クラシックコンサート、ソリストがドタキャンしたらどうなる？観客かんきゃくが知しらない壮絶そうぜつな舞台裏ぶたいうら

　リハーサル最終さいしゅう日び。コンサートを翌日よくじつに控ひかえて、ソリストのソプラノ歌手かしゅも参加さんかする予定よていです。僕ぼくも大好だいすきな歌手かしゅなので楽たのしみにしながらリハーサル会場かいじょうに到着とうちゃくしたところ、真まっ青さおな顔かおをした事務じむ局員きょくいんが僕ぼくを待まち構かまえていました。

「歌手かしゅが風邪かぜを引ひいてしまって声こえが出でないらしいです。マエストロ、どうしましょうか？」

「アチャー」と残念ざんねんに思おもうしかありませんが、そこで判断はんだんできることは限かぎられています。

（1）ほかの歌手かしゅを代役だいやくとして探さがす

（2）プログラムを変かえる

（3）ソリスト歌手かしゅなしにして、オーケストラ伴奏ばんそうだけで演奏えんそうする

　まあ、3番目ばんめのオプションは冗談じょうだんにもならないので除外じょがいするとして、まずは1番目ばんめの「ほかの歌手かしゅを探さがす」です。僕ぼくはいくつかの指示しじを出だし、「見みつかればいいけれど……」と希望きぼうを持もちながら、とにかく、オーケストラ楽員がくいんが待まっている会場かいじょうへ行いき、1時じ間あいだ程度ていどのリハーサルをします。そして休憩きゅうけい時間じかんとなり控室ひかえしつに戻もどってみると、この1時じ間あいだの間あいだに片かたっ端ぱしから音楽おんがく事務所じむしょに電話でんわをかけまくった事務じむ局員きょくいんが僕ぼくを待まっています。その時ときに、「見みつかりました！！」となれば一いち件けん落着らくちゃくなのですが、実際じっさいは「今いま、返事へんじを待まっています」という答こたえがほとんどです。そして再ふたたびリハーサルに戻もどり、次つぎの休憩きゅうけいになって、いよいよ深刻しんこくさが増ましていきます。コンサートは翌日よくじつに迫せまっているのです。

　定番ていばんのオペラであれば、それこそ公演こうえん直前ちょくぜんに電話でんわ一本いっぽんで呼よび出だされた歌手かしゅが、そのまま舞台ぶたいに立たってなんとか歌うたいこなすことはできますが、オーケストラと共演きょうえんする曲きょくは馴染なじみがないものも多おおく、予定よていが空あいていたとしても「歌うたったことがないので、明日あした、急きゅうに歌うたうのは無理むりです」と断ことわられることも多おおいのが現実げんじつです。特とくに現代げんだい曲きょくの場合ばあいは、初演しょえんに出演しゅつえんした歌手かしゅしか歌うたえないことも多おおく、そんな場合ばあい、まったくのお手上てあげとなります。そこで、2番目ばんめオプションである「プログラム変更へんこう」の可能かのう性せいが浮上ふじょうします。

　余談よだんですが、オーケストラのプログラムづくりにおいて、ソリスト選えらびは重要じゅうようです。これは人気にんきがあるソリストを選えらべばよいというだけではなく、ソリストの楽器がっきも慎重しんちょうに考かんがえなくてはなりません。そんななかで人気にんきがあるのは、なんといってもピアノとヴァイオリンです。これはモーツァルト時代じだいより前まえから同おなじで、古今ここん東西とうざいの作曲さっきょく家かたちは、この2つの楽器がっきのために多おおくの協奏曲きょうそうきょくを書かいてきました。しかし、ピアノ好すきな客きゃくとヴァイオリン好すきな客きゃくの層そうは違ちがいますし、どちらにしてもピアノとヴァイオリンばかりにするわけにはいかないので、楽器がっき別べつにソリストをバランスよく散ちりばめなくてはなりません。

　また話はなしが逸はぐれてしまいますが“コンサートあるある”として、ヴァイオリン好すきな客きゃくは、前半ぜんはんのヴァイオリン協奏曲きょうそうきょくが終おわったあとも、オーケストラのヴァイオリン奏者そうしゃが大勢おおぜいで演奏えんそうしている後半こうはんの交響曲こうきょうきょくをそのまま楽たのしんでくださるのですが、ピアノ好すきの客きゃくのなかには、残念ざんねんながらピアノ以外いがいにはまったく興味きょうみがない方ほうも多おおく、前半ぜんはんのピアノ協奏曲きょうそうきょくを聞きいたら、後半こうはんを聞きかずにそのまま帰かえってしまう人ひとも結構けっこういるようです。

　さすがに、こんなことは日本にっぽんではあまりないとは思おもいますが、僕ぼくが毎年まいとし指揮しきをしているフィンランドのような、演奏えんそう会かいチケットがとても安やすい国々くにぐにでコンサートを指揮しきしていると、前半ぜんはんのピアノ協奏曲きょうそうきょくの際さいには観客かんきゃく席せきは満席まんせきだったのに、後半こうはんの交響こうきょう曲きょくの時ときにはいくつも空席くうせきがあるというようなことが起おこったりします。帰かえってしまった観客かんきゃくにとっては、ピアノさえ聴きければいいわけですが、後半こうはんの交響こうきょう曲きょくに力ちからを入いれている指揮しき者しゃとしては、悔くやしい思おもいをするのです。

ソリストの代役だいやく探さがし

　さて、歌手かしゅがソリストの場合ばあいも、客層きゃくそうはピアノ愛好あいこう家かとよく似にています。それは、声楽せいがく曲きょくだけが好すきで、オペラはもちろんオーケストラ公演こうえんでも歌手かしゅだけを目当めあてに前売まえうり券けんを買かっている方々かたがたが一定いってい数すういるからです。

　軽かるい風邪かぜくらいならば、器楽きがくのソリストはなんとか出演しゅつえんする場合ばあいが多おおいのですが、歌手かしゅの場合ばあいは声こえが出でなくなるのでキャンセルとなります。そんな歌手かしゅ好すきの観客かんきゃくがチケットを購入こうにゅうしているのですから、現代げんだい曲きょくのように代かわりの歌手かしゅが見みつからないからといってピアニストとピアノ協奏曲きょうそうきょくをするわけにはいかず、なんとか歌手かしゅを見みつけてポピュラーなモーツァルトの歌曲かきょくなどでお茶ちゃを濁にごしてもらうこともあります。大だい多数たすうの観客かんきゃくにとっては、モーツァルトのほうが楽たのしめるかもしれませんが。

　ここで、運うんの良よいことにプログラムを変更へんこうせずに歌うたってもらえる代役だいやくの歌手かしゅが見みつかったという嬉うれしいニュースが入はいったとしても、さらに大おおきな問題もんだいが立たちはだかります。それは、厳密げんみつに決きまっているオーケストラ楽員がくいんの労働ろうどう時間じかんです。

「今いま、歌手かしゅが見みつかりました。急いそいで飛行機ひこうきに乗のってもらえれば今日きょう中ちゅうには来きたられるので、また夜よるにリハーサルに集あつまってください」などと言いうことはできません。そこで翌日よくじつ、すなわちコンサート当日とうじつのゲネプロ（実際じっさいのホールでの最終さいしゅうリハ―サル）の短みじかく限かぎられた時間じかんで、さっと合あわせて本番ほんばんを迎むかえることになります。そんな時ときの緊張きんちょう感かんは大おおきく、指揮しき者しゃだけでなく、オーケストラの楽員がくいんもいつもとは違ちがった固かたい顔かおになっています。

　そんなソリストのドタキャンで起おこるゴタゴタは、毎回まいかいともなると困こまりますが、ほんのたまにだったら、僕ぼく自身じしんはなんとなくアドレナリンが出でて昂たかぶってくるような気きがします。慌あわてふためいて電話でんわをかけまくっている事務じむ局員きょくいんや、急きゅうにプログラム変更へんこうとなって混乱こんらんしているオーケストラの楽員がくいんの前まえでは、こんなのんきなことは言いっていられませんが、急きゅうに仕事しごとが入はいったソリストもなんとなく嬉うれしそうですし、コンサートを救すくってくれたソリストを、オーケストラはとても良よい雰囲気ふんいきで迎むかえることになります。しかも、デビューしたての若わかいソリストならば、これは大おおきなチャンスとなります。

　往年おうねんの大だいオペラ歌手かしゅ、イレアナ・コトルバスのサクセスストーリーは有名ゆうめいです。着々ちゃくちゃくとキャリアを積つみ上あげていたルーマニア人じんのソプラノ歌手かしゅコトルバスですが、当時とうじはイギリスの郊外こうがいに住すんでいました。

　ある時とき、イタリアの世界せかい的てきオペラ劇場げきじょう、スカラ座すからざで演えんじられるプッチー二に作さく『ラ・ボエーム』の主役しゅやくを務つとめる、大だいスターのミレッラ・フレーニが体調たいちょう不良ふりょうでキャンセルしたという連絡れんらくが入はいります。自宅じたくで電話でんわを取とったのはご主人しゅじんで、その頃ころコトルバスはロンドンでショッピング中ちゅう。もちろん携帯けいたい電話でんわなどない時代じだいですが、なんとか連絡れんらくがつき、彼女かのじょはそのまま空港くうこうへ。イタリアへと飛とびミラノ・スカラ座すからざに着ついたのは、なんと公演こうえん15分ふん前まえという慌あわただしさ。しかし、そこでの空前くうぜんの大だい成功せいこうが彼女かのじょを世界せかい的てきスターに押おし上あげたのです。

（文ぶん＝篠崎しのざき靖男やすお／指揮しき者しゃ）