朱しゅ熹(1130年ねん-1200年ねん四よん月がつ二に三さん號ごう),行ぎょう五ご十じゅう二に,小名しょうみょう沈郎,小字こあざ季き延のべ,字じ元もと晦みそ,一いち字じ仲なか晦みそ,號ごう晦みそ庵あん,晚ばん稱たたえ晦みそ翁おう,又また稱たたえ滄州病びょう叟、雲谷うんこく老人ろうじん,江西えにし婺源人ひと。佢係南みなみ宋そう時間じかん嗰理學がく家か,係かかり程ほど顥、程ほど頤嗰三傳弟子李侗嗰學生,拕尊為ため「朱子しゅし」,又また稱たたえ「朱しゅ文ぶん公こう」。