGNUをその友達 から得 て、そのような会社 が成功 しない場合 、GNUを広 めるのに実際 は広告 は必要 ないことを示 すでしょう。自由 市場 の擁護 者 は自由 市場 がこれを決 めるようにしたいと思 わないのはなぜでしょうか? [5] -
「わたしの
会社 はプロプライエタリなオペレーティング・システムを競争 力 を得 るために必要 とします。」 -
GNUはオペレーティング・システムのソフトウェアを
競争 の領域 から除 くでしょう。この領域 では、あなたは優勢 ではいられないでしょう。あなたの競争 相手 もあなたに対 して優勢 であることはできないでしょう。ほかの領域 で競争 し、ここでは互 いに利益 を得 るのです。あなたのビジネスがオペレーティング・システムを売 ることであれば、あなたはGNUを好 まないでしょう。それは、あなたにとって厳 しいことでしょう。あなたのビジネスがそのほかのことであれば、GNUは、高価 なオペレーティング・システムを売 るビジネスに押 し込 まれることからあなたを救 うことができるでしょう。GNUの
開発 が、たくさんの製造 業者 とユーザからの恩恵 で支援 され、それぞれのコストを削減 することを、みてみたいと、わたしは願 っています [6]。 -
「プログラマはその
創造 性 に対 して報酬 に値 しないのでしょうか?」 -
なにかが
報酬 に値 する場合 、それは社会 的 貢献 です。創造 性 が社会 的 貢献 であることもありえるでしょう。しかし、社会 が自由 に結果 を利用 できる場合 に限 られます。もし、プログラマが革新 的 なプログラムを作 ったことで報酬 に値 するならば、同様 な理由 で、そのプログラムの利用 を制限 した場合 には罰 に値 します。 -
「プログラマはその
創造 性 に対 して報酬 を要求 することができるべきではないでしょうか?」 -
仕事 に対 して支払 を望 むことや、収入 を最大 にしようと努 めることは、破壊 的 な方法 を用 いるのではない限 り、まったく問題 ありません。しかし、今日 、ソフトウェアの分野 で慣習 となっている方法 は破壊 にもとづいています。プログラムのユーザから、ユーザの
使用 を制限 することでお金 を引 き出 すことは破壊 的 です。なぜなら、その制限 は、プログラムが利用 されうる量 と方法 を減 らすからです。これは人類 がそのプログラムから引 き出 す富 の量 を減 らします。制限 する故意 の選択 がある時 には、悪影響 は故意 の破壊 です。善 き市民 が豊 になるためにそのような破壊 的 方法 を用 いない理由 は、もし皆 がそうすれば、相互 の破壊 によって全員 が貧 しくなってしまうからです。これはカントの倫理 です。もしくは、黄金 律 です。皆 が情報 を秘蔵 する場合 の影響 の帰結 をわたしは好 まないので、そうすることは間違 っていると考 えるべきだと、わたしは、考 えます。具体 的 には、創造 性 への報酬 を得 たいという欲望 は、その創造 性 の全体 あるいは一部 を世間 一般 から奪 うことを正当 化 しません。 -
「プログラマは
飢 えませんか?」 -
プログラマになることを
誰 も強制 されない、と答 えましょうか。ほとんどの人 は街角 に立 ってにらめっこをしてお金 を得 ることはできません。しかし、その結果 として、一生 を街角 に立 ってにらめっこをすることに費 やしなさいと宣告 され、飢 えてしまう、ということはありません。わたしたちはなにかほかのことをします。しかし、これは、
間違 った答 えでしょう。なぜなら、質問 者 の暗黙 の仮定 を受 け入 れているからです。ソフトウェアの所有 者 なしには、プログラマは1セントたりとも支払 われることができない、との仮定 です。いわゆるオール・オア・ナッシングの考 え方 です。プログラマが
飢 えない本当 の理由 は、プログラミングで支払 いを得 ることがそれでも可能 だからです。今 と同 じように多 くはないだけです。コピーをすることを
制限 することだけが、ソフトウェアのビジネスの基礎 ではありません。それがほとんどのお金 を持 ってくるので、これは、もっともよくある基礎 [7]です。それがもし禁止 されている場合 、あるいは、顧客 から拒否 される場合 、ソフトウェアのビジネスは、今 はあまり用 いられていない、ほかの組織 化 の基礎 へと移行 するでしょう。いろいろなビジネスを組織 するたくさんの方法 が常 にあります。プログラミングは、おそらく、
新 しい基礎 では、今 のように儲 かるものではないでしょう。しかし、これは変革 への反論 とはなりません。販売 事務 員 がいまそうしているように給与 を得 るのは不正 とは考 えられません。プログラマが同 じようにした場合 、それも不正 ではないでしょう。(実際 には、プログラマはそれよりも十分 多 くを得 るでしょう。) -
「
創造 性 がどのように使 われるかコントロールする権利 を人々 は有 しませんか?」 -
「ある
人 のアイデアの利用 をコントロールする」ということは、実 に、ほかの人々 の生活 をコントロールすることから構成 されます。そして、それは通常 、その暮 らしをより困難 にしてしまいます。知的 財産 権 [8]の問題 を慎重 に研究 した人々 (法律 家 のように)は、知的 財産 には本来 備 わっている権利 はない、と言 います。政府 が認識 する、信 じられている類 の知的 財産 権 は、特定 の目的 のための特定 の法律 によって作 られたものです。たとえば、
特許 のシステムは発明 者 がその発明 の詳細 を開示 することを推奨 するように作 られました。その目的 は発明 者 を助 けることではなく、社会 に役立 つように、でした。当時 、特許 の17年 の寿命 は、最先端 の進歩 の速度 と比較 すると短 いものでした。特許 は製造 者 間 だけの問題 であり、製造 者 にとってライセンス合意 のコストと努力 は、生産 の設立 と比較 すれば小 さく、特許 は、しばしば、そんなに有害 なものではありません。特許 製品 を使 うほとんどの個人 を妨害 することはありません。著作 権 の考 え方 は古代 には存在 せず、著者 は、ほかの著者 のものをノンフィクションの作品 にしばしば長々 とコピーしました。この慣習 は有用 だったし、たくさんの著者 の作品 が部分 的 にも生 き長 らえた唯一 の方法 です。著作 権 のシステムは、著者 を推奨 する目的 のためにわざわざ作 られたのです。それが発明 された領域 (印刷 機 だけで経済 的 に複製 されることができる、書籍 )では、害 をなすことはほとんどなく、書籍 を読 む、ほとんどの個人 を害 することはありませんでした。すべての
知的 財産 権 は、単 に、社会 によって与 えられるライセンスです。正 しいか間違 っているかはともかく、社会 が全体 として、それを与 えることにより、利益 を享受 することができる、との考 えでした。しかし、いかなる特定 の状況 においても、わたしたちは問 わなければなりません: そのようなライセンスを与 えることが実際 よいことだろうか、と。わたしたちがどのような行動 を、人々 にライセンスしているのか、と。今日 のプログラムのケースは百 年 前 の書籍 の場合 と大 きく異 なります。プログラムをコピーする一番 簡単 な方法 は、ある隣人 からその隣人 へ、であるという事実 、プログラムにはソースコードとオブジェクトコードがあり、それらは異 なるという事実 、プログラムは読 んだり楽 しんだりするよりも、使 うものであるという事実 、それらが組 み合 わさって、著作 権 を行使 するある人 が物心 両面 で社会 全体 に害 を為 すという状況 を生 み出 しています。この状況 では、法律 がそれを可能 にするかどうかに関係 なく、そうするべきではありません。 -
「
競争 が、ものごとをよりよいものとします。」 -
競争 のパラダイムはレースです。勝者 に報酬 を与 えることによって、皆 を速 く走 るように促 します。資本 主義 が本当 にこの方法 で働 くとき、競争 はよい仕事 をしますが、その擁護 者 は、間違 って、いつもそのように働 くと仮定 します。走者 が、なぜ報酬 が与 えられるのかを忘 れ、何 がなんでも勝 つということに固執 すれば、ほかの戦略 を見 つけるかもしれません。ほかの走者 を攻撃 する、というように。走者 が素手 で殴 り合 うようになれば、全員 が遅 くゴールすることになります。プロプライエタリな
秘密 のソフトウェアは素手 で殴 り合 う走者 と道徳 的 に同等 です。悲 しいことに、わたしたちのレフェリーは、格闘 に反対 ではないようで、調整 するだけです(「10ヤード走 る毎 に一発 だけ殴 れます」、と)。レフェリーは本当 はかれらを止 めに入 るべきで、格闘 しようとしただけでも走者 を罰 するべきなのです。 -
「
金銭 の報奨 がなければ、みんなプログラミングを止 めてしまうのでは?」 -
実際 、多 くの人々 はまったく金銭 的 な動機 なしにプログラムするでしょう。プログラミングは、ある人々 には抗 しがたい魅力 です。通常 、そうするのに最適 な人々 にとって。その方法 で生計 を立 てる希望 がまったくなくても、プロフェッショナルのミュージシャンの不足 の心配 はまったくありません。しかし、
実 はこの質問 は、よく尋 ねられますが、状況 に適 したものではありません。プログラマに支払 うことは消 えてしまうことはないでしょう、少 なくなるだけです。ですから、正 しい質問 は、削減 された金銭 の動機 で、誰 かがプログラムをするでしょうか? というものです。わたしの経験 では、プログラムする人 はいる、のです。10
年 以上 にわたり、たくさんの世界 で最高 のプログラマが、ほかであれば得 られるよりも大変 に少 ないお金 でAIラボで働 きました。かれらはいくつもの金銭 ではない報酬 を得 たのです。たとえば、名声 、感謝 です。そして、創造 性 は楽 しいもので、それ自身 が報酬 です。それから、
同 じ興味深 い仕事 をたくさんのお金 でできる機会 が提示 された時 に、ほとんどは去 りました。この
事実 が示 すことは、金持 ちになるよりもほかの理由 で人々 はプログラムするということです。しかし、同時 にたくさんのお金 を得 る機会 が与 えられれば、それを期待 し、要求 するようになるでしょう。低 給 を支払 う組織 は、高給 を支払 う組織 に競争 に勝 ち得 ませんが、高給 を支払 う組織 が禁止 されれば、やっていけないわけではありません。 -
「わたしたちはぜひともプログラマが
必要 です。かれらが、わたしたちの隣人 を助 けることを止 めることを要求 するなら、わたしたちは従 わなければなりません。」 -
そういった
類 の要求 に従 わなければならないほど、どうしても必要 ということは決 してありません。忘 れないように: たとえ何 百 万 かかろうとも防衛 を、しかし、賄賂 には1セントも払 うな、です。 -
「プログラマはなにかで
生計 を立 てる必要 があります。」 -
短期 的 には、これは正 しいでしょう。しかし、プログラマがプログラムを使 う権利 を売 ることなく生計 を立 てられるたくさんの方法 があります。この方法 がいまやありふれているのは、それがプログラマやビジネスマンにほとんどのお金 をもたらすからで、それが生計 を立 てる唯一 の方法 だから、ではありません。探 そうと思 えば、ほかの方法 を見 つけることは容易 でしょう。いくつか例 をあげてみましょう。新 しいコンピュータを作 る製造 者 は、新 しいハードウェアにオペレーティング・システムを移植 するために支払 うでしょう。指導 や取扱 い、保守 のサービスもプログラマを雇 うでしょう。新 しいアイデアを持 った人々 は、プログラムをフリーウェア [9]として配布 して、満足 したユーザに寄付 をお願 いしたり、取扱 いサービスを販売 できるでしょう。わたしは、この方法 で働 くことにすでに成功 している人々 に会 ったことがあります。関連 する需要 があるユーザは、ユーザグループを結成 し、会費 を集 めることができます。グループはプログラミングの会社 と契約 して、グループのメンバーが使 いたいプログラムを書 いてもらうのです。すべての
種類 の開発 は「ソフトウェア税 」で資金 提供 を受 けることができます:コンピュータを
買 う全員 がソフトウェア税 として金額 の x パーセントを支払 わなければならない状況 を考 えてみましょう。政府 はこれをNSFのような機関 に与 え、ソフトウェアの開発 に使 うのです。コンピュータの
購入 者 がソフトウェア開発 に自身 で寄付 する場合 には、税 の控除 を受 けることができます。自身 で選択 したプロジェクトに寄付 できます。しばしば、それは選択 されます。それがなされた時 の結果 を使 いたいと希望 するからです。支払 わなければならない税額 にいたるまで、寄付 の控除 を受 けることができます。税率 は納税 する金額 に応 じて重 み付 けられた納税 者 の投票 で決 められます。その
結果 :- コンピュータを
使 うコミュニティがソフトウェアの開発 をサポートする。 - このコミュニティがどういったレベルのサポートが
必要 かを決定 する。 - どのプロジェクトが
取 り分 を費 やすかを気 にするユーザは自分 自身 で選択 できる。
- コンピュータを
脚注
- ここでの
表現 は不注意 でした。ここでの意図 は、誰 もが、GNUシステムを使 う許可 のために支払 う必要 はない、というものでした。しかし、この言葉 はこれをはっきりとしておらず、よく、人々 はこれをGNUのコピーは常 に少額 か無料 で配布 されなければならない、と言 うように解釈 します。これは決 してその意図 ではなく、この後 で、宣言 は利益 のために配布 サービスを提供 する会社 の可能 性 について触 れています。その後 、わたしは、自由 の意味 での「フリー」と値段 の意味 での「フリー」を注意深 く区別 することを学 びました。自由 ソフトウェアはユーザが配布 し変更 する自由 のあるソフトウェアです。あるユーザはコピーを無料 で得 るでしょうし、ほかの人 はコピーを得 るのに支払 うでしょう。そして、もし資金 がソフトウェアを改善 するのに役立 てば、それはよりよいことです。重要 なことは、そのコピーを持 つすべての人 がそれを使用 してほかの人々 と協力 する自由 があることです。 - 「あげる」の
表現 は、値段 の問題 と自由 の問題 を明確 に区別 していなかったもう一 つのあらわれです。わたしたちは、今 、自由 ソフトウェアについて語 るときこの表現 を避 けるよう奨 めます。より詳 しい説明 は、「紛 らわしい言葉 とい方 」をご覧 ください。 - ここはわたしが「フリー」の
二 つの異 なる意味 について、注意深 く区別 することを失敗 した、もう一 つの場所 です。この文 自体 は間違 いではなく、あなたの友達 から、あるいはネットを通 じて、GNUソフトウェアのコピーを無料 で入手 することはできます。しかし、これは間違 った考 えを示唆 します。 - そういった
会社 はいくつか今 存在 します。 会社 ではなく慈善 団体 ですが、フリーソフトウェアファウンデーションは10年 の間 、その資金 のほとんどを配布 サービスから得 ていました。あなたは、その仕事 を支持 するために、FSFのものを注文 することができます。- 1991
年 あたりで、コンピュータ会社 のグループが、GNU Cコンパイラの保守 を支援 するために、資金 を集 めました。 - プロプライエタリのソフトウェアがソフトウェアにおいて
金銭 を得 るためのもっともよくあるベースだと言 ったのは間違 いだったと思 っています。実 は、もっともよくあるビジネスモデルは、カスタム・ソフトウェアの開発 、だった/である、と考 えられます。これは使用 料 の収集 の可能 性 を提供 しませんから、このビジネスは収入 を得 つづけるために実際 の仕事 を続 けなければなりません。カスタム・ソフトウェアのビジネスは、自由 ソフトウェアの世界 でも、おおかれすくなかれ、変 わることなく、存在 しつづけるでしょう。ですから、わたしは、ほとんどの雇 われたプログラマが自由 ソフトウェアの世界 で少 なく稼 ぐとは、もはや考 えていません。 - 1980
年代 に、わたしは「知的 財産 」の「この問題 」について話 すことがいかに紛 らわしいかをまだわかっていませんでした。この用語 はあきらかに偏向 していて、もっとずるいのは、まったく異 なった問題 を提起 する、さまざまな異種 の法律 を一緒 にひとまとめにするという事実 です。今日 では、わたしは、こういった法律 がひとつの筋 の通 った形態 を成 していると人々 が誤解 しないように、人々 に全面 的 に「知的 財産 」の用語 を拒絶 するよう勧 めています。明解 な方法 は、特許 、著作 権 、商標 と別々 に議論 することです。この用語 が如何 に混乱 と偏見 をひろげるかについては、さらなる説明 をご覧 ください。 - その
後 、わたしたちは「自由 ソフトウェア」と「フリーウェア」の違 いを学 ぶことになりました。「フリーウェア」は再 配布 が自由 なソフトウェアを意味 し、通常 はソースコードを研究 し変更 するのには自由 ではありません。ですから、そのほとんどは自由 ソフトウェアではありません。詳 しい説明 は、「紛 らわしい言葉 とい方 」をご覧 ください。
(昨今 では、実施 すべきソフトウェアのタスクについて、優先 度 の高 いプロジェクトのリストとGNUの求 める支援 のリスト、GNUソフトウェア・パッケージの一般 タスクリストをご覧 ください。そのほかの支援 の方法 については、GNUオペレーティング・システムを手伝 うガイドをご覧 ください。)