コロナ下かの4月がつ、自殺じさつ者しゃ数すうが過去かこ5年ねんで最少さいしょうに…本当ほんとうに自殺じさつ者しゃは増加ぞうかするのか？

　５月がつ上旬じょうじゅん、米国べいこくで「新型しんがたコロナウイルス危機ききの結果けっか、今後こんご１０年間ねんかんで最大さいだい７万まん５０００人にんがいわゆる『絶望ぜつぼう死し』する可能かのう性せいがある」という衝撃しょうげき的てきな予測よそくが発表はっぴょうされた。日本にっぽんでも「今後こんご自殺じさつ者ものが急増きゅうぞうするのではないか」との警戒けいかい感かんが高たかまっているが、５月がつ下旬げじゅんに時宜じぎにかなった著書ちょしょが出版しゅっぱんされた。

　タイトルは『新しん自殺じさつ論ろん　自己じこイメージから自殺じさつを読よみ解とく社会しゃかい学がく』（青あお弓ゆみ社しゃ）である。　社会しゃかい学がくの分野ぶんやでは１８９７年ねんにエミール・デュルケムが当時とうじの欧州おうしゅうの状況じょうきょうを詳細しょうさいに分析ぶんせきして『自殺じさつ論ろん』という有名ゆうめいな著作ちょさくを発表はっぴょうしている。『新しん自殺じさつ論ろん』の著者ちょしゃたちも先進せんしん国こくの中なかで自殺じさつ率りつ（人口じんこう当あたりの自殺じさつ者しゃ数すうの比率ひりつ）が高たかい日本にっぽんの現状げんじょうに鋭するどいメスを入いれている。

　日本にっぽんで自殺じさつ問題もんだいが注目ちゅうもくを集あつめるようになったのは１９９８年ねんである。戦後せんご最悪さいあくの金融きんゆう危機ききに陥おちいったことから、自殺じさつ者しゃ数すうが初はじめて３万まん人にんを突破とっぱしたからである。なかでも経済けいざい生活せいかつ問題もんだいに起因きいんするとされる自殺じさつ者しゃ数すうが前年ぜんねん比ひ２５０２人にん増ぞうの６０５８人にんと急増きゅうぞうし、特とくに中高年ちゅうこうねん男性だんせいの自殺じさつ率りつが高たかかった。

　自殺じさつ者しゃ数すうの高こう止とまり（年間ねんかん３万まん人にん以上いじょう）はその後ごも長ながく続つづいたが、減少げんしょうに転てんじたのは意外いがいなことに東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいが起おきた２０１１年ねんだった。その年としの自殺じさつ者しゃ数すうは前年ぜんねん比ひ１０３９人にん減げんの３万まん６５１人にんとなり、減少げんしょう傾向けいこうは現在げんざいまで続つづいている（２０１９年ねんの自殺じさつ者しゃ数すうは１万まん９９５９人にん＜速報そくほう値ち＞）。

「フェイス・ロス」

　なぜ失業しつぎょう率りつが増加ぞうかした２０１１年ねんに自殺じさつ者しゃ数すうが減少げんしょうに転てんじたのだろうか。

　多おおくの日本人にっぽんじんが職しょくにあぶれていた第だい２次じ世界せかい大戦たいせん直後ちょくごの自殺じさつ率りつが現在げんざいよりはるかに低ひくかったように、失業しつぎょうと自殺じさつの関係かんけいは一筋縄ひとすじなわではいかない。デュルケムがかつて「自殺じさつは不幸ふこうで説明せつめいできるほど単純たんじゅんなものではない」と述のべたように、失業しつぎょうと自殺じさつの関係かんけいは社会しゃかいの状況じょうきょうによって異ことなる。隠かくれた要因よういんがあるからだ。

『新しん自殺じさつ論ろん』のとりまとめ役やくを担になった阪本さかもと俊生としお・南山大学なんざんだいがく教授きょうじゅは「自殺じさつ率りつを変化へんかさせている社会しゃかい的てき要因よういんは『フェイス・ロス』である」と主張しゅちょうしているが、どういうことだろうか。

　フェイスとは大雑把おおざっぱに言いえば「体面たいめん」や「面子めんつ」という自己じこイメージのことである。したがってフェイス・ロスとは「他人たにんに合あわせる顔かおがない」という状態じょうたいのことを指さしていると考かんがえることができる。

　１９９８年ねん当時とうじの日本にっぽんの「男おとこらしさ」は、一家いっかを養やしなう稼かせぎ手しゅとしての役割やくわりに直結ちょっけつしていたことから、経済けいざい的てき苦境くきょうは中高年ちゅうこうねん男性だんせいの面目めんぼくを失墜しっついさせる結果けっかを招まねいた。失業しつぎょうしたり、自みずからが経営けいえいする会社かいしゃが破綻はたんしてしまったことから、家族かぞくとの関係かんけいで合あわせる顔かおがなくなってしまった彼かれらは、恥はじの意識いしきに苛さいなまれ、その結果けっか命いのちを絶たつという行為こういに走はしってしまったのである。

　中高年ちゅうこうねん男性だんせいの自殺じさつ率りつはしばらく高こう止とまりが続つづいたが、２００３年ねんをピークにその後ごは低下ていかしている。阪本さかもと氏しはその要因よういんを「女性じょせいの社会しゃかい進出しんしゅつが徐々じょじょに進すすみ、男女だんじょの役割やくわり分担ぶんたんに変化へんかが起おきていることがその背景はいけいにある。男女だんじょ共同きょうどう参画さんかくが進すすんで『イクメン』という言葉ことばが普及ふきゅうしたこともこの流ながれを後押あとおしした」としている。男性だんせいが背せ負おわされてきた「一家いっかの大黒柱だいこくばしら」という重荷おもにが少すこしずつ軽かるくなってきているからだろう。

戦争せんそう時じに自殺じさつ率りつは低下ていか

　自殺じさつと社会しゃかいの状況じょうきょうの関係かんけいについては、戦争せんそう時じに自殺じさつ率りつが低下ていかするという傾向けいこうが世界せかい各国かっこくで共通きょうつうして見みられるという興味深きょうみぶかい事実じじつがある。「倒たおすべき敵てき」が存在そんざいすれば、各人かくじんの意識いしきは社会しゃかいの連帯れんたいに向むかい、日々ひびの生活せいかつに張はり合あいが生うまれるからとされている。

　各国かっこくの指導しどう者しゃたちが現在げんざいの状況じょうきょうを「戦時せんじ」とたとえている。新型しんがたコロナウイルスのパンデミック（世界せかい的てき流行りゅうこう）が戦争せんそうや内乱ないらんなどと同おなじような社会しゃかい状況じょうきょうを醸かもし出だしているとすれば、今後こんご数すう年間ねんかん、日本にっぽんの自殺じさつ率りつを押おし下さげる要因よういんとなる可能かのう性せいがある。

　ちなみに今年ことし４月がつの自殺じさつ者しゃ数すう（速報そくほう値ち）は前年ぜんねん比ひ２０％減げんの１４５５人にんとなり、過去かこ５年間ねんかんで最少さいしょうとなっている。「外出がいしゅつ自粛じしゅくで職場しょくばや学校がっこうなどに行いく機会きかいが減へり、思おもい悩なやむことが少すくなくなった」ことがその要因よういんの一ひとつに挙あげられているが、阪本さかもと氏しは「『引びきこもり』はフェイスが否定ひていされることを避さけるための自衛じえい策さくになる」と指摘してきする。

　確たしかに日本にっぽんではいまだに失業しつぎょう率りつと自殺じさつ率りつの相関そうかん関係かんけいが高たかい。生活せいかつ保護ほご受給じゅきゅう者しゃの自殺じさつ率りつは全体ぜんたいの２倍ばい以上いじょうであることから、経済けいざい問題もんだいがもたらす生いきづらさが自殺じさつに関係かんけいしているが、自殺じさつ率りつを高たかめるのは物質ぶっしつ的てき困窮こんきゅうよりも社会しゃかい的てきな役割やくわりの剥奪はくだつである。阪本さかもと氏しは「２０～３０代だいの自殺じさつ率りつは漸増ぜんぞう傾向けいこうのままである。自殺じさつ率りつが低ひくいからと言いって幸福こうふくだとは限かぎらない」とした上うえで、「大事だいじなのは人ひととしての尊厳そんげんを守まもりながら社会しゃかいで生活せいかつが営いとなめることである」と強調きょうちょうしている。

　失業しつぎょう者しゃは、周まわりに多おおくの失業しつぎょう者しゃがいて失業しつぎょうに対たいする公的こうてき支援しえんがあれば、あまり不幸ふこうを感かんじないことや、地域ちいきの首長しゅちょうが自殺じさつ対策たいさくに前向まえむきな姿勢しせいを見みせるだけでその地域ちいきの自殺じさつ者しゃの急激きゅうげきな減少げんしょうが見みられることも明あきらかになっている。「失業しつぎょうしたのは自みずからの責任せきにんではない。対策たいさくを受うけることは当あたり前まえの権利けんりだ」という意識いしきが浸透しんとうし、たとえ生活せいかつ保護ほごを受うけていても積極せっきょく的てきに社会しゃかい参加さんかできる環境かんきょうになれば、「合あわせる顔かおがなくなる」ことにはけっしてならない。

　このように失業しつぎょうの増加ぞうかは必かならずしも自殺じさつの増加ぞうかとはならないのである。今後こんごの日本にっぽんの自殺じさつ者しゃ数すうの動向どうこうは要注意ようちゅういであるが、社会しゃかいが失業しつぎょうをどのように受うけとめるかが、その鍵かぎを握にぎっているのではないだろうか。

（文ぶん＝藤ふじ和彦かずひこ／経済けいざい産業さんぎょう研究所けんきゅうじょ上席じょうせき研究けんきゅう員いん）