1984年 ねん に撮影 さつえい された、主砲 しゅほう の斉射 せいしゃ を披露 ひろう するアメリカ海軍 かいぐん の戦艦 せんかん 「アイオワ 」[注釈 ちゅうしゃく 1]
史上 しじょう 最大 さいだい の戦艦 せんかん 大和 やまと 。宿毛湾 すくもわん 沖 おき 標柱 ひょうちゅう 間 あいだ で公 おおやけ 試 ためし 中 ちゅう 、1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )10月 がつ 30日 にち 撮影 さつえい 。
軍艦 ぐんかん の艦 かん 種 しゅ としての戦艦 せんかん は、その強力 きょうりょく な主砲 しゅほう の火力 かりょく による攻撃 こうげき 力 りょく と堅牢 けんろう な防御 ぼうぎょ 力 りょく により、敵艦 てきかん 船 せん の撃滅 げきめつ を主 おも 任務 にんむ とした。多数 たすう の大 だい 口径 こうけい 砲 ほう を搭載 とうさい し、また基本 きほん 的 てき には自艦 じかん の最大 さいだい 口径 こうけい 砲弾 ほうだん が命中 めいちゅう しても耐 た える装甲 そうこう を装備 そうび した。そのため極 きわ めて大型 おおがた となり、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん までは、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 、大型 おおがた 航空 こうくう 母艦 ぼかん に並 なら ぶ最大 さいだい の軍艦 ぐんかん だった。
戦艦 せんかん は、高価 こうか かつ当時 とうじ の先端 せんたん 技術 ぎじゅつ が結集 けっしゅう した兵器 へいき であるため、戦艦 せんかん や巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん といった主力 しゅりょく 艦 かん の大 だい 規模 きぼ な艦隊 かんたい を編成 へんせい して維持 いじ する国 くに は、豊 ゆた かで科学 かがく 力 りょく に優 すぐ れた列強 れっきょう 国 くに に限 かぎ られた。戦艦 せんかん が出現 しゅつげん した19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 半 なか ばにかけては、戦艦 せんかん の保有 ほゆう 隻数 せきすう などが国力 こくりょく のシンボル とされ、政治 せいじ ・外交 がいこう の局面 きょくめん でも重視 じゅうし された。より大 だい 口径 こうけい の砲 ほう を備 そな えた、強力 きょうりょく な戦艦 せんかん を持 も つ国 くに が有利 ゆうり とする当時 とうじ の各国 かっこく 海軍 かいぐん の戦術 せんじゅつ 思想 しそう を大艦 だいかん 巨 きょ 砲 ほう 主義 しゅぎ という。
しかし第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん においては、タラント空襲 くうしゅう や真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき 、マレー沖 おき 海戦 かいせん など航空機 こうくうき が戦艦 せんかん を撃破 げきは した事例 じれい が重 かさ なり、大艦 だいかん 巨 きょ 砲 ほう 主義 しゅぎ の終焉 しゅうえん と航空機 こうくうき の重要 じゅうよう 性 せい が実証 じっしょう された。これにともない海軍 かいぐん の主力 しゅりょく 艦 かん は大型 おおがた 航空 こうくう 母艦 ぼかん へ移行 いこう し、戦艦 せんかん は決戦 けっせん 兵器 へいき としての座 ざ を失 うしな った。第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご においては、新 しん 兵器 へいき であるミサイル が艦 かん 砲 ほう に変 か わる存在 そんざい となると更 さら にその価値 かち を損 そこ なった。東西 とうざい 冷戦 れいせん 期 き には大 だい 規模 きぼ な艦隊 かんたい 同士 どうし の海戦 かいせん などもなく、もはや過去 かこ の存在 そんざい となった戦艦 せんかん は、各国 かっこく とも順次 じゅんじ 退役 たいえき し、除籍 じょせき されていった。
現在 げんざい では、本格 ほんかく 的 てき な戦艦 せんかん を現役 げんえき 艦 かん として運用 うんよう する国 くに はない[注釈 ちゅうしゃく 2] 。しかしアメリカ、イギリス、日本 にっぽん などでは、かつて活躍 かつやく した戦艦 せんかん が記念 きねん 艦 かん や、記念 きねん 施設 しせつ として保存 ほぞん され、かつての栄光 えいこう を今 いま に伝 つた えている。
戦艦 せんかん が登場 とうじょう する以前 いぜん 、海戦 かいせん において主力 しゅりょく 艦 かん としての地位 ちい を占 し めたのは、17世紀 せいき に出現 しゅつげん した木造 もくぞう 戦列 せんれつ 艦 かん (ship of the line )で、舷側 げんそく に多数 たすう の大砲 たいほう (舷側 げんそく 砲 ほう )を搭載 とうさい し、18世紀 せいき 半 なか ばには60門 もん を超 こ える砲 ほう を3層 そう 甲板 かんぱん に備 そな えた(なお上 うえ 甲板 かんぱん は帆走 はんそう のための帆 ほ 装 そう が占 し めた)。戦列 せんれつ 艦 かん の艦隊 かんたい は単 たん 縦陣 じゅうじん の戦列 せんれつ を作 つく り敵艦 てきかん へ砲火 ほうか を浴 あ びせた。当時 とうじ の海戦 かいせん では砲撃 ほうげき によって沈没 ちんぼつ に至 いた ることは少 すく なく、砲撃 ほうげき や切 き り込 こ み隊 たい で航行 こうこう ・戦闘 せんとう 能力 のうりょく を奪 うば った後 のち に捕獲 ほかく するのが一般 いっぱん 的 てき だった。
19世紀 せいき になって、大砲 たいほう および炸裂 さくれつ 弾 だん の威力 いりょく が向上 こうじょう すると、広 ひろ い舷側 げんそく を持 も つ戦列 せんれつ 艦 かん は多数 たすう の敵 てき 砲火 ほうか を浴 あ び、脆弱 ぜいじゃく 性 せい が無視 むし できなくなった。1853年 ねん から始 はじ まったクリミア戦争 せんそう では、敵 てき からの炸裂 さくれつ 弾 だん が舷側 げんそく に命中 めいちゅう すると破壊 はかい された木材 もくざい 破片 はへん が艦内 かんない に広 ひろ く飛 と び散 ち り、戦闘 せんとう 員 いん の死傷 ししょう が相次 あいつ ぐことが問題 もんだい となった。
戦艦 せんかん の始祖 しそ とされる世界 せかい 初 はつ の装甲 そうこう 艦 かん グロワール
そこで戦列 せんれつ 艦 かん より小型 こがた で、乾 いぬい 舷 ふなばた の低 ひく いフリゲート に舷側 げんそく の装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ を施 ほどこ した装甲 そうこう 艦 かん [注釈 ちゅうしゃく 3] (甲 きのえ 鉄 てつ 艦 かん )考案 こうあん された。
フランスでは戦艦 せんかん の始祖 しそ とされる装甲 そうこう 艦 かん 「グロワール 」(Gloire)がこれに基 もと づき誕生 たんじょう した(1859年 ねん に進水 しんすい )。この艦 かん は、木造 もくぞう 船体 せんたい の舷側 げんそく に最 さい 厚 あつ 部 ぶ 119 mmの装甲 そうこう を装着 そうちゃく し、舷側 げんそく に16cm砲 ほう 30門 もん を装備 そうび した機 き 帆 ほ 兼用 けんよう 艦 かん である。
イギリスはこれに対抗 たいこう し、1860年 ねん に鉄製 てつせい 船体 せんたい を持 も つ「ウォーリア 」(Warrior)を進水 しんすい した。この艦 かん 以降 いこう 、装甲 そうこう 艦 かん は徐々 じょじょ に、汽走専用 せんよう 化 か 、船体 せんたい 大型 おおがた 化 か 、大砲 たいほう 大型 おおがた 化 か 、舷側 げんそく 砲 ほう から甲板 かんぱん 上 じょう の砲塔 ほうとう 式 しき への移行 いこう 、装甲 そうこう 強化 きょうか が進 すす み、後 のち に戦艦 せんかん へ発展 はってん する。
1886年 ねん に竣工 しゅんこう したイギリスのコロッサス級 きゅう 装甲 そうこう 艦 かん は後 こう 装填 そうてん 式 しき 連装 れんそう 30.5cm砲 ほう 2基 き (計 けい 4門 もん )と鋼鉄 こうてつ 製 せい 船体 せんたい を持 も つ。後 こう 装填 そうてん 式 しき 施 ほどこせ 条 じょう 砲 ほう により砲撃 ほうげき 威力 いりょく と命中 めいちゅう 精度 せいど が向上 こうじょう した。
1892年 ねん に竣工 しゅんこう したイギリスの「ロイヤル・サブリン級 きゅう 戦艦 せんかん 」(Royal Sovereign)型 がた は、中心 ちゅうしん 線 せん 上 じょう の船体 せんたい 前後 ぜんご 部 ぶ に露 ろ 砲塔 ほうとう 一基 いっき ずつを持 も ち、連装 れんそう 34.3cm砲 ほう の計 けい 4門 もん の主砲 しゅほう は左右 さゆう 両 りょう 舷 ふなばた へ支障 ししょう なく指向 しこう できた。また最 さい 厚 あつ 部 ぶ 457 mmの装甲 そうこう を舷側 げんそく 水線 すいせん 部 ぶ に装着 そうちゃく し、凌 しのげ 波 なみ 性 せい に優 すぐ れた高 こう 乾 いぬい 舷 ふなばた を持 も ち、近代 きんだい 戦艦 せんかん のはじめとされる。
前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の基準 きじゅん となったマジェスティック
1895年 ねん に竣工 しゅんこう したイギリスの「マジェスティック 」(Majestic)型 がた は、2基 き の連装 れんそう 砲塔 ほうとう を全面 ぜんめん 装甲 そうこう 式 しき とし、強靭 きょうじん で軽量 けいりょう のハーヴェイ・ニッケル鋼 こう 装甲 そうこう を採用 さいよう し、舷側 げんそく も中 ちゅう 甲板 かんぱん の高 たか さまで装甲 そうこう で覆 おお った。従来 じゅうらい よりも優 すぐ れた貫通 かんつう 力 りょく を持 も つ30.5cm連装 れんそう 砲 ほう を主砲 しゅほう に採用 さいよう した(BL 12 inch Mk VIII naval gun :発射 はっしゃ 薬 やく 改良 かいりょう (コルダイト )により砲 ほう が強力 きょうりょく 化 か ・小型 こがた 化 か された)。
以後 いご 、これが、近代 きんだい 戦艦 せんかん の基本 きほん 形態 けいたい とされ(ただし後 のち に弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の出現 しゅつげん 以降 いこう は前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん と呼 よ ばれた)、強国 きょうこく では多数 たすう の近代 きんだい 戦艦 せんかん をそろえた艦隊 かんたい を作 つく るようになった。また、多 おお くの海軍 かいぐん 国 こく で、戦艦 せんかん の「定義 ていぎ 」を、暗黙 あんもく ながら、
建造 けんぞう 時 じ に開発 かいはつ ・製造 せいぞう 可能 かのう な最大 さいだい の大砲 たいほう (主砲 しゅほう )を搭載 とうさい している
自艦 じかん に搭載 とうさい した主砲 しゅほう 弾 だん の被弾 ひだん に耐 た えられる装甲 そうこう を有 ゆう している
と考 かんが えるようになった。しかし後 のち に政治 せいじ 的 てき 事情 じじょう や金銭 きんせん 的 てき ・環境 かんきょう 的 てき 事情 じじょう からこれに当 あ てはまらない艦 かん もあった。
戦艦 せんかん の初期 しょき 戦術 せんじゅつ は近距離 きんきょり 戦 せん であり、近距離 きんきょり 戦 せん に適 てき した多数 たすう の副 ふく 砲 ほう で敵艦 てきかん 上部 じょうぶ 構造 こうぞう へ榴弾 りゅうだん を浴 あ びせ戦闘 せんとう 力 りょく を奪 うば いつつ、発射 はっしゃ 速度 そくど が劣 おと る主砲 しゅほう はその間 あいだ に水平 すいへい 射撃 しゃげき で舷側 げんそく 水線 すいせん 部 ぶ の装甲 そうこう を実体 じったい 弾 だん ・徹 とおる 甲 かぶと 榴弾 りゅうだん で撃 う ち抜 ぬ き大 だい 浸水 しんすい ・沈没 ちんぼつ をもたらす戦術 せんじゅつ であった。しかし戦艦 せんかん の装甲 そうこう の進歩 しんぽ は徹 とおる 甲 きのえ 弾 だん の貫通 かんつう 性 せい の進歩 しんぽ に劣 おと らなかったため、主砲 しゅほう 弾 だん が命中 めいちゅう しても貫通 かんつう を許 ゆる さないことが多 おお かった。
その後 ご 、主砲 しゅほう の発射 はっしゃ 速度 そくど と遠距離 えんきょり 砲撃 ほうげき 能力 のうりょく の向上 こうじょう が進 すす められ、優 ゆう 速 そく の艦隊 かんたい の単 たん 縦陣 じゅうじん を組 く むことにより、遠距離 えんきょり から短時間 たんじかん で多数 たすう の主砲 しゅほう 弾 だん を敵艦 てきかん へ命中 めいちゅう させることが可能 かのう となった。
日 にち 露 ろ 戦争 せんそう は鋼鉄 こうてつ 艦 かん 同士 どうし による初 はじ めての本格 ほんかく 的 てき な海戦 かいせん がほぼ遠距離 えんきょり 戦 せん で行 おこな われた。最大 さいだい の海戦 かいせん だった日本海 にほんかい 海戦 かいせん では優位 ゆうい な位置 いち を占 し めて並 なみ 航 こう した日本 にっぽん 海軍 かいぐん 戦艦 せんかん は遠距離 えんきょり 戦 せん による激 はげ しい砲撃 ほうげき 戦 せん の開始 かいし 直後 ちょくご から多数 たすう の主砲 しゅほう 弾 だん をロシア戦艦 せんかん へ命中 めいちゅう させた。ロシア戦艦 せんかん は舷側 げんそく 水線 すいせん 部 ぶ を撃 う ち抜 ぬ かれ予測 よそく に反 はん し浸水 しんすい による沈没 ちんぼつ が相次 あいつ いだが、日本 にっぽん 海軍 かいぐん 戦艦 せんかん は多数 たすう の被弾 ひだん に耐 た えた。加 くわ えて、日本 にっぽん 海軍 かいぐん は戦艦 せんかん の主砲 しゅほう で遠距離 えんきょり から合 あ わせて榴弾 りゅうだん も射撃 しゃげき し敵艦 てきかん の上部 じょうぶ 構造 こうぞう を破壊 はかい し急速 きゅうそく に無力 むりょく 化 か する戦術 せんじゅつ も採用 さいよう した。沈没 ちんぼつ を免 まぬか れたロシア戦艦 せんかん も戦闘 せんとう 力 りょく を喪失 そうしつ しており最終 さいしゅう 的 てき に全 すべ て降伏 ごうぶく した。
列強 れっきょう は日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の戦 せん 訓 くん を取 と り入 い れ、遠距離 えんきょり 戦 せん を想定 そうてい し、主砲 しゅほう の攻撃 こうげき 力 りょく を重視 じゅうし する戦艦 せんかん の改良 かいりょう を図 はか った。この戦 せん 訓 くん を最 もっと も早 はや く取 と り入 い れた英国 えいこく は、従来 じゅうらい 艦 かん の倍 ばい 以上 いじょう の主砲 しゅほう を片 かた 舷 ふなばた に指向 しこう できる戦艦 せんかん ドレッドノート (Dreadnought)を日本海 にほんかい 海戦 かいせん の翌年 よくねん に竣工 しゅんこう させた。この戦艦 せんかん は従来 じゅうらい の同 どう 規模 きぼ の戦艦 せんかん と比 くら べて、高速 こうそく 航行 こうこう 可能 かのう で2倍 ばい 以上 いじょう の火力 かりょく を備 そな えるため海戦 かいせん において有利 ゆうり となり、それまでの世界 せかい の全 すべ ての戦艦 せんかん は一挙 いっきょ に旧式 きゅうしき 化 か した。
そのため、これ以前 いぜん の戦艦 せんかん (計画 けいかく ・建造 けんぞう 中 ちゅう 、竣工 しゅんこう ・就役 しゅうえき 直後 ちょくご の戦艦 せんかん を含 ふく む)を前 ぜん 弩級艦 どきゅうかん 、同 どう 程度 ていど の性能 せいのう を有 ゆう する戦艦 せんかん を弩級艦 どきゅうかん として区別 くべつ する。ここでいう「弩 いしゆみ 」とは、ドレッドノートの頭文字 かしらもじ である。
また戦艦 せんかん ドレッドノート 登場 とうじょう の直後 ちょくご に、同 おな じ英国 えいこく では、戦艦 せんかん 並 な みの火力 かりょく と、巡洋艦 じゅんようかん 並 な みの速度 そくど をあわせもつ艦 かん として、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん が登場 とうじょう した。このイギリスの巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん は、概念 がいねん ・任務 にんむ としてはほぼ巡洋艦 じゅんようかん のままであり、戦艦 せんかん 級 きゅう の装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ 力 りょく は持 も たなかった。これに対 たい し、ドイツで対抗 たいこう して建造 けんぞう された巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん は、巨 きょ 砲 ほう の搭載 とうさい を追求 ついきゅう しない代 か わりに、装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ 力 りょく を重視 じゅうし し、イギリスの巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 隊 たい との交戦 こうせん にも有利 ゆうり となるように設計 せっけい された。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん になると、砲弾 ほうだん の徹 てっ 甲 かぶと 性能 せいのう 向上 こうじょう およびさらに遠距離 えんきょり 砲撃 ほうげき による大 だい 落下 らっか 角 かく 射撃 しゃげき [注釈 ちゅうしゃく 4] と、短時間 たんじかん に多数 たすう の徹 とおる 甲 かぶと 榴弾 りゅうだん の砲撃 ほうげき を行 おこな い、敵艦 てきかん の水平 すいへい 防御 ぼうぎょ を撃 う ち抜 ぬ き内部 ないぶ で爆発 ばくはつ させる戦術 せんじゅつ が発達 はったつ した。対策 たいさく として砲塔 ほうとう および甲板 かんぱん 全体 ぜんたい にわたる厚 あつ い水平 すいへい 防御 ぼうぎょ も必要 ひつよう となった。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん の最大 さいだい の海戦 かいせん であるユトランド沖 おき 海戦 かいせん においては、英 えい 独 どく 両国 りょうこく の高速 こうそく の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 隊 たい 同士 どうし の激 はげ しい撃 げき ち合 あ いとなったが、主力 しゅりょく である弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 隊 たい は戦場 せんじょう への急行 きゅうこう が遅 おく れ気味 ぎみ となり全力 ぜんりょく を挙 あ げての決戦 けっせん には至 いた らなかった。加 くわ えて、砲塔 ほうとう などバイタルパート の装甲 そうこう を貫徹 かんてつ されたイギリスの巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん が、弾 たま 火薬 かやく 庫 こ の誘爆 ゆうばく で轟沈 ごうちん する事例 じれい が相次 あいつ いだ。
このユトランド沖 おき 海戦 かいせん の戦 せん 訓 くん は、「戦艦 せんかん は速度 そくど が不足 ふそく し、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん は防御 ぼうぎょ 力 りょく が不足 ふそく している」と認識 にんしき された。以降 いこう 建造 けんぞう された戦艦 せんかん は高速 こうそく 化 か と航続 こうぞく 性能 せいのう が向上 こうじょう され、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん の防御 ぼうぎょ 力 りょく は当初 とうしょ より大幅 おおはば に向上 こうじょう し、やがて両者 りょうしゃ の区別 くべつ がつかないまでに発展 はってん していく。そのような戦艦 せんかん の防御 ぼうぎょ 力 りょく と巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん の速度 そくど を兼 か ね備 そな えようとした艦 かん を、「高速 こうそく 戦艦 せんかん 」(ポスト・ジャトランド型 がた )と呼 よ ぶ。
しかし加熱 かねつ する建 けん 艦 かん 競争 きょうそう によって起 お きた前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 、高速 こうそく 戦艦 せんかん という目 め まぐるしい軍艦 ぐんかん の発達 はったつ について来 きた られる国 くに は少 すく なくなっていった。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん より後 のち に新造 しんぞう 戦艦 せんかん を就役 しゅうえき させることができたのは、アメリカ、日本 にっぽん 、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアだけだった。
より大型 おおがた に、より高性能 こうせいのう になっていく戦艦 せんかん は、建造 けんぞう 費 ひ も高騰 こうとう していき、もともと砲撃 ほうげき 戦 せん に特 とく 化 か しているが故 ゆえ に汎用 はんよう 性 せい に欠 か け、戦艦 せんかん 同士 どうし の戦闘 せんとう 以外 いがい に容易 ようい に投入 とうにゅう 出来 でき ず、融通 ゆうずう のきかない使 つか い勝手 がって の悪 わる い艦 かん になっていった。機雷 きらい 、魚雷 ぎょらい (を搭載 とうさい する水雷 すいらい 艇 てい ・駆逐 くちく 艦 かん )、そして潜水 せんすい 艦 かん というより安価 あんか な兵器 へいき が、次第 しだい に戦艦 せんかん の脅威 きょうい となっていく。そして航空機 こうくうき の登場 とうじょう が、戦艦 せんかん にとどめを刺 さ すことになる。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん は航空機 こうくうき が軍事 ぐんじ に導入 どうにゅう された初 はじ めての戦争 せんそう でもあり、以後 いご の海軍 かいぐん は航空 こうくう 兵力 へいりょく に護衛 ごえい された艦隊 かんたい ないし航空 こうくう 兵力 へいりょく による単独 たんどく 攻撃 こうげき という新 あたら しい局面 きょくめん に対応 たいおう することになる。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん においては、水上 すいじょう 艦 かん は航空 こうくう 戦力 せんりょく に対 たい して単独 たんどく では対抗 たいこう できないことが明 あき らかになる。航空 こうくう 戦力 せんりょく の優位 ゆうい 性 せい を世界 せかい に初 はじ めて知 し らしめたのはイギリスによるイタリア・タラント空襲 くうしゅう と日本 にっぽん による真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき である。これらは停泊 ていはく 中 ちゅう の艦船 かんせん に対 たい する攻撃 こうげき であるが、日本 にっぽん がマレー沖 おき 海戦 かいせん において戦闘 せんとう 航行 こうこう 中 ちゅう の戦艦 せんかん (イギリス海軍 かいぐん の「プリンス・オブ・ウェールズ 」と僚艦 りょうかん 「レパルス 」)を航空 こうくう 戦力 せんりょく のみで撃沈 げきちん して航空機 こうくうき の有用 ゆうよう 性 せい を確固 かっこ たるものにした。その後 ご の海戦 かいせん における戦艦 せんかん の行動 こうどう は、自国 じこく の航空 こうくう 部隊 ぶたい の掩護 えんご 下 か (アメリカ海軍 かいぐん )または航空機 こうくうき の活躍 かつやく 出来 でき ない夜間 やかん (レイテ沖 おき 海戦 かいせん の西村 にしむら 艦隊 かんたい )などに限定 げんてい されるようになり、やがて戦艦 せんかん は消 き えていくことになる。また、ドイツ軍 ぐん の誘導 ゆうどう 滑空 かっくう 爆 ばく 弾 だん フリッツX によるイタリア海軍 かいぐん のローマ (戦艦 せんかん ) 撃沈 げきちん は、将来 しょうらい 格下 かくした の巡洋艦 じゅんようかん 以下 いか の艦艇 かんてい にも搭載 とうさい 可能 かのう になるであろう誘導 ゆうどう 対 たい 艦 かん ミサイル で戦艦 せんかん の主砲 しゅほう 射程 しゃてい 外 がい から戦艦 せんかん を撃破 げきは 可能 かのう であることを予感 よかん させた。アメリカ海軍 かいぐん のみは、巡航 じゅんこう ミサイル搭載 とうさい 等 とう の近代 きんだい 化 か 改修 かいしゅう を施 ほどこ した上 うえ で、上陸 じょうりく 支援 しえん 目的 もくてき で長 なが く戦艦 せんかん を使 つか い続 つづ けたものの、もはや戦艦 せんかん を新造 しんぞう することはなくなった。遅 おく れて巡洋艦 じゅんようかん も減 げん 勢 ぜい し、戦艦 せんかん を直接 ちょくせつ 無力 むりょく 化 か した空母 くうぼ はジェット機 じぇっとき 搭載 とうさい のために巨大 きょだい 化 か して米国 べいこく 以外 いがい では減 げん 勢 ぜい し、その後 ご は巨大 きょだい 化 か した駆逐 くちく 艦 かん (後述 こうじゅつ の初期 しょき 戦艦 せんかん より大 だい 排水 はいすい 量 りょう 化 か しつつある)以下 いか の水上 すいじょう 戦闘 せんとう 艦 かん や、戦艦 せんかん の終焉 しゅうえん と相 あい 前後 ぜんご して現 あらわ れた水上 すいじょう 艦 かん 連続 れんぞく 任務 にんむ 期間 きかん と同等 どうとう の連続 れんぞく 潜水 せんすい 任務 にんむ 期間 きかん に達 たっ する原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん を含 ふく む潜水艦 せんすいかん と、ターボファン化 か と空中 くうちゅう 給油 きゅうゆ の実用 じつよう 化 か で搭載 とうさい 量 りょう や航続 こうぞく 距離 きょり が増 ま した軍用 ぐんよう 機 き や、誘導 ゆうどう 能力 のうりょく を得 え たミサイルが、かつて戦艦 せんかん が行 おこな っていた戦術 せんじゅつ (制 せい 海 うみ ・哨戒 しょうかい ・沿岸 えんがん 攻撃 こうげき )・戦略 せんりゃく (戦略 せんりゃく 核兵器 かくへいき や砲艦 ほうかん 外交 がいこう )任務 にんむ の多 おお くを引 ひ き継 つ いだ。
装甲 そうこう 艦 かん 「東 ひがし 」
日本 にっぽん では、明治 めいじ 初年 しょねん の海軍 かいぐん 創設 そうせつ 時 じ から日 にち 清 しん 戦争 せんそう あたりまで、フランス製 せい 装甲 そうこう 艦 かん 「東 ひがし 」を「甲 きのえ 鉄 てつ 」と呼称 こしょう していたことから、装甲 そうこう 艦 かん を砲塔 ほうとう 甲 かぶと 鉄 てつ 艦 かん と呼 よ んでいた。
1894年 ねん 、富士 ふじ 型 がた 2隻 せき (1897年 ねん 竣工 しゅんこう の富士 ふじ 、八島 やじま )をイギリスに発注 はっちゅう するに当 あ たり、排水 はいすい 量 りょう 1万 まん トン以上 いじょう の艦 かん を「一等 いっとう 戦艦 せんかん 」、1万 まん トン以下 いか の艦 かん を「二 に 等 とう 戦艦 せんかん 」と正式 せいしき に定 さだ めた。日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 終戦 しゅうせん 後 ご まもなく、等級 とうきゅう を廃 はい して「戦艦 せんかん 」という艦 かん 種 しゅ が定 さだ められた。
日 にち 露 ろ 戦争 せんそう で活躍 かつやく した戦艦 せんかん 「富士 ふじ 」(1897年 ねん 竣工 しゅんこう 、イギリス製 せい 、12,533t、30.5cm砲 ほう 4門 もん )は、ロイヤル・サブリン級 きゅう 戦艦 せんかん を原型 げんけい とし、マジェスティック級 きゅう 戦艦 せんかん で採用 さいよう された全面 ぜんめん 装甲 そうこう 式 しき 砲塔 ほうとう にフォーミダブル級 きゅう 戦艦 せんかん で採用 さいよう された30.5cm砲 ほう を収 おさ めた。また、日本海 にほんかい 海戦 かいせん 時 どき の連合 れんごう 艦隊 かんたい 旗艦 きかん 「三笠 みかさ 」(1902年 ねん 竣工 しゅんこう 、イギリス製 せい 、15,140t、30.5cm砲 ほう 4門 もん )は、カノーパス級 きゅう 戦艦 せんかん で採用 さいよう されたクルップ鋼 こう を用 もち いて装甲 そうこう 強化 きょうか を行 おこな った。
初期 しょき の戦艦 せんかん (1892年 ねん -1904年 ねん )
編集 へんしゅう
初期 しょき の戦艦 せんかん は、排水 はいすい 量 りょう 1万 まん -1万 まん 5千 せん t、24-34cm(30.5cm=12inが最 もっと も多 おお かった)の主砲 しゅほう 4門 もん を搭載 とうさい し14-19ノットの速度 そくど だった。この頃 ころ 、戦艦 せんかん を建造 けんぞう していたのは、イギリス 、フランス 、ドイツ帝国 ていこく 、アメリカ 、イタリア 、ロシア帝国 ていこく 、オーストリア・ハンガリー帝国 ていこく の7カ国 かこく 。
日本 にっぽん は日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の前 まえ にイギリスから6隻 せき の戦艦 せんかん を購入 こうにゅう した。日本 にっぽん 以外 いがい にも戦艦 せんかん を他国 たこく から購入 こうにゅう した国 くに は、隣国 りんごく 間 あいだ で紛争 ふんそう の多 おお かったトルコ とギリシャ 、南米 なんべい で競争 きょうそう 関係 かんけい にあったアルゼンチン 、ブラジル 、チリ 。海軍 かいぐん 復興 ふっこう に邁進 まいしん するスペイン 。ヨーロッパ諸国 しょこく に対抗 たいこう するため北洋 ほくよう 艦隊 かんたい 等 ひとし の近代 きんだい 的 てき 海軍 かいぐん を創設 そうせつ した中国 ちゅうごく 清朝 せいちょう である。
これらの戦艦 せんかん は砲戦 ほうせん 距離 きょり 数 すう 千 せん mでの目視 もくし による直接 ちょくせつ 射撃 しゃげき を想定 そうてい して建造 けんぞう されていた。
最初 さいしょ の戦闘 せんとう (1904年 ねん -1905年 ねん )
編集 へんしゅう
世界 せかい で最初 さいしょ に戦艦 せんかん 同士 どうし の本格 ほんかく 的 てき な戦闘 せんとう が行 おこな われたのは、1904年 ねん の日 にち 露 ろ 戦争 せんそう だった。日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の初期 しょき の黄海 こうかい 海戦 かいせん には、日本 にっぽん の連合 れんごう 艦隊 かんたい の戦艦 せんかん 4隻 せき +装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん 2隻 せき とロシア 第 だい 一 いち 太平洋艦隊 たいへいようかんたい (旅順 りょじゅん )の6隻 せき の戦艦 せんかん が対戦 たいせん し、翌年 よくねん の日本海 にほんかい 海戦 かいせん では、日本 にっぽん の連合 れんごう 艦隊 かんたい の戦艦 せんかん 4隻 せき +装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん 8隻 せき と、ロシア第 だい 2及 およ び第 だい 3太平洋艦隊 たいへいようかんたい (バルチック艦隊 かんたい )の戦艦 せんかん 8隻 せき 他 た が対戦 たいせん した。いずれも日本 にっぽん の連合 れんごう 艦隊 かんたい の勝利 しょうり に終 お わった。黄海 こうかい 海戦 かいせん では逃走 とうそう するロシア艦隊 かんたい と追 お いかける日本 にっぽん 艦隊 かんたい の間 あいだ で、距離 きょり 1万 まん m以上 いじょう の遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん が起 お こった。
ドレッドノートの出現 しゅつげん (1906年 ねん )
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戦艦 せんかん ドレッドノート
日 にち 露 ろ 戦争 せんそう での黄海 こうかい 海戦 かいせん と日本海 にほんかい 海戦 かいせん (1905年 ねん )の戦 せん 訓 くん から、戦艦 せんかん の主砲 しゅほう による遠距離 えんきょり 砲撃 ほうげき 力 りょく が海戦 かいせん の雌雄 しゆう を決 けっ すると認識 にんしき された。これを受 う けて1906年 ねん に主砲 しゅほう の門 もん 数 すう を倍 ばい 以上 いじょう に増 ふ やし、主砲 しゅほう だけで戦 たたか うという画期的 かっきてき な建 けん 艦 かん 思想 しそう に基 もと づいて設計 せっけい された戦艦 せんかん 「ドレッドノート 」(Dreadnought、18,110t、30.5cm砲 ほう 10門 もん )」が英国 えいこく で建造 けんぞう された。ドレッドノートの出現 しゅつげん により、それ以前 いぜん に建造 けんぞう された戦艦 せんかん だけでなくイギリスを含 ふく めた建造 けんぞう 中 ちゅう の戦艦 せんかん までもが一挙 いっきょ に時代遅 じだいおく れとなった。ドレッドノート以前 いぜん の戦艦 せんかん は前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん (pre-dreadnoughts)と呼 よ ばれる。これ以後 いご 各国 かっこく で建造 けんぞう される戦艦 せんかん は「ドレッドノート」に準 じゅん じた「弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 」(ド級 きゅう 戦艦 せんかん 、dreadnoughts)となり、列強 れっきょう 国 こく の保有 ほゆう 戦艦 せんかん は前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう から弩 いしゆみ 級 きゅう への転換 てんかん を迫 せま られた。このドレッドノートの出現 しゅつげん により世界 せかい 各国 かっこく の列強 れっきょう の海軍 かいぐん のパワーバランスが崩 くず れたことを「ドレッドノート・ショック」と呼 よ ぶ。中小 ちゅうしょう 国 こく の海軍 かいぐん は無理 むり をしながら戦争 せんそう 抑止 よくし 力 りょく として、1-3隻 せき の弩 いしゆみ 級 きゅう または超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん を購入 こうにゅう した。
超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん へ発展 はってん (1912年 ねん )大艦 だいかん 巨 きょ 砲 ほう 主義 しゅぎ へ
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「ドレッドノート」完成 かんせい のわずか6年 ねん 後 ご に、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん を大 おお きく上回 うわまわ る攻撃 こうげき 力 りょく を有 ゆう するオライオン級 きゅう 戦艦 せんかん (1912年 ねん 、22,200t、34.3cm砲 ほう 10門 もん )がイギリスで誕生 たんじょう した。弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん より強力 きょうりょく な火力 かりょく を持 も つことから「超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん 」(super dreadnoughts )と呼 よ ばれた(この新 あら たな大 だい 口径 こうけい 主砲 しゅほう および中心 ちゅうしん 軸 じく 上 じょう の砲塔 ほうとう 配置 はいち を採用 さいよう )。これにアメリカが35.6cm砲 ほう 戦艦 せんかん を、フランスが34cm砲 ほう 戦艦 せんかん を整備 せいび し、イギリスから巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 「金 きむ 剛 つよし 」を購入 こうにゅう した日本 にっぽん も以後 いご は35.6cm砲戦 ほうせん 艦 かん 「扶桑 ふそう 型 がた 」「伊勢 いせ 型 がた 」を整備 せいび し始 はじ めて超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん 時代 じだい が到来 とうらい した。
また、列強 れっきょう 以外 いがい ではチリ海軍 かいぐん がアルゼンチン・ブラジルに先駆 さきが けて「金 きむ 剛 つよし 」と同 おな じく35.6cm砲 ほう を搭載 とうさい する戦艦 せんかん 「アルミランテ・ラトーレ級 きゅう 」2隻 せき (1915年 ねん 、28,600トン、35.6cm砲 ほう 10門 もん )を発注 はっちゅう し差 さ をつけた。また、ブラジルやギリシャやトルコも超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん の建造 けんぞう を列強 れっきょう に発注 はっちゅう するが資金 しきん 難 なん や大戦 たいせん の勃発 ぼっぱつ などの事情 じじょう により建造 けんぞう 依頼 いらい は取 と り消 け された。
こうした流 なが れの中 なか でも主砲 しゅほう の大 だい 口径 こうけい 化 か は進 すす み、オライオン級 きゅう の3年 ねん 後 ご には更 さら に大 だい 口径 こうけい の主砲 しゅほう を持 も つクイーン・エリザベス級 きゅう (1915年 ねん 、29,150t、38.1cm砲 ほう 8門 もん )がイギリスで完成 かんせい 。これ以降 いこう もより大 おお きな艦 かん 体 たい に、より大 おお きな主砲 しゅほう を積 つ む戦艦 せんかん を建造 けんぞう する傾向 けいこう が第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 後 ご にも続 つづ いた。これを「大艦 だいかん 巨 きょ 砲 ほう 主義 しゅぎ 」と呼 よ び、日本 にっぽん の大和 やまと 型 がた (基準 きじゅん 排水 はいすい 量 りょう :64,000t、46cm砲 ほう 9門 もん )がその頂点 ちょうてん に達 たっ した。また英 えい 独 どく 日 び では、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん や超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん と同等 どうとう の攻撃 こうげき 力 りょく を持 も つが軽 けい 防御 ぼうぎょ 高 だか 速力 そくりょく の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん も建造 けんぞう された。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん (1914-1918年 ねん )
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第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、当時 とうじ 世界 せかい 第 だい 1位 い の戦艦 せんかん ・巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 保有 ほゆう 国家 こっか であるイギリスと、第 だい 2位 い のドイツが敵対 てきたい した。大戦 たいせん 前 まえ からこの2国 こく は激 はげ しい建 けん 艦 かん 競争 きょうそう を行 おこな っていた。だが戦艦 せんかん ・巡洋艦 じゅんようかん 戦力 せんりょく で劣 おと るドイツは艦隊 かんたい 保全 ほぜん を図 はか ったため、大 だい 規模 きぼ な海戦 かいせん の機会 きかい はなかなか訪 おとず れなかった。ドイツのUボート による通商 つうしょう 破壊 はかい 戦 せん や、欧州 おうしゅう から離 はな れた戦線 せんせん においてフォークランド沖 おき 海戦 かいせん などの主力 しゅりょく 同士 どうし とは言 い い難 がた い戦力 せんりょく での海戦 かいせん が起 お きたのみであった。
1916年 ねん のユトランド沖 おき 海戦 かいせん は、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で最大 さいだい 、かつ唯一 ゆいいつ の本格 ほんかく 的 てき な主力 しゅりょく 艦 かん 同士 どうし の戦 たたか いであったものの、高速 こうそく な巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 同士 どうし の遊 ゆう 撃 げき 戦 せん となり、主力 しゅりょく の戦艦 せんかん 部隊 ぶたい が全力 ぜんりょく で交戦 こうせん することなく終 お わった。英国 えいこく 艦隊 かんたい は数 すう 的 てき には優勢 ゆうせい だったが、戦闘 せんとう では英国 えいこく 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 「インヴィンシブル 」(1908年 ねん 竣工 しゅんこう 、17,373t、30.5cm砲 ほう 8門 もん )、「インディファティガブル 」(1911年 ねん 竣工 しゅんこう 、18,500t、30.5cm砲 ほう 8門 もん )、「クイーン・メリー 」(1913年 ねん 竣工 しゅんこう 、26,770t、34.3cm砲 ほう 8門 もん )の3隻 せき が、砲塔 ほうとう などバイタルパート の装甲 そうこう を貫徹 かんてつ され、弾 たま 火薬 かやく 庫 こ が誘爆 ゆうばく ・轟沈 ごうちん した。ドイツ側 がわ は巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 「リュッツオウ 」(1916年 ねん 竣工 しゅんこう 、26,318t、30.5cm砲 ほう 8門 もん )が多数 たすう の被弾 ひだん による浸水 しんすい で航行 こうこう 不能 ふのう となり放棄 ほうき された。ドイツ巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん は、イギリス巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん に比 くら べて防御 ぼうぎょ 力 りょく 重視 じゅうし の設計 せっけい と、優 すぐ れた誘爆 ゆうばく 防止 ぼうし 策 さく により、高 たか い抗 こう 堪 こらえ 性 せい を発揮 はっき した。
イギリスは、ユトランド沖 おき 海戦 かいせん 後 こう も変 か わらず、主力 しゅりょく 艦 かん 戦力 せんりょく では、ドイツを圧倒 あっとう した。戦争 せんそう 末期 まっき にはドイツは起死回生 きしかいせい を図 はか り全 ぜん 艦隊 かんたい で出撃 しゅつげき しようとしたが、勝 か ち目 め のない戦 たたか いに出 で ることを厭 いと う水兵 すいへい たちがこれを拒否 きょひ した。結局 けっきょく 、1度 ど きりしか生 しょう じなかった主力 しゅりょく 艦 かん どうしの艦隊 かんたい 決戦 けっせん は、大戦 たいせん に何 なん ら影響 えいきょう を与 あた えるものではなかったのである。だが各国 かっこく は戦艦 せんかん や巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん の設計 せっけい の問題 もんだい という観点 かんてん でしか戦 たたかえ 訓 くん を見 み ようとせず、艦隊 かんたい 決戦 けっせん が戦局 せんきょく に影響 えいきょう を与 あた えなかった事実 じじつ は顧 かえり みられることがなかった。
建 けん 艦 かん 競争 きょうそう と軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく
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装甲 そうこう 艦 かん ドイッチュラント
新 しん 戦艦 せんかん ダンケルク
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終了 しゅうりょう 直後 ちょくご には、ユトランド沖 おき 海戦 かいせん の戦 せん 訓 くん を取 と り入 い れた主力 しゅりょく 艦 かん の熾烈 しれつ な建 けん 艦 かん 競争 きょうそう が、残 のこ された大海 おおうみ 軍国 ぐんこく である米 べい ・英 えい ・日 ひ で始 はじ まった。日本 にっぽん においても戦艦 せんかん による艦隊 かんたい 決戦 けっせん 構想 こうそう により41センチ砲 ほう 搭載 とうさい の高速 こうそく 戦艦 せんかん 8隻 せき 、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 8隻 せき からなる「八 はち 八 はち 艦隊 かんたい 」の建造 けんぞう が計画 けいかく されたが、1922年 ねん 、ワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく が締結 ていけつ され、新規 しんき 建造 けんぞう が制限 せいげん されると、列強 れっきょう 各国 かっこく の建 けん 艦 かん 競争 きょうそう は一応 いちおう の終息 しゅうそく を迎 むか えた。これを海軍 かいぐん 休日 きゅうじつ (Naval Holiday)と呼 よ ぶ。
ワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく においては建造 けんぞう 中 ちゅう の未 み 完成 かんせい 戦艦 せんかん の廃 はい 艦 かん が求 もと められたが、ここに日本 にっぽん と諸 しょ 外国 がいこく との間 あいだ で「陸奥 みちのく 」を完成 かんせい 艦 かん として保有 ほゆう を認 みと めるか未 み 完成 かんせい 艦 かん として廃 はい 艦 かん するかの駆 か け引 ひ きも起 お こった。
同 どう 条約 じょうやく においては航空 こうくう 母艦 ぼかん の所有 しょゆう 排水 はいすい 量 りょう にも各国 かっこく ごとの枠 わく が設 もう けられたが、当時 とうじ 航空 こうくう 母艦 ぼかん はまだ生 う まれたばかりの艦 かん 種 しゅ であり各国 かっこく ともその枠 わく に大 おお きな余裕 よゆう があったため、廃 はい 艦 かん とした未 み 完成 かんせい の戦艦 せんかん や巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん を航空 こうくう 母艦 ぼかん に改装 かいそう して完成 かんせい させる例 れい が見 み られ、その結果 けっか としてレキシントン級 きゅう 航空 こうくう 母艦 ぼかん や「赤城 あかぎ 」、「加賀 かが 」、「ベアルン 」といったそれまでになかった大型 おおがた の航空 こうくう 母艦 ぼかん が生 う まれた。しかし当時 とうじ はまだ航空 こうくう 母艦 ぼかん 艦載 かんさい 機 き の攻撃 こうげき 力 りょく ・航続 こうぞく 距離 きょり など性能 せいのう 全体 ぜんたい が低 ひく く、実戦 じっせん で戦果 せんか を示 しめ す機会 きかい もなかったため航空 こうくう 母艦 ぼかん は補助 ほじょ 的 てき な艦 かん として見 み られており、海軍 かいぐん の主力 しゅりょく は引 ひ き続 つづ き戦艦 せんかん であるとみなされていた。
1934年 ねん に同 どう 条約 じょうやく が破棄 はき されるまでの間 あいだ 、各国 かっこく は既存 きそん 艦 かん の近代 きんだい 化 か 改装 かいそう などで現有 げんゆう 艦 かん の質的 しつてき 向上 こうじょう に力 ちから を注 ちゅう いだが、欧州 おうしゅう では敗戦 はいせん 後 ご 、造船 ぞうせん 能力 のうりょく を取 と り戻 もど しつつあるドイツ が1933年 ねん にポケット戦艦 せんかん ドイッチュラント級 きゅう を建 けん 艦 かん したことと、ロンドン軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく に参加 さんか しなかったことで1933年 ねん から新 しん 戦艦 せんかん 建造 けんぞう の権利 けんり をフランス ・イタリア が得 え たことで、ドイツ・フランス・イタリア三 さん 国 こく で建 けん 艦 かん 競争 きょうそう が勃発 ぼっぱつ した。
フランスが「ダンケルク級 きゅう 」を造 つく れば、イタリアは「コンテ・ディ・カブール級 きゅう 」と「カイオ・デュイリオ級 きゅう 」の近代 きんだい 化 か 改装 かいそう と「ヴィットリオ・ヴェネト級 きゅう 」の建 けん 艦 かん に着手 ちゃくしゅ し、ドイツも「シャルンホルスト級 きゅう 」と「ビスマルク級 きゅう 」を造 つく った。その後 ご 、ドイツ・イタリアの15インチ砲戦 ほうせん 艦 かん に対抗 たいこう するためにフランスはダンケルク級 きゅう の二 に 番 ばん 艦 かん 「ストラスブール 」の重 じゅう 装甲 そうこう 化 か と正 せい 38cm砲戦 ほうせん 艦 かん 「リシュリュー級 きゅう 」の建 けん 艦 かん に踏 ふ み切 き った。ロンドン軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく によって1937年 ねん まで新 しん 戦艦 せんかん 建造 けんぞう ができなかった英国 えいこく は、欧州 おうしゅう の中型 ちゅうがた 戦艦 せんかん 対策 たいさく に唯一 ゆいいつ 速力 そくりょく で対抗 たいこう 可能 かのう な既存 きそん の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 「フッド 」とレナウン級 きゅう 2隻 せき の小 しょう 改装 かいそう により当座 とうざ をしのいだ。
軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく 破棄 はき 後 ご の建造 けんぞう
編集 へんしゅう
ワシントン条約 じょうやく の破棄 はき 後 ご は、再 ふたた び列強 れっきょう による戦艦 せんかん 建造 けんぞう が始 はじ まり、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のノースカロライナ級 きゅう 、サウスダコタ級 きゅう やアイオワ級 きゅう 、イギリスのキング・ジョージ5世 せい 級 きゅう 、日本 にっぽん の大和 やまと 型 がた などの巨 きょ 艦 かん が建造 けんぞう された。また、再 さい 軍備 ぐんび 宣言 せんげん をしたドイツも前述 ぜんじゅつ の通 とお りにダンケルク級 きゅう への対抗 たいこう としてビスマルク級 きゅう を建造 けんぞう した。この時期 じき に建造 けんぞう された戦艦 せんかん は軒並 のきな み27ノット以上 いじょう と速力 そくりょく も速 はや く、のちに航空 こうくう 母艦 ぼかん を中心 ちゅうしん とした艦隊 かんたい を編成 へんせい する場合 ばあい にも運用 うんよう が可能 かのう だった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん
編集 へんしゅう
軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく によって保有 ほゆう 数 すう を制限 せいげん された各国 かっこく にとって、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ の時点 じてん において戦艦 せんかん は艦隊 かんたい の華 はな であるのみならず、国力 こくりょく そのものであり、その主力 しゅりょく 艦 かん としての希少 きしょう 価値 かち は史上 しじょう 例 れい を見 み ないものであったが、いざ戦争 せんそう が始 はじ まると、戦場 せんじょう の主役 しゅやく は既 すで に航空機 こうくうき に移 うつ っていることが明 あき らかとなった。
大西洋 たいせいよう 方面 ほうめん では、枢軸 すうじく 国軍 こくぐん とイギリス海軍 かいぐん の戦力 せんりょく 差 さ が大 おお きく、戦艦 せんかん 「ビスマルク 」の沈没 ちんぼつ やヴェーザー演習 えんしゅう 作戦 さくせん において大型 おおがた 艦艇 かんてい の損害 そんがい を出 だ したドイツ海軍 かいぐん に対 たい し、ヒトラー がその後 ご の活動 かつどう を制限 せいげん したために大 おお きな海戦 かいせん が行 おこな われなかった。
地中海 ちちゅうかい でタラント港 こう に停泊 ていはく していたイタリア海軍 かいぐん の戦艦 せんかん にイギリス海軍 かいぐん の空母 くうぼ 艦載 かんさい 機 き が大 だい 損害 そんがい を与 あた えた(タラント空襲 くうしゅう )。
1941年 ねん 、太平洋戦争 たいへいようせんそう 劈頭 へきとう の真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき において日本 にっぽん 海軍 かいぐん の空母 くうぼ 艦載 かんさい 機 き が真珠湾 しんじゅわん に停泊 ていはく 中 ちゅう のアメリカ太平洋艦隊 たいへいようかんたい の戦艦 せんかん の大半 たいはん を撃沈 げきちん した。
マレー沖 おき 海戦 かいせん において、作戦 さくせん 行動 こうどう 中 ちゅう のイギリス最 さい 新鋭 しんえい 戦艦 せんかん 「プリンス・オブ・ウェールズ 」を日本 にっぽん 海軍 かいぐん の基地 きち 航空 こうくう 隊 たい が撃沈 げきちん した。
以上 いじょう のことから艦隊 かんたい における主力 しゅりょく は航空機 こうくうき とそれを運用 うんよう する航空 こうくう 母艦 ぼかん となり、戦艦 せんかん の役割 やくわり は制空権 せいくうけん を確保 かくほ した状態 じょうたい での陸上 りくじょう 目標 もくひょう 砲撃 ほうげき や空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい の防空 ぼうくう 支援 しえん といった副次的 ふくじてき 任務 にんむ に移 うつ っていった。これは戦艦 せんかん の主砲 しゅほう は大 だい 口径 こうけい 砲 ほう にもかかわらず機動 きどう 力 りょく に優 すぐ れていること、敵 てき の攻撃 こうげき 目標 もくひょう として目立 めだ つ巨大 きょだい な艦 かん 体 たい と攻撃 こうげき に耐 た えしのぐだけの防御 ぼうぎょ 力 りょく を持 も ち合 あ わせていること、対空 たいくう 砲火 ほうか の威力 いりょく を増 ま したVT信管 しんかん の発明 はつめい などの理由 りゆう がある。実例 じつれい としては以下 いか のようなものがある。
開戦 かいせん 当初 とうしょ 、日本 にっぽん の機動 きどう 部隊 ぶたい の護衛 ごえい 部隊 ぶたい の主力 しゅりょく は高速 こうそく の金剛 こんごう 型 がた 戦艦 せんかん であった。その後 ご 、大戦 たいせん 後半 こうはん からアメリカ機動 きどう 部隊 ぶたい の防空 ぼうくう 用 よう にアイオワ級 きゅう 戦艦 せんかん を初 はじ めとする新型 しんがた 戦艦 せんかん が投入 とうにゅう され、防空 ぼうくう 任務 にんむ に絶大 ぜつだい な威力 いりょく を発揮 はっき した。
マリアナ沖 おき 海戦 かいせん において日本 にっぽん 側 がわ は前衛 ぜんえい 部隊 ぶたい に4隻 せき の戦艦 せんかん を配置 はいち し、これによって敵 てき 攻撃 こうげき 隊 たい の攻撃 こうげき を吸収 きゅうしゅう し、正規 せいき 空母 くうぼ を含 ふく む本隊 ほんたい への被害 ひがい を減 げん じようと企図 きと した。
真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき 後 ご の帰途 きと に行 おこな われた、アメリカ軍 ぐん ウェーク島 とう 基地 きち に対 たい する日本 にっぽん 軍 ぐん 軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 等 ひとし による艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき
ガタルカナル戦 せん における、戦艦 せんかん 金剛 こんごう 、榛名 はるな による飛行場 ひこうじょう への夜間 やかん 砲撃 ほうげき
欧州 おうしゅう 戦線 せんせん でのノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん 時 じ や、太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん での硫黄 いおう 島 とう 、沖縄 おきなわ 攻略 こうりゃく 時 じ などに実施 じっし された連合 れんごう 軍 ぐん の艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき
大戦 たいせん 末期 まっき に釜石 かまいし 市 し や浜松 はままつ 市 し 等 とう に行 おこな われた、連合 れんごう 軍 ぐん の夜 よる 間 あいだ 艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき
太平洋 たいへいよう では戦場 せんじょう の主役 しゅやく が空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい となった一方 いっぽう で、欧州 おうしゅう では戦力 せんりょく の不 ふ 均衡 きんこう や燃料 ねんりょう の枯渇 こかつ により戦艦 せんかん が活用 かつよう された作戦 さくせん は少 すく ない。ただし、ドイツ戦艦 せんかん ティルピッツ がノルウェーに在 ざい 泊 はく し、敵 てき 水上 すいじょう 艦艇 かんてい と一 いち 度 ど も砲火 ほうか を交 まじ えることなく連合 れんごう 軍 ぐん の援ソ船団 せんだん に圧力 あつりょく をかけ続 つづ けた例 れい など、戦艦 せんかん が抑止 よくし 力 りょく としてある程度 ていど 機能 きのう した。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご から現在 げんざい
編集 へんしゅう
UGM-109 トマホーク ミサイルを発射 はっしゃ する「ウィスコンシン 」(1991年 ねん 、湾岸 わんがん 戦争 せんそう 時 どき )。戦艦 せんかん 最後 さいご の戦場 せんじょう となったこの戦 たたか いで、アイオワ級 きゅう は艦 かん 砲 ほう 射撃 しゃげき とトマホークミサイルによる対地 たいち 攻撃 こうげき や、RQ-2 無人 むじん 偵察 ていさつ 機 き による着弾 ちゃくだん 観測 かんそく 等 とう を実行 じっこう した。
「巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 」と表現 ひょうげん されることもあるキーロフ級 きゅう ミサイル巡洋艦 じゅんようかん 「フルンゼ(後 ご のアドミラル・ラーザリェフ)」
テリアミサイル を発射 はっしゃ する「ミシシッピ 」 (AG-128)。従来 じゅうらい の主砲 しゅほう は全廃 ぜんぱい され砲術 ほうじゅつ 訓練 くんれん 艦 かん に艦 かん 種 しゅ 変更 へんこう されつつ、1956年 ねん までミサイルの試験 しけん に尽力 じんりょく した。
イギリスは1946年 ねん に「ヴァンガード 」を、フランスは1950年 ねん に「ジャン・バール 」を完成 かんせい させ(既 すで に戦前 せんぜん から起工 きこう されており、ジャン・パールは艤装 ぎそう 中 ちゅう にもかかわらずカサブランカ沖 おき 海戦 かいせん では砲台 ほうだい として戦闘 せんとう に参加 さんか している)、戦後 せんご も国 くに の威信 いしん と象徴 しょうちょう を示 しめ すものであり続 つづ けた。しかし実用 じつよう 艦 かん としては既 すで に時代遅 じだいおく れになっており、就役 しゅうえき 期間 きかん の大半 たいはん を予備 よび 艦 かん として使 つか われ、退役 たいえき した。
アメリカと冷戦 れいせん で対立 たいりつ したソ連 それん 海軍 かいぐん も戦艦 せんかん 「ノヴォロシースク 」(旧 きゅう イタリア海軍 かいぐん 「ジュリオ・チェザーレ」)を運用 うんよう していたが、1955年 ねん 10月29日 にち 、セヴァストポリ で事故 じこ (触 さわ 雷 かみなり )を起 お こして爆沈 ばくちん した。ソビエツキー・ソユーズ級 きゅう 戦艦 せんかん の建造 けんぞう も中止 ちゅうし され、純粋 じゅんすい なソ連 それん ・ロシア製 せい の超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん が誕生 たんじょう することはなかった。
前記 ぜんき を例外 れいがい として、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう はそもそも大 だい 規模 きぼ な海戦 かいせん それ自体 じたい が行 おこな われなくなったこともあり、戦艦 せんかん の建造 けんぞう は行 おこな われなくなった。戦後 せんご 、ソビエト連邦 れんぽう の台頭 たいとう により冷戦 れいせん が始 はじ まった頃 ころ には、ミサイル の実用 じつよう 化 か がなされ、主砲 しゅほう による艦隊 かんたい 戦 せん は有効 ゆうこう 性 せい を失 うしな ってしまった。旧 きゅう ソ連 それん はミサイルを主 おも 武装 ぶそう とする艦 かん を大量 たいりょう に建造 けんぞう して、空母 くうぼ を主力 しゅりょく とするアメリカに対抗 たいこう し、ミサイル巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん といえるキーロフ級 きゅう ミサイル巡洋艦 じゅんようかん (実際 じっさい 、ジェーン海軍 かいぐん 年鑑 ねんかん には巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん として掲載 けいさい )を就役 しゅうえき させるに至 いた るが、巨 きょ 砲 ほう を主 おも 武装 ぶそう とする戦艦 せんかん とは性格 せいかく が異 こと なる艦 かん である。
また、チリ 、ブラジル 、アルゼンチン の3国 こく は自国 じこく の戦艦 せんかん を退役 たいえき させた後 のち 、代 だい 艦 かん としてブルックリン級 きゅう 軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん を購入 こうにゅう している。国 くに の威信 いしん と象徴 しょうちょう を表 あらわ す艦 かん としても戦艦 せんかん は不経済 ふけいざい と考 かんが えられ、巡洋艦 じゅんようかん でも十分 じゅうぶん であると考 かんが えられたのである。
しかし陸軍 りくぐん 及 およ び海兵 かいへい 隊 たい が行 おこな う、水際 みずぎわ 上陸 じょうりく 作戦 さくせん 支援 しえん には戦艦 せんかん の砲撃 ほうげき 力 りょく は依然 いぜん 有効 ゆうこう であり、また、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご に著 いちじる しく発達 はったつ したミサイルは、徹 とおる 甲 きのえ 弾 だん に対 たい する防御 ぼうぎょ を前提 ぜんてい とした重 じゅう 装甲 そうこう を持 も つ戦艦 せんかん に対 たい しては決定的 けっていてき なダメージを与 あた えられないとされ、戦艦 せんかん が再 さい 評価 ひょうか される場面 ばめん もあった。アメリカは第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 以降 いこう 、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう ではアイオワ級 きゅう の4隻 せき すべてを、ベトナム戦争 せんそう では「ニュージャージー 」を現役 げんえき 復帰 ふっき させ上陸 じょうりく 作戦 さくせん の支援 しえん に使用 しよう した。その後 ご アイオワ級 きゅう は予備 よび 役 やく として保管 ほかん (モスボール )されていた。1980年代 ねんだい のレーガン 政権 せいけん 下 か で、「強 つよ いアメリカ」の象徴 しょうちょう として三 さん 度 ど 、4隻 せき とも現役 げんえき に一時 いちじ 的 てき に復 ふく 役 やく し、「ミズーリ 」と「ウィスコンシン 」は湾岸 わんがん 戦争 せんそう で出動 しゅつどう した。これらは最後 さいご の現役 げんえき 戦艦 せんかん であり、トマホーク 巡航 じゅんこう ミサイル を搭載 とうさい するなど近代 きんだい 化 か 改装 かいそう が施 ほどこ されていた。しかしあくまで大戦 たいせん 期 き の旧式 きゅうしき 艦 かん の再 さい 利用 りよう であることが、戦艦 せんかん の価値 かち ・使用 しよう 法 ほう が限定 げんてい 的 てき なことを示 しめ している。アイオワ級 きゅう は劣化 れっか もあり、1990年代 ねんだい 初頭 しょとう には全 すべ ての戦艦 せんかん が退役 たいえき し、2006年 ねん までに全 すべ ての艦 かん が除籍 じょせき された。最後 さいご の戦艦 せんかん であった「アイオワ 」も現在 げんざい はロサンゼルス の港 みなと にて記念 きねん 艦 かん として、余生 よせい を送 おく っている。
このようにほとんどの戦艦 せんかん は解体 かいたい されていったが、一部 いちぶ の艦 かん は艦 かん 種 しゅ 変更 へんこう などを受 う けつつも各種 かくしゅ 試験 しけん ・演習 えんしゅう などで戦後 せんご もしばらくの間 あいだ 活躍 かつやく した。砲術 ほうじゅつ 訓練 くんれん 艦 かん となり、テリアミサイル の試験 しけん で運用 うんよう されたニューメキシコ級 きゅう 戦艦 せんかん の「ミシシッピ 」やドイツ海軍 かいぐん のブラウンシュヴァイク級 きゅう 戦艦 せんかん で、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご はソ連 それん 海軍 かいぐん に引 ひ き渡 わた され標的 ひょうてき 艦 かん となった前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 「ヘッセン 」(ユトランド沖 おき 海戦 かいせん にも参加 さんか )が一 いち 例 れい として挙 あ げられる。これらは主砲 しゅほう を降 お ろすなどの改装 かいそう を受 う けた。これらの艦 かん は1960年 ねん ごろまで運用 うんよう されていた。
純粋 じゅんすい な戦艦 せんかん とは異 こと なるが、1990年代 ねんだい 後半 こうはん にアメリカ海軍 かいぐん でアーセナル・シップ と呼 よ ばれる艦 かん の開発 かいはつ 計画 けいかく があった。アーセナル・シップは大量 たいりょう のミサイルを搭載 とうさい し対地 たいち 攻撃 こうげき に活躍 かつやく する艦 かん となる予定 よてい だったため、アメリカ海軍 かいぐん はこれを『21世紀 せいき の戦艦 せんかん 』と銘打 めいう っていた。しかし、予算 よさん ・世界 せかい 事情 じじょう の変化 へんか などで計画 けいかく はほぼ立 た ち消 ぎ え状態 じょうたい となっている。
42口径 こうけい 15インチ連装 れんそう 砲塔 ほうとう
42口径 こうけい 15インチ連装 れんそう 砲 ほう の装填 そうてん 機構 きこう
42口径 こうけい 15インチ砲弾 ほうだん
主砲 しゅほう は戦艦 せんかん を戦艦 せんかん たらしめる最 さい 重要 じゅうよう の武装 ぶそう である。敵艦 てきかん を圧倒 あっとう するために大 おお きく高 こう 威力 いりょく の砲弾 ほうだん をより遠 とお くへより正確 せいかく に発射 はっしゃ する必要 ひつよう がある。砲 ほう の大 おお きさは、メ め ートル法 とるほう で設計 せっけい 製作 せいさく された大和 やまと 型 がた であれば「45口径 こうけい 46センチメートル 砲 ほう 」、ヤード・ポンド法 ほう で設計 せっけい 製作 せいさく されたアイオワ級 きゅう であれば「50口径 こうけい 16インチ 砲 ほう 」と表現 ひょうげん するのが正確 せいかく である。「○口径 こうけい 」が砲身 ほうしん の長 なが さを表 あらわ す口径 こうけい 長 ちょう (後述 こうじゅつ )、「○センチメートル」または「○インチ」が「砲身 ほうしん 内径 ないけい ≒砲弾 ほうだん 直径 ちょっけい 」である。
メ め ートル法 とるほう で設計 せっけい 製作 せいさく された砲 ほう であっても、砲身 ほうしん 内径 ないけい を、インチで表現 ひょうげん して切 き りの良 よ い数字 すうじ に近 ちか づけるのが通例 つうれい 。例 たと えば、メ め ートル法 とるほう の提唱 ていしょう 国 こく であるフランスの戦艦 せんかん 主砲 しゅほう は当然 とうぜん にメ め ートル法 とるほう で設計 せっけい 製作 せいさく されているが、ダンケルク級 きゅう は33センチメートル(約 やく 13インチ)、リシュリュー級 きゅう は38センチメートル(約 やく 15インチ)である。
砲身 ほうしん の長 なが さの表示 ひょうじ については、「○口径 こうけい 」(○は砲身 ほうしん 長 ちょう を砲弾 ほうだん の直径 ちょっけい で割 わ った数字 すうじ )と表 あらわ し、これを口径 こうけい 長 なが と呼 よ ぶ。砲弾 ほうだん や発射 はっしゃ 薬 やく などの諸 しょ 条件 じょうけん が同 おな じ場合 ばあい 、より長 なが い砲身 ほうしん を用 もち いて撃 う ち出 だ す方 ほう が砲 ほう 口 こう 初速 しょそく を向上 こうじょう させるうえで有利 ゆうり となる。
1900年 ねん 頃 ごろ に各国 かっこく 海軍 かいぐん が有 ゆう していた前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん は、35口径 こうけい 12インチ(砲身 ほうしん 長 ちょう は420インチ=約 やく 11メートル)程度 ていど の主砲 しゅほう を連装 れんそう 砲塔 ほうとう に収 おさ め、艦 かん の前後 ぜんご に1基 き ずつ(計 けい 4門 もん )装備 そうび していた。その後 ご 、戦艦 せんかん 主砲 しゅほう は逐次 ちくじ 巨大 きょだい 化 か し、日本 にっぽん の大和 やまと 型 がた の45口径 こうけい 46センチメートル(46センチメートル=約 やく 18.1インチ)砲 ほう (砲身 ほうしん 長 ちょう 20.7メートル)、アメリカのアイオワ級 きゅう の50口径 こうけい 16インチ(16インチ=約 やく 40.6センチメートル)砲 ほう (砲身 ほうしん 長 ちょう 800インチ=約 やく 20.3メートル)に達 たっ した。
発射 はっしゃ する砲弾 ほうだん は、敵 てき 大型 おおがた 艦 かん の強力 きょうりょく な装甲 そうこう を貫徹 かんてつ できるよう徹 とおる 甲 きのえ 弾 だん が主 おも であった。徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん は、弾 たま 体 たい の大半 たいはん が硬 かた い特殊 とくしゅ 鋼 こう でできており、内部 ないぶ の炸薬 さくやく の量 りょう は少 すく ない。初期 しょき には炸薬 さくやく を持 も たない実体 じったい 弾 だん も用 もち いた。徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん の信管 しんかん は砲弾 ほうだん が敵艦 てきかん の装甲 そうこう を貫徹 かんてつ した後 のち 、敵艦 てきかん の内部 ないぶ で炸裂 さくれつ する遅 おそ 発 はつ 式 しき である。砲弾 ほうだん 重量 じゅうりょう は12インチ砲 ほう で400kg程度 ていど 、16インチ砲 ほう で1トン前後 ぜんこう 、大和 やまと 型 がた の46センチメートル砲 ほう で1.5トン程度 ていど である。この砲弾 ほうだん を、1門 もん 辺 あた り毎 ごと 分 ぶん 2発 はつ 程度 ていど 、砲 ほう 口速 くちばや 度 ど 800メートル/秒 びょう 程度 ていど で、2万 まん メートルから3万 まん メートル先 さき の敵艦 てきかん に向 む けて撃 う つ前提 ぜんてい であった[注釈 ちゅうしゃく 5] 。遅 おそ 発 はつ 式 しき の弾 たま が水面 すいめん に着弾 ちゃくだん すると水中 すいちゅう に潜 もぐ った後 のち に爆発 ばくはつ し高 たか い水柱 みずばしら を生 しょう じ、着弾 ちゃくだん 点 てん の観測 かんそく に用 もち いた。
徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん の他 ほか に、無 む 装甲 そうこう の目標 もくひょう (駆逐 くちく 艦 かん 、輸送 ゆそう 船 せん 、地上 ちじょう 目標 もくひょう など)を射撃 しゃげき するための榴弾 りゅうだん も搭載 とうさい した。榴弾 りゅうだん は、内部 ないぶ の炸薬 さくやく が徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん より多 おお く、命中 めいちゅう と同時 どうじ に作動 さどう する瞬発 しゅんぱつ 信管 しんかん を装備 そうび する。なお、日本 にっぽん 海軍 かいぐん は戦艦 せんかん の主砲 しゅほう を対空 たいくう 戦闘 せんとう にも使 つか う想定 そうてい で、零 れい 式 しき 通常 つうじょう 弾 だん や三 さん 式 しき 通常 つうじょう 弾 だん といった特殊 とくしゅ な対空 たいくう 砲弾 ほうだん を開発 かいはつ し、太平洋戦争 たいへいようせんそう の実戦 じっせん で使用 しよう した。日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 時 どき の日本 にっぽん 海軍 かいぐん は対戦 たいせん 艦 かん 射撃 しゃげき に榴弾 りゅうだん も併用 へいよう することにより一定 いってい の効果 こうか を上 あ げた。
大砲 たいほう の威力 いりょく は、砲弾 ほうだん の材質 ざいしつ ・構造 こうぞう ・炸薬 さくやく 量 りょう が同等 どうとう であれば、撃 う ち出 だ す砲弾 ほうだん の重量 じゅうりょう と速度 そくど により決 き まる。砲弾 ほうだん の重量 じゅうりょう を決定 けってい するのは(砲弾 ほうだん の材質 ざいしつ 以外 いがい では)、砲弾 ほうだん の形状 けいじょう が相似 そうじ であれば口径 こうけい によって決 き まる。砲弾 ほうだん の形状 けいじょう がより長 た ければ、同 どう 一 いち 口径 こうけい でも重量 じゅうりょう が増 ふ える。砲弾 ほうだん の速度 そくど を決定 けってい するのは、装 そう 薬 やく の量 りょう と口径 こうけい 長 ちょう である。口径 こうけい 長 ちょう が大 おお きければ、より長時間 ちょうじかん 砲弾 ほうだん に運動 うんどう エネルギーを与 あた えるので、装 そう 薬 やく の量 りょう が同 おな じでも砲弾 ほうだん 速度 そくど はより速 はや くなる。ただし技術 ぎじゅつ 的 てき 限界 げんかい を超 こ えて装 そう 薬 くすり 量 りょう を増 ふ やすと、砲身 ほうしん のブレによる命中 めいちゅう 率 りつ 低下 ていか を招 まね く。一般 いっぱん には口径 こうけい が戦艦 せんかん の主砲 しゅほう の威力 いりょく をはかる基準 きじゅん 値 ち とされ、口径 こうけい 長 ちょう は45口径 こうけい 前後 ぜんこう で装 そう 薬 くすり 量 りょう にも大差 たいさ なく各国 かっこく とも横並 よこなら びであった。しかし例外 れいがい もあり、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん までのドイツ戦艦 せんかん は、装 そう 薬 くすり 量 りょう を増 ふ やして砲弾 ほうだん 速度 そくど を上 あ げたため、口径 こうけい ではひとまわり大 おお きな英国 えいこく 戦艦 せんかん の主砲 しゅほう と同等 どうとう と言 い われていた。一方 いっぽう の英国 えいこく 戦艦 せんかん は口径 こうけい 長 ちょう の増大 ぞうだい により対抗 たいこう したこともあるが、結果 けっか として英国 えいこく 製 せい 50口径 こうけい 12インチ主砲 しゅほう は砲身 ほうしん のブレが大 おお きく欠陥 けっかん 品 ひん とされる。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご では、主砲 しゅほう の射程 しゃてい 距離 きょり の延伸 えんしん により、砲弾 ほうだん 速度 そくど は重要 じゅうよう な要素 ようそ ではなくなった。長時間 ちょうじかん 空中 くうちゅう を進 すす む砲弾 ほうだん の速度 そくど は空気 くうき 抵抗 ていこう により減少 げんしょう し、いくら高速 こうそく で撃 う ち出 だ しても最終 さいしゅう 的 てき な砲弾 ほうだん 速度 そくど には変 か わりがなくなったからである。むしろ山 やま なりの砲弾 ほうだん が落下 らっか に転 てん じた際 さい の速度 そくど は砲弾 ほうだん 重量 じゅうりょう によって決 き まるため、ほぼ砲弾 ほうだん 重量 じゅうりょう のみが主砲 しゅほう の威力 いりょく を決定 けってい することになった。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ の米国 べいこく 戦艦 せんかん の16インチ砲 ほう の砲弾 ほうだん は、長 なが い形状 けいじょう によって重量 じゅうりょう を増 ま しており、45口径 こうけい 砲 ほう は他国 たこく よりも砲弾 ほうだん 速度 そくど は低速 ていそく 、50口径 こうけい 砲 ほう は他国 たこく の45口径 こうけい と速度 そくど は同等 どうとう であった。
副 ふく 砲 ほう と高角 こうかく 砲 ほう
編集 へんしゅう
前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の時代 じだい は、近距離 きんきょり 砲戦 ほうせん が主体 しゅたい であり、発射 はっしゃ 速度 そくど に優 まさ る多数 たすう の副 ふく 砲 ほう が役 やく に立 た った。
水雷 すいらい 艇 てい が登場 とうじょう すると、これに対処 たいしょ するために副 ふく 砲 ほう よりもさらに小型 こがた で、取 と り回 まわ しのよい砲 ほう を搭載 とうさい した。また主砲 しゅほう は4門 もん 搭載 とうさい する時代 じだい がしばらく続 つづ いたため、各国 かっこく は戦艦 せんかん の砲 ほう 力 りょく 拡大 かくだい の際 さい には、副 ふく 砲 ほう を大型 おおがた 化 か 、あるいは副 ふく 砲 ほう より大型 おおがた で主砲 しゅほう より小型 こがた の中 ちゅう 間 あいだ 砲 ほう を装備 そうび する例 れい がみられた(準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん )。
その後 ご 、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の始祖 しそ たる「ドレッドノート 」において、主砲 しゅほう の門 もん 数 すう を10門 もん に増加 ぞうか させた。そして多数 たすう の主砲 しゅほう を艦橋 かんきょう からの一元 いちげん 的 てき な射撃 しゃげき 管制 かんせい により、遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん での命中 めいちゅう 率 りつ を高 たか め、搭載 とうさい 砲 ほう を主砲 しゅほう と対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 用 よう の7.6cm(3インチ)速射 そくしゃ 砲 ほう とし、それ以外 いがい の砲 ほう を廃止 はいし した。しかしながら続 つづ いて弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん を建造 けんぞう した他国 たこく 海軍 かいぐん は、副 ふく 砲 ほう を残 のこ した。弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 以降 いこう の副 ふく 砲 ほう は、戦艦 せんかん 同士 どうし の近距離 きんきょり 砲戦 ほうせん を目的 もくてき としたものではなく、水雷 すいらい 艇 てい 、それより発達 はったつ した駆逐 くちく 艦 かん などの、小型 こがた 艦艇 かんてい への対処 たいしょ を目的 もくてき としたものとなった。主砲 しゅほう は旋回 せんかい 速度 そくど 、単位 たんい 時間 じかん あたりの射撃 しゃげき 速度 そくど が低 ひく く、小型 こがた 高速 こうそく の艦 かん への対処 たいしょ が困難 こんなん だったためである。イギリス海軍 かいぐん も駆逐 くちく 艦 かん への対処 たいしょ のため、対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 用 よう であった速射 そくしゃ 砲 ほう を大型 おおがた 化 か し、事実 じじつ 上 じょう の副 ふく 砲 ほう の復活 ふっかつ となった。
前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 時代 じだい から超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん の時代 じだい にかけて、戦艦 せんかん の副 ふく 砲 ほう は、舷側 げんそく にケースメイト 配置 はいち され側 がわ 方 かた を指向 しこう する設計 せっけい が多 おお かった。日本 にっぽん では長門 ながと 型 がた までがこの形態 けいたい である。一方 いっぽう で準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん においては、中間 なかま 砲 ほう は砲塔 ほうとう 形式 けいしき とし、舷側 げんそく に配置 はいち するのが通例 つうれい であった。1920年 ねん ごろより、副 ふく 砲 ほう についても中間 なかま 砲 ほう と同様 どうよう に、連装 れんそう または3連装 れんそう の砲塔 ほうとう 形式 けいしき とし、2基 き を高 たか い位置 いち の船体 せんたい 中心 ちゅうしん 線 せん 上 じょう に、残 のこ りを低 ひく い甲板 かんぱん 上 じょう の側面 そくめん に配置 はいち することで前方 ぜんぽう ・後方 こうほう ・側 がわ 方 かた いずれに向 む けても一定 いってい 数 すう の砲門 ほうもん 数 すう を指向 しこう できる設計 せっけい となった。ノースカロライナ級 きゅう ・大和 やまと 型 がた などがこの形態 けいたい である。他 た に舷側 げんそく に砲塔 ほうとう 形式 けいしき で前後 ぜんご 方 かた から2段 だん の背負 せおい 式 しき 配置 はいち とすることでやはり前方 ぜんぽう ・後方 こうほう ・側 がわ 方 かた いずれに向 む けても砲門 ほうもん 数 すう を指向 しこう できる設計 せっけい がキング・ジョージ5世 せい 級 きゅう などに採用 さいよう された。
アメリカが1934年 ねん に制式 せいしき 化 か した38口径 こうけい 5インチ砲 ほう (12.7cm砲 ほう ) は、対 たい 艦 かん 射撃 しゃげき にも対空 たいくう 射撃 しゃげき にも使 つか える両用 りょうよう 砲 ほう だった。以後 いご のアメリカの戦艦 せんかん は副 ふく 砲 ほう と高角 こうかく 砲 ほう をこの5インチ両用 りょうよう 砲 ほう に一本 いっぽん 化 か し、連装 れんそう 砲塔 ほうとう に納 おさ めて搭載 とうさい した。イギリスも1940年 ねん に50口径 こうけい 5.25インチ両用 りょうよう 砲 ほう (13.3cm砲 ほう )(en:QF 5.25 inch gun )を制式 せいしき 化 か し、アメリカと同 おな じく副 ふく 砲 ほう と高角 こうかく 砲 ほう を統合 とうごう して、キング・ジョージ5世 せい 級 きゅう に連装 れんそう 砲塔 ほうとう で搭載 とうさい したが、副 ふく 砲 ほう としての性能 せいのう には問題 もんだい がなかったものの高角 こうかく 砲 ほう としては速射 そくしゃ 性 せい に欠 か けるなど欠点 けってん の多 おお い砲 ほう だった。日本 にっぽん は両用 りょうよう 砲 ほう の開発 かいはつ に遅 おく れを取 と り事実 じじつ 上 じょう 開発 かいはつ に成功 せいこう しなかったので[要 よう 出典 しゅってん ]
副 ふく 砲 ほう と高角 こうかく 砲 ほう の両方 りょうほう を装備 そうび し続 つづ けたが、大和 やまと 型 がた の15.5cm三 さん 連装 れんそう 副 ふく 砲 ほう に零 れい 式 しき 通常 つうじょう 弾 だん ・三 さん 式 しき 弾 だん を組 く み合 あ わせての対空 たいくう 射撃 しゃげき は効果 こうか 的 てき で速射 そくしゃ 性 せい も良 よ かったと用兵 ようへい 側 がわ には好評 こうひょう であった(しかし艦隊 かんたい 全体 ぜんたい での絶対 ぜったい 的 てき な高角 こうかく 砲 ほう の門 もん 数 すう が不足 ふそく しており、また近接 きんせつ 信管 しんかん が開発 かいはつ されず旧来 きゅうらい の時限 じげん 信管 しんかん しか使用 しよう しなかったことも日本 にっぽん 海軍 かいぐん 艦隊 かんたい の防空 ぼうくう 能力 のうりょく の不足 ふそく につながった)。
一方 いっぽう 高角 こうかく 砲 ほう については、1920年 ねん ごろまでは航空機 こうくうき が未 み 発達 はったつ で戦艦 せんかん の脅威 きょうい になるとは全 まった く考 かんが えられていなかったため、高角 こうかく 砲 ほう の搭載 とうさい はされなかった。1920年 ねん ごろより高角 こうかく 砲 ほう の搭載 とうさい が始 はじ まったが、この頃 ころ は7.6cm単 たん 装 そう 高角 こうかく 砲 ほう を4門 もん と少 しょう 威力 いりょく ・短 たん 射程 しゃてい の高角 こうかく 砲 ほう を少数 しょうすう 積 つ むのみであった。1930年 ねん ごろより次第 しだい に航空機 こうくうき の脅威 きょうい が考慮 こうりょ し始 はじ められ、長門 ながと 型 がた では改装 かいそう 時 じ に12.7センチ連装 れんそう 高角 こうかく 砲 ほう 4基 き 8門 もん を搭載 とうさい した。ヴィットリオ・ヴェネト級 きゅう は新造 しんぞう 時 じ より9cm単 たん 装 そう 高角 こうかく 砲 ほう 12門 もん を搭載 とうさい 、ビスマルク級 きゅう では10.5cm高角 こうかく 砲 ほう 連装 れんそう 8基 き 16門 もん と3.7cm高角 こうかく 砲 ほう 連装 れんそう 8基 き 16門 もん を搭載 とうさい した。アメリカが高角 こうかく 砲 ほう に替 か わり5インチ両用 りょうよう 砲 ほう を装備 そうび したのは前述 ぜんじゅつ のとおりだが、その門 もん 数 すう としては1941年 ねん 就役 しゅうえき のノースカロライナ級 きゅう で連装 れんそう 10基 き 20門 もん であった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が始 はじ めるとすぐにタラント空襲 くうしゅう ・真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき ・マレー沖 おき 海戦 かいせん と航空 こうくう 攻撃 こうげき によって戦艦 せんかん が撃沈 げきちん される事態 じたい がたてつづけに起 お こったため防空 ぼうくう 能力 のうりょく の強化 きょうか が考 かんが えられ、旧型 きゅうがた の戦艦 せんかん では副 ふく 砲 ほう を降 お ろして高角 こうかく 砲 ほう を追加 ついか する改装 かいそう が行 おこな われた。しかし改装 かいそう を行 おこ なっても金剛 こんごう 型 がた で12.7cm砲 ほう 12門 もん に留 と まるなど、新造 しんぞう の時点 じてん で対空 たいくう 装備 そうび が重視 じゅうし されていたノースカロライナ級 きゅう ・サウスダコタ級 きゅう ・アイオワ級 きゅう の5インチ両用 りょうよう 砲 ほう 20門 もん には劣 おと った。
甲 きのえ 鉄板 てっぱん (装甲 そうこう )
編集 へんしゅう
魚雷 ぎょらい が命中 めいちゅう して内側 うちがわ に押 お し込 こ まれた戦艦 せんかん オクラホマ の舷側 げんそく 装甲 そうこう (真珠湾 しんじゅわん )
飛来 ひらい する敵 てき 弾 だん をはね返 かえ す目的 もくてき で装備 そうび される鉄板 てっぱん 。自艦 じかん の搭載 とうさい する主砲 しゅほう 弾 だん の攻撃 こうげき に耐 た えられるだけの装甲 そうこう を施 ほどこ すことが求 もと められていた。艦 かん の水線 すいせん 部 ぶ 近辺 きんぺん に垂直 すいちょく (後 のち に傾斜 けいしゃ して装備 そうび する装甲 そうこう も生 う まれた)に装備 そうび する水線 すいせん 甲 きのえ 鉄 てつ と水平 すいへい な甲板 かんぱん に装備 そうび する甲板 かんぱん 甲 きのえ 鉄 てつ があり、どちらも特殊 とくしゅ 鋼 こう でできている。甲 きのえ 鉄 てつ に求 もと められる重要 じゅうよう な性能 せいのう は主 おも に次 つぎ の2点 てん である。
敵 てき 弾 だん の侵入 しんにゅう を阻止 そし する硬 かた さ
衝撃 しょうげき を受 う けても割 わ れにくいこと
これらは鉄鋼 てっこう にとって相反 あいはん する性能 せいのう であり、従来 じゅうらい 技術 ぎじゅつ では1種類 しゅるい の材質 ざいしつ では達成 たっせい が困難 こんなん であった。そこで1890年代 ねんだい までは日本 にっぽん の初代 しょだい 戦艦 せんかん 「富士 ふじ 」などが、硬 かた いがもろい鉄板 てっぱん を外側 そとがわ に、粘 ねば り強 づよ いが柔 やわ らかい鉄板 てっぱん を内側 うちがわ に張 は り合 あ わせた「複 ふく 合 ごう 甲 きのえ 鉄 てつ 」を用 もち いていた。1890年代 ねんだい にアメリカ人 じん のハーヴェイがニッケル鋼 こう の表面 ひょうめん に浸炭 しんたん 処理 しょり を施 ほどこ し、表面 ひょうめん のみ硬化 こうか させて耐 たい 弾力 だんりょく を飛躍 ひやく 的 てき に強化 きょうか した「ハーヴェイ鋼 こう 」(ハーヴェイ・ニッケル鋼 こう )を発明 はつめい した。富士 ふじ 級 きゅう の水線 すいせん 甲 かぶと 鉄 てつ は「複 ふく 合 ごう 甲 きのえ 鉄 てつ 」で457mmあったが、敷島 しきしま 級 きゅう は「ハーヴェイ鋼 こう 」、三笠 みかさ は、クルップ鋼 こう を使 つか い 229mm に半減 はんげん でき、耐 たい 弾力 だんりょく は富士 ふじ を上回 うわまわ った。その後 ご 、甲 きのえ 鉄 てつ は順次 じゅんじ 改良 かいりょう が施 ほどこ されたが基本 きほん 的 てき には表面 ひょうめん 浸炭 しんたん 処理 しょり 技術 ぎじゅつ を用 もち い続 つづ けている。
水線 すいせん 甲 かぶと 鉄 てつ の厚 あつ さは主砲 しゅほう の強化 きょうか に従 したが って増加 ぞうか し第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 直前 ちょくぜん で255-305mm、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 期 き で305-330mm、「大和 やまと 」では 遂 つい に410mm に達 たっ した。一方 いっぽう 、甲板 かんぱん 甲 かぶと 鉄 てつ は第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん まであまり問題 もんだい にされず50-100mmだった。その後 ご 、日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 〜ユトランド海戦 かいせん の損害 そんがい や戦後 せんご の実 じつ 艦 かん を用 もち いたテストで、遠距離 えんきょり 砲 ほう 戦時 せんじ の艦 かん 水平 すいへい 部 ぶ への着弾 ちゃくだん が大 おお きな損害 そんがい につながることが判明 はんめい し、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 前 まえ に建造 けんぞう された艦 かん は甲板 かんぱん 部 ぶ の甲 かぶと 鉄 てつ を強化 きょうか している。独 どく が120mm、米 べい 英 えい で150mm前後 ぜんこう 、仏 ふつ 伊 い で200mm未満 みまん 、大和 やまと では200mm強 きょう の厚 あつ さがあり、砲弾 ほうだん だけでなく航空機 こうくうき による急降下 きゅうこうか 爆撃 ばくげき にも十分 じゅうぶん な防御 ぼうぎょ 力 りょく を持 も っていた。しかし、甲板 かんぱん 防御 ぼうぎょ は水線 すいせん 防御 ぼうぎょ に比 くら べて広範囲 こうはんい を覆 おお う必要 ひつよう 性 せい があり、装甲 そうこう を水平 すいへい に貼 は ることによる重量 じゅうりょう 増加 ぞうか が懸念 けねん された。そのため、水線 すいせん 部 ぶ の装甲 そうこう を内側 うちがわ に傾斜 けいしゃ させて装甲 そうこう を貼 は る傾斜 けいしゃ 装甲 そうこう 方式 ほうしき が開発 かいはつ され、列強 れっきょう の多 おお くはこぞって新 しん 戦艦 せんかん に採用 さいよう して重量 じゅうりょう の軽減 けいげん 化 か に努 つと めたが、イギリスとドイツは独自 どくじ の理論 りろん に基 もと づき、イギリスはネルソン以降 いこう から再 ふたた び垂直 すいちょく 装甲 そうこう に立 た ち帰 かえ り、一方 いっぽう ドイツは垂直 すいちょく 装甲 そうこう に固執 こしつ した。
また、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以降 いこう では、重量 じゅうりょう 問題 もんだい から艦 かん 全体 ぜんたい に十分 じゅうぶん な装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ を施 ほどこ すのは困難 こんなん であり中庸 ちゅうよう で不十分 ふじゅうぶん な装甲 そうこう 厚 あつ では無駄 むだ が多 おお いとして、主要 しゅよう 部分 ぶぶん のみ十分 じゅうぶん な装甲 そうこう 厚 あつ を配分 はいぶん する「集中 しゅうちゅう 防御 ぼうぎょ 方式 ほうしき 」が戦艦 せんかん の防御 ぼうぎょ の標準 ひょうじゅん となった。ただしドイツ海軍 かいぐん の戦艦 せんかん は独自 どくじ の理論 りろん により、全体 ぜんたい 防御 ぼうぎょ を採用 さいよう し続 つづ けていた。
自艦 じかん の主砲 しゅほう 弾 だん に耐 た えられる装甲 そうこう は戦艦 せんかん の設計 せっけい 条件 じょうけん とされ、この定義 ていぎ を満 み たさず防御 ぼうぎょ 力 りょく を妥協 だきょう して速力 そくりょく を高 たか めた艦 かん は巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん と呼 よ ばれる。ただしこれは結果 けっか 論 ろん による定義 ていぎ であり、元来 がんらい の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん は巡洋艦 じゅんようかん から発達 はったつ したものである。逆 ぎゃく に若干 じゃっかん であるが防御 ぼうぎょ 力 りょく を妥協 だきょう して速力 そくりょく を高 たか めた戦艦 せんかん も存在 そんざい し、現実 げんじつ には「自艦 じかん の主砲 しゅほう 弾 だん に耐 た えられる装甲 そうこう 」という定義 ていぎ は絶対 ぜったい 的 てき なものではない。
機雷 きらい や魚雷 ぎょらい 等 とう による艦 かん の喫水線 きっすいせん 以下 いか に対 たい する攻撃 こうげき からの防御 ぼうぎょ を「水中 すいちゅう 防御 ぼうぎょ 」と呼 よ び、水面 すいめん 下 か の船体 せんたい 側壁 そくへき を破 やぶ られることで艦内 かんない に大量 たいりょう の水 みず が浸水 しんすい し、浮力 ふりょく や重量 じゅうりょう バランスを失 うしな い沈没 ちんぼつ や転覆 てんぷく したり、船体 せんたい の傾斜 けいしゃ により給 きゅう 弾 だん できず継 つぎ 戦 せん 不能 ふのう になるような事態 じたい を防 ふせ ぐことである。このため、フランス の造船 ぞうせん 士官 しかん ルイ=エミール・ベルタン は舷側 げんそく 水面 すいめん 下 か 部分 ぶぶん に「細分 さいぶん 化 か された水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 区画 くかく を設 もう け水密 すいみつ 構造 こうぞう 」にし、更 さら に「囲 かこえ 堰 せき と呼 よ ばれる水線 すいせん 下 か 防御 ぼうぎょ 隔壁 かくへき 装甲 そうこう を設 もう けることにより浸水 しんすい をその区画 くかく だけに極限 きょくげん する方法 ほうほう 」を1880年代 ねんだい に発表 はっぴょう し、以降 いこう の各国 かっこく 戦艦 せんかん に取 と り入 い れられ用 もち いられている。後 のち にこの水密 すいみつ 区画 くかく の一部 いちぶ にあらかじめ液体 えきたい を満 み たして衝撃 しょうげき を和 やわ らげながら浸水 しんすい による重量 じゅうりょう 不 ふ 均衡 きんこう を避 さ ける方法 ほうほう も考 かんが え出 だ された。
それまでほぼ無防備 むぼうび であった、水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ に対 たい する防御 ぼうぎょ 用 よう の装甲 そうこう (水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 隔壁 かくへき )を備 そな えたのは、これもフランスで建造 けんぞう されたロシア戦艦 せんかん ツェサレーヴィチ が嚆矢 こうし であるとされている。当時 とうじ の戦艦 せんかん の多 おお くは防護 ぼうご 巡洋艦 じゅんようかん の甲板 かんぱん 防御 ぼうぎょ を取 と り入 い れており、水線 すいせん 近辺 きんぺん の位置 いち に装甲 そうこう を施 ほどこ した防御 ぼうぎょ 甲板 かんぱん を備 そな え、その端 はし を斜 なな めに折 お り曲 ま げて舷側 げんそく 装甲 そうこう の下端 かたん に接続 せつぞく させていた。ツェサレーヴィチはこの斜 なな め部分 ぶぶん を真下 ました に折 お り曲 ま げて艦 かん 底部 ていぶ まで伸 の ばし、水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ に対 たい する防御 ぼうぎょ 隔壁 かくへき としている。
水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ による被害 ひがい は、衝撃波 しょうげきは 、水圧 すいあつ 、爆発 ばくはつ による破片 はへん によりもたらされる。水中 すいちゅう 防御 ぼうぎょ はこれらの被害 ひがい を防 ふせ ぐ事 こと を目的 もくてき としており、外 そと 板 ばん (爆発 ばくはつ 地点 ちてん )から隔壁 かくへき までの距離 きょり を十分 じゅうぶん に取 と り、その間 あいだ に空虚 くうきょ 部 ぶ と燃料 ねんりょう 庫 こ (石炭 せきたん 庫 こ や重油 じゅうゆ タンク)を層 そう にするなどして威力 いりょく を減衰 げんすい させる事 こと を意図 いと している。
防御 ぼうぎょ 方式 ほうしき には列強 れっきょう 各国 かっこく で特色 とくしょく があり、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく はテネシー級 きゅう 以後 いご 、米国 べいこく 戦艦 せんかん に採用 さいよう された「多層 たそう 水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 方式 ほうしき 」は防御 ぼうぎょ 区画 くかく を何 なん 層 そう にも設 もう け、液体 えきたい を満 み たした方式 ほうしき である。フランスはダントン級 きゅう 6番 ばん 艦 かん 「ヴォルテール」以後 いご から水密 すいみつ 区画 くかく に半 はん 固形 こけい 物 ぶつ を充填 じゅうてん して被 ひ 雷 かみなり 時 じ の衝撃 しょうげき と水圧 すいあつ から隔壁 かくへき を守 まも る理想 りそう 的 てき な方式 ほうしき 等 とう が開発 かいはつ されて実戦 じっせん で有効 ゆうこう 性 せい が証明 しょうめい されていた。他 た の国 くに でも独自 どくじ の理論 りろん により開発 かいはつ を行 おこな っていたが、工作 こうさく 技術 ぎじゅつ の未熟 みじゅく さや理論 りろん 倒 たお れのために効果 こうか 的 てき な防御 ぼうぎょ 力 りょく が得 え られなかった。また、戦艦 せんかん は改装 かいそう 時 じ に増大 ぞうだい した重量 じゅうりょう で喫水線 きっすいせん が下 さ がるのを防止 ぼうし するため、舷側 げんそく にバルジを装着 そうちゃく される事 こと があるが、バルジには浮力 ふりょく 維持 いじ と同時 どうじ に、水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 強化 きょうか の意味合 いみあ いもあった。
間接 かんせつ 的 てき 防御 ぼうぎょ として、浸水 しんすい による転覆 てんぷく を防止 ぼうし するため、艦内 かんない 各所 かくしょ への注 ちゅう 排水 はいすい 装置 そうち が装備 そうび されて行 い った。これは浸水 しんすい を排水 はいすい するだけでなく、浸水 しんすい で傾斜 けいしゃ した艦 かん の反対 はんたい 舷 ふなばた の空 そら 所 しょ に意図 いと 的 てき に注水 ちゅうすい してバランスを保 たも つもので、一 いち 例 れい として、ユトランド沖 おき 海戦 かいせん 時 とき に被 ひ 雷 かみなり により艦 かん 首 くび が沈降 ちんこう し危機 きき に瀕 ひん したドイツ巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん ザイドリッツ は、艦 かん 尾 お への注水 ちゅうすい によりどうにかバランスを保 たも ち、沈没 ちんぼつ 寸前 すんぜん ながらも港 みなと にたどり着 つ いている。
「ドレッドノート」の登場 とうじょう 前 まえ や第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 時代 じだい の戦艦 せんかん は、機雷 きらい への触 さわ 雷 かみなり や魚雷 ぎょらい 攻撃 こうげき であっけなく沈没 ちんぼつ した艦 かん が多 おお いが、設計 せっけい ・造艦 ぞうかん 当時 とうじ は元々 もともと 機雷 きらい や魚雷 ぎょらい の知見 ちけん が少 すく なく、これらの新 しん 兵器 へいき の急速 きゅうそく な性能 せいのう 向上 こうじょう がこれらの戦艦 せんかん の設計 せっけい 時 じ の想定 そうてい を超 こ えていたといえる。その例 れい として、日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の初期 しょき に日本 にっぽん の「八島 やしま 」と「初瀬 はつせ 」、ロシアの「ペトロパブロフスク」が機雷 きらい に触 ふ れて沈没 ちんぼつ している。魚雷 ぎょらい などの爆発 ばくはつ 力 りょく は艦 かん の外 そと 板 ばん から内部 ないぶ の防御 ぼうぎょ 装甲 そうこう 板 いた までの距離 きょり の3乗 じょう に比例 ひれい して弱 よわ くなるため、艦 かん 幅 はば の大 おお きい方 ほう が水中 すいちゅう 防御 ぼうぎょ を施 ほどこ す上 うえ で有利 ゆうり となる。アメリカのサウスダコタ級 きゅう が前 まえ 級 きゅう のノースカロライナ級 きゅう より艦 かん 幅 はば を大 おお きくした理由 りゆう はこの点 てん にもあるとされている。
また砲弾 ほうだん に対 たい する防御 ぼうぎょ とは異 こと なり、1920年代 ねんだい なかばまでの建 けん 艦 かん 常識 じょうしき では水中 すいちゅう 防御 ぼうぎょ では分厚 ぶあつ い鉄板 てっぱん は必 かなら ずしも必要 ひつよう ではなく、30-50mm程度 ていど の装甲 そうこう でよいとされていたが、日本 にっぽん 海軍 かいぐん はワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく により廃 はい 艦 かん となったが進水 しんすい は済 す ませるほどに建造 けんぞう が進 すす んでいた戦艦 せんかん 「土佐 とさ 」を実 み 艦 かん 標的 ひょうてき とした1924年 ねん の砲撃 ほうげき 実験 じっけん によって、艦 かん の手前 てまえ で着水 ちゃくすい した砲弾 ほうだん が水中 すいちゅう を直進 ちょくしん して艦 かん 体 たい に命中 めいちゅう し大 おお きな被害 ひがい を与 あた える水中 すいちゅう 弾 だん 効果 こうか を確 たし かめ、これに対 たい する防御 ぼうぎょ として水線 すいせん 下 か にも装甲 そうこう を延長 えんちょう している。なお、水中 すいちゅう 弾 だん 効果 こうか はアメリカ海軍 かいぐん も1935年 ねん 頃 ごろ に実験 じっけん によって同様 どうよう の効果 こうか を確認 かくにん し[1] 、これにより戦艦 せんかん サウスダコタ級 きゅう 以降 いこう の米 べい 戦艦 せんかん は水線 すいせん 下 か 防御 ぼうぎょ の観点 かんてん から舷側 げんそく 装甲 そうこう の一部 いちぶ を水線 すいせん 下 か から艦 かん 底部 ていぶ まで伸 の ばして水中 すいちゅう 弾 だん に対応 たいおう している。しかしノースカロライナ級 きゅう 以前 いぜん の米 べい 戦艦 せんかん に水中 すいちゅう 弾 だん 防御 ぼうぎょ はなく、英 えい 独 どく 仏 ふつ 伊 い の新型 しんがた 戦艦 せんかん も水中 すいちゅう 弾 だん に対 たい する防御 ぼうぎょ を持 も たなかった。
戦艦 せんかん 時代 じだい の後期 こうき には、装甲 そうこう も含 ふく む水密 すいみつ 鋼板 こうはん の取 と り付 つ けをリベット工法 こうほう から溶接 ようせつ 工法 こうほう に切 き り替 か える(当然 とうぜん 水上 すいじょう 部分 ぶぶん にもあった)時代 じだい の動 うご きがあったが、その適用 てきよう には各国 かっこく の基礎 きそ 工業 こうぎょう 技術 ぎじゅつ 力 りょく や方針 ほうしん による部分 ぶぶん があり、旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん は平賀 ひらが 譲 ゆずる のリベット工法 こうほう 主義 しゅぎ (と中央 ちゅうおう 隔壁 かくへき 主義 しゅぎ )により、多 おお くの戦艦 せんかん を航空 こうくう 魚雷 ぎょらい の被弾 ひだん による水密 すいみつ 喪失 そうしつ ・浮力 ふりょく 喪失 そうしつ ・傾斜 けいしゃ 転覆 てんぷく で失 うしな っている[独自 どくじ 研究 けんきゅう ? ] 。
「ドレッドノート」以前 いぜん の戦艦 せんかん (前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん )は、蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ と同 おな じ構造 こうぞう の蒸気 じょうき レシプロ方式 ほうしき であったが、「ドレッドノート」以後 いご は一部 いちぶ の例外 れいがい を除 のぞ き蒸気 じょうき タービン式 しき を採用 さいよう した。ドイツのポケット戦艦 せんかん はディーゼル機関 きかん だった。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ に日 にち 独 どく で戦艦 せんかん へのディーゼル機関 きかん 採用 さいよう の検討 けんとう があったが信頼 しんらい 性 せい や開発 かいはつ 能力 のうりょく の関係 かんけい で実現 じつげん しなかった。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく は弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 以後 いご にも一部 いちぶ の艦 かん にレシプロ機関 きかん を採用 さいよう していたが、この当時 とうじ のタービン機関 きかん は燃費 ねんぴ がレシプロに及 およ ばなかったためである。その後 ご の1920年代 ねんだい には蒸気 じょうき タービンで発電 はつでん 機 き を回 まわ し、電気 でんき モーターでスクリューを回 まわ すターボ・エレクトリック方式 ほうしき によって、巡航 じゅんこう 時 じ の蒸気 じょうき タービンの燃費 ねんぴ の悪 わる さを改善 かいぜん しようとした試 こころ みがあった。この後 のち 、アメリカとフランスは、高温 こうおん 高 だか 圧 あつ の蒸気 じょうき を生 う み出 だ す高圧 こうあつ ボイラと高速 こうそく 回転 かいてん するタービン軸 じく を歯車 はぐるま でスクリュー・プロペラ に適 てき した回転 かいてん 数 すう まで減速 げんそく するギヤード・タービンの組 く み合 あ わせで、ディーゼル機関 きかん に迫 せま る高 こう 燃費 ねんぴ のタービン機関 きかん の開発 かいはつ に成功 せいこう した。イギリスとイタリアもギヤード・タービンは実用 じつよう 化 か していたが、燃費 ねんぴ が悪 わる いために航続 こうぞく 距離 きょり が制限 せいげん され、米 べい 仏 ふつ に遅 おく れをとった。
日本 にっぽん はイギリスで建造 けんぞう された金剛 こんごう 型 がた 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん がイギリス製 せい のギヤード・タービンを採用 さいよう し、扶桑 ふそう 型 がた と伊勢 いせ 型 がた でもイギリス製 せい をライセンス生産 せいさん したギヤード・タービンとしたが、取 と り扱 あつか いに難 なん があったため国内 こくない で改良 かいりょう を重 かさ ね、長門 ながと 型 がた 以降 いこう は国産 こくさん ギヤード・タービンを搭載 とうさい 、金剛 こんごう 型 がた 以降 いこう も改装 かいそう 時 じ に換 かわ 装 そう している。
前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん (pre-Dreadnoughts)
大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 三笠 みかさ (1905年 ねん 頃 ごろ )
戦艦 せんかん という艦 かん 種 しゅ の始祖 しそ とも言 い えるのが前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん である。ドレッドノートが登場 とうじょう する以前 いぜん の戦艦 せんかん ということで、前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう と呼 よ ばれる。主砲 しゅほう を4門 もん 以下 いか 、10-15.2cmの副 ふく 砲 ほう を多数 たすう 搭載 とうさい する。また水雷 すいらい 艇 てい が登場 とうじょう すると、これを撃退 げきたい するために7.6cm砲 ほう を多数 たすう 追加 ついか した艦 かん も存在 そんざい する。例外 れいがい 的 てき にドレッドノート以前 いぜん にも4門 もん を超 こ える主砲 しゅほう を搭載 とうさい する艦 かん もあるが、後述 こうじゅつ する理由 りゆう でこれらは前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に含 ふく める。
最初 さいしょ は主砲 しゅほう による遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん から始 はじ まるが、この段階 だんかい で主砲 しゅほう 弾 だん が命中 めいちゅう することはほとんどなく、やがて接近 せっきん して副 ふく 砲 ほう を含 ふく めての撃 う ち合 あ い、さらには衝角 による体当 たいあ たり攻撃 こうげき で決着 けっちゃく をつけるというのが、基本 きほん 的 てき な前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 同士 どうし の戦 たたか いであった。しかし衝角は戦艦 せんかん の時代 じだい において実戦 じっせん で役立 やくだ った例 れい がなく、むしろ衝突 しょうとつ 事故 じこ の際 さい に被害 ひがい を拡大 かくだい する結果 けっか となり、後述 こうじゅつ の弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の時代 じだい には消滅 しょうめつ した。
日本海 にほんかい 海戦 かいせん で主砲 しゅほう による長距離 ちょうきょり 砲戦 ほうせん の有効 ゆうこう 性 せい が示 しめ されたため、後述 こうじゅつ する弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん へと発展 はってん していく。
準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん (semi-dreadnoughts)
前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん が大型 おおがた 化 か ・発展 はってん していく過程 かてい で、主砲 しゅほう と副 ふく 砲 ほう 以外 いがい に、17-25.4cmの中 なか 間 あいだ 砲 ほう (装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん の主砲 しゅほう クラス)を搭載 とうさい するか、副 ふく 砲 ほう 自体 じたい が発展 はってん したものを指 さ す。弩 いしゆみ 級 きゅう に準 じゅん じる砲 ほう 力 りょく を備 そな えるということで準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう と呼 よ ばれるが、主砲 しゅほう 、中間 なかま 砲 ほう 、副 ふく 砲 ほう 、対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 用 よう の小型 こがた 砲 ほう と4種類 しゅるい もの砲 ほう を制御 せいぎょ するのは極 きわ めて困難 こんなん だった。特 とく に弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん との遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん では主砲 しゅほう 射程 しゃてい の違 ちが いから太刀打 たちう ちできないとされた。近距離 きんきょり 砲戦 ほうせん では中 ちゅう 間 あいだ 砲 ほう の速射 そくしゃ 性 せい からくる豊富 ほうふ な弾 たま 量 りょう が相応 そうおう の威力 いりょく を発揮 はっき できたが、そもそも弩級艦 どきゅうかん の多 おお くは準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん より高速 こうそく であり、自由 じゆう に戦闘 せんとう 距離 きょり を選 えら ぶことができるため圧倒的 あっとうてき 不利 ふり は変 か わらないとされた。そのため特 とく に分類 ぶんるい せずに前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に含 ふく める場合 ばあい も多 おお い。
弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の時代 じだい になってから、主砲 しゅほう 用 よう と別 べつ に中 ちゅう 間 あいだ 砲 ほう ・副 ふく 砲 ほう 用 よう の射撃 しゃげき 管制 かんせい 装置 そうち を追加 ついか したものがあり、この改良 かいりょう を加 くわ えた艦 かん は本当 ほんとう に弩 いしゆみ 級 きゅう に準 じゅん じる砲 ほう 力 りょく を備 そな えていたとも評 ひょう された。
弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん (dreadnoughts)
アメリカの弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん ワイオミング級 きゅう 「ワイオミング」。
28.3-30.5cm位 い の主砲 しゅほう を同 おな じ口径 こうけい (この場合 ばあい は砲身 ほうしん 長 ちょう を指 さ す)で8-14門 もん 装備 そうび する戦艦 せんかん 。前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん では遠距離 えんきょり 砲撃 ほうげき での主砲 しゅほう 弾 だん の命中 めいちゅう はほとんど期待 きたい できなかったが、主砲 しゅほう の数 かず を増 ふ やすことにより命中 めいちゅう 率 りつ を増 ま した。また、ただ単 たん に主砲 しゅほう を多数 たすう 搭載 とうさい するというだけでなく、艦橋 かんきょう から一元 いちげん 的 てき に各 かく 砲台 ほうだい に方位 ほうい ・距離 きょり を指示 しじ することによって、遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん に対応 たいおう した。これ以前 いぜん にも少数 しょうすう ながら4門 もん を超 こ える主砲 しゅほう を搭載 とうさい した戦艦 せんかん は存在 そんざい するが、射撃 しゃげき 指揮 しき は各 かく 砲台 ほうだい でめいめいに行 おこな う撃 げき ち放 ほう し式 しき であり、遠距離 えんきょり 砲戦 ほうせん で命中 めいちゅう が期待 きたい できないことに変 か わりはなかった。
弩 いしゆみ 級 きゅう の名称 めいしょう は、その始祖 しそ である英国 えいこく 戦艦 せんかん ドレッドノート に由来 ゆらい する。ドレッドノートの場合 ばあい は主砲 しゅほう を10門 もん 搭載 とうさい すると同時 どうじ に、軽量 けいりょう 化 か のために中 ちゅう 間 あいだ 砲 ほう ・副 ふく 砲 ほう を一切 いっさい 廃止 はいし し、対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 用 よう の小型 こがた 砲 ほう だけを残 のこ すという徹底 てってい 振 ぶ りである。しかし、他国 たこく 海軍 かいぐん の弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の中 なか には副 ふく 砲 ほう を残 のこ したものが多数 たすう あり、ドレッドノートのその選択 せんたく は誤 あやま りだったと言 い われる。その後 ご 英国 えいこく 戦艦 せんかん も対 たい 水雷 すいらい 艇 てい 用 よう の小型 こがた 砲 ほう をより大型 おおがた 化 か し、事実 じじつ 上 じょう 副 ふく 砲 ほう が復活 ふっかつ した。弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に搭載 とうさい する副 ふく 砲 ほう は、近距離 きんきょり 砲戦 ほうせん 用 よう というよりも、むしろ水雷 すいらい 艇 てい に変 か わって脅威 きょうい となった駆逐 くちく 艦 かん に対抗 たいこう するために高 こう 威力 いりょく よりも速射 そくしゃ 性能 せいのう を重視 じゅうし したものとなった。
なお、大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の河内 かわうち 型 がた は、通常 つうじょう は弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい されるが、実際 じっさい には30.5cm(50口径 こうけい )砲 ほう と30.5cm(45口径 こうけい )砲 ほう を混載 こんさい しているため全 ぜん 砲門 ほうもん に対 たい する一元 いちげん 的 てき な射撃 しゃげき 指揮 しき ができないことから、実質 じっしつ は準 じゅん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん であると注釈 ちゅうしゃく される場合 ばあい が多 おお い(海人 あま 社 しゃ の世界 せかい の艦船 かんせん シリーズなど)。ただし50口径 こうけい 砲 ほう の初速 しょそく を抑 おさ えることで、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 的 てき な運用 うんよう が可能 かのう ではあった。
超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん (super dreadnoughts)
初 はつ の超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん オライオン
30.5cmを超 こ える34.3cmの主砲 しゅほう を搭載 とうさい する戦艦 せんかん (オライオン級 きゅう 戦艦 せんかん )が登場 とうじょう すると、マスコミは弩 いしゆみ 級 きゅう を超 こ えるという意味 いみ で、超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん と報道 ほうどう した。ただしこれらは単 たん に主砲 しゅほう の口径 こうけい の違 ちが いによるものであり、弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん と基本 きほん 的 てき な構成 こうせい においては差異 さい がある訳 わけ ではない。重要 じゅうよう なのは主砲 しゅほう 口径 こうけい と艦 かん 体 たい サイズへの枷 かせ が取 と り払 はら われたことで、超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん の出現 しゅつげん により大艦 だいかん 巨 きょ 砲 ほう 時代 じだい は本格 ほんかく 的 てき に開幕 かいまく した。
主砲 しゅほう 口径 こうけい でオライオン級 きゅう 戦艦 せんかん と同等 どうとう 以上 いじょう の艦 かん を超弩級 ちょうどきゅう と定義 ていぎ するのが一般 いっぱん 的 てき だが、前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん の時代 じだい にも34.3cm、あるいはもっと大 だい 口径 こうけい の主砲 しゅほう を持 も つ戦艦 せんかん が存在 そんざい した。また、32cm砲 ほう 搭載 とうさい のイタリア戦艦 せんかん は弩 いしゆみ 級 きゅう か超弩級 ちょうどきゅう か、あるいは28.3cmのドイツ戦艦 せんかん の主砲 しゅほう は30.5cmの英国 えいこく 戦艦 せんかん に威力 いりょく で匹敵 ひってき すると言 い われていたこともあり、「なら30.5cm主砲 しゅほう のドイツ戦艦 せんかん は超弩級 ちょうどきゅう ではないか」といった、種々 しゅじゅ の異論 いろん が存在 そんざい する。
巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん (battlecruiser)
大正 たいしょう 2年 ねん (1913年 ねん )5月 がつ 8日 にち 、クライド湾 わん で公 おおやけ 試 ためし 中 ちゅう の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん 時代 じだい の「金 きむ 剛 つよし 」。3本 ほん の煙突 えんとつ からは、もうもうと黒 くろ 煙 けむり が上 のぼ っている。このときの全力 ぜんりょく 公 こう 試 ためし では27.54ktを記録 きろく した[2]
巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん とは、その発祥 はっしょう において装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん の主砲 しゅほう を戦艦 せんかん 並 な みに強化 きょうか した、戦艦 せんかん よりも高速 こうそく の艦 かん である。一方 いっぽう で防禦 ぼうぎょ 力 りょく を犠牲 ぎせい とし装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん と同 どう 程度 ていど に抑 おさ えているが、強化 きょうか している艦 かん もある。こういった艦 かん を、この艦 かん 種 しゅ 名 めい で建造 けんぞう したのは、英国 えいこく および日本 にっぽん のみである。
ドイツは英国 えいこく 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん に対抗 たいこう して、同 どう 時期 じき のドイツ戦艦 せんかん よりもひとクラス小型 こがた の主砲 しゅほう と、若干 じゃっかん 劣 おと る程度 ていど (ただし英国 えいこく 戦艦 せんかん とは同等 どうとう )の装甲 そうこう を持 も っている艦 かん を建造 けんぞう している。これらの艦 かん はドイツ海軍 かいぐん では「大 だい 巡洋艦 じゅんようかん 」に分類 ぶんるい されており(大 だい 巡洋艦 じゅんようかん は、他国 たこく 海軍 かいぐん でいう所 ところ の装甲 そうこう 巡洋艦 じゅんようかん や重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん を含 ふく む艦 かん 種 しゅ )、英国 えいこく 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん とは性格 せいかく が異 こと なるものの、英国 えいこく 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん に対抗 たいこう する艦 かん 種 しゅ ということで巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい されている。
ユトランド沖 おき 海戦 かいせん で防禦 ぼうぎょ 力 りょく を妥協 だきょう した英国 えいこく 巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん の問題 もんだい 点 てん が露呈 ろてい したため、一部 いちぶ の艦 かん は防禦 ぼうぎょ 力 りょく 強化 きょうか の改修 かいしゅう がなされた。金剛 こんごう 型 がた は巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん として建造 けんぞう されたが、第 だい 一 いち 次 じ 改装 かいそう において装甲 そうこう を増 ま した際 さい に速力 そくりょく が26ノットまで低下 ていか したため戦艦 せんかん に類別 るいべつ 変更 へんこう され、第 だい 二 に 次 じ 改装 かいそう で機関 きかん を強化 きょうか したことで再 ふたた び30ノットの速力 そくりょく を得 え た際 さい に(対外 たいがい 的 てき には戦艦 せんかん のままであったが)海軍 かいぐん 内部 ないぶ の取 と り扱 あつか いが高速 こうそく 戦艦 せんかん に再度 さいど 変更 へんこう された。
またドイツ海軍 かいぐん が戦艦 せんかん として建造 けんぞう したシャルンホルスト級 きゅう と、アメリカ海軍 かいぐん が大型 おおがた 巡洋艦 じゅんようかん として建造 けんぞう したアラスカ級 きゅう も、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい されることが多 おお い。
特異 とくい な例 れい として、旧 きゅう ソ連 それん 海軍 かいぐん のキーロフ級 きゅう ミサイル巡洋艦 じゅんようかん は、排水 はいすい 量 りょう ではドレッドノートを上回 うわまわ る大艦 だいかん であり、ジェーン海軍 かいぐん 年鑑 ねんかん において巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい されている。しかし現代 げんだい 的 てき なミサイル艦 かん が大型 おおがた 化 か したものであって、いわゆる第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん までの巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん とは全 まった く性格 せいかく が異 こと なる艦 かん である。
ポスト・ジュットランド型 がた [3] (post Jutland)
ユトランド沖 おき 海戦 かいせん (独語 どくご 読 よ みでは ユートラント、英語 えいご 読 よ みではジャトランドであるが、日本 にっぽん では独語 どくご と英語 えいご を混 ま ぜたような『ユトランド』あるいは『ジュットランド』なる読 よ み方 かた が少 すく なくない)以降 いこう に、この教訓 きょうくん を取 と り入 い れて新造 しんぞう ・ないし改装 かいそう された戦艦 せんかん ・巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん のこと。具体 ぐたい 的 てき には戦艦 せんかん は速度 そくど の向上 こうじょう 、巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん は防御 ぼうぎょ 力 りょく の向上 こうじょう 、そして戦艦 せんかん ・巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん を問 と わず、それまで顧 かえり みられることのなかった水平 すいへい 防御 ぼうぎょ の向上 こうじょう がなされた。弩 いしゆみ 級 きゅう ・超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん の砲戦 ほうせん 距離 きょり の増大 ぞうだい に伴 ともな い、放物線 ほうぶつせん を描 えが いて飛来 ひらい する砲弾 ほうだん は、舷側 げんそく ではなく甲板 かんぱん に命中 めいちゅう することが多 おお くなった。主 おも な艦 かん では大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の長門 ながと 型 がた が相当 そうとう する。
なおユトランド沖 おき 海戦 かいせん 以前 いぜん に建造 けんぞう された戦艦 せんかん ・巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん でも、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ までにこの海戦 かいせん の戦 せん 訓 くん に基 もと づいた大 だい 改装 かいそう を行 おこな い、速度 そくど あるいは防禦 ぼうぎょ 力 りょく を強化 きょうか した艦 かん は多数 たすう 存在 そんざい し、日本 にっぽん では金剛 こんごう 型 がた 以降 いこう のすべてが改装 かいそう を受 う けている。
条約 じょうやく 型 がた 戦艦 せんかん (treaty battleship)
イギリスの条約 じょうやく 型 がた 戦艦 せんかん ネルソン
ワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく 、第 だい 二 に 次 じ ロンドン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく の規定 きてい に基 もと づいて建造 けんぞう された戦艦 せんかん 。条約 じょうやく によって戦艦 せんかん の進歩 しんぽ に枷 かせ がはめられることになったため、見 み るべき技術 ぎじゅつ 的 てき 特徴 とくちょう はない。日本 にっぽん においては前者 ぜんしゃ は戦艦 せんかん の新造 しんぞう の禁止 きんし という形 かたち になり、後者 こうしゃ については批准 ひじゅん していない。よって日本 にっぽん ではこのカテゴリに属 ぞく する戦艦 せんかん の建造 けんぞう はなされていないため、この言葉 ことば はあまり用 もち いられない。
新 しん 戦艦 せんかん (new battleship)
海軍 かいぐん 休日 きゅうじつ 時代 じだい が明 あ けた1937年 ねん 以降 いこう (ロンドン条約 じょうやく に参加 さんか しなかったフランス・イタリアにおいてはさらに数 すう 年 ねん 前 まえ )に起工 きこう された戦艦 せんかん 。対空 たいくう 火力 かりょく の大幅 おおはば な強化 きょうか と速力 そくりょく の増大 ぞうだい (最低 さいてい でも27ノット)が特徴 とくちょう で、主砲 しゅほう や砲弾 ほうだん 、照準 しょうじゅん 機器 きき の性能 せいのう 向上 こうじょう により最大 さいだい 3万 まん メートル前後 ぜんこう の戦闘 せんとう 距離 きょり を確保 かくほ している。
それまでの条約 じょうやく 型 がた 戦艦 せんかん とは次元 じげん 違 ちが いの戦闘 せんとう 力 りょく を有 ゆう するが、それは海軍 かいぐん 休日 きゅうじつ 時代 じだい の技術 ぎじゅつ 進歩 しんぽ を計画 けいかく 時 じ から取 と り入 い れることができたからで、海軍 かいぐん 休日 きゅうじつ という世代 せだい 間 あいだ 断絶 だんぜつ あってこそのレベル差 さ でしかない。従 したが って特 とく に明確 めいかく なコンセプトを持 も って生 う まれた新 しん 艦 かん 種 しゅ ではなく、「新 しん 」戦艦 せんかん と呼 よ ばれるのも10-15年 ねん に及 およ ぶ建造 けんぞう 休止 きゅうし 期間 きかん が明 あ け「新 あら たに」建造 けんぞう された戦艦 せんかん という意味 いみ である。
一方 いっぽう で大和 やまと 型 がた 戦艦 せんかん を例外 れいがい として、第 だい 2次 じ ロンドン条約 じょうやく の影響 えいきょう もあり、主砲 しゅほう の大 だい 口径 こうけい 化 か には歯止 はど めがかかり、従来 じゅうらい 戦艦 せんかん 並 な み、あるいはやや口径 こうけい を抑 おさ えたものも存在 そんざい する(主砲 しゅほう 口径 こうけい を増大 ぞうだい させた艦 かん の建造 けんぞう は構想 こうそう のみで終 お わっている)。速力 そくりょく の増大 ぞうだい という観点 かんてん では後述 こうじゅつ の高速 こうそく 戦艦 せんかん の分類 ぶんるい と重 かさ なるものであり、それに含 ふく めることも多 おお い。
高速 こうそく 戦艦 せんかん (fast battleship)
高速 こうそく 戦艦 せんかん の代表 だいひょう 格 かく 、アイオワ級 きゅう 戦艦 せんかん の4隻 せき 。手前 てまえ よりアイオワ、ウィスコンシン、ミズーリ、ニュージャージ
超弩級 ちょうどきゅう 戦艦 せんかん の登場 とうじょう 以降 いこう において、戦艦 せんかん の火力 かりょく ・防御 ぼうぎょ 力 りょく と巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん の速力 そくりょく を融合 ゆうごう させた「走 はし ・攻 おさむ ・防 ぼう 」3拍子 ひょうし 揃 そろ った戦艦 せんかん 。英国 えいこく 戦艦 せんかん クイーン・エリザベス級 きゅう (24ノット)を始祖 しそ とする。ユトランド沖 おき 海戦 かいせん の結果 けっか 、「高速 こうそく 戦艦 せんかん 」が戦艦 せんかん の理想 りそう 形 がた であると再 さい 確認 かくにん された。その後 ご に建造 けんぞう されたおおむね速度 そくど 27〜30ノットの戦艦 せんかん が高速 こうそく と見 み 做された(巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん を除 のぞ く)。ただしコスト・建造 けんぞう 施設 しせつ ・防御 ぼうぎょ 面 めん などの制約 せいやく があるため、なかなか普及 ふきゅう しなかった
つまり前述 ぜんじゅつ のポスト・ジュットランド型 がた ともほぼ重 かさ なる。例 たと えば巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん フッド は防禦 ぼうぎょ 力 りょく を戦艦 せんかん 並 な みに強化 きょうか しており、事実 じじつ 上 じょう は高速 こうそく 戦艦 せんかん と称 しょう すべきではないかという意見 いけん もある。日本 にっぽん の長門 ながと 型 がた (26ノット)も「ポスト・ジュットランド型 がた 戦艦 せんかん 」であると同時 どうじ に「高速 こうそく 戦艦 せんかん 」でもあると言 い えるが[注釈 ちゅうしゃく 6] 、その後 ご の改装 かいそう で速度 そくど が低下 ていか した。
「新 しん 戦艦 せんかん 」は、「走 はし ・攻 おさむ ・防 ぼう 」3拍子 ひょうし 揃 そろ った戦艦 せんかん という意味 いみ においては、全 すべ てが高速 こうそく 戦艦 せんかん に該当 がいとう すると言 い ってもよい。
しかしながら、高速 こうそく 戦艦 せんかん という用語 ようご は軍 ぐん によって公式 こうしき に定 さだ められた艦 かん 種 しゅ でなく、何 なに をもって高速 こうそく 戦艦 せんかん であるかという明確 めいかく な定義 ていぎ が存在 そんざい せず曖昧 あいまい である。例 たと えば、新 しん 戦艦 せんかん の中 なか においては比較的 ひかくてき 速度 そくど が低 ひく い(27ノット程度 ていど )イギリス海軍 かいぐん のキングジョージV世 よ 級 きゅう や大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の大和 やまと 型 がた は、高速 こうそく 戦艦 せんかん に含 ふく めないことも多 おお い。一方 いっぽう でアメリカ海軍 かいぐん のノースカロライナ級 きゅう やサウスダコタ級 きゅう も同 どう 程度 ていど の速度 そくど だが、これらの艦 かん については高速 こうそく 戦艦 せんかん 扱 あつか いする文献 ぶんけん が少 すく なくない。そもそも高速 こうそく 戦艦 せんかん の始祖 しそ たるクイーン・エリザベス級 きゅう からして、防御 ぼうぎょ 面 めん で妥協 だきょう している「巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 的 てき 」な艦 かん である。
逆 ぎゃく に、単 たん に高速 こうそく の戦艦 せんかん という意味 いみ では、クイーン・エリザベス級 きゅう 戦艦 せんかん 以前 いぜん の戦艦 せんかん も高速 こうそく 戦艦 せんかん 扱 あつか いする場合 ばあい があり、例 たと えばイタリア戦艦 せんかん ダンテ・アリギエリ (24ノット)はこの時代 じだい の戦艦 せんかん としては卓越 たくえつ した速度 そくど 性能 せいのう を持 も つため、高速 こうそく 戦艦 せんかん に含 ふく まれる場合 ばあい がある。
ただし例外 れいがい もあり、フランス海軍 かいぐん のダンケルク級 きゅう は、フランス海軍 かいぐん の公式 こうしき 呼称 こしょう においてcuirassé rapideと分類 ぶんるい されており、従来 じゅうらい の戦艦 せんかん のcuirassé d'escadreと区別 くべつ されていて、公式 こうしき 艦 かん 種 しゅ として高速 こうそく 戦艦 せんかん であるといえる。また艦 かん 種 しゅ 名 めい ではなく作戦 さくせん 用語 ようご ということになるが、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう に大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん の内部 ないぶ において作戦 さくせん 立案 りつあん 等 とう に用 もち いられた公式 こうしき 用語 ようご では、30ノットを出 だ せる金剛 こんごう 型 がた 4隻 せき のみが「高速 こうそく 戦艦 せんかん 」として別 べつ 扱 あつか いをされ、30ノット未満 みまん しか出 だ せない他 ほか の「戦艦 せんかん 」と区別 くべつ されていた。
アメリカ海軍 かいぐん のアイオワ級 きゅう 戦艦 せんかん は30ノットの速力 そくりょく を持 も った。
航空 こうくう 戦艦 せんかん (aircraft carrier battleship / battlecarrier)
航空 こうくう 戦艦 せんかん に改装 かいそう された 伊勢 いせ
戦艦 せんかん としての大 だい 口径 こうけい 砲 ほう を装備 そうび し、かつ航空 こうくう 母艦 ぼかん または水上 すいじょう 機 き 母艦 ぼかん に準 じゅん ずる航空機 こうくうき 運用 うんよう 能力 のうりょく を持 も っている軍艦 ぐんかん のこと。航空 こうくう 母艦 ぼかん の黎明 れいめい 期 き においては、まだ航空 こうくう 母艦 ぼかん それ自体 じたい のコンセプトが固 かた まっていなかったことと、当時 とうじ はまだ航空機 こうくうき の航続力 こうぞくりょく が小 ちい さく航空 こうくう 母艦 ぼかん も砲戦 ほうせん の機会 きかい があると考 かんが えられたため、一定 いってい の水上 すいじょう 戦闘 せんとう 能力 のうりょく が必要 ひつよう と考 かんが えられ考案 こうあん された艦 かん である。
最初 さいしょ の航空 こうくう 戦艦 せんかん と呼 よ べる艦 かん はフューリアス であり、建造 けんぞう 途中 とちゅう よりの設計 せっけい 変更 へんこう で艦 かん 前部 ぜんぶ に飛行 ひこう 甲板 かんぱん 、後部 こうぶ に主砲 しゅほう という姿 すがた で完成 かんせい した。本 ほん 艦 かん は空母 くうぼ の基本 きほん 構成 こうせい を模索 もさく する過程 かてい で生 う まれた徒花 あだばな と呼 よ べる存在 そんざい で、空母 くうぼ という艦 かん 種 しゅ の基本 きほん 構成 こうせい を固 かた める上 うえ で重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たした艦 かん である。その後 ご ワシントン海軍 かいぐん 軍縮 ぐんしゅく 条約 じょうやく によって空母 くうぼ の備砲 びほう の制限 せいげん (空母 くうぼ の名目 めいもく で戦艦 せんかん に匹敵 ひってき する砲 ほう 力 りょく の艦 かん を建造 けんぞう するのを防 ふせ ぐため)がなされたため、この種 たね の艦 かん は建造 けんぞう されなかった。
条約 じょうやく 明 あ けの海軍 かいぐん 休日 きゅうじつ 時代 じだい 以降 いこう 様々 さまざま な航空 こうくう 戦艦 せんかん が提案 ていあん されたが実現 じつげん 例 れい はなく、伊勢 いせ 型 がた の2隻 せき のみが既存 きそん 艦 かん よりの改修 かいしゅう という形 かたち で、航空機 こうくうき 24機 き を搭載 とうさい する航空 こうくう 戦艦 せんかん となった。しかし搭載 とうさい すべき航空機 こうくうき がなかったがために、航空 こうくう 戦艦 せんかん としての実際 じっさい の運用 うんよう はなされないままで終 お わった。
ポケット戦艦 せんかん (pocket battleship)
ドイツ海軍 かいぐん のドイッチュラント級 きゅう 装甲 そうこう 艦 かん
ヴェルサイユ条約 じょうやく の制限 せいげん 下 か においてドイツが建造 けんぞう したドイッチュラント級 きゅう 装甲 そうこう 艦 かん は、正確 せいかく には戦艦 せんかん とは言 い えないが、マスコミはこぞって「ポケット戦艦 せんかん 」としてもてはやした。日本 にっぽん では豆 まめ 戦艦 せんかん とも言 い われた。主砲 しゅほう は28.3cmを6門 もん 搭載 とうさい し弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん に匹敵 ひってき する火力 かりょく を持 も つが、装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ は巡洋艦 じゅんようかん 級 きゅう でしかなかった。しかし「速 はや さで戦艦 せんかん に、攻防 こうぼう 力 りょく で巡洋艦 じゅんようかん に優 まさ る」というドイツの宣伝 せんでん 上手 じょうず にフランスの世論 せろん は危機 きき 感 かん を抱 いだ き、結果 けっか として新 しん 造艦 ぞうかん の予算 よさん がつかなかったフランス海軍 かいぐん にダンケルク級 きゅう 戦艦 せんかん の建造 けんぞう を承認 しょうにん させ、これに始 はじ まる独 どく 仏 ふつ 伊 い の建 けん 艦 かん 競争 きょうそう の引 ひ き金 がね となり、欧州 おうしゅう の新 しん 戦艦 せんかん 建造 けんぞう に大 おお きな影響 えいきょう をもたらした艦 かん である。
海防 かいぼう 戦艦 せんかん (Coast defense battleship / Coast Battleship)
フィンランド海軍 かいぐん のヴァイナモイネン
主 おも に中小 ちゅうしょう 国 こく 海軍 かいぐん において沿岸 えんがん 防衛 ぼうえい に用 もち いられる、低速 ていそく で(戦艦 せんかん に比 くら べれば)小型 こがた の艦 かん 。艦 かん 体 たい に比 ひ して大型 おおがた の主砲 しゅほう を搭載 とうさい する。前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん 並 な みの砲 ほう 力 りょく を持 も つものは立派 りっぱ な小型 こがた 戦艦 せんかん と言 い えるかもしれないが、巡洋艦 じゅんようかん 程度 ていど の砲 ほう 力 りょく しか持 も たない艦 かん も海防 かいぼう 戦艦 せんかん と呼 よ ばれており、これらまで含 ふく めて戦艦 せんかん と呼 よ ぶことには異論 いろん もある。なお、これらの艦 かん は防御 ぼうぎょ 力 りょく において重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん から前 ぜん 弩 いしゆみ 級 きゅう 戦艦 せんかん くらいの装甲 そうこう を持 も つ。
ミサイル戦艦 せんかん (guided missile battleship)・ミサイル巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん (guided missile battlecruiser)
いわゆるミサイル巡洋艦 じゅんようかん 、ミサイル駆逐 くちく 艦 かん という艦 かん 種 しゅ が存在 そんざい するように、戦艦 せんかん においてもミサイル戦艦 せんかん という艦 かん 種 しゅ が構想 こうそう されたことがある。1950年代 ねんだい においてアイオワ級 きゅう 戦艦 せんかん をミサイル艦 かん 化 か しようという構想 こうそう があったが、結局 けっきょく 実現 じつげん しないままに終 お わった。
ニューメキシコ級 きゅう 戦艦 せんかん の「ミシシッピ 」は1950年代 ねんだい の改装 かいそう でテリア対空 たいくう ミサイルシステム を搭載 とうさい したが、これは練習 れんしゅう 兼 けん 砲撃 ほうげき 実験 じっけん 艦 かん という位置 いち づけによってであり、実戦 じっせん 用 よう の艦 かん としてのミサイル戦艦 せんかん ではない。1980年代 ねんだい において、アイオワ級 きゅう 戦艦 せんかん の現役 げんえき 復帰 ふっき に伴 ともな いミサイル装備 そうび が行 おこな われたが、追加 ついか 装備 そうび 的 てき なものであり、本格 ほんかく 的 てき ミサイル戦艦 せんかん とは言 い い難 がた い。
1990年代 ねんだい 後半 こうはん のアメリカ海軍 かいぐん においては、『21世紀 せいき の戦艦 せんかん 』と銘打 めいう ったアーセナル・シップ と呼 よ ばれるミサイル艦 かん の開発 かいはつ 計画 けいかく があったが、結局 けっきょく 実現 じつげん はされなかった。ミサイルは小型 こがた 艦 かん にも搭載 とうさい できる兵器 へいき であり、あえて戦艦 せんかん クラスの大型 おおがた 艦 かん に搭載 とうさい する必要 ひつよう 性 せい が小 ちい さいことが、最大 さいだい の問題 もんだい 点 てん である。
その点 てん で例外 れいがい と言 い えるのが、旧 きゅう ソ連 それん 海軍 かいぐん のキーロフ級 きゅう ミサイル巡洋艦 じゅんようかん である。名前 なまえ こそ巡洋艦 じゅんようかん であるが、初期 しょき の戦艦 せんかん を排水 はいすい 量 りょう で上回 うわまわ る大型 おおがた 艦 かん であり、ジェーン海軍 かいぐん 年鑑 ねんかん はこれを巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい している。搭載 とうさい するP-700グラニード は、長 ちょう 射程 しゃてい の大型 おおがた ミサイルであり、戦艦 せんかん クラスの大型 おおがた 艦 かん にしか搭載 とうさい できない兵器 へいき である。ただしこのような高 こう コストのミサイルの必要 ひつよう 性 せい そのものに疑問 ぎもん が投 な げかけられ、ロシア海軍 かいぐん ではより小型 こがた で射程 しゃてい 距離 きょり を妥協 だきょう したP-800 をP-700の後継 こうけい とした。キーロフ級 きゅう の搭載 とうさい ミサイルも、順次 じゅんじ 置 お き換 か えられているが、あえてこのクラスの大型 おおがた 艦 かん を建造 けんぞう する必要 ひつよう 性 せい は失 うしな われている。
「戦艦 せんかん 」以外 いがい の巨 きょ 砲 ほう 搭載 とうさい 艦船 かんせん
編集 へんしゅう
本来 ほんらい の「戦艦 せんかん 」には分類 ぶんるい されないが戦艦 せんかん と同等 どうとう の巨 きょ 砲 ほう を搭載 とうさい した艦艇 かんてい の例 れい をここにあげる。
モニター艦 かん 低 てい 乾 いぬい 舷 ふなばた の船体 せんたい に砲塔 ほうとう 式 しき の主砲 しゅほう を搭載 とうさい した軍艦 ぐんかん 。戦艦 せんかん の主砲 しゅほう 塔 とう を流用 りゅうよう したものがある。
ロシア 円形 えんけい 砲艦 ほうかん ノヴゴロド (1874年 ねん 、2,491t、28cm砲 ほう 2門 もん )
大砲 たいほう を撃 う つことだけを考 かんが えて建造 けんぞう された円形 えんけい 平底 ひらぞこ の艦 かん 。「セヴァストポリ要塞 ようさい 周辺 しゅうへん にて運用 うんよう する、移動 いどう 可能 かのう な水上 すいじょう 砲台 ほうだい 」とのコンセプトの基 もと 建造 けんぞう された。
日本 にっぽん 防護 ぼうご 巡洋艦 じゅんようかん 松島 まつしま 型 かた 3隻 せき 通称 つうしょう 三景 さんけい 艦 かん (1891年 ねん 仏 ふつ 国 こく 製 せい 、4,278t、32cm砲 ほう 1門 もん )
日 にち 清 しん 戦争 せんそう 前 まえ に清国 きよくに の戦艦 せんかん 定 てい 遠 とお 級 きゅう 2隻 せき (1879年 ねん 独 どく 製 せい 、7,220t、30.5cm砲 ほう 4門 もん )に対抗 たいこう するため急遽 きゅうきょ 建造 けんぞう された。艦 かん の大 おお きさに比 くら べて主砲 しゅほう が過大 かだい であり、旋回 せんかい させると艦 かん が傾 かたむ き、発砲 はっぽう すると衝撃 しょうげき で進路 しんろ まで変 か わってしまうほどだった。日 にち 清 しん 戦争 せんそう では主力 しゅりょく 艦 かん として活躍 かつやく し、黄海 こうかい 海戦 かいせん では多数 たすう 装備 そうび された副 ふく 砲 ほう の12cm速射 そくしゃ 砲 ほう が活躍 かつやく したが、主砲 しゅほう は3隻 せき で12発 はつ を撃 う っただけで戦果 せんか はなかった(一説 いっせつ によると1発 はつ 命中 めいちゅう したという)。なお、建造 けんぞう に当 あ たっては当初 とうしょ 、イギリスに依頼 いらい をしていたが、当時 とうじ としては非常識 ひじょうしき な注文 ちゅうもん だったため断 ことわ られた。その後 ご 、イギリスへの対抗 たいこう 意識 いしき があったフランスが注文 ちゅうもん を受 う けてようやく建造 けんぞう されることとなった。
イギリス カレイジャス級 きゅう 2隻 せき (1917年 ねん 、18,600t、38.1cm砲 ほう 4門 もん )フューリアス(1917年 ねん 、19,100t、45.7cm砲 ほう 2門 もん )
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん でイギリスが対 たい 独 どく 上陸 じょうりく 戦 せん 用 よう に建造 けんぞう した大型 おおがた 軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん 。フューリアスは上記 じょうき 内容 ないよう で設計 せっけい されたが、完成 かんせい 時 じ には前 ぜん 甲板 かんぱん の砲 ほう を撤去 てっきょ し飛行 ひこう 甲板 かんぱん を設 もう け、後部 こうぶ に45.7cm砲 ほう 1門 もん を備 そな えていた。対 たい 独 どく 上陸 じょうりく 作戦 さくせん は行 おこ なわれなかったため活躍 かつやく の場 ば はなく、戦後 せんご は3隻 せき とも航空 こうくう 母艦 ぼかん に改装 かいそう され、空母 くうぼ として第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に参加 さんか した。
イギリス M級 きゅう 潜水 せんすい 艦 かん 3隻 せき (1917年 ねん ?、1,650t、30.5cm砲 ほう 1門 もん )
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう に陸上 りくじょう 砲撃 ほうげき 用 よう として建造 けんぞう された潜水 せんすい 艦 かん 。本来 ほんらい 隠密 おんみつ 行動 こうどう すべき潜水 せんすい 艦 かん に大 おお きな音 おと ・光 ひかり ・煙 けむり を発 はっ する巨 きょ 砲 ほう を搭載 とうさい するのは矛盾 むじゅん であり、ほとんど活躍 かつやく しなかった。
ドイツ ポケット戦艦 せんかん ドイッチュラント級 きゅう 3隻 せき (1933年 ねん 、11,700t、28.3cm砲 ほう 6門 もん )
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん の敗戦 はいせん 国 こく ドイツがヴェルサイユ条約 じょうやく の制限 せいげん 下 か (1万 まん t以下 いか 、30.5cm砲 ほう 以下 いか )に建造 けんぞう した艦 かん 。排水 はいすい 量 りょう は1万 まん tと公表 こうひょう されていたが実際 じっさい は制限 せいげん を超 こ えていた。重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 並 な みの防御 ぼうぎょ と艦 かん 体 たい に大 だい 口径 こうけい 砲 ほう を装備 そうび し大 おお きな航続力 こうぞくりょく を有 ゆう し、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 初頭 しょとう には通商 つうしょう 破壊 はかい 艦 かん として活躍 かつやく した。
戦艦 せんかん は本来 ほんらい battleship の直訳 ちょくやく 語 ご である戦闘 せんとう 艦 かん の略語 りゃくご が大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん 他 た で使用 しよう された名詞 めいし であるが、今日 きょう では戦闘 せんとう 艦 かん の意味 いみ が Combatant ship 相当 そうとう へ、 沿海 えんかい 域 いき 戦闘 せんとう 艦 かん の影響 えいきょう もあって変化 へんか し(少 すく なくとも戦艦 せんかん からコルベット までを含 ふく む)、戦闘 せんとう 艦 かん =戦艦 せんかん の意味 いみ で軍事 ぐんじ 有識者 ゆうしきしゃ が使 つか うことは稀 まれ となったが、古 ふる い文献 ぶんけん 等 ひとし では注意 ちゅうい を要 よう する。また敢 あ えてか無知 むち かは別 べつ に、現代 げんだい でも現代 げんだい 的 てき 意味 いみ の戦闘 せんとう 艦 かん (Combatant ship)の略語 りゃくご として戦艦 せんかん と云 い う用語 ようご を使 つか う、或 ある いは軍艦 ぐんかん の意味 いみ で戦艦 せんかん と云 い う用語 ようご を使 つか う、メディア ・個人 こじん ・団体 だんたい は存在 そんざい する。
アメリカ海軍 かいぐん 公式 こうしき 略号 りゃくごう
編集 へんしゅう
アメリカ海軍 かいぐん 公式 こうしき の戦艦 せんかん を表 あらわ す略号 りゃくごう は、battleshipの頭文字 かしらもじ Bを2文字 もじ 重 かさ ねたBB である。
イギリス海軍 かいぐん も略号 りゃくごう として同 おな じくBBを用 もち いた。
イギリス海軍 かいぐん 公式 こうしき 略号 りゃくごう の巡 じゅん 洋 よう 戦艦 せんかん を表 あらわ す略号 りゃくごう はBattlecruiserからBC である。アメリカ海軍 かいぐん は公式 こうしき に巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん に分類 ぶんるい する艦 かん を建造 けんぞう しなかったのでBCは使用 しよう したことがない[注釈 ちゅうしゃく 7] 。
アメリカのアラスカ級 きゅう は、非公式 ひこうしき な用法 ようほう で巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん 扱 あつか いされる場合 ばあい もあるが(前述 ぜんじゅつ )、アメリカ海軍 かいぐん 公式 こうしき には大型 おおがた 巡洋艦 じゅんようかん (Large Cruiser)であるので、略号 りゃくごう はCB になる。CLは軽 けい 巡洋艦 じゅんようかん のLightに取 と られてしまっているので、CruiserのCにBigのBである [要 よう 出典 しゅってん ] 。
日本 にっぽん あるいは米 べい 英 えい 以外 いがい の国 くに においても、海軍 かいぐん 関係 かんけい の文脈 ぶんみゃく において略号 りゃくごう を用 もち いるときはBB・BC・CBで通用 つうよう する。
^ (「世界 せかい の艦船 かんせん 」1999年 ねん 8月 がつ 号 ごう P151)の記事 きじ
^ 週刊 しゅうかん 栄光 えいこう の日本 にっぽん 海軍 かいぐん パーフェクトファイル No.31p.22
^ 近代 きんだい 戦艦 せんかん 史 し (世界 せかい の艦船 かんせん 1987年 ねん 3月 がつ 増刊 ぞうかん 号 ごう ・海人 あま 社 しゃ )p181 など
世界 せかい 戦艦 せんかん 物語 ものがたり (福井 ふくい 静夫 しずお 著作 ちょさく 集 しゅう 第 だい 6巻 かん ・1993年 ねん 8月 がつ 光人 みつひと 社 しゃ ISBN 4-7698-0654-X )
近代 きんだい 戦艦 せんかん 史 し (世界 せかい の艦船 かんせん 1987年 ねん 3月 がつ 増刊 ぞうかん 号 ごう ・海人 あま 社 しゃ )
日本 にっぽん 戦艦 せんかん 史 し (世界 せかい の艦船 かんせん 1988年 ねん 3月 がつ 増刊 ぞうかん 号 ごう ・海人 あま 社 しゃ )
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