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ダンテ・アリギエーリ (戦艦) - Wikipedia

竣工しゅんこう当時とうじ
「ダンテ・アリギエーリ」
かんれき
発注はっちゅう カステラマーレ造船ぞうせんしょ
起工きこう 1909ねん[1]6月6にち
進水しんすい 1910ねん8がつ20日はつか
就役しゅうえき 1913ねん[1]1がつ15にち
退役たいえき 1928ねん7がつ1にち
その 1928ねん11月にスクラップとして処分しょぶん
まえきゅう レジナ・エレナきゅう
つぎきゅう コンテ・ディ・カブールきゅう
性能せいのうしょもと
排水はいすいりょう 基準きじゅん:19,500トン[1]満載まんさい:21,800トン
全長ぜんちょう 168.1m
水線すいせんちょう 158.2m
全幅ぜんぷく 26.6m
吃水きっすい 8.8m
機関きかん ブレシンデンしき重油じゅうゆせんしょうみずかんかん7
&どう石炭せきたん重油じゅうゆこんしょうみずかんかん16
+パーソンズしきギヤード・タービン33じく推進すいしん
最大さいだい出力しゅつりょく 32,000hp
最大さいだい速力そくりょく 22.8ノット
航続こうぞく性能せいのう 10ノット/4,800うみさと
燃料ねんりょう 石炭せきたん:2,400トン
重油じゅうゆ:600トン
乗員じょういん 970めい士官しかん:40めい水兵すいへい:940めい
へいそう 30.5cm(46口径こうけいさん連装れんそうほう4
12cm(50口径こうけい連装れんそう速射そくしゃほう4たんそう速射そくしゃほう12
7.6cm(40口径こうけいたんそうほう13
45cm水中すいちゅうたんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん3もん
装甲そうこう 舷側げんそく:200-254mm(水線すいせんしゅ装甲そうこう)100mm(最上さいじょう甲板かんぱん
甲板かんぱん:38mm
主砲しゅほうとう:254mm(ぜんたて)、238mm(がわたて
バーベット:-mm(さいあつ
ふく砲塔ほうとう:98mm(ぜんたて
ふくほうケースメイト:100mm(さいあつ
司令塔しれいとう:275mm(がわたて

ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)は1913ねん[1]竣工しゅんこうしたイタリア海軍かいぐん最初さいしょいしゆみきゅう戦艦せんかん[1]オーストリア=ハンガリー帝国ていこく海軍かいぐん対抗たいこうすべく建造けんぞうしたかんである。かんめいイタリア詩人しじんダンテ・アリギエーリから。

概要がいよう

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ほんかん1906ねんより海軍かいぐんしょう就任しゅうにんしたカルロ・ミラベロ中将ちゅうじょう指示しじで、1907ねんにエドアルド・マスデア造船ぞうせんそう監督かんとく設計せっけいによりまとめられ、1908ねん議会ぎかい建造けんぞう予算よさんみとめられてカステラマーレ造船ぞうせんしょ建造けんぞうされた。

当時とうじイギリス、日本にっぽん、ドイツが製造せいぞうしていためぐよう戦艦せんかんよりは低速ていそくであるが装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん速力そくりょく匹敵ひってきする速度そくどで、一種いっしゅ高速こうそく戦艦せんかんである[1]

ほんかん主砲しゅほうとう配置はいちはヴィットリオ・クニベルティ造船ぞうせん士官しかんあん採用さいようされた。さん連装れんそう砲塔ほうとう採用さいようしたのは世界せかいはつであり、すべ中心ちゅうしんせんじょう配置はいちすることで舷側げんそくにもぜん主砲しゅほう12もん発射はっしゃ可能かのうという有力ゆうりょくかんであった[1]にち戦争せんそうでの壊滅かいめつから再建さいけんちゅうであったロシア海軍かいぐん技術ぎじゅつ当局とうきょくはこの主砲しゅほう配置はいちふか関心かんしんち、同種どうしゅ戦艦せんかん多数たすう建造けんぞうすることとなった[1]。しかし、ほんかん建造けんぞう途中とちゅうにオーストリア=ハンガリー海軍かいぐんテゲトフきゅう戦艦せんかん建造けんぞう発表はっぴょうしたために、より強力きょうりょく戦艦せんかんもとめられたためにほんかんのみとなった。

だいいち世界せかい大戦たいせんではとく目立めだった戦績せんせきげず、1928ねん除籍じょせきされ解体かいたいされた。

かんがた

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1919ねん撮影さつえいされたほんかんせんくんによりフランスしきさんだんはか距儀を艦橋かんきょう装備そうびしている。

ほんかん船体せんたいかんくびのみいぬいふなばたたかたん船首せんしゅろうがた船体せんたい採用さいようしていた。外観がいかんデザインはまえきゅうであるぜんいしゆみきゅう戦艦せんかんレジナ・エレナきゅう」を発展はってんさせた設計せっけいっており、簡潔かんけつでいて重厚じゅうこうな「てつしろ」とべる外観がいかん設計せっけいされていた。

いまだに水面すいめん衝角(ラム)のついたかんくびからほんかんのためにしん設計せっけいされた「1909ねんがた 30.5cm(46口径こうけいほう」をしん設計せっけいさん連装れんそうしきぬし砲塔ほうとうおさめて1ばん主砲しゅほうとう1配置はいちした。そのうしろに司令塔しれいとう基部きぶ操舵そうだ艦橋かんきょう背後はいご前部ぜんぶ2ほん煙突えんとつち、煙突えんとつあいだ簡素かんそたんあししき前部ぜんぶマストてられた。そこから甲板かんぱんいちだんぶんがって中央ちゅうおう甲板かんぱんじょうに2ばん・3ばん主砲しゅほうとう前向まえむきで2配置はいちしていた。3ばん主砲しゅほうとうのちあいだ後部こうぶマスト1ほん後部こうぶ2ほん煙突えんとつち、その周囲しゅうい艦載かんさいていとなっており、煙突えんとつあいだかたふなばた1ずつ設置せっちされたクレーンにより運用うんようされた。後部こうぶ甲板かんぱんじょう後部こうぶ司令塔しれいとう後向うしろむきで4ばん主砲しゅほうとう配置はいちしていた。ほんかんふくほう連装れんそうしきふく砲塔ほうとう配置はいち舷側げんそくケースメイト配置はいち種類しゅるい配置はいちされ、円筒えんとうがた連装れんそうしきふく砲塔ほうとうが1ばん主砲しゅほうとう艦橋かんきょうあいだ舷側げんそく甲板かんぱんじょうかたふなばた1ずつ配置はいちされ、「レジナ・エレナきゅう」とおなじく船首せんしゅろう甲板かんぱんふく砲塔ほうとうかいせばめないようにかんくび方向ほうこうけてよこはばせばめられた。それと4ばん主砲しゅほうとう前方ぜんぽうかたふなばた1ずつのけい4配置はいちしていた。一方いっぽうたんそうほう前部ぜんぶ2ほん煙突えんとつりょうわき舷側げんそくに3ずつと、後部こうぶ2ほん煙突えんとつりょうわき舷側げんそくに3ずつのけい12分散ぶんさん配置はいちしていた。この武装ぶそう配置はいちによりかんくび方向ほうこう最大さいだいで30.5cmほう3もん、12cmほう4もん舷側げんそく方向ほうこう最大さいだいで30.5cmほう12もん、12cmほう10もんかん方向ほうこう最大さいだいで30.5cmほう3もん、12cmほう4もん指向しこうできた。

 
1927ねんられた末期まっきのダンテ・アリギエーリ

就役しゅうえきの1913ねんにカーチス水上すいじょう1搭載とうさいした。1915ねんに7.6cm速射そくしゃほう13撤去てっきょし、新型しんがたの1909ねんがた 7.6cm(50口径こうけい速射そくしゃほうたんそうほうで16対空たいくう火器かきとして7.6cm(50口径こうけい高角こうかくほうたんそうほうで4搭載とうさいした。

1922ねんよりたたかえくんもとづいて改装かいそうおこなわれ、外観がいかんてきものでは1ばん・2ばん煙突えんとつはさまれるようにっていた前部ぜんぶマストを、艦橋かんきょう基部きぶ移動いどうしていただき上部じょうぶ見張みはしょ三脚さんきゃくかたマストに更新こうしんした。このときに1ばん・2ばん煙突えんとつ艦橋かんきょう煤煙ばいえんがかかるのをふせぐために3mほどばされた。が、1923ねんに7.6cm(50口径こうけい速射そくしゃほう8撤去てっきょし、近接きんせつ火器かきとしてヴィッカーズ 4cm(39口径こうけいポンポンほうたんそうほうで2搭載とうさいした。1925ねん水上すいじょう国産こくさんのマッキ M-18がた水上すいじょう更新こうしんし、3ばん主砲しゅほうとうじょうカタパルト搭載とうさいしたが運用うんようじょうきょうくはなかった。

 
ほんかん武装ぶそう装甲そうこう配置はいちしめした

主砲しゅほうとう

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ほんかん主砲しゅほうしん設計せっけいの「1909ねんがた 30.5cm(46口径こうけいほう」を採用さいようしている。ほんかんからしゅ砲身ほうしんアームストロング・ホイットワースナポリ支社ししゃ製造せいぞうされたはんはがねせんせいながらくのイギリスによる技術ぎじゅつ支援しえんによりイタリアでもだい口径こうけいほう製造せいぞう可能かのうとなったが、それでもイギリスじん技術ぎじゅつしゃ補助ほじょなが時間じかん製造せいぞう必要ひつようであった。

その性能せいのう重量じゅうりょう452 kgの主砲しゅほうだん最大さいだい仰角ぎょうかく20射距離しゃきょり24,000mまでとどかせられた。発射はっしゃ速度そくどまいぶん2はつ仰角ぎょうかくは20/俯角ふかく5動力どうりょく蒸気じょうき機関きかんによる水圧すいあつ駆動くどうであり補助ほじょ人力じんりき必要ひつようとした。旋回せんかい角度かくどは3連装れんそう主砲しゅほうとう左右さゆう150旋回せんかいかく可能かのうであったが、実際じっさい前後ぜんご煙突えんとつはさまれているためにかいがあった。主砲しゅほうとう1たいし70~80はつ主砲しゅほうだんおさめられたが、通常つうじょうてっかぶとだん40はつ榴弾りゅうだん30はつ訓練くんれんよう砲弾ほうだんであった。

ふくほう、その備砲びほうとう

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ほんかんふくほう速射そくしゃせい重視じゅうししておなじくアームストロング・ホイットワースせいの「1909ねんがた 12cm(50口径こうけい速射そくしゃほう」を採用さいようした。そのたい水雷すいらいてい迎撃げいげきように「7.6cm(40口径こうけい速射そくしゃほう」をたんそうほうで13たいかんへいそうとして45cm水中すいちゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃかんを1ばん主砲しゅほうとう側面そくめんかたふなばた1ずつ2かんがわに1けい3装備そうびした。

ボイラーは自国じこく製造せいぞうのブレシンデンしきだがボイラー重油じゅうゆせんしょうみずかんかんを7いで石炭せきたん重油じゅうゆこんしょうみずかんかん16船体せんたい中央ちゅうおう主砲しゅほうとう弾薬だんやくけて前部ぜんぶボイラー2しつ後部こうぶボイラー2しつ分散ぶんさん配置はいちされた4しつであった。推進すいしん機関きかんはイタリアの主力しゅりょくかんとしてははつのタービン推進すいしんかんとなり、パーソンズしき直結ちょっけつしきタービンを高速こうそくがた低速ていそくがたで1くみとして2くみ4じく推進すいしん方式ほうしきとなり、タービンしつうえからまいたて隔壁かくへきによりへだてられた3しつ構造こうぞうであった。最大さいだい出力しゅつりょくは32,000馬力ばりき最大さいだい速力そくりょく22.8ノットを発揮はっきし、燃料ねんりょう消費しょうひりょうから石炭せきたん2,400トンと重油じゅうゆ600トンを搭載とうさいした状態じょうたいで10ノットで4,800うみさと航行こうこうできるカタログデータであった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h 日本にっぽん戦艦せんかん物語ものがたりI』p.295-297『欧州おうしゅう海軍かいぐんからはじまったさん連装れんそう砲塔ほうとう』。

参考さんこう図書としょ

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  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい22しゅう 近代きんだい戦艦せんかん」(海人あましゃ
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい83しゅう 近代きんだい戦艦せんかん」(海人あましゃ
  • 世界せかい艦船かんせん増刊ぞうかんだい41しゅう イタリア戦艦せんかん」(海人あましゃ
  • 福井ふくい静夫しずお福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい1かん 日本にっぽん戦艦せんかん物語ものがたりI』光人みつひとしゃ ISBN 4-7698-0607-8

外部がいぶリンク

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