臥薪嘗胆とは、
1.復讐の為に苦労に耐える事。また、リベンジ、雪辱を果たす為屈辱を忘れず努力することや長い時間を耐える様。後述の故事による。「6回落ちたが臥薪嘗胆の末に司法書士試験に合格した」「彼は大学入試で阪大に落ちたが、4年間の臥薪嘗胆の末大学院は京大に入った」「25年の臥薪嘗胆の後広島カープは優勝した」
2.(恒心教用語)成人しても親のすねをかじり親の庇護の元で甘やかされていること。また、余計、無用な努力をする様。恒心教に関連する人物に5年半親のすねを齧ってダラダラしていた疑惑のある人物と東大生なのに予備試験や東大院へ行かずに高い学費を払ってランクが下の大学院へ行った人物がいることから。「臥薪嘗胆民」「ネット見てシコるだけの半ひきこもり状態の臥薪嘗胆の日々」
概要
春秋戦国時代、越という国と呉という国があり宿敵同士であった。紀元前6世紀末、呉の王は越との戦いの傷が元で死に、死ぬ際に息子の夫差に仇を討つことを托し死亡した。そこで夫差は自分の父が越に殺されたこととその復讐を忘れない為に
朝夕臥薪中、出入使人呼曰、「夫差而忘越人之殺而父邪。」
(朝も夕も悔しさを忘れないよう寝にくい薪で寝て、出入りする者には「夫差は越人が父を殺したのを忘れたのか?」とあいさつのごとく言わせた)
これが臥薪のほうである。(薪に臥す)
その後呉と越は再び戦い今度は呉が勝った。越王の勾践は捕まって夫差に命乞いをする羽目になった(これが会稽の恥の故事)が、呉の宰相に賄賂を贈ってなんとか命だけは助かった。助かった勾践はこの屈辱を忘れない為
懸胆於坐、臥即仰胆、嘗之曰、 「女、忘会稽之恥邪。」
(肝を架けて、寝る前や起きる時に舐めて苦い思いをし、会稽の恥を忘れるなとい聞かせた)
これが嘗胆である。(肝を嘗める)
その後呉と越は再び戦い今度は越が勝った。夫差は「伍子胥(自分の為に尽くしてくれた部下)に会わせる顔がねぇ」と言って自害した。
・・・という故事に由来する。
日本では三国干渉(日清戦争の結果清から割譲された領土の一部をドイツロシアフランスの三国がロシアを中心として領土を返還するよう干渉してきた事件)の際、干渉を受け入れて領土を返さざるを得なかった悔しさから、中心となったロシアに対していつか倒してやるということでこの四字熟語をスローガンに頑張ろうという動きがあった。10年後、日本は日露戦争で見事雪辱を果たすことになる。
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関連項目
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かひつ