■そんなに君のことは見ていない
世の中の人はそんなに君のこと見ていない。そりゃあ、「へえすごいね」と会えば言うけれど、実際はそんなに関心なんかしていない。作家だろうが芸能人になろうが、歳をとるほどうらやましいなんてさらさら思わなくなる。それは自分の価値観がかたまったり、忙しくて自分で精一杯だったりするからだ。
だから、見栄切るために人生の選択はしないほうがいい。「かっこよく生きる」というのは、人の目を気にして生きることではなく、自分に忠実に生きることだとおもう。ポリシーをもって生きることだ。
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現在学部4年生。今春に超一流とは言い難いが日経225にも名を連ねる某メーカーへの入社を控えている。自由応募で勝ち取った内定。翌年の入社を楽しみにしていた。
しかし内定を貰って10ヶ月、会社への不満はここに来て頂点だ。
内定直後の配属先調査の希望は面接のときあれだけ言ったにもかかわらず叶えられず、社員寮の詳細は送られないまま入寮の希望を取り、配属先の連絡は2月の中旬、就業規則を見せないまま誓約書に署名を求めてきた。この次点でうちの人事はダメなんだなあというのは分かっていた。
さらにこの時期に新人研修期間が前もって知らされていた2週間ではなく1年であると連絡を受けた。新人研修を行う場所と自分の配属先の距離は約600km。配属先でやっとアパートの契約を済ました矢先のことであった。どうやら社内の伝達ミスだったらしい。また対象者が途中で変わったため、連絡が遅れたと言うことも話された。突然のことで混乱しつつも何故この時期まで伝達ミスに気付かなかったのか、対象者が何故変わったのかを聞いたが「こちらのミスで・・」「こちらの都合で・・・」と言った感じで具体的な説明は何も無し。あまりに酷い対応、待遇。想像は付いてはいたが大企業の情報の閉鎖性みたいなものを見せられて唖然とした。
そんなこんなで、自分の会社への気持ちは完全に萎えてしまった。こんな無責任な人事が自分の命運を握っているかと思うと到底この会社に自分の将来を預ける気にはなれない。正直言って就活をやりなおしたい。しかし現実はそれを許さない。何も出来ない。このまま、流されるままこの会社で貴重な20代を過ごすのか、そう考えるとなんとも言えない喪失感に襲われるのでありました。
現実に抗う勇気が欲しい。現状を変える力が欲しい。
入社を控えてナーバスになっているだけだ。この程度で気を病むな。ヘタレが
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■ずっと、ずっと
友人が狂ったらしい。子供が生まれてすぐ旦那に先立たれ、そしてこれ以上ないくらい可愛がってた娘も、先日亡くなったとのことなので、そうなる気持ちもわからなくはないが。彼女の娘の葬式には用事があり行けなかったし、様子も心配なので、見舞いに行くことにした。
精神病院というと、檻がついてるものだと思っていたが、その認識は古かったようで、檻などなく、 また、病院内も普通の病院と変わらないようだった。この病院には軽い人が多いのか、そもそも私のイメージ自体が間違っているのかはわからなかったが。エレベーターで3階に上がり、廊下の一番奥にある、彼女が入院している個室の前に立つ。最後に会ったのは彼女の子供が生まれてすぐの頃だったから、何年ぶりだろう。最後に会った彼女は、元来控えめな性格ではあったが、とても幸せそうに笑っていた。その印象しかない。そんな彼女は今どうなっているのだろうか。深呼吸をして、重苦しい気持ちを押しのけて、少し強めにノックをした。
「はーい、どうぞー。」明るい声で招き入れられた私は彼女を見て驚いた。彼女はあの時の笑顔のままだったのだ。とても幸せそうな、満面の笑みで迎え入れられた私が呆然としていると、彼女は私のことを憶えていたようで、「きーちゃん!久しぶりー!元気にしてた?」と問いかけてきた。私はなんとか気を取り直し、挨拶を交わすと、そのまま思い出話へと突入した。思い出話を嬉々として話す彼女を見ながら私は戸惑っていた。私のことを憶えているし、日常会話もできる。それにどこも狂った様子は見受けられない。彼女は本当に狂っているのだろうか。いや、しかし、彼女が狂っていないとしたら、あの笑顔はおかしいように思える。中学生の頃、飼っていた犬が死んだとき、1ヶ月も塞ぎ込んでいた彼女が、夫もいない中、娘の死を乗り越えられるだろうか。わずか3週間で、このような笑顔ができる程に。疑問に思った私は、おそるおそるそのことについて切り出した。
「あの…遅れちゃったけど…この度はご愁傷様でした…」
「え?何それ?」
「え?だって…娘さんが…?」
「娘?きーちゃん何言ってんの?結婚もまだなのに子供ができるわけないじゃない。」
頭を下げている私をよそに、彼女はおかしそうに笑っている。
「え…あ、うん…」
未だ事態が飲み込めずおろおろしている私を見て彼女は更に笑う。
「それに私たちまだ19だよ?結婚にはまだ早いでしょ。」
―― あ、そうか。そういうことか。そういえば、思い出話ばかりをしていて気がつかなかったが、彼女は昔の話ばかりをしていた。てっきり、今の話は辛いから思い出したくないのかと思っていたけど、思い出したくないのではなく、純粋に思い出せなかったのだ。だって、彼女は、私と同級生だった彼女は、私と同じ26歳ではなく、19歳に戻ってしまったんだろうから。
その後は、また思い出話をして帰った。病室を出るときに彼女の母親と会い、やはり彼女が19歳の頃に戻った、戻ったと思いこんでいることを知らされた。辛いことがなかった時代に、辛いことが起こる前に戻ることで、耐えきれなかった辛いことから逃れたんだろう。愛する夫と、子供が死んでしまった今という時から。歩き慣れた帰り道を行きながら彼女のことを思い出す。私のことも憶えていたし、日常会話にも何の問題もなかった彼女。しかし、本当の彼女とは会話できている気がまるでしなかった。今という時にいない、今という時を生きていない彼女との会話はどこか虚ろで、まるで幻と話しているようだった。でも、考えてみれば本当の誰かと話している、生きているだなんて考え自体がそもそも間違っているのかもしれない。誰しも本当の心になんて触れられやしないんだから。そんなことを考えていると家に着いた。
「おかーさん!」
娘の愛華が飛びついてくる。
「おかえりー!」
「ただいま、愛華。」
愛華は私を見上げて首を傾げる。
「どうしたの?」
「おかーさんげんきない?」
娘に心配させまいと、そんなことないよと笑顔を作ってみたが、効果はなかった。
「おかーさん。ちょっとしゃがんで。」
「え?」
「いいから、しゃがんでー。」
言われた通りにしゃがみ、愛華と同じ目の高さになる。きらきらと輝きながらも心配の色を浮かべている目を見ていると、
「めもつぶってー!」
と言われたので、わかったわよ、と目をつぶる。何をするつもりだろうと考えていると、頭を撫でられる。
「げんきないのないの飛んでいけー。」
私がぽかんとしていると、
「げんきでた?」
と笑顔で聞いてきたので、うん…元気でたよ、と愛華を思い切り抱きしめた。確かに娘を失ったらとても辛いだろう。でも、私は昔には戻りたくない。たとえ辛い思いがなくなるとしても、娘と生きているというのが本当は幻だったとしても、戻りたくはない。娘がいなくなってしまったとしても、その未来をしっかり生きたいと思う。少なくとも私にはこの幻は本当なんだから。だから、その娘と本当に生きている今の先にある未来を。
いたい、いたいよー、おかーさん、と言われて抱きしめる力が入りすぎていたのを知り、ごめんね、と謝り手を離す。じゃあ、一緒にご飯を作ろうかと話していると、夫が帰ってきた。浮かない顔をしていたので、娘と顔を見合わせて、二人で笑った。
誰かが元気のないときは、誰かに元気ないのを飛ばして貰おう。そして、誰かがいなくなってしまっても、その人といた今のために、挫けずその時を生きていこう。そうやって私は愛する家族と生きていこう。ずっと一緒に。ずっと、ずっと。
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なんかハッカだけ入ってるスペシャル缶とかあった気がするよ!
サクマドロップスとサクマ式ドロップス、どっちがどっちだかいまだにわかんなくなる。
チョコ味が入ってるのはどっちだっけ?
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■悔しい
せっかく回答してあげようと思うと、拒否ユーザーに入れられてる。
丁寧な説明を考えていると、拒否ユーザーに入っていることを思い出す。
過去の質問履歴を見てもその人には回答していない。
あ、またあれか、そう思いながら私は回答の着いていないその人の質問を見てる。
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■格差の話で思い出したんだけどへの反応を見て思ったんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
これを書いたのが自分なんだけど、書いといて思ったのが、自分が思っていた以上にこの格差の話ってのはみんな真剣に考えているんだなぁと言うこと。
自分はニュースはネットでしかみないから、そういった話題にあんまり敏感じゃなかった。
あと、うまいい方が思いつかなかったから反感を買うことをを恐れずに言うと…なんて書いたらホントに反感を買ってしまったこと。自分の文章力はまだまだのようだ。
でも、なんか擁護、と言うか私の考えの一部に同調してくれる人がいたのは嬉しかった。
なんか親の庇護のもと、ぽーっとひかれたレールの上を通ってきた人みたいな事を思われてるっぽいから一応書いておくと、うちは普通だったっていうのは「普通に良かった」というのではなく、「普通にいいことも悪いこともあった」って事で、別に恵まれてると思ったことはない。まぁ隣の芝生は青いってやつなのかもしれんが。
小学校の高学年の時に親が独立した。で、中学2年ぐらいの時にはもう傾いてきててさ、中学三年の時には塾に払う月謝が払えないから申し訳ないけど塾を辞めてもらえないか、なんて親に頼まれて、その時は塾に行かなくてすんでラッキーなんて思ったけど、今から思い返すと親もホントはそんなこと言いたくなかったんじゃないかなぁと思う。
で、商売をしている家が傾いてくるとよくある話だと思うんだけど、夫婦仲が悪くなって、夜中は毎日ケンカですよ。そんなときにちょうど受験でさ、普通に落ちたわけ。で、その落ちたのは100%自分の責任だし、実際勉強も全然してなかったから当たり前なんだよ。
でも親はそうは思ってなくてさ、併願で受けたのは進学コースのある私立で、そこに入れば授業料も入学料も免除なんよ。だから親は俺が親に気を使ってわざと落ちたのかと思ったわけ。で謝られるの。ごめんね、って。この時はほんと申し訳なかったなぁ…でもそれがきっかけで両親の仲が直ったからよかったんだけどね。
でも倍率が1.1倍の高校で同じ中学から10人受けて1人だけ落ちたんじゃそう思われても当たり前か。
浪人したときは親が大人になったときのために、って親がコツコツ貯金してくれてたお金を、どうせあんたにあげる予定だったんだから好きに使いなさいって事で予備校に入れてくれた。それなのに俺は遊びほうけてばかりでバカ、ホントバカだと思う。
ただそういう経過があったからこそ、どこかの大学に、それなりに有名な大学に入らないと駄目だ!と思って勉強したときはホント必死に勉強したよ。
文系だって誤解されてるけど俺は理系で、しかも英語は致命的にできないから数学と物理で入るしかない!と思って勉強した。
細野真宏の数学の本を全種類買って1日に1冊終わらせた。全部終わらせたらまた最初からやり直した。
物理も誰かの参考書買ってそれだけやった。誰のだったかわすれちゃったけど。
でもこの時ほど理系の自分に感謝したことはなかった。数学とか物理は世界史とかに比べて覚えなきゃいけないことって少ないじゃん。
あと基本さえ覚えれば応用だって解けるってところもよかった。
MARCHなんて上の方じゃねーか、って感じの事を書かれてたけど、確かその時の偏差値は55ぐらいだった気がするから確かに普通よりはよかったのかも知れないけど、それほどいいわけでもなかった。
大学の授業料は奨学金と自分がバイトした金でなんとかした。親もある程度は出してくれたけど。留年したときは留年することになるってわかった時点で休学した。そうすると授業料が半分だったから。もちろんこの時の金も自分で払った。
大学生だってバイトで15万ぐらいは稼げたよ。時給850円だけど。大体10??15万だった。
理系で半導体系のゼミに入ってたんだけど、バイトで忙しいの(もしかしたら自分で授業料払ってるのも)教授も知ってたらしく、普通の実験とかではなくて、コンピュータを使ったシミュレーションにしなさい。って言ってくれた。だから就職が決まったあとの4年の頃は必須の授業の他は毎日バイトしてたし、終わってから夜10時ぐらいに学校に行って仕込んであったシミュレーションのデータの解析をして、そのまま学校で寝て、朝起きてそのままバイト。みたいなこともしてた。
この生活もやってた時はつらかったけどよかったと思う。就職して忙しくなったときにふんばりがきくようになってたから。
ここまで書いて読み直すとただの日記だな…ごめんなさい、でも自分にとっては重要なことなので残しておきます。
ここからが本題なんだけど、前の記事で
>だから毎日早くから遅くまで働いて、家には寝に帰ってるだけってくらい働いてるのに年収200万とかってありえないだろ!とか思ってしまう。
>ネタじゃないの?とすら思う。
って書いたと思うんだけど、これには前の記事で書いた理由ともう1つ理由があって、それが上で書いてた親父の話。
親父の会社は俺が中2ぐらいの時にすでに傾きだしてたって事は書いたと思うんだけど、高校1年ぐらいの時にはつぶれたわけよ。で、自己破産してた。
で、親父はどーしたかというと、働くことにして仕事を探したのよ。で、得た仕事がカプセルホテルの従業員。夜はその仕事をして、朝は弁当配達のバイトもしてた。
で、その仕事は1年ぐらい続いたのかな、でやめてその後は宅急便の配達でさ、40代後半でそんな仕事をしてたわけ。で、50になったくらいでそれもやめて、今は1戸立てのセールスマンをやってる。住宅展示場とかにいる人。あれ。
それがお前との格差だろとか言われそうだけど、親父はどの仕事をやってた時も手取りで月に30万以上は貰ってた。俺は働くようになって知ったけど、手取りで30万貰うためには額面で40万以上は必要だ。
親父はそれこそ朝早くから夜遅くまで働いてた55を過ぎた今でもそう。これは俺には出来ないから、親父の最も尊敬できるところだ。
月に40万以上は額面で貰ってるって事は年収で言えば500万はいくはず(ボーナスは貰ってたかどうかわからん)。
だからうちの親父より若いのに、ホントに朝から晩まで働いて年収200万ぐらいなの?って思った。年収200万ぐらいって俺が大学のときにバイトしてたのとあんまり変わらないよ。それって『やるべき事をやってないだけ』なんじゃないの?って思ってしまう。
この前に書いた記事のはてブのコメントにもあったけど、俺は努力すべき時に努力した人らしい、自分ではその時は必死で1つのことしか考えられなかっただけで、努力してた意識もないけど。親父もきっとそうだと思う。一家を路頭に迷わすわけにはいかないと思って毎日仕事をしてたんだと思う。
年収が200万以下の人はどうなんだろう?
この前フラット化する社会ってのを読んで、その通りだと思った。世界はフラット化してる。それは間違いない。ネットでGoogleアドセンスでいくらぐらい稼いでいる人がいる。ってのを見て思ったのが、今の世は英語さえ使えればそれと同じだけ稼げるんだな、ってこと。
そう思ってたらその本にはそういう人もいるみたいってのが書いてあった。だからそれと同じ事をすれば日本でだってそれくらい稼ぐことができるみたいじゃん。
そういうものを読むとやっぱり今日本で言ってる格差社会ってのはホントなの?と思ってしまう。
ちょっと思ったのが、どっかのブログで読んだ(多分はてブのほってんとりからだと思う)んだけど、アメリカでは国際電話1つとっても何も知らないと、安く済ませる手段を知っている人の何十倍も払うことになるって話。
いわゆる日本の中で言われてる格差ってやつの低いほうにいるらしい人ってのはもしかしたらこういう、知っている人は知っている、みたいなものを知らない人たちなのかなぁ…
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満員電車とはちょっと違ってくるんだけど、駅ホームの乗車目標のとこで電車を待たない人が凄く気になる。
- そこら辺のどこか空いてる場所に潜り込もうと思ってる
- 一番最後に乗って、次にすぐ降りようと思ってる
某上大岡駅下りの端っこのほうはほとんど2だろうなあ。車内ど真ん中はやたらと空いてるのに、出入り口のあたりが異様に混んでる。
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