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河内型戦艦 - Wikipedia

河内かわうちがた戦艦せんかん(かわちがたせんかん)は日本にっぽん海軍かいぐんだいいち世界せかい大戦たいせんまえ竣工しゅんこうさせた最初さいしょ最後さいごいしゆみきゅう戦艦せんかんかんきゅうである。

河内かわうちがた戦艦せんかん
かんきゅう概観がいかん
かんしゅ 戦艦せんかん
かんめい きゅう国名こくめい
まえきゅう 薩摩さつまがた戦艦せんかん
つぎきゅう 金剛こんごうがた戦艦せんかん 扶桑ふそうがた戦艦せんかん
性能せいのうしょもと竣工しゅんこう
排水はいすいりょう 常備じょうび:20,800えいトン
満載まんさい:21,443トン
全長ぜんちょう 河内かわうち:160.3m(526ft)
摂津せっつ:162.5m(533ft)
垂線すいせんちょう 152.4m(500ft)
全幅ぜんぷく 25.6m(84ft1+3/4in)
吃水きっすい 8.2m(27ft)
機関きかん 宮原みやはらしき石炭せきたん重油じゅうゆこんしょうみずかんかん16
+ブラウンカーチスしき直結ちょっけつタービン22じく推進すいしん
最大さいだい
出力しゅつりょく
25,000shp
河内かわうちこうためし30,399hp)
最大さいだい
速力そくりょく
20.0ノット河内かわうちおおやけためし:21.024ノット)
航続こうぞく
距離きょり
18ノット/2,700うみさと
燃料ねんりょう 石炭せきたん:2,300トン
重油じゅうゆ:400トン
乗員じょういん 999めい河内かわうち攝津せっつ新造しんぞう
へいそう 30.5cm(50口径こうけい連装れんそうほう2
30.5cm(45口径こうけい連装れんそうほう4
15.2cm(45口径こうけいたんそう速射そくしゃほう10
12cm(40口径こうけいたんそう速射そくしゃほう8
7.6cm(40口径こうけいたんそう速射そくしゃほう16
竣工しゅんこうに7.6cm(23.5口径こうけいたんそう高角こうかくほう2追加ついか
45cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかんたんそう5
装甲そうこう 舷側げんそく:305mm(水線すいせん主砲しゅほうとうあいだのみ)、229mm(水線すいせん上部じょうぶ主砲しゅほうとうあいだのみ)、127mm(かんくびかん
甲板かんぱん:76mm(さいあつ
主砲しゅほうとう
305mm(ぜんたて
279mm(50口径こうけいがわたて
254mm(45口径こうけいがわたて
279mm(こうたて
76mm(天蓋てんがい
主砲しゅほうバーベット:279mm(さいあつ
司令塔しれいとう:254mm(さいあつ

概要がいよう

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標的ひょうてきかん改装かいそうされた「摂津せっつ」。

ほんがた基本きほん計画けいかく番号ばんごう「A-30」がされ、河内かわうちは「ごう戦艦せんかん」、攝津せっつは「りょごう戦艦せんかん」とごうせられた。ほんがたは「河内かわうち」、「摂津せっつ」の2せき1912ねん竣工しゅんこうした。「河内かわうち」は1918ねん7がつ12にち徳山湾とくやまわん爆発ばくはつ事故じこにより沈没ちんぼつ沈没ちんぼつ地点ちてん北緯ほくい34°0ふん東経とうけい131°46ふん現在げんざい海図かいずにも沈船の表記ひょうきがある)。「摂津せっつ」はだいいち世界せかい大戦たいせんのちワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにより、長門ながとがた戦艦せんかん陸奥みちのく」を保有ほゆうできるわりに戦艦せんかん保有ほゆうわくからはずされ、日本にっぽん海軍かいぐん1924ねん4がつ摂津せっつから武装ぶそう装甲そうこう撤去てっきょして標的ひょうてきかん改装かいそうした。このとき主砲しゅほうとう2陸軍りくぐんクレーンせん蜻州まる(せいしゅうまる)」により長崎ながさきけん対馬つしま要塞ようさい竜ノ崎たつのざきだいいち砲台ほうだい竜ノ崎たつのざきだい砲台ほうだい運搬うんぱんされ、現地げんち要塞ようさいほうとして活用かつようされた。

だい世界せかい大戦たいせんどきの1945ねん7がつ24にちから28にちにかけて軍港ぐんこうべい機動きどう部隊ぶたい空襲くうしゅうけて大破たいはそこした。

かんがたについて

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河内かわうちがた武装ぶそう装甲そうこう配置はいちしめしたかんがた

ほんがた船体せんたい形状けいじょうひら甲板かんぱんがた船体せんたいで、かんくび形状けいじょうは「河内かわうち」は垂直すいちょくったかんくびだが「摂津せっつ」はしのげなみせいいクリッパーがたかんくびことなっており全長ぜんちょうた。かんくび甲板かんぱんじょうしん設計せっけいの「30.5cm(50口径こうけいほう」を連装れんそう砲塔ほうとうで1下部かぶ司令塔しれいとうんだ操舵そうだ艦橋かんきょう戦艦せんかんではほんきゅうから採用さいようされた三脚さんきゃくかた前部ぜんぶマストつ。船体せんたい中央ちゅうおうの3ほん煙突えんとつつが、このうち1ばん・2ばん煙突えんとつあいだ舷側げんそく主砲しゅほうとう弾薬だんやくがある関係かんけい前後ぜんごはなされていた。煙突えんとつ周囲しゅうい艦載かんさいていとなっており、艦載かんさいていは2ほん1くみのボート・ダビットがかたふなばた2くみけい4くみにより運用うんようされた。舷側げんそく甲板かんぱんじょうには「30.5cm(45口径こうけいほう」を背中合せなかあわせ配置はいちかたふなばた2ずつのけい4配置はいちした。3ばん煙突えんとつ後方こうほうには前向まえむきの後部こうぶ三脚さんきゃくがたマストと後部こうぶ見張みはりしょち、後部こうぶ甲板かんぱんじょうに6ばん主砲しゅほうとう後向うしろむきに1配置はいちされた。船体せんたい中央ちゅうおう舷側げんそくにはたい水雷すいらいていようとして15.2cm速射そくしゃほうかたふなばた5ずつけい10たんそうほうでケースメイト(ほうかく配置はいちされており、かんくびかんがわの4ぜん後部こうぶへのかい確保かくほすべく船体せんたいへこませていた。

主砲しゅほう

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主砲しゅほうとう配置はいちには特色とくしょくがありほう口径こうけいかんがえなければドイツ海軍かいぐんの「ナッサウきゅう」「ヘルゴラントきゅう」と主砲しゅほう配列はいれつおなじであった。ちなみにどう世代せだい戦艦せんかんイギリス海軍かいぐんの「ネプチューン」「コロッサスきゅう」、アメリカ海軍かいぐんの「デラウェアきゅう」「フロリダきゅう」はぜんもん舷側げんそく指向しこう可能かのうであったのにたいし、旧態きゅうたいいなめないが、てき艦隊かんたい乱戦らんせん反対はんたいふなばたからの巡洋艦じゅんようかんまわりこんで攻撃こうげきして場合ばあいそく対応たいおうできる利点りてんった。

30.5cm(50口径こうけいほう

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かんくびかんの1ばん・6ばん主砲しゅほうにはアームストロングしゃほんがたのためにしん設計せっけいした「アームストロング 1912ねんがた 30.5cm(50口径こうけいほう」を採用さいようした。その性能せいのうは386kgの砲弾ほうだんを、そうやく133.5㎏でほうこうから914m/sでこと出来できたこのほうしん設計せっけい連装れんそう砲塔ほうとうおさめた。砲塔ほうとう動力どうりょく蒸気じょうき機関きかん駆動くどう蒸気じょうきポンプによる水圧すいあつしきで、砲塔ほうとう旋回せんかい砲身ほうしん俯仰ふぎょう上下じょうげ)をおこなった。砲身ほうしん俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく15俯角ふかく5で、旋回せんかい角度かくど首尾しゅびせん方向ほうこうを0として左右さゆう150旋回せんかい角度かくどっていた。発射はっしゃ速度そくどまいぶん1はつである。

30.5cm(45口径こうけいほう

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写真しゃしん右舷うげんからられた「安芸あき」の30.5cm(45口径こうけい連装れんそう砲塔ほうとうほんきゅうにも同型どうけいほう継承けいしょうされた。

舷側げんそく配置はいちされた2~5ばん主砲しゅほうにはまえがたつづき「アームストロング 1908ねんがた 30.5cm(45口径こうけいほう」を採用さいようした。その性能せいのうは386kgの砲弾ほうだんを、そうやく113.4kgでほうこうから810m/sでこと出来できたこのほう連装れんそう砲塔ほうとうおさめた。砲塔ほうとう動力どうりょく蒸気じょうきポンプによる水圧すいあつしき旋回せんかい砲身ほうしん上下じょうげおこなった。砲身ほうしん俯仰ふぎょう能力のうりょく仰角ぎょうかく15俯角ふかく5で、旋回せんかい角度かくどは300旋回せんかい角度かくどっていたが実際じっさい上部じょうぶ構造こうぞうぶつによりかい制限せいげんされた。発射はっしゃ速度そくどまいぶん1はつである。

実際じっさい運用うんよう

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同一どういつ主砲しゅほう多数たすう搭載とうさい統一とういつ指揮しきおこなうのは、いしゆみきゅう戦艦せんかん必須ひっす条件じょうけんであるが、前述ぜんじゅつとお河内かわちがた主砲しゅほうには砲身ほうしんちょうことなる種類しゅるい主砲しゅほう搭載とうさいしており、ゆえに河内かわちがたいしゆみきゅう戦艦せんかんではなくてじゅんいしゆみきゅう戦艦せんかんではないかという意見いけんがある。すくなくとも初速しょそくちが主砲しゅほうでは、統一とういつした射撃しゃげき管制かんせい指揮しき不可能ふかのうになり、いしゆみきゅう戦艦せんかんとしての要件ようけんまったたしていない。

そのため、りょうほう初速しょそくそろえるために、砲塔ほうとうごとに装填そうてんりょうちが種類しゅるいくすりのう用意よういする羽目はめになった。すなわち、もっと威力いりょくたかい50口径こうけいほうそうくすりりょうやく133.5kgで計画けいかく初速しょそく914m/sとなるものを、45口径こうけいほうわせてやく112kgに減少げんしょうさせて初速しょそく810m/sにおさえたのだ(45口径こうけいほうそうくすりりょうはこれより若干じゃっかんおおきい)。なお、そうくすりりょう削減さくげんともなって50口径こうけいほうくすりしつ容積ようせきを371.2リットルから240リットルに変更へんこうした。

主砲しゅほう初速しょそくわせたこの処置しょちにより、主砲しゅほう統一とういつ指揮しきにはなん不都合ふつごうはなく、いしゆみきゅう戦艦せんかんとして使用しようする要件ようけんたしているともえる[1]

ちなみに50口径こうけいほう通常つうじょうでさえ強度きょうど不足ふそくにより重力じゅうりょく先端せんたんがり、こう初速しょそくすと砲身ほうしんがしなって弾道だんどうにブレがしょうじて命中めいちゅうりつ低下ていかするという欠陥けっかんがあったほか製造せいぞうこくのイギリスが得意とくいとしないちょう砲身ほうしんほうであるために砲身ほうしん寿命じゅみょうみじかくなるという欠陥けっかんがあったため、この意味いみからも元々もともと初速しょそくおさえて運用うんようしたこと正解せいかいであった。

このような2種類しゅるいほう混載こんさいした理由りゆうとしては、一説いっせつによると首尾しゅびせん方向ほうこうへの火力かりょく強力きょうりょくにすべきであるという東郷とうごう平八郎へいはちろうづる一声いっせいがあったともわれる。すくなくとも運用うんようじょう困難こんなんしょうじた可能かのうせいがあるのは事実じじつであるが[2]前述ぜんじゅつの50口径こうけいほう自体じたい欠陥けっかんてい初速しょそく改善かいぜんされたこととわせて、じつ運用うんようじょう欠点けってんとはならなかった。ただし、30.5cm50口径こうけいほうは、金剛こんごうがた戦艦せんかんにおいても当初とうしょ採用さいよう検討けんとうされており、早々そうそう欠点けってん発見はっけんされたことにより[3]金剛こんごうがた戦艦せんかんに35.6cm45口径こうけいほう採用さいようできたことで、30.5cm50口径こうけいほうには反面はんめん教師きょうしとしての意味いみがあったとえる。

ふくほう、その備砲びほうかみなりそうとう

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ふくほう日本にっぽん戦艦せんかんとしてはじめて「15.2cm(45口径こうけいほう」(制式せいしき名称めいしょう:「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきろくいんちほう」。呼称こしょうほう改定かいていは「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきじゅうせんちめーとるほう」)を採用さいようし、ばん甲板かんぱん下方かほう舷側げんそくケースメイト配置はいちかたふなばた5もんずつ配置はいちした。そのたい水雷すいらいていように「12cm(40口径こうけいほう」(制式せいしき名称めいしょう:「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきよんいんちななほう」。呼称こしょうほう改定かいていは「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきじゅうせんちめーとるほう」)をたんそうほうで8もん、「7.6cm(40口径こうけいほう」(制式せいしき名称めいしょう:「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきさんいんちほう」。呼称こしょうほう改定かいていは「よんじゅう口径こうけいよん一式いっしきはちせんちめーとるほう」)をたんそうほうで16もん、を搭載とうさいした。たいかん攻撃こうげきように45cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん5装備そうびした。

竣工しゅんこうの1921ねん大正たいしょう10ねん)に「7.6cm(40口径こうけいほうぜんもとと「45cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん」2もん撤去てっきょし、「7.6cm(23.5口径こうけい高角こうかくほう」(制式せいしき名称めいしょうねんしきたんはちせんちめーとるほう)をたんそうほうで2追加ついかした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ただし、どう口径こうけいほうどういち初速しょそくであっても、砲身ほうしんちょうちが以上いじょうはやはり有効ゆうこう射程しゃていほう特性とくせいでは若干じゃっかんのズレがあり、統一とういつ指揮しき不都合ふつごうがあったのではないかと指摘してきするせつもある。一方いっぽう研究けんきゅう射撃しゃげき戦闘せんとう射撃しゃげきにおいておななえあたま照尺しょうしゃく距離きょりもちいて15,000m以上いじょう砲戦ほうせん距離きょり一斉いっせい射撃しゃげきされた、薩摩さつまがたの30.5cmほう2はつと25.4cmほう2~3はつ弾丸だんがんですら同時どうじたまちゃくし、散布さんぷかいないほう種別しゅべつ偏倚へんいすることなく、しかも水柱みずばしらおおきさのほとんみとめられないため、統一とういつ射撃しゃげきまった支障ししょうがなかったという証言しょうげんまゆずみ治夫はるお)もある。
  2. ^ これについては、かく口径こうけい主砲しゅほう火薬かやく個別こべつ存在そんざいしており、そうくすりりょうことなるくすりのうをそれぞれの火薬かやく搭載とうさいすればよいため、口径こうけい主砲しゅほう混載こんさいによる運用うんようじょう困難こんなんしょうじないとする意見いけんもある。しかしながら、すくなくともことなる種類しゅるいくすりのうを用意よういする工廠こうしょうがわわずらわしさがあったことは想像そうぞうかたくない。
  3. ^ ただし河内かわちがた金剛こんごうがた起工きこうにはまだ竣工しゅんこうしていないため、おな主砲しゅほう採用さいようしたセント・ヴィンセントきゅう戦艦せんかん以降いこう英国えいこく戦艦せんかん運用うんよう実績じっせきである。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい22しゅう 近代きんだい戦艦せんかん海人あましゃ
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい44しゅう 日本にっぽん軍艦ぐんかん』、海人あましゃ、1995ねん8がつISBN 4-905551-55-2 
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい83しゅう 近代きんだい戦艦せんかん海人あましゃ
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい79しゅう 日本にっぽん戦艦せんかん海人あましゃ
  • いずみさん軍艦ぐんかんメカニズム図鑑ずかん 日本にっぽん戦艦せんかん 上巻じょうかん』グランプリ出版しゅっぱん ISBN 4-87687-221-X c2053
  • 『Conway All The World's Fightingships 1906–1921』Conway

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  • Settsu class battleships - archive.today(2012ねん6がつ30にちアーカイブぶんほんがた説明せつめい。(英語えいご
  • Battleship 'Kawachi' (1909)河内かわうち」のかんがたとスペックがあるページ。(英語えいご
  • Battleship 'Settsu' (1909)摂津せっつ」のかんがたとスペックがあるページ。(英語えいご
  • [1] - Youtube動画どうが「【なぞ戦艦せんかん日本にっぽんはつのドきゅう戦艦せんかん河内かわうちがたを3DCGで検証けんしょうしてみた」
  •   ウィキメディア・コモンズには、河内かわうちがた戦艦せんかんかんするカテゴリがあります。