メキシコの首都メキシコ市にある「Taquería El Califa de León(タケリア〈屋台〉・エル・カリファ・デ・レオン)」は、市内に1万1千軒近くもある登録タコス店の一つに過ぎなかった(非登録店は間違いなくもっと多い)。
創業60年近くの人気店で、とくにこの地域を活動拠点とする政治家たちがよく立ち寄っていた。しかし、あくまで地元の名店とでもいうべきタコスの屋台だった。
店内は狭く、客は身を寄せ合って立つしかない。支払いは現金のみ。メニューは牛肉3通りと豚肉の計4種類のタコスだけだ。肉を焼く熱で強烈に暑い。
そんな店のありさまが、2024年5月14日に一変した。高級料理店などの評価では世界で最も認められているミシュランガイドが、そのメキシコ版を初めて発表した日だ。
メキシコ国内で星1つ以上を与えられたのは18軒あった(訳注=星1つが16軒、星2つが2軒)。しかし、屋台はエル・カリファ・デ・レオンだけだった(世界的には、星をもらった屋台はいくつかある)。
以来、店はめちゃくちゃ忙しくなった。10分だった待ち時間は、長いと3時間に。近所の店が、行列をつくる人たちにいすを貸し出すようにもなった。客をさばくのに従業員を増やした。
世界中から観光客が押し寄せ、料理をしている写真をひっきりなしに撮るようになった。屋台の店主マリオ・エルナンデス・アロンソ(66)(以下エルナンデス)によると、売り上げは倍増した。
「本当にすばらしいね」とアルトゥーロ・リベラ・マルティネス(56)(以下リベラ)は笑った。この店で肉を焼く担当になってもう20年になる。
もちろんタコスはメキシコ料理を象徴する一品であり、とくに人口2300万の首都ではその感が強い。街角ごとにタコス店が一つはあるように思える。
それぞれの人に、それぞれのひいきの屋台がある。自分が住む近所の屋台、職場に近い屋台、みんなが大好きな豚の串焼きスライスのタコス(訳注=メキシコ市などが発祥の地とされる)を出す屋台、24時間営業の屋台……。
「タコスは、メキシコ市では――というか、あえていわせてもらえば、国中で宗教にも等しくなっている」とロドルフォ・バレンティノ(31)は表現する。エルカリファ・デ・レオンの隣の洋服店を一家で経営し、ミシュランの星が降ってきてからの周辺の変わりぶりをつぶさに見てきた。「だから、ここのタコスが認められたってことは重要なんだ」
「メキシコの屋台にミシュランの星が与えられたことは、テーブルクロスをかけたテーブルが並び、有名なシェフがいるようなしっかりした店構えの最高級の店を持てなくても、だれにでもチャンスがあることを示している」と店主のエルナンデスはいう。そして、「ミシュランに選ばれるようなちゃんとしたレストランより、タコスをうんと安く楽しめる」といい添えた。
とはいえ、エル・カリファ・デ・レオンのタコスの値段は、ほかの屋台と比べればかなり高い。普通なら、うんと安ければ60セント(1ドル=157円換算で94円余)で済むが、エルナンデスが売るタコスは最も安いもの(ステーキ)で約3ドル(471円)もする。最も高いポークチョップ、もしくは牛のバラ肉だと、5ドル(785円)にもなる。
ただし、肉は大きなこぶしほどもあり、品質もより上等だとエルナンデスは強調し、客の何人かもこれに同意する。「もし、これが本当でなかったら、自分の両手を火であぶってもいいよ」とまでいい切った。
エルナンデスは、闘牛の世界にかかわりながら肉屋をしていた父親から肉の複雑さを教わった。その縁で、闘牛士や牧場主とも親しくなった。
両親はメキシコ市でレストランを開いたあと、1968年にこのタコス屋台を始めた。
店名は、有名なメキシコ人の闘牛士ロドルフォ・ガオナ(訳注=1905年から20年ほど、主にスペイン・マドリードで活躍。1975年にメキシコ市で死去)に由来している。その愛称が、出生地のメキシコ中部の都市名を冠した「エル・カリファ・デ・レオン(レオンのカリフ)」だった(訳注=「カリフ」はイスラム教の最高指導者の称号。スペインがあるイベリア半島にはイスラム王国が中世にあった)。そして、ガオナはエルナンデスの父親と親しかった。
エルナンデスによると、この屋台の代名詞ともいえるタコス「gaonera(ガオネラ)」は、父親がガオナのために薄いヒレステーキを用意したことにちなんだメニューだという。
父親の調理法は、そんじょそこらのタコス店とはちょっと違った。肉を焼いているときに油をかけるのではなく、先にラードに漬け込んでいた。それに、焼き終わってからではなく、焼きながらライムの汁をタップリとかけ、塩を振っていた。今でも、肉はすべてそうして調理しているとエルナンデスは話す。
このガオネラタコスについて、ミシュランガイドは「ほかに例を見ないほどすばらしい」とし、「達人の料理そのものだ」とたたえている。これと焼きたてのコーントルティーヤとの組み合わせが、「完全無欠」と評価する。
「このレベルの肉とトルティーヤ」があれば、自家製のサルサソースは「ほとんど不要になる」とミシュランは続ける。それでも、客は青唐辛子(セラーノ・ペッパー)や赤唐辛子(パシーヤ、ワヒーヨ、アルボルなどの種類がある)の調味料に手を伸ばす。
肉のグリル担当のリベラは、ミシュランの星の何たるかは知らなかった。そこにこのガイドブックの出版元の関係者がやってきて、うれしい知らせとともにメキシコ市で開かれる記念式典への招待を伝えてくれた。
リベラは正式に調理や食文化を学んだことはなかった。そもそも、このエル・カリファ・デ・レオンのグリル担当が初めての調理の仕事だった。にもかかわらず、ミシュランの星を獲得した料理人に贈られる白いシェフコートを手にすることができた。今では客から自撮りに一緒に納まるようせがまれ、肉を焼くときは畏敬(いけい)の視線が注がれる。
「そりゃあ、気分はいいよ。こんなに評価されたことなんてなかったんだから」と笑みをもらす。「『シェフ』ってレストランにいるもんだけど、自分はここで働いていて、それをとても誇りに思っている」とリベラ。それにしてもミシュランの星は「信じられないほどすごい。つまるところ、ここは屋台でタコスも極めてシンプルなのに、こんな栄誉を得られたんだから」と目を丸くしてみせた。
一方で一部の批評家は、もっと人気の店もあるのに、なぜこの屋台が星をもらえたのか、と首をかしげた。食事についてのレビューを出しているSNSインフルエンサーの一人は、「値段がめちゃ高い。それに、出てくる肉だってかみ切れないし、味気ない」と酷評した。
でも、ほかの多くの客は異なる印象を持っている。もしくは、少なくとも食べてみようと行列に並ぶ。
「ここは、伝説的な屋台になるね」とメキシコ市に住むマウリシオ・アルバ(58)はいった。ミシュランの発表をオンラインの生中継で見て、この店に行くことを決めていた。数日前に、友人と一緒に並ぶこと2時間。「味って複雑で、好きか嫌いかは分かれる。でも、理由があってこうして評価されたんだから、ここに来ておいを兼ねてスタッフを応援する価値があるよ」
屋台の前の狭い歩道は、人がビッシリと詰めかけ、活気に満ちていた。こんなに大勢になると、営業妨害だと苦情を申し立ててくる近隣の店もある。
しかし、この環境の変化に慣れた店も多い。順番待ちの行列を相手にした飲み物商売。屋台の隣にあるバレンティノ一家の洋服店は、男物の下着やシャツ、マネキンの間にいくつかテーブル席を設けてタコスを食べさせている。
アイリーン・ソスニッキ(38)とエリカ・マホン(39)は2024年5月下旬に米シカゴから空路やってくると、この屋台に来て75分待った。二人は前にメキシコ市を訪れたときに、やはりミシュランの星を取った高級料理店の何軒かで食事をしている。でも、星がついたタコスの屋台があると知って、ぜひとも試したくなった。
「まあ、話半分ってところだろうか」とマホン。「食べてみての感想って、さまざまなレベルがある。このタコス屋台では独自の体験ができるし、独特の雰囲気がある。レストランの体験はここのとはまた違う。どちらがいいとか悪いとかはないけど、人それぞれに一家言があるかもしれない」
行列は国際色豊かだった。欧州からは英国やドイツの人がいた。中米・カリブ海からはニカラグアやホンジュラス、ドミニカ共和国の人が来ていた。(抄訳、敬称略)
(James Wagner)©2024 The New York Times
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