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蜷川幸雄さんの高齢者演劇集団に受けた衝撃「人生も年齢とともに輝く」世界で見た実践:朝日新聞GLOBE+
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蜷川にながわ幸雄ゆきおさんの高齢こうれいしゃ演劇えんげき集団しゅうだんけた衝撃しょうげき人生じんせい年齢ねんれいとともにかがやく」世界せかい実践じっせん

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蜷川幸雄さん(手前右)と「さいたまゴールド・シアター」のメンバーたち
蜷川にながわ幸雄ゆきおさん(手前てまえみぎ)と「さいたまゴールド・シアター」のメンバーたち=2006ねん11月、さいたま寺下てらした真理まり撮影さつえい

わたしがアートと高齢こうれいしゃかかわりに興味きょうみったのは、「さいたまゴールド・シアター」の舞台ぶたいれたのがきっかけだった。

演出えんしゅつ蜷川にながわ幸雄ゆきお2006とし芸術げいじゅつ監督かんとくつとめる「いろどりこくさいたま芸術げいじゅつ劇場げきじょう」で創設そうせつしたみつる55とし以上いじょう演劇えんげき集団しゅうだん。「年齢ねんれいかさねた人々ひとびとが、その個人こじんをベースに、身体しんたい表現ひょうげんという方法ほうほうによってあたらしい自分じぶん出会であう」じょうをと、ひろ参加さんかびかけた。どう劇場げきじょうゼネラルアドバイザーの渡辺わたなべひろし71)によると、蜷川にながわはネーミングの理由りゆうを「(クレジット)カードはランクががるとゴールドになるだろ?人間にんげんとしをとったら一段いちだんがって、人生じんせいかがやくべきなんだ」と、かたっていたという。

わたし観劇かんげきしたのは、海外かいがい公演こうえん成功せいこうし、評価ひょうかたかまっていた2014とし作品さくひん清水しみず邦夫くにおさくからす(からす)よ、おれたちは弾丸だんがん(たま)をこめる」だった。手製てせいばくだんげた青年せいねん2ひとさばかれている法廷ほうてい老婆ろうば乱入らんにゅう検事けんじ裁判官さいばんかんらに次々つぎつぎ死刑しけい宣告せんこくする物語ものがたりゆかにゴザをいて料理りょうりをし、洗濯せんたくぶつ彼女かのじょたちの「生活せいかつする身体しんたい」が、権力けんりょくおおくしていくすごみに圧倒あっとうされた。

その、メンバーを取材しゅざいする機会きかいにもめぐまれた。「だいさん人生じんせい出合であえた」「いまわたし青春せいしゅん」。「ふたた舞台ぶたいに」とのおもいでおもやまいえたとかたってくれたひともいた。

蜷川幸雄さん
蜷川にながわ幸雄ゆきおさん=2011ねん1がつ、さいたま岩崎いわさきひさし撮影さつえい

蜷川にながわ2016とし80とし死去しきょ。ゴールドはしばらく活動かつどうつづけたが、2021年末ねんまつ15年間ねんかん歴史れきしじた。

最後さいご舞台ぶたいは、太田おおた省吾しょうごさく沈黙ちんもくげきみずえき」(杉原すぎはら邦生くにお演出えんしゅつ)。いまこの瞬間しゅんかんと、かつてごした人生じんせいのあるぶしふたつのとき同時どうじきているような、ゴールドの俳優はいゆうたちの豊穣ほうじょう(ほうじょう)な身体しんたいわすれられない。

メンバーの高齢こうれいやコロナなど、劇場げきじょうがわ努力どりょくをもってしても活動かつどう継続けいぞくむずかしい状況じょうきょうがあったのをあたまでは理解りかいしていたつもりだ。一方いっぽうで、しんのどこかにモヤモヤがあった。それは、自分じぶんいたとき、「自分じぶん」をかんじられるなにかを突然とつぜんうしなうのではないかという不安ふあんだったのだとおもう。

この特集とくしゅうは、あれ以来いらいくすぶってきた不安ふあんに、機会きかいにもなった。

ゴールドとおなじように公演こうえん活動かつどうをベースとするえいサドラーズ・ウェルズ劇場げきじょうの「カンパニー・オブ・エルダーズ」は2019とし、これまで制限せいげんだった在籍ざいせき期間きかんに「5としせい」を導入どうにゅうした。

入団にゅうだん希望きぼうしゃとびらひら一方いっぽうもとメンバーがあつまるつき1かい活動かつどうあらたにもうけたという。「ここでの活動かつどうは、かれらの人生じんせい本当ほんとうおおきな部分ぶぶんめている。わたしたちは非常ひじょう注意深ちゅういぶかくあるべきです。かれらはいまも、わたしたちの劇場げきじょう一部いちぶ」と、どう劇場げきじょうのジョス・ジャイルズ創造そうぞう集団しゅうだんとしての活力かつりょくと、一人ひとりひとりを人間にんげんとして大切たいせつにする姿勢しせい。そのバランスのなか活動かつどうつづけようとする、模索もさくた。

人々ひとびとは、認知にんちしょうひとの『出来できない』ことに注目ちゅうもくしがちです。でも、自分じぶんではつたえられないだけ。そのひと奥底おくそこにはいまも、そのひと自身じしんがいます」。ナショナル・ミュージアムズ・リバプールのキャロル・ロジャース力強ちからづよ言葉ことばわすれられない。

取材しゅざいつうじて実感じっかんしたのは、なにかを表現ひょうげんし、創造そうぞうてきであること自体じたい限界げんかいはないということ。アートならば、1ほんゆびうごき、一筆いっぴついろに「わたし」を宿やどらせることができるということだ。障壁しょうへきがあれば、のぞいたり迂回うかい(うかい)したりする方法ほうほうをみんなでかんがえればいい。取材しゅざい出会であったひとたちが当然とうぜんのようにそうかんがえ、行動こうどうつづける姿すがたにずっとかかえてきた不安ふあんすこかるくなったがした。