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アイダホ (戦艦) - Wikipedia

アイダホ (USS Idaho, BB-42) は、アメリカ海軍かいぐん戦艦せんかんニューメキシコきゅうの3ばんかんかんめいアイダホしゅうにちなむ。このかんとしては4せき

アイダホ (BB-42)
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ ニューヨーク造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
かんしゅ 戦艦せんかん
きゅうめい ニューメキシコきゅう戦艦せんかん
かんれき
起工きこう 1915ねん4がつ5にち
進水しんすい 1917ねん6がつ30にち
就役しゅうえき 1919ねん3がつ24にち
退役たいえき 1946ねん7がつ3にち
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 33,400トン
満載まんさい排水はいすいりょう 36,000トン
全長ぜんちょう 190.20 m
最大さいだいはば 32.39 m
吃水きっすい 9.44 m
速力そくりょく 21ノット (39 km/h)
乗員じょういん
士官しかん
55めい
兵員へいいん
1,026めい
へいそう
  • 50口径こうけい35.6 cmほう:12もん
  • 38口径こうけい12.7cmほう:10もん
  • 56口径こうけい40 mmたい空砲くうほう:40もん
  • 70口径こうけい20 mmたい空砲くうほう:40もん
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かんれき

編集へんしゅう

「アイダホ」は1915ねん4がつ5にちニュージャージーしゅうカムデンニューヨーク造船ぞうせんしょ起工きこうされ、1917ねん6がつ30にちにH・A・リモンズ夫人ふじんアイダホしゅう知事ちじ孫娘まごむすめ)により命名めいめい進水しんすいし、1919ねん3がつ24にち初代しょだい艦長かんちょうC・T・ヴォーゲルゲザング大佐たいさ指揮しき就役しゅうえきした。

「アイダホ」は4がつ13にちグアンタナモわんおき整調せいちょう訓練くんれんおこなった。そのニューヨークにもどり、ブラジル大統領だいとうりょうエピタシオ・ペッソア乗船じょうせんさせリオデジャネイロかった。7月6にち護衛ごえいかんわかれ、7がつ17にちにリオデジャネイロに到着とうちゃく。そのパナマ運河うんがかい、カリフォルニアしゅうモントレー到着とうちゃく。9月に太平洋艦隊たいへいようかんたいくわわった。「アイダホ」はいしゆみきゅう戦艦せんかんとも艦隊かんたい演習えんしゅうおこない、9月13にちにはウッドロウ・ウィルソン大統領だいとうりょうの閲艦をけた。1920ねんには海軍かいぐん長官ちょうかんジョセファス・ダニエルズ内務ないむ長官ちょうかんフランクリン・K・レーンジョン・B・ペインのいずれかはっきりしない)をせ、アラスカの視察しさつ旅行りょこうかった。

「アイダホ」はアラスカから1920ねん7がつ22にち帰還きかんし、そのカリフォルニア海岸かいがんおよびチリ南部なんぶ艦隊かんたい演習えんしゅうおこなった。1925ねんまで幾度いくどとなく演習えんしゅうおこない、そのあいだ西海岸にしかいがんでの多数たすう式典しきてん参加さんかした。「アイダホ」は1923ねんにシアトルで、ウォレン・ハーディング大統領だいとうりょう直前ちょくぜんった閲艦しき参加さんかしている。1925ねん4がつ15にちにハワイにけて出航しゅっこうし、7がつ1にちまで艦隊かんたい演習えんしゅうおこなったのち、サモア、オーストラリア、ニュージーランドを訪問ほうもんした。巡航じゅんこうから帰還きかんするあいだに、ハワイへかおうとしていた海軍かいぐん飛行ひこうジョン・ロジャースかれ水上すいじょうおよびクルーをせ、サンフランシスコに9月24にち到着とうちゃくした。

つづく6ねんにわたって、「アイダホ」はカリフォルニアしゅうサンペドロわん拠点きょてんとし、カリフォルニアおきカリブ海かりぶかい演習えんしゅうおこなった。1931ねん9がつ7にちにサンペドロわん出航しゅっこうして東海岸ひがしかいがんかい、9月30にちノーフォーク海軍かいぐん工廠こうしょうはいりし近代きんだい改修かいしゅう着手ちゃくしゅした。装甲そうこう強化きょうかたいせん防御ぼうぎょ区画くかく新型しんがた機材きざいおよ三脚さんきゃくマストが装備そうびされ、改修かいしゅうは1934ねん10がつ9にち完了かんりょうカリブ海かりぶかい整調せいちょう訓練くんれんおこなったのち母港ぼこうのサンペドロへ1935ねん4がつ17にちもどった。


「アイダホ」はデヨ少将しょうしょうひきいるかんほう支援しえんグループおよびだい4砲撃ほうげき部隊ぶたい旗艦きかんとして1945ねん3がつ21にち出航しゅっこうした。3月25にち沖縄おきなわ本島ほんとうおき到着とうちゃくし、日本にっぽんぐん沿岸えんがん砲台ほうだいおよ施設しせつへのかんほう射撃しゃげき開始かいしした。沖縄おきなわ本島ほんとうへの上陸じょうりくは4がつ1にちはじまり、日本にっぽんぐん特攻とっこうによる絶望ぜつぼうてき反撃はんげきこころみた。「アイダホ」は多数たすう日本にっぽん軍機ぐんき撃墜げきついした。4月12にち集中しゅうちゅうてき攻撃こうげきおこなわれ、「アイダホ」は5特攻とっこう撃墜げきついしたものの、みずからも損傷そんしょうこうむった。応急おうきゅう修理しゅうりのち4がつ20日はつか戦場せんじょうはなれ5にちにグアムに到着とうちゃくした。

「アイダホ」は修理しゅうりえ、火力かりょく支援しえん再開さいかいのため5がつ22にち沖縄おきなわ本島ほんとうおきもどった。そこに6がつ20日はつかまでまり、そのレイテわん戦闘せんとう演習えんしゅうおこない8がつ15にち終戦しゅうせんむかえた。

「アイダホ」は占領せんりょう部隊ぶたい一部いちぶとして8がつ27にち東京とうきょうわん入港にゅうこうした。9月2にちには戦艦せんかんミズーリ艦上かんじょうおこなわれた降伏ごうぶく調印ちょういん式典しきてん参加さんかした。4にち帰国きこくについた。パナマ運河うんが経由けいゆし、ノーフォークには10月16にち到着とうちゃくした。「アイダホ」は1946ねん7がつ3にち退役たいえきし、予備よびやく艦隊かんたい保管ほかんされた。1947ねん11月24にちにニューヨークのリプセットしゃにスクラップとして売却ばいきゃくされた。

「アイダホ」はだい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうにより7従軍じゅうぐん星章せいしょう受章じゅしょうした。

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