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戦艦 - Wikipedia

戦艦せんかん

軍艦ぐんかんかんしゅひとつで、軍艦ぐんかんなかではもっと強力きょうりょくかんほう堅牢けんろう装甲そうこうそなえる

戦艦せんかん(せんかん、えい: battleship)とは、軍艦ぐんかんかんしゅひとつで、だい規模きぼ砲撃ほうげきせん強力きょうりょく相手あいてつことを目的もくてき設計せっけいされ、軍艦ぐんかんなかでももっと強力きょうりょくかんほう堅牢けんろう装甲そうこうつ。

ニューヨークきゅう戦艦せんかんテキサス (BB-35)

砲撃ほうげきせん主体しゅたいだい規模きぼ海戦かいせん勝敗しょうはい戦争せんそう帰趨きすうめた時代じだい主力しゅりょくかんつとめるために19世紀せいきまつ誕生たんじょうし、20世紀せいきなかばまで列強れっきょうこくきそって建造けんぞうされた。

だい世界せかい大戦たいせんころまでは、各国かっこく軍事ぐんじりょく象徴しょうちょうてき存在そんざいであり、世界せかいのパワーバランスを左右さゆうする戦略せんりゃく兵器へいきなされた。

しかしだい世界せかい大戦たいせんでは航空こうくう戦力せんりょく優位ゆういせい実証じっしょうされ、艦隊かんたい主役しゅやく大型おおがた航空こうくう母艦ぼかんゆずった。だい世界せかい大戦たいせんは、戦艦せんかん運用うんよう機会きかい存在そんざい意義いぎ自体じたいうしなわれてしまい、実戦じっせん投入とうにゅうされた戦争せんそうも1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうアメリカ海軍かいぐんアイオワきゅう戦艦せんかん投入とうにゅうした以降いこうなく、2006ねんまでに戦艦せんかん呼称こしょうされるかんすべ退役たいえき除籍じょせきみで運用うんようするくにはない。

概要がいよう 編集へんしゅう

 
1984ねん撮影さつえいされた、主砲しゅほう斉射せいしゃ披露ひろうするアメリカ海軍かいぐん戦艦せんかんアイオワ[注釈ちゅうしゃく 1]
 
史上しじょう最大さいだい戦艦せんかん大和やまと宿毛湾すくもわんおき標柱ひょうちゅうあいだおおやけためしちゅう、1941ねん昭和しょうわ16ねん)10がつ30にち撮影さつえい

軍艦ぐんかんかんしゅとしての戦艦せんかんは、その強力きょうりょく主砲しゅほう火力かりょくによる攻撃こうげきりょく堅牢けんろう防御ぼうぎょりょくにより、敵艦てきかんせん撃滅げきめつおも任務にんむとした。多数たすうだい口径こうけいほう搭載とうさいし、また基本きほんてきには自艦じかん最大さいだい口径こうけい砲弾ほうだん命中めいちゅうしてもえる装甲そうこう装備そうびした。そのためきわめて大型おおがたとなり、だい世界せかい大戦たいせんまでは、めぐよう戦艦せんかん大型おおがた航空こうくう母艦ぼかんなら最大さいだい軍艦ぐんかんだった。

戦艦せんかんは、高価こうかかつ当時とうじ先端せんたん技術ぎじゅつ結集けっしゅうした兵器へいきであるため、戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかんといった主力しゅりょくかんだい規模きぼ艦隊かんたい編成へんせいして維持いじするくには、ゆたかで科学かがくりょくすぐれた列強れっきょうくにかぎられた。戦艦せんかん出現しゅつげんした19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいきなかばにかけては、戦艦せんかん保有ほゆう隻数せきすうなどが国力こくりょくシンボルとされ、政治せいじ外交がいこう局面きょくめんでも重視じゅうしされた。よりだい口径こうけいほうそなえた、強力きょうりょく戦艦せんかんくに有利ゆうりとする当時とうじ各国かっこく海軍かいぐん戦術せんじゅつ思想しそう大艦だいかんきょほう主義しゅぎという。

しかしだい世界せかい大戦たいせんにおいては、タラント空襲くうしゅう真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきマレーおき海戦かいせんなど航空機こうくうき戦艦せんかん撃破げきはした事例じれいかさなり、大艦だいかんきょほう主義しゅぎ終焉しゅうえん航空機こうくうき重要じゅうようせい実証じっしょうされた。これにともない海軍かいぐん主力しゅりょくかん大型おおがた航空こうくう母艦ぼかん移行いこうし、戦艦せんかん決戦けっせん兵器へいきとしてのうしなった。だい大戦たいせんにおいては、しん兵器へいきであるミサイルかんほうわる存在そんざいとなるとさらにその価値かちそこなった。東西とうざい冷戦れいせんにはだい規模きぼ艦隊かんたい同士どうし海戦かいせんなどもなく、もはや過去かこ存在そんざいとなった戦艦せんかんは、各国かっこくとも順次じゅんじ退役たいえきし、除籍じょせきされていった。

現在げんざいでは、本格ほんかくてき戦艦せんかん現役げんえきかんとして運用うんようするくにはない[注釈ちゅうしゃく 2]。しかしアメリカ、イギリス、日本にっぽんなどでは、かつて活躍かつやくした戦艦せんかん記念きねんかんや、記念きねん施設しせつとして保存ほぞんされ、かつての栄光えいこういまつたえている。

歴史れきし 編集へんしゅう

概説がいせつ 編集へんしゅう

戦艦せんかん登場とうじょうする以前いぜん海戦かいせんにおいて主力しゅりょくかんとしての地位ちいめたのは、17世紀せいき出現しゅつげんした木造もくぞう戦列せんれつかんship of the line)で、舷側げんそく多数たすう大砲たいほう舷側げんそくほう)を搭載とうさいし、18世紀せいきなかばには60もんえるほうを3そう甲板かんぱんそなえた(なおうえ甲板かんぱん帆走はんそうのためのそうめた)。戦列せんれつかん艦隊かんたいたん縦陣じゅうじん戦列せんれつつく敵艦てきかん砲火ほうかびせた。当時とうじ海戦かいせんでは砲撃ほうげきによって沈没ちんぼついたることはすくなく、砲撃ほうげきたい航行こうこう戦闘せんとう能力のうりょくうばったのち捕獲ほかくするのが一般いっぱんてきだった。

19世紀せいきになって、大砲たいほうおよび炸裂さくれつだん威力いりょく向上こうじょうすると、ひろ舷側げんそく戦列せんれつかん多数たすうてき砲火ほうかび、脆弱ぜいじゃくせい無視むしできなくなった。1853ねんからはじまったクリミア戦争せんそうでは、てきからの炸裂さくれつだん舷側げんそく命中めいちゅうすると破壊はかいされた木材もくざい破片はへん艦内かんないひろり、戦闘せんとういん死傷ししょう相次あいつぐことが問題もんだいとなった。

 
戦艦せんかん始祖しそとされる世界せかいはつ装甲そうこうかんグロワール

そこで戦列せんれつかんより小型こがたで、いぬいふなばたひくフリゲート舷側げんそく装甲そうこう防御ぼうぎょほどこした装甲そうこうかん[注釈ちゅうしゃく 3]きのえてつかん考案こうあんされた。

フランスでは戦艦せんかん始祖しそとされる装甲そうこうかんグロワール」(Gloire)がこれにもとづき誕生たんじょうした(1859ねん進水しんすい)。このかんは、木造もくぞう船体せんたい舷側げんそくさいあつ119 mmの装甲そうこう装着そうちゃくし、舷側げんそくに16cmほう30もん装備そうびした兼用けんようかんである。

イギリスはこれに対抗たいこうし、1860ねん鉄製てつせい船体せんたいつ「ウォーリア」(Warrior)を進水しんすいした。このかん以降いこう装甲そうこうかん徐々じょじょに、汽走専用せんよう船体せんたい大型おおがた大砲たいほう大型おおがた舷側げんそくほうから甲板かんぱんじょう砲塔ほうとうしきへの移行いこう装甲そうこう強化きょうかすすみ、のち戦艦せんかん発展はってんする。

1886ねん竣工しゅんこうしたイギリスのコロッサスきゅう装甲そうこうかんこう装填そうてんしき連装れんそう30.5cmほう2けい4もん)と鋼鉄こうてつせい船体せんたいつ。こう装填そうてんしきほどこせじょうほうにより砲撃ほうげき威力いりょく命中めいちゅう精度せいど向上こうじょうした。

1892ねん竣工しゅんこうしたイギリスの「ロイヤル・サブリンきゅう戦艦せんかん」(Royal Sovereign)がたは、中心ちゅうしんせんじょう船体せんたい前後ぜんご砲塔ほうとう一基いっきずつをち、連装れんそう34.3cmほうけい4もん主砲しゅほう左右さゆうりょうふなばた支障ししょうなく指向しこうできた。またさいあつ457 mmの装甲そうこう舷側げんそく水線すいせん装着そうちゃくし、しのげなみせいすぐれたこういぬいふなばたち、近代きんだい戦艦せんかんのはじめとされる。

 
ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん基準きじゅんとなったマジェスティック

1895ねん竣工しゅんこうしたイギリスの「マジェスティック」(Majestic)がたは、2連装れんそう砲塔ほうとう全面ぜんめん装甲そうこうしきとし、強靭きょうじん軽量けいりょうハーヴェイ・ニッケルこう装甲そうこう採用さいようし、舷側げんそくちゅう甲板かんぱんたかさまで装甲そうこうおおった。従来じゅうらいよりもすぐれた貫通かんつうりょくつ30.5cm連装れんそうほう主砲しゅほう採用さいようした(BL 12 inch Mk VIII naval gun発射はっしゃやく改良かいりょうコルダイト)によりほう強力きょうりょく小型こがたされた)。

以後いご、これが、近代きんだい戦艦せんかん基本きほん形態けいたいとされ(ただしのちいしゆみきゅう戦艦せんかん出現しゅつげん以降いこうぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんばれた)、強国きょうこくでは多数たすう近代きんだい戦艦せんかんをそろえた艦隊かんたいつくるようになった。また、おおくの海軍かいぐんこくで、戦艦せんかんの「定義ていぎ」を、暗黙あんもくながら、

  1. 建造けんぞう開発かいはつ製造せいぞう可能かのう最大さいだい大砲たいほう主砲しゅほう)を搭載とうさいしている
  2. 自艦じかん搭載とうさいした主砲しゅほうだん被弾ひだんえられる装甲そうこうゆうしている

かんがえるようになった。しかしのち政治せいじてき事情じじょう金銭きんせんてき環境かんきょうてき事情じじょうからこれにてはまらないかんもあった。

戦艦せんかん初期しょき戦術せんじゅつ近距離きんきょりせんであり、近距離きんきょりせんてきした多数たすうふくほう敵艦てきかん上部じょうぶ構造こうぞう榴弾りゅうだんびせ戦闘せんとうりょくうばいつつ、発射はっしゃ速度そくどおと主砲しゅほうはそのあいだ水平すいへい射撃しゃげき舷側げんそく水線すいせん装甲そうこう実体じったいだんとおるかぶと榴弾りゅうだんだい浸水しんすい沈没ちんぼつをもたらす戦術せんじゅつであった。しかし戦艦せんかん装甲そうこう進歩しんぽとおるきのえだん貫通かんつうせい進歩しんぽおとらなかったため、主砲しゅほうだん命中めいちゅうしても貫通かんつうゆるさないことがおおかった。

その主砲しゅほう発射はっしゃ速度そくど遠距離えんきょり砲撃ほうげき能力のうりょく向上こうじょうすすめられ、ゆうそく艦隊かんたいたん縦陣じゅうじんむことにより、遠距離えんきょりから短時間たんじかん多数たすう主砲しゅほうだん敵艦てきかん命中めいちゅうさせることが可能かのうとなった。

にち戦争せんそう鋼鉄こうてつかん同士どうしによるはじめての本格ほんかくてき海戦かいせんがほぼ遠距離えんきょりせんおこなわれた。最大さいだい海戦かいせんだった日本海にほんかい海戦かいせんでは優位ゆうい位置いちめてなみこうした日本にっぽん海軍かいぐん戦艦せんかん遠距離えんきょりせんによるはげしい砲撃ほうげきせん開始かいし直後ちょくごから多数たすう主砲しゅほうだんをロシア戦艦せんかん命中めいちゅうさせた。ロシア戦艦せんかん舷側げんそく水線すいせんかれ予測よそくはん浸水しんすいによる沈没ちんぼつ相次あいついだが、日本にっぽん海軍かいぐん戦艦せんかん多数たすう被弾ひだんえた。くわえて、日本にっぽん海軍かいぐん戦艦せんかん主砲しゅほう遠距離えんきょりからわせて榴弾りゅうだん射撃しゃげき敵艦てきかん上部じょうぶ構造こうぞう破壊はかい急速きゅうそく無力むりょくする戦術せんじゅつ採用さいようした。沈没ちんぼつまぬかれたロシア戦艦せんかん戦闘せんとうりょく喪失そうしつしており最終さいしゅうてきすべ降伏ごうぶくした。

列強れっきょうにち戦争せんそうせんくんれ、遠距離えんきょりせん想定そうていし、主砲しゅほう攻撃こうげきりょく重視じゅうしする戦艦せんかん改良かいりょうはかった。このせんくんもっとはやれた英国えいこくは、従来じゅうらいかんばい以上いじょう主砲しゅほうかたふなばた指向しこうできる戦艦せんかんドレッドノート(Dreadnought)を日本海にほんかい海戦かいせん翌年よくねん竣工しゅんこうさせた。この戦艦せんかん従来じゅうらいどう規模きぼ戦艦せんかんくらべて、高速こうそく航行こうこう可能かのうで2ばい以上いじょう火力かりょくそなえるため海戦かいせんにおいて有利ゆうりとなり、それまでの世界せかいすべての戦艦せんかん一挙いっきょ旧式きゅうしきした。 そのため、これ以前いぜん戦艦せんかん計画けいかく建造けんぞうちゅう竣工しゅんこう就役しゅうえき直後ちょくご戦艦せんかんふくむ)をぜん弩級艦どきゅうかんどう程度ていど性能せいのうゆうする戦艦せんかん弩級艦どきゅうかんとして区別くべつする。ここでいう「いしゆみ」とは、ドレッドノートの頭文字かしらもじである。

また戦艦せんかんドレッドノート登場とうじょう直後ちょくごに、おな英国えいこくでは、戦艦せんかんみの火力かりょくと、巡洋艦じゅんようかんみの速度そくどをあわせもつかんとして、めぐよう戦艦せんかん登場とうじょうした。このイギリスのじゅんよう戦艦せんかんは、概念がいねん任務にんむとしてはほぼ巡洋艦じゅんようかんのままであり、戦艦せんかんきゅう装甲そうこう防御ぼうぎょりょくたなかった。これにたいし、ドイツで対抗たいこうして建造けんぞうされためぐよう戦艦せんかんは、きょほう搭載とうさい追求ついきゅうしないわりに、装甲そうこう防御ぼうぎょりょく重視じゅうしし、イギリスのじゅんよう戦艦せんかんたいとの交戦こうせんにも有利ゆうりとなるように設計せっけいされた。

だいいち大戦たいせんになると、砲弾ほうだんてっかぶと性能せいのう向上こうじょうおよびさらに遠距離えんきょり砲撃ほうげきによるだい落下らっかかく射撃しゃげき[注釈ちゅうしゃく 4]と、短時間たんじかん多数たすうとおるかぶと榴弾りゅうだん砲撃ほうげきおこない、敵艦てきかん水平すいへい防御ぼうぎょ内部ないぶ爆発ばくはつさせる戦術せんじゅつ発達はったつした。対策たいさくとして砲塔ほうとうおよび甲板かんぱん全体ぜんたいにわたるあつ水平すいへい防御ぼうぎょ必要ひつようとなった。

だいいち大戦たいせん最大さいだい海戦かいせんであるユトランドおき海戦かいせんにおいては、えいどく両国りょうこく高速こうそくじゅんよう戦艦せんかんたい同士どうしはげしいげきいとなったが、主力しゅりょくであるいしゆみきゅう戦艦せんかんたい戦場せんじょうへの急行きゅうこうおく気味ぎみとなり全力ぜんりょくげての決戦けっせんにはいたらなかった。くわえて、砲塔ほうとうなどバイタルパート装甲そうこう貫徹かんてつされたイギリスのじゅんよう戦艦せんかんが、たま火薬かやく誘爆ゆうばく轟沈ごうちんする事例じれい相次あいついだ。

このユトランドおき海戦かいせんせんくんは、「戦艦せんかん速度そくど不足ふそくし、めぐよう戦艦せんかん防御ぼうぎょりょく不足ふそくしている」と認識にんしきされた。以降いこう建造けんぞうされた戦艦せんかん高速こうそく航続こうぞく性能せいのう向上こうじょうされ、めぐよう戦艦せんかん防御ぼうぎょりょく当初とうしょより大幅おおはば向上こうじょうし、やがて両者りょうしゃ区別くべつがつかないまでに発展はってんしていく。そのような戦艦せんかん防御ぼうぎょりょくめぐよう戦艦せんかん速度そくどそなえようとしたかんを、「高速こうそく戦艦せんかん」(ポスト・ジャトランドがた)とぶ。

しかし加熱かねつするけんかん競争きょうそうによってきたぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんいしゆみきゅう戦艦せんかんめぐよう戦艦せんかん高速こうそく戦艦せんかんというまぐるしい軍艦ぐんかん発達はったつについてきたられるくにすくなくなっていった。だいいち世界せかい大戦たいせんよりのち新造しんぞう戦艦せんかん就役しゅうえきさせることができたのは、アメリカ、日本にっぽん、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアだけだった。

より大型おおがたに、より高性能こうせいのうになっていく戦艦せんかんは、建造けんぞう高騰こうとうしていき、もともと砲撃ほうげきせんとくしているがゆえ汎用はんようせいけ、戦艦せんかん同士どうし戦闘せんとう以外いがい容易ようい投入とうにゅう出来できず、融通ゆうずうのきかない使つか勝手がってわるかんになっていった。機雷きらい魚雷ぎょらい(を搭載とうさいする水雷すいらいてい駆逐くちくかん)、そして潜水せんすいかんというより安価あんか兵器へいきが、次第しだい戦艦せんかん脅威きょういとなっていく。そして航空機こうくうき登場とうじょうが、戦艦せんかんにとどめをすことになる。だいいち世界せかい大戦たいせん航空機こうくうき軍事ぐんじ導入どうにゅうされたはじめての戦争せんそうでもあり、以後いご海軍かいぐん航空こうくう兵力へいりょく護衛ごえいされた艦隊かんたいないし航空こうくう兵力へいりょくによる単独たんどく攻撃こうげきというあたらしい局面きょくめん対応たいおうすることになる。だい世界せかい大戦たいせんにおいては、水上すいじょうかん航空こうくう戦力せんりょくたいして単独たんどくでは対抗たいこうできないことがあきらかになる。航空こうくう戦力せんりょく優位ゆういせい世界せかいはじめてらしめたのはイギリスによるイタリア・タラント空襲くうしゅう日本にっぽんによる真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきである。これらは停泊ていはくちゅう艦船かんせんたいする攻撃こうげきであるが、日本にっぽんマレーおき海戦かいせんにおいて戦闘せんとう航行こうこうちゅう戦艦せんかん(イギリス海軍かいぐんの「プリンス・オブ・ウェールズ」と僚艦りょうかんレパルス」)を航空こうくう戦力せんりょくのみで撃沈げきちんして航空機こうくうき有用ゆうようせい確固かっこたるものにした。その海戦かいせんにおける戦艦せんかん行動こうどうは、自国じこく航空こうくう部隊ぶたい掩護えんご(アメリカ海軍かいぐん)または航空機こうくうき活躍かつやく出来できない夜間やかんレイテおき海戦かいせん西村にしむら艦隊かんたい)などに限定げんていされるようになり、やがて戦艦せんかんえていくことになる。また、ドイツぐん誘導ゆうどう滑空かっくうばくだんフリッツXによるイタリア海軍かいぐんローマ (戦艦せんかん)撃沈げきちんは、将来しょうらい格下かくした巡洋艦じゅんようかん以下いか艦艇かんていにも搭載とうさい可能かのうになるであろう誘導ゆうどうたいかんミサイル戦艦せんかん主砲しゅほう射程しゃていがいから戦艦せんかん撃破げきは可能かのうであることを予感よかんさせた。アメリカ海軍かいぐんのみは、巡航じゅんこうミサイル搭載とうさいとう近代きんだい改修かいしゅうほどこしたうえで、上陸じょうりく支援しえん目的もくてきなが戦艦せんかん使つかつづけたものの、もはや戦艦せんかん新造しんぞうすることはなくなった。おくれて巡洋艦じゅんようかんげんぜいし、戦艦せんかん直接ちょくせつ無力むりょくした空母くうぼジェット機じぇっとき搭載とうさいのために巨大きょだいして米国べいこく以外いがいではげんぜいし、その巨大きょだいした駆逐くちくかん後述こうじゅつ初期しょき戦艦せんかんよりだい排水はいすいりょうしつつある)以下いか水上すいじょう戦闘せんとうかんや、戦艦せんかん終焉しゅうえんあい前後ぜんごしてあらわれた水上すいじょうかん連続れんぞく任務にんむ期間きかん同等どうとう連続れんぞく潜水せんすい任務にんむ期間きかんたっする原子力げんしりょく潜水せんすいかんふく潜水艦せんすいかんと、ターボファン空中くうちゅう給油きゅうゆ実用じつよう搭載とうさいりょう航続こうぞく距離きょりした軍用ぐんようや、誘導ゆうどう能力のうりょくたミサイルが、かつて戦艦せんかんおこなっていた戦術せんじゅつせいうみ哨戒しょうかい沿岸えんがん攻撃こうげき)・戦略せんりゃく戦略せんりゃく核兵器かくへいき砲艦ほうかん外交がいこう任務にんむおおくをいだ。

日本にっぽん 編集へんしゅう

 
装甲そうこうかんひがし

日本にっぽんでは、明治めいじ初年しょねん海軍かいぐん創設そうせつからにちしん戦争せんそうあたりまで、フランスせい装甲そうこうかんひがし」を「きのえてつ」と呼称こしょうしていたことから、装甲そうこうかん砲塔ほうとうかぶとてつかんんでいた。

1894ねん富士ふじがた2せき(1897ねん竣工しゅんこう富士ふじ八島やじま)をイギリスに発注はっちゅうするにたり、排水はいすいりょう1まんトン以上いじょうかんを「一等いっとう戦艦せんかん」、1まんトン以下いかかんを「とう戦艦せんかん」と正式せいしきさだめた。にち戦争せんそう終戦しゅうせんまもなく、等級とうきゅうはいして「戦艦せんかん」というかんしゅさだめられた。

にち戦争せんそう活躍かつやくした戦艦せんかん富士ふじ」(1897ねん竣工しゅんこう、イギリスせい、12,533t、30.5cmほう4もん)は、ロイヤル・サブリンきゅう戦艦せんかん原型げんけいとし、マジェスティックきゅう戦艦せんかん採用さいようされた全面ぜんめん装甲そうこうしき砲塔ほうとうフォーミダブルきゅう戦艦せんかん採用さいようされた30.5cmほうおさめた。また、日本海にほんかい海戦かいせんどき連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかん三笠みかさ」(1902ねん竣工しゅんこう、イギリスせい、15,140t、30.5cmほう4もん)は、カノーパスきゅう戦艦せんかん採用さいようされたクルップこうもちいて装甲そうこう強化きょうかおこなった。

初期しょき戦艦せんかん(1892ねん-1904ねん 編集へんしゅう

初期しょき戦艦せんかんは、排水はいすいりょう1まん-1まん5せんt、24-34cm(30.5cm=12inがもっとおおかった)の主砲しゅほう4もん搭載とうさいし14-19ノットの速度そくどだった。このころ戦艦せんかん建造けんぞうしていたのは、イギリスフランスドイツ帝国ていこくアメリカイタリアロシア帝国ていこくオーストリア・ハンガリー帝国ていこくの7カ国かこく

日本にっぽんにち戦争せんそうまえにイギリスから6せき戦艦せんかん購入こうにゅうした。日本にっぽん以外いがいにも戦艦せんかん他国たこくから購入こうにゅうしたくには、隣国りんごくあいだ紛争ふんそうおおかったトルコギリシャ南米なんべい競争きょうそう関係かんけいにあったアルゼンチンブラジルチリ海軍かいぐん復興ふっこう邁進まいしんするスペイン。ヨーロッパ諸国しょこく対抗たいこうするため北洋ほくよう艦隊かんたいひとし近代きんだいてき海軍かいぐん創設そうせつした中国ちゅうごく清朝せいちょうである。

これらの戦艦せんかん砲戦ほうせん距離きょりすうせんmでの目視もくしによる直接ちょくせつ射撃しゃげき想定そうていして建造けんぞうされていた。

最初さいしょ戦闘せんとう(1904ねん-1905ねん 編集へんしゅう

世界せかい最初さいしょ戦艦せんかん同士どうし本格ほんかくてき戦闘せんとうおこなわれたのは、1904ねんにち戦争せんそうだった。にち戦争せんそう初期しょき黄海こうかい海戦かいせんには、日本にっぽん連合れんごう艦隊かんたい戦艦せんかん4せき+装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん2せきロシアだいいち太平洋艦隊たいへいようかんたい旅順りょじゅん)の6せき戦艦せんかん対戦たいせんし、翌年よくねん日本海にほんかい海戦かいせんでは、日本にっぽん連合れんごう艦隊かんたい戦艦せんかん4せき+装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん8せきと、ロシアだい2およだい3太平洋艦隊たいへいようかんたいバルチック艦隊かんたい)の戦艦せんかん8せき対戦たいせんした。いずれも日本にっぽん連合れんごう艦隊かんたい勝利しょうりわった。黄海こうかい海戦かいせんでは逃走とうそうするロシア艦隊かんたいいかける日本にっぽん艦隊かんたいあいだで、距離きょり1まんm以上いじょう遠距離えんきょり砲戦ほうせんこった。

ドレッドノートの出現しゅつげん(1906ねん 編集へんしゅう

 
戦艦せんかんドレッドノート

にち戦争せんそうでの黄海こうかい海戦かいせん日本海にほんかい海戦かいせん1905ねん)のせんくんから、戦艦せんかん主砲しゅほうによる遠距離えんきょり砲撃ほうげきりょく海戦かいせん雌雄しゆうけっすると認識にんしきされた。これをけて1906ねん主砲しゅほうもんすうばい以上いじょうやし、主砲しゅほうだけでたたかうという画期的かっきてきけんかん思想しそうもとづいて設計せっけいされた戦艦せんかんドレッドノート」(Dreadnought、18,110t、30.5cmほう10もん)」が英国えいこく建造けんぞうされた。ドレッドノートの出現しゅつげんにより、それ以前いぜん建造けんぞうされた戦艦せんかんだけでなくイギリスをふくめた建造けんぞうちゅう戦艦せんかんまでもが一挙いっきょ時代遅じだいおくれとなった。ドレッドノート以前いぜん戦艦せんかんぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん(pre-dreadnoughts)とばれる。これ以後いご各国かっこく建造けんぞうされる戦艦せんかんは「ドレッドノート」にじゅんじた「いしゆみきゅう戦艦せんかん」(ドきゅう戦艦せんかん、dreadnoughts)となり、列強れっきょうこく保有ほゆう戦艦せんかんぜんいしゆみきゅうからいしゆみきゅうへの転換てんかんせまられた。このドレッドノートの出現しゅつげんにより世界せかい各国かっこく列強れっきょう海軍かいぐんのパワーバランスがくずれたことを「ドレッドノート・ショック」とぶ。中小ちゅうしょうこく海軍かいぐん無理むりをしながら戦争せんそう抑止よくしりょくとして、1-3せきいしゆみきゅうまたは超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん購入こうにゅうした。

超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん発展はってん(1912ねん大艦だいかんきょほう主義しゅぎ 編集へんしゅう

「ドレッドノート」完成かんせいのわずか6ねんに、いしゆみきゅう戦艦せんかんおおきく上回うわまわ攻撃こうげきりょくゆうするオライオンきゅう戦艦せんかん(1912ねん、22,200t、34.3cmほう10もん)がイギリスで誕生たんじょうした。いしゆみきゅう戦艦せんかんより強力きょうりょく火力かりょくつことから「超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん」(super dreadnoughts)とばれた(このあらたなだい口径こうけい主砲しゅほうおよび中心ちゅうしんじくじょう砲塔ほうとう配置はいち採用さいよう)。これにアメリカが35.6cmほう戦艦せんかんを、フランスが34cmほう戦艦せんかん整備せいびし、イギリスからめぐよう戦艦せんかんきむつよし」を購入こうにゅうした日本にっぽん以後いごは35.6cm砲戦ほうせんかん扶桑ふそうがた」「伊勢いせがた」を整備せいびはじめて超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん時代じだい到来とうらいした。

また、列強れっきょう以外いがいではチリ海軍かいぐんがアルゼンチン・ブラジルに先駆さきがけて「きむつよし」とおなじく35.6cmほう搭載とうさいする戦艦せんかんアルミランテ・ラトーレきゅう」2せき(1915ねん、28,600トン、35.6cmほう10もん)を発注はっちゅうをつけた。また、ブラジルやギリシャやトルコも超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん建造けんぞう列強れっきょう発注はっちゅうするが資金しきんなん大戦たいせん勃発ぼっぱつなどの事情じじょうにより建造けんぞう依頼いらいされた。

こうしたながれのなかでも主砲しゅほうだい口径こうけいすすみ、オライオンきゅうの3ねんにはさらだい口径こうけい主砲しゅほうクイーン・エリザベスきゅう(1915ねん、29,150t、38.1cmほう8もん)がイギリスで完成かんせい。これ以降いこうもよりおおきなかんたいに、よりおおきな主砲しゅほう戦艦せんかん建造けんぞうする傾向けいこうだいいち大戦たいせんにもつづいた。これを「大艦だいかんきょほう主義しゅぎ」とび、日本にっぽん大和やまとがた基準きじゅん排水はいすいりょう:64,000t、46cmほう9もん)がその頂点ちょうてんたっした。またえいどくでは、いしゆみきゅう戦艦せんかん超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん同等どうとう攻撃こうげきりょくつがけい防御ぼうぎょだか速力そくりょくじゅんよう戦艦せんかん建造けんぞうされた。

だいいち世界せかい大戦たいせん(1914-1918ねん 編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせんでは、当時とうじ世界せかいだい1戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかん保有ほゆう国家こっかであるイギリスと、だい2のドイツが敵対てきたいした。大戦たいせんまえからこの2こくはげしいけんかん競争きょうそうおこなっていた。だが戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかん戦力せんりょくおとるドイツは艦隊かんたい保全ほぜんはかったため、だい規模きぼ海戦かいせん機会きかいはなかなかおとずれなかった。ドイツのUボートによる通商つうしょう破壊はかいせんや、欧州おうしゅうからはなれた戦線せんせんにおいてフォークランドおき海戦かいせんなどの主力しゅりょく同士どうしとはがた戦力せんりょくでの海戦かいせんきたのみであった。

1916ねんユトランドおき海戦かいせんは、だいいち世界せかい大戦たいせん最大さいだい、かつ唯一ゆいいつ本格ほんかくてき主力しゅりょくかん同士どうしたたかいであったものの、高速こうそくめぐよう戦艦せんかん同士どうしゆうげきせんとなり、主力しゅりょく戦艦せんかん部隊ぶたい全力ぜんりょく交戦こうせんすることなくわった。英国えいこく艦隊かんたいすうてきには優勢ゆうせいだったが、戦闘せんとうでは英国えいこくじゅんよう戦艦せんかんインヴィンシブル」(1908ねん竣工しゅんこう、17,373t、30.5cmほう8もん)、「インディファティガブル」(1911ねん竣工しゅんこう、18,500t、30.5cmほう8もん)、「クイーン・メリー」(1913ねん竣工しゅんこう、26,770t、34.3cmほう8もん)の3せきが、砲塔ほうとうなどバイタルパート装甲そうこう貫徹かんてつされ、たま火薬かやく誘爆ゆうばく轟沈ごうちんした。ドイツがわめぐよう戦艦せんかんリュッツオウ」(1916ねん竣工しゅんこう、26,318t、30.5cmほう8もん)が多数たすう被弾ひだんによる浸水しんすい航行こうこう不能ふのうとなり放棄ほうきされた。ドイツじゅんよう戦艦せんかんは、イギリスじゅんよう戦艦せんかんくらべて防御ぼうぎょりょく重視じゅうし設計せっけいと、すぐれた誘爆ゆうばく防止ぼうしさくにより、たかこうこらえせい発揮はっきした。

イギリスは、ユトランドおき海戦かいせんこうわらず、主力しゅりょくかん戦力せんりょくでは、ドイツを圧倒あっとうした。戦争せんそう末期まっきにはドイツは起死回生きしかいせいはかぜん艦隊かんたい出撃しゅつげきしようとしたが、のないたたかいにることをいと水兵すいへいたちがこれを拒否きょひした。結局けっきょく、1きりしかしょうじなかった主力しゅりょくかんどうしの艦隊かんたい決戦けっせんは、大戦たいせんなん影響えいきょうあたえるものではなかったのである。だが各国かっこく戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかん設計せっけい問題もんだいという観点かんてんでしかたたかえくんようとせず、艦隊かんたい決戦けっせん戦局せんきょく影響えいきょうあたえなかった事実じじつかえりみられることがなかった。

けんかん競争きょうそう軍縮ぐんしゅく条約じょうやく 編集へんしゅう

 
装甲そうこうかんドイッチュラント
 
しん戦艦せんかんダンケルク

だいいち世界せかい大戦たいせん終了しゅうりょう直後ちょくごには、ユトランドおき海戦かいせんせんくんれた主力しゅりょくかん熾烈しれつけんかん競争きょうそうが、のこされた大海おおうみ軍国ぐんこくであるべいえいはじまった。日本にっぽんにおいても戦艦せんかんによる艦隊かんたい決戦けっせん構想こうそうにより41センチほう搭載とうさい高速こうそく戦艦せんかん8せきめぐよう戦艦せんかん8せきからなる「はちはち艦隊かんたい」の建造けんぞう計画けいかくされたが、1922ねんワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく締結ていけつされ、新規しんき建造けんぞう制限せいげんされると、列強れっきょう各国かっこくけんかん競争きょうそう一応いちおう終息しゅうそくむかえた。これを海軍かいぐん休日きゅうじつ(Naval Holiday)とぶ。

ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにおいては建造けんぞうちゅう完成かんせい戦艦せんかんはいかんもとめられたが、ここに日本にっぽんしょ外国がいこくとのあいだで「陸奥みちのく」を完成かんせいかんとして保有ほゆうみとめるか完成かんせいかんとしてはいかんするかのきもこった。

どう条約じょうやくにおいては航空こうくう母艦ぼかん所有しょゆう排水はいすいりょうにも各国かっこくごとのわくもうけられたが、当時とうじ航空こうくう母艦ぼかんはまだまれたばかりのかんしゅであり各国かっこくともそのわくおおきな余裕よゆうがあったため、はいかんとした完成かんせい戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかん航空こうくう母艦ぼかん改装かいそうして完成かんせいさせるれいられ、その結果けっかとしてレキシントンきゅう航空こうくう母艦ぼかんや「赤城あかぎ」、「加賀かが」、「ベアルン」といったそれまでになかった大型おおがた航空こうくう母艦ぼかんまれた。しかし当時とうじはまだ航空こうくう母艦ぼかん艦載かんさい攻撃こうげきりょく航続こうぞく距離きょりなど性能せいのう全体ぜんたいひくく、実戦じっせん戦果せんかしめ機会きかいもなかったため航空こうくう母艦ぼかん補助ほじょてきかんとしてられており、海軍かいぐん主力しゅりょくつづ戦艦せんかんであるとみなされていた。

1934ねんどう条約じょうやく破棄はきされるまでのあいだ各国かっこく既存きそんかん近代きんだい改装かいそうなどで現有げんゆうかん質的しつてき向上こうじょうちからちゅういだが、欧州おうしゅうでは敗戦はいせん造船ぞうせん能力のうりょくもどしつつあるドイツ1933ねんポケット戦艦せんかんドイッチュラントきゅうけんかんしたことと、ロンドン軍縮ぐんしゅく条約じょうやく参加さんかしなかったことで1933ねんからしん戦艦せんかん建造けんぞう権利けんりフランスイタリアたことで、ドイツ・フランス・イタリアさんこくけんかん競争きょうそう勃発ぼっぱつした。

フランスが「ダンケルクきゅう」をつくれば、イタリアは「コンテ・ディ・カブールきゅう」と「カイオ・デュイリオきゅう」の近代きんだい改装かいそうと「ヴィットリオ・ヴェネトきゅう」のけんかん着手ちゃくしゅし、ドイツも「シャルンホルストきゅう」と「ビスマルクきゅう」をつくった。その、ドイツ・イタリアの15インチ砲戦ほうせんかん対抗たいこうするためにフランスはダンケルクきゅうばんかんストラスブール」のじゅう装甲そうこうせい38cm砲戦ほうせんかんリシュリューきゅう」のけんかんった。ロンドン軍縮ぐんしゅく条約じょうやくによって1937ねんまでしん戦艦せんかん建造けんぞうができなかった英国えいこくは、欧州おうしゅう中型ちゅうがた戦艦せんかん対策たいさく唯一ゆいいつ速力そくりょく対抗たいこう可能かのう既存きそんじゅんよう戦艦せんかんフッド」とレナウンきゅう2せきしょう改装かいそうにより当座とうざをしのいだ。

軍縮ぐんしゅく条約じょうやく破棄はき建造けんぞう 編集へんしゅう

ワシントン条約じょうやく破棄はきは、ふたた列強れっきょうによる戦艦せんかん建造けんぞうはじまり、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくノースカロライナきゅうサウスダコタきゅうアイオワきゅう、イギリスのキング・ジョージ5せいきゅう日本にっぽん大和やまとがたなどのきょかん建造けんぞうされた。また、さい軍備ぐんび宣言せんげんをしたドイツも前述ぜんじゅつとおりにダンケルクきゅうへの対抗たいこうとしてビスマルクきゅう建造けんぞうした。この時期じき建造けんぞうされた戦艦せんかん軒並のきなみ27ノット以上いじょう速力そくりょくはやく、のちに航空こうくう母艦ぼかん中心ちゅうしんとした艦隊かんたい編成へんせいする場合ばあいにも運用うんよう可能かのうだった。

だい世界せかい大戦たいせん 編集へんしゅう

軍縮ぐんしゅく条約じょうやくによって保有ほゆうすう制限せいげんされた各国かっこくにとって、だい世界せかい大戦たいせんまえ時点じてんにおいて戦艦せんかん艦隊かんたいはなであるのみならず、国力こくりょくそのものであり、その主力しゅりょくかんとしての希少きしょう価値かち史上しじょうれいないものであったが、いざ戦争せんそうはじまると、戦場せんじょう主役しゅやくすで航空機こうくうきうつっていることがあきらかとなった。

  1. 大西洋たいせいよう方面ほうめんでは、枢軸すうじく国軍こくぐんイギリス海軍かいぐん戦力せんりょくおおきく、戦艦せんかんビスマルク」の沈没ちんぼつヴェーザー演習えんしゅう作戦さくせんにおいて大型おおがた艦艇かんてい損害そんがいしたドイツ海軍かいぐんたいし、ヒトラーがその活動かつどう制限せいげんしたためにおおきな海戦かいせんおこなわれなかった。
  2. 地中海ちちゅうかいでタラントこう停泊ていはくしていたイタリア海軍かいぐん戦艦せんかんにイギリス海軍かいぐん空母くうぼ艦載かんさいだい損害そんがいあたえた(タラント空襲くうしゅう)。
  3. 1941ねん太平洋戦争たいへいようせんそう劈頭へきとう真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきにおいて日本にっぽん海軍かいぐん空母くうぼ艦載かんさい真珠湾しんじゅわん停泊ていはくちゅうアメリカ太平洋艦隊たいへいようかんたい戦艦せんかん大半たいはん撃沈げきちんした。
  4. マレーおき海戦かいせんにおいて、作戦さくせん行動こうどうちゅうのイギリスさい新鋭しんえい戦艦せんかんプリンス・オブ・ウェールズ」を日本にっぽん海軍かいぐん基地きち航空こうくうたい撃沈げきちんした。

以上いじょうのことから艦隊かんたいにおける主力しゅりょく航空機こうくうきとそれを運用うんようする航空こうくう母艦ぼかんとなり、戦艦せんかん役割やくわり制空権せいくうけん確保かくほした状態じょうたいでの陸上りくじょう目標もくひょう砲撃ほうげき空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい防空ぼうくう支援しえんといった副次的ふくじてき任務にんむうつっていった。これは戦艦せんかん主砲しゅほうだい口径こうけいほうにもかかわらず機動きどうりょくすぐれていること、てき攻撃こうげき目標もくひょうとして目立めだ巨大きょだいかんたい攻撃こうげきえしのぐだけの防御ぼうぎょりょくわせていること、対空たいくう砲火ほうか威力いりょくしたVT信管しんかん発明はつめいなどの理由りゆうがある。実例じつれいとしては以下いかのようなものがある。

  1. 開戦かいせん当初とうしょ日本にっぽん機動きどう部隊ぶたい護衛ごえい部隊ぶたい主力しゅりょく高速こうそく金剛こんごうがた戦艦せんかんであった。その大戦たいせん後半こうはんからアメリカ機動きどう部隊ぶたい防空ぼうくうようアイオワきゅう戦艦せんかんはじめとする新型しんがた戦艦せんかん投入とうにゅうされ、防空ぼうくう任務にんむ絶大ぜつだい威力いりょく発揮はっきした。
  2. マリアナおき海戦かいせんにおいて日本にっぽんがわ前衛ぜんえい部隊ぶたいに4せき戦艦せんかん配置はいちし、これによっててき攻撃こうげきたい攻撃こうげき吸収きゅうしゅうし、正規せいき空母くうぼふく本隊ほんたいへの被害ひがいげんじようと企図きとした。
  3. 真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき帰途きとおこなわれた、アメリカぐんウェークとう基地きちたいする日本にっぽんぐんけい巡洋艦じゅんようかんひとしによるかんほう射撃しゃげき
  4. ガタルカナルせんにおける、戦艦せんかん金剛こんごう榛名はるなによる飛行場ひこうじょうへの夜間やかん砲撃ほうげき
  5. 欧州おうしゅう戦線せんせんでのノルマンディー上陸じょうりく作戦さくせんや、太平洋たいへいよう戦線せんせんでの硫黄いおうとう沖縄おきなわ攻略こうりゃくなどに実施じっしされた連合れんごうぐんかんほう射撃しゃげき
  6. 大戦たいせん末期まっき釜石かまいし浜松はままつとうおこなわれた、連合れんごうぐんよるあいだかんほう射撃しゃげき

太平洋たいへいようでは戦場せんじょう主役しゅやく空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいとなった一方いっぽうで、欧州おうしゅうでは戦力せんりょく均衡きんこう燃料ねんりょう枯渇こかつにより戦艦せんかん活用かつようされた作戦さくせんすくない。ただし、ドイツ戦艦せんかんティルピッツがノルウェーにざいはくし、てき水上すいじょう艦艇かんていいち砲火ほうかまじえることなく連合れんごうぐんの援ソ船団せんだん圧力あつりょくをかけつづけたれいなど、戦艦せんかん抑止よくしりょくとしてある程度ていど機能きのうした。

だい世界せかい大戦たいせんから現在げんざい 編集へんしゅう

 
UGM-109 トマホークミサイルを発射はっしゃする「ウィスコンシン」(1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうどき)。戦艦せんかん最後さいご戦場せんじょうとなったこのたたかいで、アイオワきゅうかんほう射撃しゃげきとトマホークミサイルによる対地たいち攻撃こうげきや、RQ-2無人むじん偵察ていさつによる着弾ちゃくだん観測かんそくとう実行じっこうした。
 
めぐよう戦艦せんかん」と表現ひょうげんされることもあるキーロフきゅうミサイル巡洋艦じゅんようかん「フルンゼ(のアドミラル・ラーザリェフ)」
 
テリアミサイル発射はっしゃする「ミシシッピ 」 (AG-128)。従来じゅうらい主砲しゅほう全廃ぜんぱいされ砲術ほうじゅつ訓練くんれんかんかんしゅ変更へんこうされつつ、1956ねんまでミサイルの試験しけん尽力じんりょくした。

イギリスは1946ねんに「ヴァンガード」を、フランスは1950ねんに「ジャン・バール」を完成かんせいさせ(すで戦前せんぜんから起工きこうされており、ジャン・パールは艤装ぎそうちゅうにもかかわらずカサブランカおき海戦かいせんでは砲台ほうだいとして戦闘せんとう参加さんかしている)、戦後せんごくに威信いしん象徴しょうちょうしめすものでありつづけた。しかし実用じつようかんとしてはすで時代遅じだいおくれになっており、就役しゅうえき期間きかん大半たいはん予備よびかんとして使つかわれ、退役たいえきした。

アメリカと冷戦れいせん対立たいりつしたソ連それん海軍かいぐん戦艦せんかんノヴォロシースク」(きゅうイタリア海軍かいぐん「ジュリオ・チェザーレ」)を運用うんようしていたが、1955ねん10月29にちセヴァストポリ事故じこさわかみなり)をこして爆沈ばくちんした。ソビエツキー・ソユーズきゅう戦艦せんかん建造けんぞう中止ちゅうしされ、純粋じゅんすいソ連それん・ロシアせい超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん誕生たんじょうすることはなかった。

前記ぜんき例外れいがいとして、だい世界せかい大戦たいせん以降いこうはそもそもだい規模きぼ海戦かいせんそれ自体じたいおこなわれなくなったこともあり、戦艦せんかん建造けんぞうおこなわれなくなった。戦後せんご、ソビエト連邦れんぽう台頭たいとうにより冷戦れいせんはじまったころには、ミサイル実用じつようがなされ、主砲しゅほうによる艦隊かんたいせん有効ゆうこうせいうしなってしまった。きゅうソ連それんはミサイルをおも武装ぶそうとするかん大量たいりょう建造けんぞうして、空母くうぼ主力しゅりょくとするアメリカに対抗たいこうし、ミサイルじゅんよう戦艦せんかんといえるキーロフきゅうミサイル巡洋艦じゅんようかん実際じっさいジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかんにはめぐよう戦艦せんかんとして掲載けいさい)を就役しゅうえきさせるにいたるが、きょほうおも武装ぶそうとする戦艦せんかんとは性格せいかくことなるかんである。

また、チリブラジルアルゼンチンの3こく自国じこく戦艦せんかん退役たいえきさせたのちだいかんとしてブルックリンきゅうけい巡洋艦じゅんようかん購入こうにゅうしている。くに威信いしん象徴しょうちょうあらわかんとしても戦艦せんかん不経済ふけいざいかんがえられ、巡洋艦じゅんようかんでも十分じゅうぶんであるとかんがえられたのである。

しかし陸軍りくぐんおよ海兵かいへいたいおこなう、水際みずぎわ上陸じょうりく作戦さくせん支援しえんには戦艦せんかん砲撃ほうげきりょく依然いぜん有効ゆうこうであり、また、だい世界せかい大戦たいせんいちじるしく発達はったつしたミサイルは、とおるきのえだんたいする防御ぼうぎょ前提ぜんていとしたじゅう装甲そうこう戦艦せんかんたいしては決定的けっていてきなダメージをあたえられないとされ、戦艦せんかんさい評価ひょうかされる場面ばめんもあった。アメリカはだい大戦たいせん以降いこう朝鮮ちょうせん戦争せんそうではアイオワきゅうの4せきすべてを、ベトナム戦争せんそうでは「ニュージャージー」を現役げんえき復帰ふっきさせ上陸じょうりく作戦さくせん支援しえん使用しようした。そのアイオワきゅう予備よびやくとして保管ほかんモスボール)されていた。1980年代ねんだいレーガン政権せいけんで、「つよいアメリカ」の象徴しょうちょうとしてさん、4せきとも現役げんえき一時いちじてきふくやくし、「ミズーリ」と「ウィスコンシン」は湾岸わんがん戦争せんそう出動しゅつどうした。これらは最後さいご現役げんえき戦艦せんかんであり、トマホーク巡航じゅんこうミサイル搭載とうさいするなど近代きんだい改装かいそうほどこされていた。しかしあくまで大戦たいせん旧式きゅうしきかんさい利用りようであることが、戦艦せんかん価値かち使用しようほう限定げんていてきなことをしめしている。アイオワきゅう劣化れっかもあり、1990年代ねんだい初頭しょとうにはすべての戦艦せんかん退役たいえきし、2006ねんまでにすべてのかん除籍じょせきされた。最後さいご戦艦せんかんであった「アイオワ」も現在げんざいロサンゼルスみなとにて記念きねんかんとして、余生よせいおくっている。

このようにほとんどの戦艦せんかん解体かいたいされていったが、一部いちぶかんかんしゅ変更へんこうなどをけつつも各種かくしゅ試験しけん演習えんしゅうなどで戦後せんごもしばらくのあいだ活躍かつやくした。砲術ほうじゅつ訓練くんれんかんとなり、テリアミサイル試験しけん運用うんようされたニューメキシコきゅう戦艦せんかんの「ミシシッピ 」やドイツ海軍かいぐんブラウンシュヴァイクきゅう戦艦せんかんで、だい世界せかい大戦たいせんソ連それん海軍かいぐんわたされ標的ひょうてきかんとなったぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんヘッセン」(ユトランドおき海戦かいせんにも参加さんか)がいちれいとしてげられる。これらは主砲しゅほうろすなどの改装かいそうけた。これらのかんは1960ねんごろまで運用うんようされていた。

純粋じゅんすい戦艦せんかんとはことなるが、1990年代ねんだい後半こうはんにアメリカ海軍かいぐんアーセナル・シップばれるかん開発かいはつ計画けいかくがあった。アーセナル・シップは大量たいりょうのミサイルを搭載とうさい対地たいち攻撃こうげき活躍かつやくするかんとなる予定よていだったため、アメリカ海軍かいぐんはこれを『21世紀せいき戦艦せんかん』と銘打めいうっていた。しかし、予算よさん世界せかい事情じじょう変化へんかなどで計画けいかくはほぼ状態じょうたいとなっている。


装備そうび船体せんたい 編集へんしゅう

主砲しゅほう砲弾ほうだん 編集へんしゅう

 
42口径こうけい15インチ連装れんそう砲塔ほうとう
 
42口径こうけい15インチ連装れんそうほう装填そうてん機構きこう
 
42口径こうけい15インチ砲弾ほうだん

主砲しゅほう戦艦せんかん戦艦せんかんたらしめるさい重要じゅうよう武装ぶそうである。敵艦てきかん圧倒あっとうするためにおおきくこう威力いりょく砲弾ほうだんをよりとおくへより正確せいかく発射はっしゃする必要ひつようがある。ほうおおきさは、トル法とるほう設計せっけい製作せいさくされた大和やまとがたであれば「45口径こうけい46センチメートルほう」、ヤード・ポンドほう設計せっけい製作せいさくされたアイオワきゅうであれば「50口径こうけい16インチほう」と表現ひょうげんするのが正確せいかくである。「○口径こうけい」が砲身ほうしんながさをあらわ口径こうけいちょう後述こうじゅつ)、「○センチメートル」または「○インチ」が「砲身ほうしん内径ないけい砲弾ほうだん直径ちょっけい」である。

トル法とるほう設計せっけい製作せいさくされたほうであっても、砲身ほうしん内径ないけいを、インチで表現ひょうげんしてりの数字すうじちかづけるのが通例つうれいたとえば、トル法とるほう提唱ていしょうこくであるフランスの戦艦せんかん主砲しゅほう当然とうぜんトル法とるほう設計せっけい製作せいさくされているが、ダンケルクきゅうは33センチメートル(やく13インチ)、リシュリューきゅうは38センチメートル(やく15インチ)である。

砲身ほうしんながさの表示ひょうじについては、「○口径こうけい」(○は砲身ほうしんちょう砲弾ほうだん直径ちょっけいった数字すうじ)とあらわし、これを口径こうけいながぶ。砲弾ほうだん発射はっしゃやくなどのしょ条件じょうけんおな場合ばあい、よりなが砲身ほうしんもちいてほうほうこう初速しょそく向上こうじょうさせるうえで有利ゆうりとなる。

1900ねんごろ各国かっこく海軍かいぐんゆうしていたぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんは、35口径こうけい12インチ(砲身ほうしんちょうは420インチ=やく11メートル)程度ていど主砲しゅほう連装れんそう砲塔ほうとうおさめ、かん前後ぜんごに1ずつ(けい4もん装備そうびしていた。その戦艦せんかん主砲しゅほう逐次ちくじ巨大きょだいし、日本にっぽん大和やまとがたの45口径こうけい46センチメートル(46センチメートル=やく18.1インチ)ほう砲身ほうしんちょう 20.7メートル)、アメリカのアイオワきゅうの50口径こうけい16インチ(16インチ=やく40.6センチメートル)ほう砲身ほうしんちょう800インチ=やく20.3メートル)にたっした。

発射はっしゃする砲弾ほうだんは、てき大型おおがたかん強力きょうりょく装甲そうこう貫徹かんてつできるようとおるきのえだんおもであった。とおるかぶとだんは、たまたい大半たいはんかた特殊とくしゅこうでできており、内部ないぶ炸薬さくやくりょうすくない。初期しょきには炸薬さくやくたない実体じったいだんもちいた。とおるかぶとだん信管しんかん砲弾ほうだん敵艦てきかん装甲そうこう貫徹かんてつしたのち敵艦てきかん内部ないぶ炸裂さくれつするおそはつしきである。砲弾ほうだん重量じゅうりょうは12インチほうで400kg程度ていど、16インチほうで1トン前後ぜんこう大和やまとがたの46センチメートルほうで1.5トン程度ていどである。この砲弾ほうだんを、1もんあたごとぶん2はつ程度ていどほう口速くちばや800メートル/びょう程度ていどで、2まんメートルから3まんメートルさき敵艦てきかんけて前提ぜんていであった[注釈ちゅうしゃく 5]おそはつしきたま水面すいめん着弾ちゃくだんすると水中すいちゅうもぐったのち爆発ばくはつたか水柱みずばしらしょうじ、着弾ちゃくだんてん観測かんそくもちいた。

とおるかぶとだんほかに、装甲そうこう目標もくひょう駆逐くちくかん輸送ゆそうせん地上ちじょう目標もくひょうなど)を射撃しゃげきするための榴弾りゅうだん搭載とうさいした。榴弾りゅうだんは、内部ないぶ炸薬さくやくてっかぶとだんよりおおく、命中めいちゅう同時どうじ作動さどうする瞬発しゅんぱつ信管しんかん装備そうびする。なお、日本にっぽん海軍かいぐん戦艦せんかん主砲しゅほう対空たいくう戦闘せんとうにも使つか想定そうていで、れいしき通常つうじょうだんさんしき通常つうじょうだんといった特殊とくしゅ対空たいくう砲弾ほうだん開発かいはつし、太平洋戦争たいへいようせんそう実戦じっせん使用しようした。にち戦争せんそうどき日本にっぽん海軍かいぐん対戦たいせんかん射撃しゃげき榴弾りゅうだん併用へいようすることにより一定いってい効果こうかげた。

大砲たいほう威力いりょくは、砲弾ほうだん材質ざいしつ構造こうぞう炸薬さくやくりょう同等どうとうであれば、砲弾ほうだん重量じゅうりょう速度そくどによりまる。砲弾ほうだん重量じゅうりょう決定けっていするのは(砲弾ほうだん材質ざいしつ以外いがいでは)、砲弾ほうだん形状けいじょう相似そうじであれば口径こうけいによってまる。砲弾ほうだん形状けいじょうがよりければ、どういち口径こうけいでも重量じゅうりょうえる。砲弾ほうだん速度そくど決定けっていするのは、そうやくりょう口径こうけいちょうである。口径こうけいちょうおおきければ、より長時間ちょうじかん砲弾ほうだん運動うんどうエネルギーをあたえるので、そうやくりょうおなじでも砲弾ほうだん速度そくどはよりはやくなる。ただし技術ぎじゅつてき限界げんかいえてそうくすりりょうやすと、砲身ほうしんのブレによる命中めいちゅうりつ低下ていかまねく。一般いっぱんには口径こうけい戦艦せんかん主砲しゅほう威力いりょくをはかる基準きじゅんとされ、口径こうけいちょうは45口径こうけい前後ぜんこうそうくすりりょうにも大差たいさなく各国かっこくとも横並よこならびであった。しかし例外れいがいもあり、だいいち世界せかい大戦たいせんまでのドイツ戦艦せんかんは、そうくすりりょうやして砲弾ほうだん速度そくどげたため、口径こうけいではひとまわりおおきな英国えいこく戦艦せんかん主砲しゅほう同等どうとうわれていた。一方いっぽう英国えいこく戦艦せんかん口径こうけいちょう増大ぞうだいにより対抗たいこうしたこともあるが、結果けっかとして英国えいこくせい50口径こうけい12インチ主砲しゅほう砲身ほうしんのブレがおおきく欠陥けっかんひんとされる。だいいち世界せかい大戦たいせんでは、主砲しゅほう射程しゃてい距離きょり延伸えんしんにより、砲弾ほうだん速度そくど重要じゅうよう要素ようそではなくなった。長時間ちょうじかん空中くうちゅうすす砲弾ほうだん速度そくど空気くうき抵抗ていこうにより減少げんしょうし、いくら高速こうそくしても最終さいしゅうてき砲弾ほうだん速度そくどにはわりがなくなったからである。むしろやまなりの砲弾ほうだん落下らっかてんじたさい速度そくど砲弾ほうだん重量じゅうりょうによってまるため、ほぼ砲弾ほうだん重量じゅうりょうのみが主砲しゅほう威力いりょく決定けっていすることになった。だい世界せかい大戦たいせん米国べいこく戦艦せんかんの16インチほう砲弾ほうだんは、なが形状けいじょうによって重量じゅうりょうしており、45口径こうけいほう他国たこくよりも砲弾ほうだん速度そくど低速ていそく、50口径こうけいほう他国たこくの45口径こうけい速度そくど同等どうとうであった。

ふくほう高角こうかくほう 編集へんしゅう

ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだいは、近距離きんきょり砲戦ほうせん主体しゅたいであり、発射はっしゃ速度そくどまさ多数たすうふくほうやくった。

水雷すいらいてい登場とうじょうすると、これに対処たいしょするためにふくほうよりもさらに小型こがたで、まわしのよいほう搭載とうさいした。また主砲しゅほうは4もん搭載とうさいする時代じだいがしばらくつづいたため、各国かっこく戦艦せんかんほうりょく拡大かくだいさいには、ふくほう大型おおがた、あるいはふくほうより大型おおがた主砲しゅほうより小型こがたちゅうあいだほう装備そうびするれいがみられた(じゅんいしゆみきゅう戦艦せんかん)。

そのいしゆみきゅう戦艦せんかん始祖しそたる「ドレッドノート」において、主砲しゅほうもんすうを10もん増加ぞうかさせた。そして多数たすう主砲しゅほう艦橋かんきょうからの一元いちげんてき射撃しゃげき管制かんせいにより、遠距離えんきょり砲戦ほうせんでの命中めいちゅうりつたかめ、搭載とうさいほう主砲しゅほうたい水雷すいらいていようの7.6cm(3インチ)速射そくしゃほうとし、それ以外いがいほう廃止はいしした。しかしながらつづいていしゆみきゅう戦艦せんかん建造けんぞうした他国たこく海軍かいぐんは、ふくほうのこした。いしゆみきゅう戦艦せんかん以降いこうふくほうは、戦艦せんかん同士どうし近距離きんきょり砲戦ほうせん目的もくてきとしたものではなく、水雷すいらいてい、それより発達はったつした駆逐くちくかんなどの、小型こがた艦艇かんていへの対処たいしょ目的もくてきとしたものとなった。主砲しゅほう旋回せんかい速度そくど単位たんい時間じかんあたりの射撃しゃげき速度そくどひくく、小型こがた高速こうそくかんへの対処たいしょ困難こんなんだったためである。イギリス海軍かいぐん駆逐くちくかんへの対処たいしょのため、たい水雷すいらいていようであった速射そくしゃほう大型おおがたし、事実じじつじょうふくほう復活ふっかつとなった。

ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだいから超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん時代じだいにかけて、戦艦せんかんふくほうは、舷側げんそくケースメイト配置はいちされがわかた指向しこうする設計せっけいおおかった。日本にっぽんでは長門ながとがたまでがこの形態けいたいである。一方いっぽうじゅんいしゆみきゅう戦艦せんかんにおいては、中間なかまほう砲塔ほうとう形式けいしきとし、舷側げんそく配置はいちするのが通例つうれいであった。1920ねんごろより、ふくほうについても中間なかまほう同様どうように、連装れんそうまたは3連装れんそう砲塔ほうとう形式けいしきとし、2たか位置いち船体せんたい中心ちゅうしんせんじょうに、のこりをひく甲板かんぱんじょう側面そくめん配置はいちすることで前方ぜんぽう後方こうほうがわかたいずれにけても一定いっていすう砲門ほうもんすう指向しこうできる設計せっけいとなった。ノースカロライナきゅう大和やまとがたなどがこの形態けいたいである。舷側げんそく砲塔ほうとう形式けいしき前後ぜんごかたから2だん背負せおいしき配置はいちとすることでやはり前方ぜんぽう後方こうほうがわかたいずれにけても砲門ほうもんすう指向しこうできる設計せっけいがキング・ジョージ5せいきゅうなどに採用さいようされた。

アメリカが1934ねん制式せいしきした38口径こうけい5インチほう(12.7cmほうは、たいかん射撃しゃげきにも対空たいくう射撃しゃげきにも使つかえる両用りょうようほうだった。以後いごのアメリカの戦艦せんかんふくほう高角こうかくほうをこの5インチ両用りょうようほう一本いっぽんし、連装れんそう砲塔ほうとうおさめて搭載とうさいした。イギリスも1940ねんに50口径こうけい5.25インチ両用りょうようほう(13.3cmほう)(en:QF 5.25 inch gun)を制式せいしきし、アメリカとおなじくふくほう高角こうかくほう統合とうごうして、キング・ジョージ5せいきゅう連装れんそう砲塔ほうとう搭載とうさいしたが、ふくほうとしての性能せいのうには問題もんだいがなかったものの高角こうかくほうとしては速射そくしゃせいけるなど欠点けってんおおほうだった。日本にっぽん両用りょうようほう開発かいはつおくれを事実じじつじょう開発かいはつ成功せいこうしなかったので[よう出典しゅってん] ふくほう高角こうかくほう両方りょうほう装備そうびつづけたが、大和やまとがたの15.5cmさん連装れんそうふくほうれいしき通常つうじょうだんさんしきだんわせての対空たいくう射撃しゃげき効果こうかてき速射そくしゃせいかったと用兵ようへいがわには好評こうひょうであった(しかし艦隊かんたい全体ぜんたいでの絶対ぜったいてき高角こうかくほうもんすう不足ふそくしており、また近接きんせつ信管しんかん開発かいはつされず旧来きゅうらい時限じげん信管しんかんしか使用しようしなかったことも日本にっぽん海軍かいぐん艦隊かんたい防空ぼうくう能力のうりょく不足ふそくにつながった)。

一方いっぽう高角こうかくほうについては、1920ねんごろまでは航空機こうくうき発達はったつ戦艦せんかん脅威きょういになるとはまったかんがえられていなかったため、高角こうかくほう搭載とうさいはされなかった。1920ねんごろより高角こうかくほう搭載とうさいはじまったが、このころは7.6cmたんそう高角こうかくほうを4もんしょう威力いりょくたん射程しゃてい高角こうかくほう少数しょうすうむのみであった。1930ねんごろより次第しだい航空機こうくうき脅威きょうい考慮こうりょはじめられ、長門ながとがたでは改装かいそうに12.7センチ連装れんそう高角こうかくほう48もん搭載とうさいした。ヴィットリオ・ヴェネトきゅう新造しんぞうより9cmたんそう高角こうかくほう12もん搭載とうさい、ビスマルクきゅうでは10.5cm高角こうかくほう連装れんそう816もんと3.7cm高角こうかくほう連装れんそう816もん搭載とうさいした。アメリカが高角こうかくほうわり5インチ両用りょうようほう装備そうびしたのは前述ぜんじゅつのとおりだが、そのもんすうとしては1941ねん就役しゅうえきのノースカロライナきゅう連装れんそう1020もんであった。

だい世界せかい大戦たいせんはじめるとすぐにタラント空襲くうしゅう真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき・マレーおき海戦かいせん航空こうくう攻撃こうげきによって戦艦せんかん撃沈げきちんされる事態じたいがたてつづけにこったため防空ぼうくう能力のうりょく強化きょうかかんがえられ、旧型きゅうがた戦艦せんかんではふくほうろして高角こうかくほう追加ついかする改装かいそうおこなわれた。しかし改装かいそうおこなっても金剛こんごうがたで12.7cmほう12もんまるなど、新造しんぞう時点じてん対空たいくう装備そうび重視じゅうしされていたノースカロライナきゅう・サウスダコタきゅう・アイオワきゅうの5インチ両用りょうようほう20もんにはおとった。

きのえ鉄板てっぱん装甲そうこう 編集へんしゅう

 
魚雷ぎょらい命中めいちゅうして内側うちがわまれた戦艦せんかんオクラホマ舷側げんそく装甲そうこう真珠湾しんじゅわん

飛来ひらいするてきだんをはねかえ目的もくてき装備そうびされる鉄板てっぱん自艦じかん搭載とうさいする主砲しゅほうだん攻撃こうげきえられるだけの装甲そうこうほどこすことがもとめられていた。かん水線すいせん近辺きんぺん垂直すいちょくのち傾斜けいしゃして装備そうびする装甲そうこうまれた)に装備そうびする水線すいせんきのえてつ水平すいへい甲板かんぱん装備そうびする甲板かんぱんきのえてつがあり、どちらも特殊とくしゅこうでできている。きのえてつもとめられる重要じゅうよう性能せいのうおもつぎの2てんである。

  1. てきだん侵入しんにゅう阻止そしするかた
  2. 衝撃しょうげきけてもれにくいこと

これらは鉄鋼てっこうにとって相反あいはんする性能せいのうであり、従来じゅうらい技術ぎじゅつでは1種類しゅるい材質ざいしつでは達成たっせい困難こんなんであった。そこで1890年代ねんだいまでは日本にっぽん初代しょだい戦艦せんかん富士ふじ」などが、かたいがもろい鉄板てっぱん外側そとがわに、ねばづよいがやわらかい鉄板てっぱん内側うちがわわせた「ふくごうきのえてつ」をもちいていた。1890年代ねんだいにアメリカじんのハーヴェイがニッケルこう表面ひょうめん浸炭しんたん処理しょりほどこし、表面ひょうめんのみ硬化こうかさせてたい弾力だんりょく飛躍ひやくてき強化きょうかした「ハーヴェイこう」(ハーヴェイ・ニッケルこう)を発明はつめいした。富士ふじきゅう水線すいせんかぶとてつは「ふくごうきのえてつ」で457mmあったが、敷島しきしまきゅうは「ハーヴェイこう」、三笠みかさは、クルップこう使つかい 229mm に半減はんげんでき、たい弾力だんりょく富士ふじ上回うわまわった。そのきのえてつ順次じゅんじ改良かいりょうほどこされたが基本きほんてきには表面ひょうめん浸炭しんたん処理しょり技術ぎじゅつもちつづけている。

水線すいせんかぶとてつあつさは主砲しゅほう強化きょうかしたがって増加ぞうかだいいち世界せかい大戦たいせん直前ちょくぜんで255-305mm、だいいち世界せかい大戦たいせんで305-330mm、「大和やまと」では ついに410mm にたっした。一方いっぽう甲板かんぱんかぶとてつだいいち世界せかい大戦たいせんまであまり問題もんだいにされず50-100mmだった。そのにち戦争せんそう〜ユトランド海戦かいせん損害そんがい戦後せんごじつかんもちいたテストで、遠距離えんきょりほう戦時せんじかん水平すいへいへの着弾ちゃくだんおおきな損害そんがいにつながることが判明はんめいし、だい大戦たいせんまえ建造けんぞうされたかん甲板かんぱんかぶとてつ強化きょうかしている。どくが120mm、べいえいで150mm前後ぜんこうふつで200mm未満みまん大和やまとでは200mmきょうあつさがあり、砲弾ほうだんだけでなく航空機こうくうきによる急降下きゅうこうか爆撃ばくげきにも十分じゅうぶん防御ぼうぎょりょくっていた。しかし、甲板かんぱん防御ぼうぎょ水線すいせん防御ぼうぎょくらべて広範囲こうはんいおお必要ひつようせいがあり、装甲そうこう水平すいへいることによる重量じゅうりょう増加ぞうか懸念けねんされた。そのため、水線すいせん装甲そうこう内側うちがわ傾斜けいしゃさせて装甲そうこう傾斜けいしゃ装甲そうこう方式ほうしき開発かいはつされ、列強れっきょうおおくはこぞってしん戦艦せんかん採用さいようして重量じゅうりょう軽減けいげんつとめたが、イギリスとドイツは独自どくじ理論りろんもとづき、イギリスはネルソン以降いこうからふたた垂直すいちょく装甲そうこうかえり、一方いっぽうドイツは垂直すいちょく装甲そうこう固執こしつした。

また、だいいち世界せかい大戦たいせん以降いこうでは、重量じゅうりょう問題もんだいからかん全体ぜんたい十分じゅうぶん装甲そうこう防御ぼうぎょほどこすのは困難こんなんであり中庸ちゅうよう不十分ふじゅうぶん装甲そうこうあつでは無駄むだおおいとして、主要しゅよう部分ぶぶんのみ十分じゅうぶん装甲そうこうあつ配分はいぶんする「集中しゅうちゅう防御ぼうぎょ方式ほうしき」が戦艦せんかん防御ぼうぎょ標準ひょうじゅんとなった。ただしドイツ海軍かいぐん戦艦せんかん独自どくじ理論りろんにより、全体ぜんたい防御ぼうぎょ採用さいようつづけていた。

自艦じかん主砲しゅほうだんえられる装甲そうこう戦艦せんかん設計せっけい条件じょうけんとされ、この定義ていぎたさず防御ぼうぎょりょく妥協だきょうして速力そくりょくたかめたかんめぐよう戦艦せんかんばれる。ただしこれは結果けっかろんによる定義ていぎであり、元来がんらいじゅんよう戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかんから発達はったつしたものである。ぎゃく若干じゃっかんであるが防御ぼうぎょりょく妥協だきょうして速力そくりょくたかめた戦艦せんかん存在そんざいし、現実げんじつには「自艦じかん主砲しゅほうだんえられる装甲そうこう」という定義ていぎ絶対ぜったいてきなものではない。

水中すいちゅう防御ぼうぎょ 編集へんしゅう

機雷きらい魚雷ぎょらいとうによるかん喫水線きっすいせん以下いかたいする攻撃こうげきからの防御ぼうぎょを「水中すいちゅう防御ぼうぎょ」とび、水面すいめん船体せんたい側壁そくへきやぶられることで艦内かんない大量たいりょうみず浸水しんすいし、浮力ふりょく重量じゅうりょうバランスをうしな沈没ちんぼつ転覆てんぷくしたり、船体せんたい傾斜けいしゃによりきゅうだんできずつぎせん不能ふのうになるような事態じたいふせぐことである。このため、フランス造船ぞうせん士官しかんルイ=エミール・ベルタン舷側げんそく水面すいめん部分ぶぶんに「細分さいぶんされた水雷すいらい防御ぼうぎょ区画くかくもう水密すいみつ構造こうぞう」にし、さらに「かこえせきばれる水線すいせん防御ぼうぎょ隔壁かくへき装甲そうこうもうけることにより浸水しんすいをその区画くかくだけに極限きょくげんする方法ほうほう」を1880年代ねんだい発表はっぴょうし、以降いこう各国かっこく戦艦せんかんれられもちいられている。のちにこの水密すいみつ区画くかく一部いちぶにあらかじめ液体えきたいたして衝撃しょうげきやわらげながら浸水しんすいによる重量じゅうりょう均衡きんこうける方法ほうほうかんがされた。

それまでほぼ無防備むぼうびであった、水中すいちゅう爆発ばくはつたいする防御ぼうぎょよう装甲そうこう水雷すいらい防御ぼうぎょ隔壁かくへき)をそなえたのは、これもフランスで建造けんぞうされたロシア戦艦せんかんツェサレーヴィチ嚆矢こうしであるとされている。当時とうじ戦艦せんかんおおくは防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん甲板かんぱん防御ぼうぎょれており、水線すいせん近辺きんぺん位置いち装甲そうこうほどこした防御ぼうぎょ甲板かんぱんそなえ、そのはしななめにげて舷側げんそく装甲そうこう下端かたん接続せつぞくさせていた。ツェサレーヴィチはこのなな部分ぶぶん真下ましたげてかん底部ていぶまでばし、水中すいちゅう爆発ばくはつたいする防御ぼうぎょ隔壁かくへきとしている。

水中すいちゅう爆発ばくはつによる被害ひがいは、衝撃波しょうげきは水圧すいあつ爆発ばくはつによる破片はへんによりもたらされる。水中すいちゅう防御ぼうぎょはこれらの被害ひがいふせこと目的もくてきとしており、そとばん爆発ばくはつ地点ちてん)から隔壁かくへきまでの距離きょり十分じゅうぶんり、そのあいだ空虚くうきょ燃料ねんりょう石炭せきたん重油じゅうゆタンク)をそうにするなどして威力いりょく減衰げんすいさせること意図いとしている。 防御ぼうぎょ方式ほうしきには列強れっきょう各国かっこく特色とくしょくがあり、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテネシーきゅう以後いご米国べいこく戦艦せんかん採用さいようされた「多層たそう水雷すいらい防御ぼうぎょ方式ほうしき」は防御ぼうぎょ区画くかくなんそうにももうけ、液体えきたいたした方式ほうしきである。フランスはダントンきゅう6ばんかん「ヴォルテール」以後いごから水密すいみつ区画くかくはん固形こけいぶつ充填じゅうてんしてかみなり衝撃しょうげき水圧すいあつから隔壁かくへきまも理想りそうてき方式ほうしきとう開発かいはつされて実戦じっせん有効ゆうこうせい証明しょうめいされていた。くにでも独自どくじ理論りろんにより開発かいはつおこなっていたが、工作こうさく技術ぎじゅつ未熟みじゅくさや理論りろんたおれのために効果こうかてき防御ぼうぎょりょくられなかった。また、戦艦せんかん改装かいそう増大ぞうだいした重量じゅうりょう喫水線きっすいせんがるのを防止ぼうしするため、舷側げんそくにバルジを装着そうちゃくされることがあるが、バルジには浮力ふりょく維持いじ同時どうじに、水雷すいらい防御ぼうぎょ強化きょうか意味合いみあいもあった。

間接かんせつてき防御ぼうぎょとして、浸水しんすいによる転覆てんぷく防止ぼうしするため、艦内かんない各所かくしょへのちゅう排水はいすい装置そうち装備そうびされてった。これは浸水しんすい排水はいすいするだけでなく、浸水しんすい傾斜けいしゃしたかん反対はんたいふなばたそらしょ意図いとてき注水ちゅうすいしてバランスをたもつもので、いちれいとして、ユトランドおき海戦かいせんときかみなりによりかんくび沈降ちんこう危機ききひんしたドイツじゅんよう戦艦せんかんザイドリッツは、かんへの注水ちゅうすいによりどうにかバランスをたもち、沈没ちんぼつ寸前すんぜんながらもみなとにたどりいている。

「ドレッドノート」の登場とうじょうまえだいいち大戦たいせん時代じだい戦艦せんかんは、機雷きらいへのさわかみなり魚雷ぎょらい攻撃こうげきであっけなく沈没ちんぼつしたかんおおいが、設計せっけい造艦ぞうかん当時とうじ元々もともと機雷きらい魚雷ぎょらい知見ちけんすくなく、これらのしん兵器へいき急速きゅうそく性能せいのう向上こうじょうがこれらの戦艦せんかん設計せっけい想定そうていえていたといえる。そのれいとして、にち戦争せんそう初期しょき日本にっぽんの「八島やしま」と「初瀬はつせ」、ロシアの「ペトロパブロフスク」が機雷きらいれて沈没ちんぼつしている。魚雷ぎょらいなどの爆発ばくはつりょくかんそとばんから内部ないぶ防御ぼうぎょ装甲そうこういたまでの距離きょりの3じょう比例ひれいしてよわくなるため、かんはばおおきいほう水中すいちゅう防御ぼうぎょほどこうえ有利ゆうりとなる。アメリカのサウスダコタきゅうまえきゅうノースカロライナきゅうよりかんはばおおきくした理由りゆうはこのてんにもあるとされている。

また砲弾ほうだんたいする防御ぼうぎょとはことなり、1920年代ねんだいなかばまでのけんかん常識じょうしきでは水中すいちゅう防御ぼうぎょでは分厚ぶあつ鉄板てっぱんかならずしも必要ひつようではなく、30-50mm程度ていど装甲そうこうでよいとされていたが、日本にっぽん海軍かいぐんはワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくによりはいかんとなったが進水しんすいませるほどに建造けんぞうすすんでいた戦艦せんかん土佐とさ」をかん標的ひょうてきとした1924ねん砲撃ほうげき実験じっけんによって、かん手前てまえ着水ちゃくすいした砲弾ほうだん水中すいちゅう直進ちょくしんしてかんたい命中めいちゅうおおきな被害ひがいあたえる水中すいちゅうだん効果こうかたしかめ、これにたいする防御ぼうぎょとして水線すいせんにも装甲そうこう延長えんちょうしている。なお、水中すいちゅうだん効果こうかはアメリカ海軍かいぐんも1935ねんごろ実験じっけんによって同様どうよう効果こうか確認かくにん[1]、これにより戦艦せんかんサウスダコタきゅう以降いこうべい戦艦せんかん水線すいせん防御ぼうぎょ観点かんてんから舷側げんそく装甲そうこう一部いちぶ水線すいせんからかん底部ていぶまでばして水中すいちゅうだん対応たいおうしている。しかしノースカロライナきゅう以前いぜんべい戦艦せんかん水中すいちゅうだん防御ぼうぎょはなく、えいどくふつ新型しんがた戦艦せんかん水中すいちゅうだんたいする防御ぼうぎょたなかった。

戦艦せんかん時代じだい後期こうきには、装甲そうこうふく水密すいみつ鋼板こうはんけをリベット工法こうほうから溶接ようせつ工法こうほうえる(当然とうぜん水上すいじょう部分ぶぶんにもあった)時代じだいうごきがあったが、その適用てきようには各国かっこく基礎きそ工業こうぎょう技術ぎじゅつりょく方針ほうしんによる部分ぶぶんがあり、きゅう日本にっぽん海軍かいぐん平賀ひらがゆずるのリベット工法こうほう主義しゅぎ(と中央ちゅうおう隔壁かくへき主義しゅぎ)により、おおくの戦艦せんかん航空こうくう魚雷ぎょらい被弾ひだんによる水密すいみつ喪失そうしつ浮力ふりょく喪失そうしつ傾斜けいしゃ転覆てんぷくうしなっている[独自どくじ研究けんきゅう?]

機関きかん 編集へんしゅう

「ドレッドノート」以前いぜん戦艦せんかんぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん)は、蒸気じょうき機関きかんしゃおな構造こうぞう蒸気じょうきレシプロ方式ほうしきであったが、「ドレッドノート」以後いご一部いちぶ例外れいがいのぞ蒸気じょうきタービンしき採用さいようした。ドイツのポケット戦艦せんかんディーゼル機関きかんだった。だい世界せかい大戦たいせんまえにちどく戦艦せんかんへのディーゼル機関きかん採用さいよう検討けんとうがあったが信頼しんらいせい開発かいはつ能力のうりょく関係かんけい実現じつげんしなかった。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくいしゆみきゅう戦艦せんかん以後いごにも一部いちぶかんレシプロ機関きかん採用さいようしていたが、この当時とうじのタービン機関きかん燃費ねんぴがレシプロにおよばなかったためである。そのの1920年代ねんだいには蒸気じょうきタービンで発電はつでんまわし、電気でんきモーターでスクリューをまわターボ・エレクトリック方式ほうしきによって、巡航じゅんこう蒸気じょうきタービンの燃費ねんぴわるさを改善かいぜんしようとしたこころみがあった。こののち、アメリカとフランスは、高温こうおんだかあつ蒸気じょうき高圧こうあつボイラと高速こうそく回転かいてんするタービンじく歯車はぐるまスクリュー・プロペラてきした回転かいてんすうまで減速げんそくするギヤード・タービンのわせで、ディーゼル機関きかんせまこう燃費ねんぴのタービン機関きかん開発かいはつ成功せいこうした。イギリスとイタリアもギヤード・タービンは実用じつようしていたが、燃費ねんぴわるいために航続こうぞく距離きょり制限せいげんされ、べいふつおくれをとった。

日本にっぽんはイギリスで建造けんぞうされた金剛こんごうがたじゅんよう戦艦せんかんがイギリスせいのギヤード・タービンを採用さいようし、扶桑ふそうがた伊勢いせがたでもイギリスせいライセンス生産せいさんしたギヤード・タービンとしたが、あつかいになんがあったため国内こくない改良かいりょうかさね、長門ながとがた以降いこう国産こくさんギヤード・タービンを搭載とうさい金剛こんごうがた以降いこう改装かいそうかわそうしている。

戦艦せんかん分類ぶんるい 編集へんしゅう

ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん(pre-Dreadnoughts)
 
大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん三笠みかさ(1905ねんごろ
戦艦せんかんというかんしゅ始祖しそともえるのがぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんである。ドレッドノートが登場とうじょうする以前いぜん戦艦せんかんということで、ぜんいしゆみきゅうばれる。主砲しゅほうを4もん以下いか、10-15.2cmのふくほう多数たすう搭載とうさいする。また水雷すいらいてい登場とうじょうすると、これを撃退げきたいするために7.6cmほう多数たすう追加ついかしたかん存在そんざいする。例外れいがいてきにドレッドノート以前いぜんにも4もんえる主砲しゅほう搭載とうさいするかんもあるが、後述こうじゅつする理由りゆうでこれらはぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんふくめる。
最初さいしょ主砲しゅほうによる遠距離えんきょり砲戦ほうせんからはじまるが、この段階だんかい主砲しゅほうだん命中めいちゅうすることはほとんどなく、やがて接近せっきんしてふくほうふくめてのい、さらには衝角による体当たいあたり攻撃こうげき決着けっちゃくをつけるというのが、基本きほんてきぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん同士どうしたたかいであった。しかし衝角は戦艦せんかん時代じだいにおいて実戦じっせん役立やくだったれいがなく、むしろ衝突しょうとつ事故じこさい被害ひがい拡大かくだいする結果けっかとなり、後述こうじゅついしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだいには消滅しょうめつした。
日本海にほんかい海戦かいせん主砲しゅほうによる長距離ちょうきょり砲戦ほうせん有効ゆうこうせいしめされたため、後述こうじゅつするいしゆみきゅう戦艦せんかんへと発展はってんしていく。
じゅんいしゆみきゅう戦艦せんかん(semi-dreadnoughts)
ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん大型おおがた発展はってんしていく過程かていで、主砲しゅほうふくほう以外いがいに、17-25.4cmのなかあいだほう装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん主砲しゅほうクラス)を搭載とうさいするか、ふくほう自体じたい発展はってんしたものをす。いしゆみきゅうじゅんじるほうりょくそなえるということでじゅんいしゆみきゅうばれるが、主砲しゅほう中間なかまほうふくほうたい水雷すいらいていよう小型こがたほうと4種類しゅるいものほう制御せいぎょするのはきわめて困難こんなんだった。とくいしゆみきゅう戦艦せんかんとの遠距離えんきょり砲戦ほうせんでは主砲しゅほう射程しゃていちがいから太刀打たちうちできないとされた。近距離きんきょり砲戦ほうせんではちゅうあいだほう速射そくしゃせいからくる豊富ほうふたまりょう相応そうおう威力いりょく発揮はっきできたが、そもそも弩級艦どきゅうかんおおくはじゅんいしゆみきゅう戦艦せんかんより高速こうそくであり、自由じゆう戦闘せんとう距離きょりえらぶことができるため圧倒的あっとうてき不利ふりわらないとされた。そのためとく分類ぶんるいせずにぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんふくめる場合ばあいおおい。
いしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだいになってから、主砲しゅほうようべつちゅうあいだほうふくほうよう射撃しゃげき管制かんせい装置そうち追加ついかしたものがあり、この改良かいりょうくわえたかん本当ほんとういしゆみきゅうじゅんじるほうりょくそなえていたともひょうされた。
いしゆみきゅう戦艦せんかん(dreadnoughts)
 
アメリカのいしゆみきゅう戦艦せんかんワイオミングきゅう「ワイオミング」。
28.3-30.5cm主砲しゅほうおな口径こうけい(この場合ばあい砲身ほうしんちょうす)で8-14もん装備そうびする戦艦せんかんぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんでは遠距離えんきょり砲撃ほうげきでの主砲しゅほうだん命中めいちゅうはほとんど期待きたいできなかったが、主砲しゅほうかずやすことにより命中めいちゅうりつした。また、ただたん主砲しゅほう多数たすう搭載とうさいするというだけでなく、艦橋かんきょうから一元いちげんてきかく砲台ほうだい方位ほうい距離きょり指示しじすることによって、遠距離えんきょり砲戦ほうせん対応たいおうした。これ以前いぜんにも少数しょうすうながら4もんえる主砲しゅほう搭載とうさいした戦艦せんかん存在そんざいするが、射撃しゃげき指揮しきかく砲台ほうだいでめいめいにおこなげきほうしきであり、遠距離えんきょり砲戦ほうせん命中めいちゅう期待きたいできないことにわりはなかった。
いしゆみきゅう名称めいしょうは、その始祖しそである英国えいこく戦艦せんかんドレッドノート由来ゆらいする。ドレッドノートの場合ばあい主砲しゅほうを10もん搭載とうさいすると同時どうじに、軽量けいりょうのためにちゅうあいだほうふくほう一切いっさい廃止はいしし、たい水雷すいらいていよう小型こがたほうだけをのこすという徹底てっていりである。しかし、他国たこく海軍かいぐんいしゆみきゅう戦艦せんかんなかにはふくほうのこしたものが多数たすうあり、ドレッドノートのその選択せんたくあやまりだったとわれる。その英国えいこく戦艦せんかんたい水雷すいらいていよう小型こがたほうをより大型おおがたし、事実じじつじょうふくほう復活ふっかつした。いしゆみきゅう戦艦せんかん搭載とうさいするふくほうは、近距離きんきょり砲戦ほうせんようというよりも、むしろ水雷すいらいていわって脅威きょういとなった駆逐くちくかん対抗たいこうするためにこう威力いりょくよりも速射そくしゃ性能せいのう重視じゅうししたものとなった。
なお、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん河内かわうちがたは、通常つうじょういしゆみきゅう戦艦せんかん分類ぶんるいされるが、実際じっさいには30.5cm(50口径こうけいほうと30.5cm(45口径こうけいほう混載こんさいしているためぜん砲門ほうもんたいする一元いちげんてき射撃しゃげき指揮しきができないことから、実質じっしつじゅんいしゆみきゅう戦艦せんかんであると注釈ちゅうしゃくされる場合ばあいおおい(海人あましゃ世界せかい艦船かんせんシリーズなど)。ただし50口径こうけいほう初速しょそくおさえることで、いしゆみきゅう戦艦せんかんてき運用うんよう可能かのうではあった。
超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん(super dreadnoughts)
 
はつ超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかんオライオン
30.5cmをえる34.3cmの主砲しゅほう搭載とうさいする戦艦せんかんオライオンきゅう戦艦せんかん)が登場とうじょうすると、マスコミはいしゆみきゅうえるという意味いみで、超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん報道ほうどうした。ただしこれらはたん主砲しゅほう口径こうけいちがいによるものであり、いしゆみきゅう戦艦せんかん基本きほんてき構成こうせいにおいては差異さいがあるわけではない。重要じゅうようなのは主砲しゅほう口径こうけいかんたいサイズへのかせはらわれたことで、超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん出現しゅつげんにより大艦だいかんきょほう時代じだい本格ほんかくてき開幕かいまくした。
主砲しゅほう口径こうけいでオライオンきゅう戦艦せんかん同等どうとう以上いじょうかん超弩級ちょうどきゅう定義ていぎするのが一般いっぱんてきだが、ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかん時代じだいにも34.3cm、あるいはもっとだい口径こうけい主砲しゅほう戦艦せんかん存在そんざいした。また、32cmほう搭載とうさいのイタリア戦艦せんかんいしゆみきゅう超弩級ちょうどきゅうか、あるいは28.3cmのドイツ戦艦せんかん主砲しゅほうは30.5cmの英国えいこく戦艦せんかん威力いりょく匹敵ひってきするとわれていたこともあり、「なら30.5cm主砲しゅほうのドイツ戦艦せんかん超弩級ちょうどきゅうではないか」といった、種々しゅじゅ異論いろん存在そんざいする。
めぐよう戦艦せんかん(battlecruiser)
 
大正たいしょう2ねん(1913ねん)5がつ8にちクライドわんおおやけためしちゅうじゅんよう戦艦せんかん時代じだいの「きむつよし」。3ほん煙突えんとつからは、もうもうとくろけむりのぼっている。このときの全力ぜんりょくこうためしでは27.54ktを記録きろくした[2]
めぐよう戦艦せんかんとは、その発祥はっしょうにおいて装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん主砲しゅほう戦艦せんかんみに強化きょうかした、戦艦せんかんよりも高速こうそくかんである。一方いっぽう防禦ぼうぎょりょく犠牲ぎせいとし装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんどう程度ていどおさえているが、強化きょうかしているかんもある。こういったかんを、このかんしゅめい建造けんぞうしたのは、英国えいこくおよび日本にっぽんのみである。
ドイツは英国えいこくじゅんよう戦艦せんかん対抗たいこうして、どう時期じきのドイツ戦艦せんかんよりもひとクラス小型こがた主砲しゅほうと、若干じゃっかんおと程度ていど(ただし英国えいこく戦艦せんかんとは同等どうとう)の装甲そうこうっているかん建造けんぞうしている。これらのかんはドイツ海軍かいぐんでは「だい巡洋艦じゅんようかん」に分類ぶんるいされており(だい巡洋艦じゅんようかんは、他国たこく海軍かいぐんでいうところ装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんじゅう巡洋艦じゅんようかんふくかんしゅ)、英国えいこくじゅんよう戦艦せんかんとは性格せいかくことなるものの、英国えいこくじゅんよう戦艦せんかん対抗たいこうするかんしゅということでめぐよう戦艦せんかん分類ぶんるいされている。
ユトランドおき海戦かいせん防禦ぼうぎょりょく妥協だきょうした英国えいこくじゅんよう戦艦せんかん問題もんだいてん露呈ろていしたため、一部いちぶかん防禦ぼうぎょりょく強化きょうか改修かいしゅうがなされた。金剛こんごうがためぐよう戦艦せんかんとして建造けんぞうされたが、だいいち改装かいそうにおいて装甲そうこうしたさい速力そくりょくが26ノットまで低下ていかしたため戦艦せんかん類別るいべつ変更へんこうされ、だい改装かいそう機関きかん強化きょうかしたことでふたたび30ノットの速力そくりょくさいに(対外たいがいてきには戦艦せんかんのままであったが)海軍かいぐん内部ないぶあつかいが高速こうそく戦艦せんかん再度さいど変更へんこうされた。
またドイツ海軍かいぐん戦艦せんかんとして建造けんぞうしたシャルンホルストきゅうと、アメリカ海軍かいぐん大型おおがた巡洋艦じゅんようかんとして建造けんぞうしたアラスカきゅうも、めぐよう戦艦せんかん分類ぶんるいされることがおおい。
特異とくいれいとして、きゅうソ連それん海軍かいぐんキーロフきゅうミサイル巡洋艦じゅんようかんは、排水はいすいりょうではドレッドノートを上回うわまわ大艦だいかんであり、ジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかんにおいてめぐよう戦艦せんかん分類ぶんるいされている。しかし現代げんだいてきなミサイルかん大型おおがたしたものであって、いわゆるだい世界せかい大戦たいせんまでのじゅんよう戦艦せんかんとはまった性格せいかくことなるかんである。
ポスト・ジュットランドがた[3](post Jutland)
ユトランドおき海戦かいせん独語どくごみでは ユートラント、英語えいごみではジャトランドであるが、日本にっぽんでは独語どくご英語えいごぜたような『ユトランド』あるいは『ジュットランド』なるかたすくなくない)以降いこうに、この教訓きょうくんれて新造しんぞう・ないし改装かいそうされた戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかんのこと。具体ぐたいてきには戦艦せんかん速度そくど向上こうじょうめぐよう戦艦せんかん防御ぼうぎょりょく向上こうじょう、そして戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかんわず、それまでかえりみられることのなかった水平すいへい防御ぼうぎょ向上こうじょうがなされた。いしゆみきゅう超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん砲戦ほうせん距離きょり増大ぞうだいともない、放物線ほうぶつせんえがいて飛来ひらいする砲弾ほうだんは、舷側げんそくではなく甲板かんぱん命中めいちゅうすることがおおくなった。おもかんでは大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん長門ながとがた相当そうとうする。
なおユトランドおき海戦かいせん以前いぜん建造けんぞうされた戦艦せんかんじゅんよう戦艦せんかんでも、だい世界せかい大戦たいせんまえまでにこの海戦かいせんせんくんもとづいただい改装かいそうおこない、速度そくどあるいは防禦ぼうぎょりょく強化きょうかしたかん多数たすう存在そんざいし、日本にっぽんでは金剛こんごうがた以降いこうのすべてが改装かいそうけている。
条約じょうやくがた戦艦せんかん(treaty battleship)
 
イギリスの条約じょうやくがた戦艦せんかんネルソン
ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくだいロンドン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく規定きていもとづいて建造けんぞうされた戦艦せんかん条約じょうやくによって戦艦せんかん進歩しんぽかせがはめられることになったため、るべき技術ぎじゅつてき特徴とくちょうはない。日本にっぽんにおいては前者ぜんしゃ戦艦せんかん新造しんぞう禁止きんしというかたちになり、後者こうしゃについては批准ひじゅんしていない。よって日本にっぽんではこのカテゴリにぞくする戦艦せんかん建造けんぞうはなされていないため、この言葉ことばはあまりもちいられない。
しん戦艦せんかん(new battleship)
海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだいけた1937ねん以降いこう(ロンドン条約じょうやく参加さんかしなかったフランス・イタリアにおいてはさらにすうねんまえ)に起工きこうされた戦艦せんかん対空たいくう火力かりょく大幅おおはば強化きょうか速力そくりょく増大ぞうだい最低さいていでも27ノット)が特徴とくちょうで、主砲しゅほう砲弾ほうだん照準しょうじゅん機器きき性能せいのう向上こうじょうにより最大さいだい3まんメートル前後ぜんこう戦闘せんとう距離きょり確保かくほしている。
それまでの条約じょうやくがた戦艦せんかんとは次元じげんちがいの戦闘せんとうりょくゆうするが、それは海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだい技術ぎじゅつ進歩しんぽ計画けいかくかられることができたからで、海軍かいぐん休日きゅうじつという世代せだいあいだ断絶だんぜつあってこそのレベルでしかない。したがってとく明確めいかくなコンセプトをってまれたしんかんしゅではなく、「しん戦艦せんかんばれるのも10-15ねんおよ建造けんぞう休止きゅうし期間きかんけ「あらたに」建造けんぞうされた戦艦せんかんという意味いみである。
一方いっぽう大和やまとがた戦艦せんかん例外れいがいとして、だい2ロンドン条約じょうやく影響えいきょうもあり、主砲しゅほうだい口径こうけいには歯止はどめがかかり、従来じゅうらい戦艦せんかんみ、あるいはやや口径こうけいおさえたものも存在そんざいする(主砲しゅほう口径こうけい増大ぞうだいさせたかん建造けんぞう構想こうそうのみでわっている)。速力そくりょく増大ぞうだいという観点かんてんでは後述こうじゅつ高速こうそく戦艦せんかん分類ぶんるいかさなるものであり、それにふくめることもおおい。
高速こうそく戦艦せんかん(fast battleship)
 
高速こうそく戦艦せんかん代表だいひょうかく、アイオワきゅう戦艦せんかんの4せき手前てまえよりアイオワ、ウィスコンシン、ミズーリ、ニュージャージ
超弩級ちょうどきゅう戦艦せんかん登場とうじょう以降いこうにおいて、戦艦せんかん火力かりょく防御ぼうぎょりょくめぐよう戦艦せんかん速力そくりょく融合ゆうごうさせた「はしおさむぼう」3拍子ひょうしそろった戦艦せんかん英国えいこく戦艦せんかんクイーン・エリザベスきゅう(24ノット)を始祖しそとする。ユトランドおき海戦かいせん結果けっか、「高速こうそく戦艦せんかん」が戦艦せんかん理想りそうがたであるとさい確認かくにんされた。その建造けんぞうされたおおむね速度そくど27〜30ノットの戦艦せんかん高速こうそく做された(めぐよう戦艦せんかんのぞく)。ただしコスト・建造けんぞう施設しせつ防御ぼうぎょめんなどの制約せいやくがあるため、なかなか普及ふきゅうしなかった
つまり前述ぜんじゅつのポスト・ジュットランドがたともほぼかさなる。たとえばめぐよう戦艦せんかんフッド防禦ぼうぎょりょく戦艦せんかんみに強化きょうかしており、事実じじつじょう高速こうそく戦艦せんかんしょうすべきではないかという意見いけんもある。日本にっぽん長門ながとがた(26ノット)も「ポスト・ジュットランドがた戦艦せんかん」であると同時どうじに「高速こうそく戦艦せんかん」でもあるとえるが[注釈ちゅうしゃく 6]、その改装かいそう速度そくど低下ていかした。
しん戦艦せんかん」は、「はしおさむぼう」3拍子ひょうしそろった戦艦せんかんという意味いみにおいては、すべてが高速こうそく戦艦せんかん該当がいとうするとってもよい。
しかしながら、高速こうそく戦艦せんかんという用語ようごぐんによって公式こうしきさだめられたかんしゅでなく、なにをもって高速こうそく戦艦せんかんであるかという明確めいかく定義ていぎ存在そんざいせず曖昧あいまいである。たとえば、しん戦艦せんかんなかにおいては比較的ひかくてき速度そくどひくい(27ノット程度ていど)イギリス海軍かいぐんキングジョージVきゅう大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん大和やまとがたは、高速こうそく戦艦せんかんふくめないこともおおい。一方いっぽうでアメリカ海軍かいぐんノースカロライナきゅうサウスダコタきゅうどう程度ていど速度そくどだが、これらのかんについては高速こうそく戦艦せんかんあつかいする文献ぶんけんすくなくない。そもそも高速こうそく戦艦せんかん始祖しそたるクイーン・エリザベスきゅうからして、防御ぼうぎょめん妥協だきょうしている「めぐよう戦艦せんかんてき」なかんである。
ぎゃくに、たん高速こうそく戦艦せんかんという意味いみでは、クイーン・エリザベスきゅう戦艦せんかん以前いぜん戦艦せんかん高速こうそく戦艦せんかんあつかいする場合ばあいがあり、たとえばイタリア戦艦せんかんダンテ・アリギエリ(24ノット)はこの時代じだい戦艦せんかんとしては卓越たくえつした速度そくど性能せいのうつため、高速こうそく戦艦せんかんふくまれる場合ばあいがある。
ただし例外れいがいもあり、フランス海軍かいぐんダンケルクきゅうは、フランス海軍かいぐん公式こうしき呼称こしょうにおいてcuirassé rapideと分類ぶんるいされており、従来じゅうらい戦艦せんかんのcuirassé d'escadreと区別くべつされていて、公式こうしきかんしゅとして高速こうそく戦艦せんかんであるといえる。またかんしゅめいではなく作戦さくせん用語ようごということになるが、太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん内部ないぶにおいて作戦さくせん立案りつあんとうもちいられた公式こうしき用語ようごでは、30ノットをせる金剛こんごうがた4せきのみが「高速こうそく戦艦せんかん」としてべつあつかいをされ、30ノット未満みまんしかせないほかの「戦艦せんかん」と区別くべつされていた。
アメリカ海軍かいぐんアイオワきゅう戦艦せんかんは30ノットの速力そくりょくった。
航空こうくう戦艦せんかん(aircraft carrier battleship / battlecarrier)
 
航空こうくう戦艦せんかん改装かいそうされた 伊勢いせ
戦艦せんかんとしてのだい口径こうけいほう装備そうびし、かつ航空こうくう母艦ぼかんまたは水上すいじょう母艦ぼかんじゅんずる航空機こうくうき運用うんよう能力のうりょくっている軍艦ぐんかんのこと。航空こうくう母艦ぼかん黎明れいめいにおいては、まだ航空こうくう母艦ぼかんそれ自体じたいのコンセプトがかたまっていなかったことと、当時とうじはまだ航空機こうくうき航続力こうぞくりょくちいさく航空こうくう母艦ぼかん砲戦ほうせん機会きかいがあるとかんがえられたため、一定いってい水上すいじょう戦闘せんとう能力のうりょく必要ひつようかんがえられ考案こうあんされたかんである。
最初さいしょ航空こうくう戦艦せんかんべるかんフューリアスであり、建造けんぞう途中とちゅうよりの設計せっけい変更へんこうかん前部ぜんぶ飛行ひこう甲板かんぱん後部こうぶ主砲しゅほうという姿すがた完成かんせいした。ほんかん空母くうぼ基本きほん構成こうせい模索もさくする過程かていまれた徒花あだばなべる存在そんざいで、空母くうぼというかんしゅ基本きほん構成こうせいかためるうえ重要じゅうよう役割やくわりたしたかんである。そのワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくによって空母くうぼ備砲びほう制限せいげん空母くうぼ名目めいもく戦艦せんかん匹敵ひってきするほうりょくかん建造けんぞうするのをふせぐため)がなされたため、このたねかん建造けんぞうされなかった。
条約じょうやくけの海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだい以降いこう様々さまざま航空こうくう戦艦せんかん提案ていあんされたが実現じつげんれいはなく、伊勢いせがたの2せきのみが既存きそんかんよりの改修かいしゅうというかたちで、航空機こうくうき24搭載とうさいする航空こうくう戦艦せんかんとなった。しかし搭載とうさいすべき航空機こうくうきがなかったがために、航空こうくう戦艦せんかんとしての実際じっさい運用うんようはなされないままでわった。
ポケット戦艦せんかん(pocket battleship)
 
ドイツ海軍かいぐんドイッチュラントきゅう装甲そうこうかん
ヴェルサイユ条約じょうやく制限せいげんにおいてドイツが建造けんぞうしたドイッチュラントきゅう装甲そうこうかんは、正確せいかくには戦艦せんかんとはえないが、マスコミはこぞって「ポケット戦艦せんかん」としてもてはやした。日本にっぽんではまめ戦艦せんかんともわれた。主砲しゅほうは28.3cmを6もん搭載とうさいいしゆみきゅう戦艦せんかん匹敵ひってきする火力かりょくつが、装甲そうこう防御ぼうぎょ巡洋艦じゅんようかんきゅうでしかなかった。しかし「はやさで戦艦せんかんに、攻防こうぼうりょく巡洋艦じゅんようかんまさる」というドイツの宣伝せんでん上手じょうずにフランスの世論せろん危機ききかんいだき、結果けっかとしてしん造艦ぞうかん予算よさんがつかなかったフランス海軍かいぐんダンケルクきゅう戦艦せんかん建造けんぞう承認しょうにんさせ、これにはじまるどくふつけんかん競争きょうそうがねとなり、欧州おうしゅうしん戦艦せんかん建造けんぞうおおきな影響えいきょうをもたらしたかんである。
海防かいぼう戦艦せんかん(Coast defense battleship / Coast Battleship)
 
フィンランド海軍かいぐんヴァイナモイネン
おも中小ちゅうしょうこく海軍かいぐんにおいて沿岸えんがん防衛ぼうえいもちいられる、低速ていそくで(戦艦せんかんくらべれば)小型こがたかんかんたいして大型おおがた主砲しゅほう搭載とうさいする。ぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんみのほうりょくつものは立派りっぱ小型こがた戦艦せんかんえるかもしれないが、巡洋艦じゅんようかん程度ていどほうりょくしかたないかん海防かいぼう戦艦せんかんばれており、これらまでふくめて戦艦せんかんぶことには異論いろんもある。なお、これらのかん防御ぼうぎょりょくにおいてじゅう巡洋艦じゅんようかんからぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんくらいの装甲そうこうつ。
ミサイル戦艦せんかん(guided missile battleship)・ミサイルじゅんよう戦艦せんかん(guided missile battlecruiser)
いわゆるミサイル巡洋艦じゅんようかんミサイル駆逐くちくかんというかんしゅ存在そんざいするように、戦艦せんかんにおいてもミサイル戦艦せんかんというかんしゅ構想こうそうされたことがある。1950年代ねんだいにおいてアイオワきゅう戦艦せんかんをミサイルかんしようという構想こうそうがあったが、結局けっきょく実現じつげんしないままにわった。
ニューメキシコきゅう戦艦せんかんの「ミシシッピ」は1950年代ねんだい改装かいそうテリア対空たいくうミサイルシステム搭載とうさいしたが、これは練習れんしゅうけん砲撃ほうげき実験じっけんかんという位置いちづけによってであり、実戦じっせんようかんとしてのミサイル戦艦せんかんではない。1980年代ねんだいにおいて、アイオワきゅう戦艦せんかん現役げんえき復帰ふっきともないミサイル装備そうびおこなわれたが、追加ついか装備そうびてきなものであり、本格ほんかくてきミサイル戦艦せんかんとはがたい。
1990年代ねんだい後半こうはんのアメリカ海軍かいぐんにおいては、『21世紀せいき戦艦せんかん』と銘打めいうったアーセナル・シップばれるミサイルかん開発かいはつ計画けいかくがあったが、結局けっきょく実現じつげんはされなかった。ミサイルは小型こがたかんにも搭載とうさいできる兵器へいきであり、あえて戦艦せんかんクラスの大型おおがたかん搭載とうさいする必要ひつようせいちいさいことが、最大さいだい問題もんだいてんである。
そのてん例外れいがいえるのが、きゅうソ連それん海軍かいぐんキーロフきゅうミサイル巡洋艦じゅんようかんである。名前なまえこそ巡洋艦じゅんようかんであるが、初期しょき戦艦せんかん排水はいすいりょう上回うわまわ大型おおがたかんであり、ジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかんはこれをめぐよう戦艦せんかん分類ぶんるいしている。搭載とうさいするP-700グラニードは、ちょう射程しゃてい大型おおがたミサイルであり、戦艦せんかんクラスの大型おおがたかんにしか搭載とうさいできない兵器へいきである。ただしこのようなこうコストのミサイルの必要ひつようせいそのものに疑問ぎもんげかけられ、ロシア海軍かいぐんではより小型こがた射程しゃてい距離きょり妥協だきょうしたP-800をP-700の後継こうけいとした。キーロフきゅう搭載とうさいミサイルも、順次じゅんじえられているが、あえてこのクラスの大型おおがたかん建造けんぞうする必要ひつようせいうしなわれている。

戦艦せんかん以外いがいきょほう搭載とうさい艦船かんせん 編集へんしゅう

本来ほんらいの「戦艦せんかん」には分類ぶんるいされないが戦艦せんかん同等どうとうきょほう搭載とうさいした艦艇かんていれいをここにあげる。

  • モニターかん ていいぬいふなばた船体せんたい砲塔ほうとうしき主砲しゅほう搭載とうさいした軍艦ぐんかん戦艦せんかん主砲しゅほうとう流用りゅうようしたものがある。
  • ロシア 円形えんけい砲艦ほうかんノヴゴロド(1874ねん、2,491t、28cmほう2もん
    • 大砲たいほうつことだけをかんがえて建造けんぞうされた円形えんけい平底ひらぞこかん。「セヴァストポリ要塞ようさい周辺しゅうへんにて運用うんようする、移動いどう可能かのう水上すいじょう砲台ほうだい」とのコンセプトのもと建造けんぞうされた。
  • 日本にっぽん 防護ぼうご巡洋艦じゅんようかん松島まつしまかた3せき 通称つうしょう三景さんけいかん(1891ねんふつこくせい、4,278t、32cmほう1もん
    • にちしん戦争せんそうまえ清国きよくに戦艦せんかんていとおきゅう2せき(1879ねんどくせい、7,220t、30.5cmほう4もん)に対抗たいこうするため急遽きゅうきょ建造けんぞうされた。かんおおきさにくらべて主砲しゅほう過大かだいであり、旋回せんかいさせるとかんかたむき、発砲はっぽうすると衝撃しょうげき進路しんろまでわってしまうほどだった。にちしん戦争せんそうでは主力しゅりょくかんとして活躍かつやくし、黄海こうかい海戦かいせんでは多数たすう装備そうびされたふくほうの12cm速射そくしゃほう活躍かつやくしたが、主砲しゅほうは3せきで12はつっただけで戦果せんかはなかった(一説いっせつによると1はつ命中めいちゅうしたという)。なお、建造けんぞうたっては当初とうしょ、イギリスに依頼いらいをしていたが、当時とうじとしては非常識ひじょうしき注文ちゅうもんだったためことわられた。その、イギリスへの対抗たいこう意識いしきがあったフランスが注文ちゅうもんけてようやく建造けんぞうされることとなった。
  • イギリス カレイジャスきゅう2せき(1917ねん、18,600t、38.1cmほう4もん)フューリアス(1917ねん、19,100t、45.7cmほう2もん
    • だいいち大戦たいせんでイギリスがたいどく上陸じょうりくせんよう建造けんぞうした大型おおがたけい巡洋艦じゅんようかん。フューリアスは上記じょうき内容ないよう設計せっけいされたが、完成かんせいにはぜん甲板かんぱんほう撤去てっきょ飛行ひこう甲板かんぱんもうけ、後部こうぶに45.7cmほう1もんそなえていた。たいどく上陸じょうりく作戦さくせんおこなわれなかったため活躍かつやくはなく、戦後せんごは3せきとも航空こうくう母艦ぼかん改装かいそうされ、空母くうぼとしてだい世界せかい大戦たいせん参加さんかした。
  • イギリス Mきゅう潜水せんすいかん3せき(1917ねん?、1,650t、30.5cmほう1もん
    • だいいち大戦たいせんちゅう陸上りくじょう砲撃ほうげきようとして建造けんぞうされた潜水せんすいかん本来ほんらい隠密おんみつ行動こうどうすべき潜水せんすいかんおおきなおとひかりけむりはっするきょほう搭載とうさいするのは矛盾むじゅんであり、ほとんど活躍かつやくしなかった。
  • ドイツ ポケット戦艦せんかんドイッチュラントきゅう3せき(1933ねん、11,700t、28.3cmほう6もん
    • だいいち大戦たいせん敗戦はいせんこくドイツがヴェルサイユ条約じょうやく制限せいげん(1まんt以下いか、30.5cmほう以下いか)に建造けんぞうしたかん排水はいすいりょうは1まんtと公表こうひょうされていたが実際じっさい制限せいげんえていた。じゅう巡洋艦じゅんようかんみの防御ぼうぎょかんたいだい口径こうけいほう装備そうびおおきな航続力こうぞくりょくゆうし、だい大戦たいせん初頭しょとうには通商つうしょう破壊はかいかんとして活躍かつやくした。

戦艦せんかん本来ほんらい battleship の直訳ちょくやくである戦闘せんとうかん略語りゃくご大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん使用しようされた名詞めいしであるが、今日きょうでは戦闘せんとうかん意味いみが Combatant ship 相当そうとうへ、 沿海えんかいいき戦闘せんとうかん影響えいきょうもあって変化へんかし(すくなくとも戦艦せんかんからコルベットまでをふくむ)、戦闘せんとうかん戦艦せんかん意味いみ軍事ぐんじ有識者ゆうしきしゃ使つかうことはまれとなったが、ふる文献ぶんけんひとしでは注意ちゅういようする。またえてか無知むちかはべつに、現代げんだいでも現代げんだいてき意味いみ戦闘せんとうかん(Combatant ship)の略語りゃくごとして戦艦せんかん用語ようご使つかう、あるいは軍艦ぐんかん意味いみ戦艦せんかん用語ようご使つかう、メディア個人こじん団体だんたい存在そんざいする。

アメリカ海軍かいぐん公式こうしき略号りゃくごう 編集へんしゅう

アメリカ海軍かいぐん公式こうしき戦艦せんかんあらわ略号りゃくごうは、battleshipの頭文字かしらもじBを2文字もじかさねたBBである。 イギリス海軍かいぐん略号りゃくごうとしておなじくBBをもちいた。

イギリス海軍かいぐん公式こうしき略号りゃくごうじゅんよう戦艦せんかんあらわ略号りゃくごうはBattlecruiserからBCである。アメリカ海軍かいぐん公式こうしきめぐよう戦艦せんかん分類ぶんるいするかん建造けんぞうしなかったのでBCは使用しようしたことがない[注釈ちゅうしゃく 7]

アメリカのアラスカきゅうは、非公式ひこうしき用法ようほうめぐよう戦艦せんかんあつかいされる場合ばあいもあるが(前述ぜんじゅつ)、アメリカ海軍かいぐん公式こうしきには大型おおがた巡洋艦じゅんようかん(Large Cruiser)であるので、略号りゃくごうCBになる。CLはけい巡洋艦じゅんようかんのLightにられてしまっているので、CruiserのCにBigのBである[よう出典しゅってん]

日本にっぽんあるいはべいえい以外いがいくににおいても、海軍かいぐん関係かんけい文脈ぶんみゃくにおいて略号りゃくごうもちいるときはBB・BC・CBで通用つうようする。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 「アイオワ」は1958ねん現役げんえき退しりぞいたが、ロナルド・レーガンかかげる「ちからによる平和へいわ戦略せんりゃく一環いっかんとしてまれた600せき艦隊かんたい構想こうそうのもと、同型どうけいかんとともにミサイルかんとして近代きんだい改装かいそうけ、1984ねん現役げんえき復帰ふっきたした(2006ねん除籍じょせき)。
  2. ^ ジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかんではロシア海軍かいぐん運用うんようするキーロフきゅう原子力げんしりょくミサイル巡洋艦じゅんようかんがその規模きぼからめぐよう戦艦せんかん類別るいべつされている
  3. ^ ほかにうわ砲台ほうだい装甲そうこうほどこした装甲そうこうかん誕生たんじょうしたが、これは航海こうかいようではなかった。
  4. ^ 15kmの射撃しゃげき落下らっかかく水平すいへい角度かくど)がおよそ15となる。
  5. ^ だい世界せかい大戦たいせんにおいて、2まんメートルをる「近距離きんきょり」での戦艦せんかん同士どうし砲撃ほうげきせんれいもある。デンマーク海峡かいきょう海戦かいせんにおいて、えいめぐよう戦艦せんかんフッドが、どく戦艦せんかんビスマルクやく1まん4せんメートルで交戦こうせんし、ビスマルクの38センチメートルほうだんによって撃沈げきちんされたせんれいなど。
  6. ^ 海軍かいぐん休日きゅうじつ時代じだい(1922〜1936ねん)の世界せかいなな大戦たいせんかんのうち長門ながとがた速力そくりょく26ノットは最速さいそくだった。対外たいがいてきにはこれを秘匿ひとくし23ノットと発表はっぴょうし、高速こうそく戦艦せんかんとしての知名度ちめいどひくい。
  7. ^ レキシントンきゅうじゅんよう戦艦せんかんはCCをもちいていた

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ (「世界せかい艦船かんせん」1999ねん8がつごうP151)の記事きじ
  2. ^ 週刊しゅうかん 栄光えいこう日本にっぽん海軍かいぐんパーフェクトファイル No.31p.22
  3. ^ 近代きんだい戦艦せんかん世界せかい艦船かんせん1987ねん3がつ増刊ぞうかんごう海人あましゃ)p181 など

参考さんこう図書としょ 編集へんしゅう

  • 世界せかい戦艦せんかん物語ものがたり福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい6かん・1993ねん8がつ光人みつひとしゃ ISBN 4-7698-0654-X
  • 近代きんだい戦艦せんかん世界せかい艦船かんせん1987ねん3がつ増刊ぞうかんごう海人あましゃ
  • 日本にっぽん戦艦せんかん世界せかい艦船かんせん1988ねん3がつ増刊ぞうかんごう海人あましゃ

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう