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あゝ野麦峠 新緑篇 - Wikipedia

あゝ野麦峠のむぎとうげ 新緑しんりょくへん

1982ねん山本やまもと薩夫監督かんとくによる映画えいが

あゝ野麦峠のむぎとうげ 新緑しんりょくへん』(ああのむぎとうげ しんりょくへん)は、1982ねん製作せいさく日本にっぽん映画えいが前作ぜんさくあゝ野麦峠のむぎとうげ』の興行こうぎょうてき成功せいこうけての続編ぞくへん製作せいさくしん日本にっぽん映画えいがから東宝とうほう映画えいがわったが、山本やまもと薩夫東宝とうほう本体ほんたい東宝とうほう映画えいがきぬた撮影さつえいしょ拠点きょてん東宝とうほう100%子会社こがいしゃ。1972ねん以降いこう本体ほんたい直接ちょくせつ製作せいさくおこなっていないため、同社どうしゃ東宝とうほう映像えいぞう作品さくひん事実じじつじょう本体ほんたい製作せいさくじゅんずる)で映画えいがるのは、『戦争せんそう平和へいわ以来いらい35ねんぶりのことで話題わだいになった。ただ興行こうぎょう成績せいせき前作ぜんさくとおおよばなかった。

あゝ野麦峠のむぎとうげ 新緑しんりょくへん
監督かんとく 山本やまもと薩夫
脚本きゃくほん 山内やまうちひさ
製作せいさく 馬場ばば和夫かずお
山岸やまぎし豊吉とよきち
宮古みやことく
出演しゅつえんしゃ 三原みはら順子じゅんこ
岡田おかだ奈々なな
中井なかい貴惠きえ
江藤えとうじゅん
音楽おんがく 佐藤さとうまさる
撮影さつえい 小林こばやし節雄せつお
編集へんしゅう 鍋島なべしまあつし
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1982ねん2がつ6にち
上映じょうえい時間じかん 136ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
前作ぜんさく あゝ野麦峠のむぎとうげ
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上映じょうえいデータ

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公開こうかい
上映じょうえい時間じかん
1982ねん昭和しょうわ57ねん 2がつ16にち 日本にっぽん 136ふん
サイズ カラー ビスタビジョン
製作せいさく 馬場ばば和夫かずお山岸やまぎし豊吉とよきち宮古みやことく
協力きょうりょく製作せいさく 針生はりゅうひろし
原作げんさく 山本やまもと茂実しげみ
脚本きゃくほん 山内やまうちひさ
監督かんとく補佐ほさ 後藤ごとう俊夫としお
音楽おんがく 佐藤さとうまさる
撮影さつえい 小林こばやし節雄せつお
美術びじゅつ 間野まの重雄しげお
録音ろくおん 田中たなか信行のぶゆき
照明しょうめい あわ木原きはらあつし
編集へんしゅう 鍋島なべしまあつし
チーフ助監督じょかんとく 西川にしかわ常三郎つねさぶろう
スチール 吉崎よしざき松雄まつお
監督かんとく 山本やまもと薩夫
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう映画えいが
配給はいきゅう 東宝とうほう

製作せいさく

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前作ぜんさく予想よそうがい大当おおあたりで、しん日本にっぽん映画えいが持丸もちまるひろし社長しゃちょうも、続編ぞくへんもやろうではないかとで、製作せいさく正式せいしき決定けってい[1]公表こうひょうはされなかったが、内々うちうち準備じゅんびすすめ、山本やまもと薩夫監督かんとくにもこえをかけ、キャスティングとう、ある程度ていどすすんでいた[1]

内容ないよう前作ぜんさく明治めいじ時代じだい末期まっきだったのにたいして、続編ぞくへん大正たいしょう末期まっきから昭和しょうわ初期しょきにかけて信州しんしゅう岡谷おかやきた「山一やまいち争議そうぎ」を中心ちゅうしんすすめようとしていた[1]山本やまもと監督かんとくも「女工じょこうあい」を1ほん映画えいがえがくのはむずかしいとはなしていたことから、続編ぞくへん製作せいさく当然とうぜんといえた[1]。ところが製作せいさく決定けっていから2ヵ月かげつったところで持丸もちまるきゅう製作せいさくをストップさせ、中止ちゅうし正式せいしき決定けっていした[1]。その理由りゆうをはっきりとは公表こうひょうされなかったが、内部ないぶ情報じょうほうによれば、持丸もちまるが「興味きょうみがなくなった」とっていたといわれる[1]いわ因縁いんねんのあったまぼろし企画きかく実現じつげんさせたエネルギーはもうなく、「商売しょうばいにならない」とんだのではと映画えいが関係かんけいしゃていた[1]東宝とうほう映画えいがとしても自社じしゃきの映画えいがで、わたりにふねとばかり、製作せいさく担当たんとうすることになり、東宝とうほう番線ばんせん映画えいがとなった[1]

製作せいさく決定けっていに「前作ぜんさくより女優じょゆうじんをガラリとえ、舞台ぶたい明治めいじから昭和しょうわ初期しょきうつし、"おんな自立じりつ映画えいが"になる予定よてい」と公表こうひょうされた[2]製作せいさく会社かいしゃかわったが、前述ぜんじゅつのように当初とうしょから予定よていしていた「山一やまいち争議そうぎ」をあつか内容ないようになった[1]しん日本にっぽん映画えいがわりに『南十字星みなみじゅうじせい』を製作せいさくしている[1]

ビデオソフト・テレビ放送ほうそう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 高橋たかはし英一ひでかず西沢にしざわ正史せいし脇田わきたたくみ彦、黒井くろい和男かずお映画えいが・トピック・ジャーナル 『あゝ野麦峠のむぎとうげ新緑しんりょくへん』スタート」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1981ねん10がつ上旬じょうじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、176–177ぺーじ 
  2. ^ 邦画ほうがニュース」『シティロード』1981ねん10がつごう、エコー企画きかく、23ぺーじ 
  3. ^ アトリエうたまる 日本語にほんご吹替ばんデータベース

外部がいぶリンク

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