魚雷 ぎょらい (ぎょらい、英 えい : torpedo トーピード)は、魚 さかな 形 がた 水雷 すいらい の略称 りゃくしょう であり、水中 すいちゅう を自 じ 走 はし する葉巻 はまき 形 がた の兵器 へいき [1] 。水中 すいちゅう を航行 こうこう し、目標 もくひょう の艦船 かんせん 類 るい を浸水 しんすい や爆発 ばくはつ によって破壊 はかい することを目的 もくてき とした兵器 へいき である。他 た の兵器 へいき と比較 ひかく してその発射 はっしゃ 装置 そうち 、維持 いじ 管理 かんり が困難 こんなん であるため、国家 こっか 規模 きぼ で運営 うんえい される軍隊 ぐんたい でしか運用 うんよう されておらず、攻撃 こうげき 兵器 へいき としてしか用 もち いられていない。[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
米 べい 軍 ぐん のルーズベルト(ミサイル駆逐 くちく 艦 かん ) から発射 はっしゃ されるMk54 魚雷 ぎょらい 。
インド海軍 かいぐん のVarunastra。(長 ちょう 魚雷 ぎょらい の一種 いっしゅ )
Mk46 を搭載 とうさい したLynx WG13ヘリコプター(フランス)
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の12式 しき 魚雷 ぎょらい
基本 きほん 構造 こうぞう として弾頭 だんとう ・エンジン ・推進 すいしん 機 き が組 く み合 あ わされている。高度 こうど なものでは航行 こうこう の深度 しんど を感知 かんち するセンサー 、水平 すいへい 方向 ほうこう の針路 しんろ はジャイロスコープ でそれぞれ感知 かんち している[1] 。
魚雷 ぎょらい は、水上 すいじょう の艦船 かんせん の喫水 きっすい 下 した の部分 ぶぶん を破壊 はかい するため、多大 ただい な浸水 しんすい を与 あた え、機関 きかん 部 ぶ については行動 こうどう 力 りょく を奪 うば う。潜水艦 せんすいかん を攻撃 こうげき 目標 もくひょう とする場合 ばあい 、沈没 ちんぼつ につながる致命傷 ちめいしょう を与 あた えやすい。また、弾頭 だんとう を搭載 とうさい しない特殊 とくしゅ な用途 ようと の魚雷 ぎょらい も一部 いちぶ 存在 そんざい する。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ころまでは、主 おも に中小 ちゅうしょう 型 がた の水上 すいじょう 艦 かん 、潜水 せんすい 艦 かん 、雷撃 らいげき 機 き 又 また は艦上 かんじょう 攻撃 こうげき 機 き などに搭載 とうさい されて運用 うんよう された。その後 ご 水上 すいじょう 艦 かん が用 もち いる対 たい 水上 すいじょう 艦 かん 兵器 へいき としては対 たい 艦 かん ミサイル が主力 しゅりょく になったが、より先進 せんしん 的 てき な誘導 ゆうどう 能力 のうりょく を付与 ふよ された魚雷 ぎょらい も引 ひ き続 つづ き広 ひろ く配備 はいび ・運用 うんよう されている。現代 げんだい の魚雷 ぎょらい は大 おお きく2つに分類 ぶんるい することもでき、一方 いっぽう は 対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう の大型 おおがた ・長 ちょう 射程 しゃてい の魚雷 ぎょらい でありこれを「長 ちょう 魚雷 ぎょらい 」あるいは「重 じゅう 魚雷 ぎょらい 」といい、もうひとつは対 たい 潜水 せんすい 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう の小型 こがた ・短 たん 射程 しゃてい の魚雷 ぎょらい であり、これを「短 たん 魚雷 ぎょらい 」あるいは「軽 けい 魚雷 ぎょらい 」という。たとえば潜水 せんすい 艦 かん は長 ちょう 魚雷 ぎょらい を用 もち いて水上 すいじょう の艦船 かんせん や水中 すいちゅう の潜水 せんすい 艦 かん を攻撃 こうげき し、水上 すいじょう の艦艇 かんてい や上空 じょうくう の対 たい 潜 せん 哨戒 しょうかい 機 き は短 たん 魚雷 ぎょらい を用 もち いて水中 すいちゅう の潜水 せんすい 艦 かん を攻撃 こうげき する。
魚雷 ぎょらい ・爆雷 ばくらい を用 もち いて攻撃 こうげき することを雷撃 らいげき 、魚雷 ぎょらい の命中 めいちゅう ・爆雷 ばくらい の爆発 ばくはつ を浴 あ びる事 こと を被 ひ 雷 かみなり
と呼 よ ぶ。
(参考 さんこう :地雷 じらい ・機雷 きらい への接触 せっしょく は、『触 さわ 雷 かみなり 』と呼 よ ぶ。)
水面 すいめん 下 か で使用 しよう されるものである上 うえ に軍事 ぐんじ 機密 きみつ が多 おお く含 ふく まれるため、特 とく に近年 きんねん の魚雷 ぎょらい の詳細 しょうさい な情報 じょうほう は不明 ふめい な点 てん が多 おお い。
開発 かいはつ 当初 とうしょ の魚雷 ぎょらい は信頼 しんらい 性 せい が低 ひく かったが、航 こう 走 はし 距離 きょり の延伸 えんしん 、命中 めいちゅう 率 りつ を向上 こうじょう させるために多 おお くの技術 ぎじゅつ 改良 かいりょう がなされる一方 いっぽう で、その防御 ぼうぎょ 方法 ほうほう も編 あ み出 だ された。初期 しょき の魚雷 ぎょらい は単純 たんじゅん なジャイロ 誘導 ゆうどう であり、直進 ちょくしん することしかできなかった。当時 とうじ は低 ひく い命中 めいちゅう 率 りつ を補 おぎな うため同時 どうじ に複数 ふくすう の魚雷 ぎょらい を扇 おうぎ 状 じょう に発射 はっしゃ し、いずれか1本 ほん でも命中 めいちゅう することを期待 きたい する戦術 せんじゅつ を採 と っていた(通常 つうじょう 、商船 しょうせん など低速 ていそく な目標 もくひょう に対 たい しては1-2本 ほん だが、軍艦 ぐんかん などの高速 こうそく な目標 もくひょう に対 たい しては4-6本 ほん 発射 はっしゃ していた)。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 とき から、艦船 かんせん が出 だ す音響 おんきょう などを感知 かんち して追跡 ついせき するホーミング魚雷 ぎょらい の開発 かいはつ ・配備 はいび が進 すす んだ。
魚雷 ぎょらい の発射 はっしゃ にはいくつかの方法 ほうほう がある。潜水 せんすい 艦 かん においては魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を用 もち い、管 かん に装填 そうてん した魚雷 ぎょらい を高 こう 圧 あつ 空気 くうき または水圧 すいあつ で押 お し出 だ す。潜水 せんすい 艦 かん の運動 うんどう 性能 せいのう が低 ひく かった時代 じだい [いつ? ] には、艦 かん 首 くび と艦 かん 尾 お に発射 はっしゃ 管 かん を装備 そうび しているのが一般 いっぱん 的 てき であった。潜水 せんすい 艦 かん の速度 そくど が向上 こうじょう した現在 げんざい では、対戦 たいせん する艦船 かんせん に近距離 きんきょり 追尾 ついび される状況 じょうきょう が減 へ ったので、艦 かん 首 くび だけに装備 そうび することがほとんどである。
水上 すいじょう 艦 かん においては、喫水線 きっすいせん 下 した (第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 頃 ころ までの戦艦 せんかん )または甲板 かんぱん (第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 頃 ごろ までの巡洋艦 じゅんようかん や駆逐 くちく 艦 かん )、艦 かん 首 くび 付近 ふきん (初期 しょき の小型 こがた 艇 てい )に設置 せっち された魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を用 もち いることが一般 いっぱん 的 てき であった。魚雷 ぎょらい 艇 てい (PTボート、Sボート)などでは、甲板 かんぱん 上 じょう から側 がわ 方 かた や後方 こうほう へ落射させるものもあった。航空機 こうくうき からの発射 はっしゃ では、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 とき は飛行 ひこう する航空機 こうくうき (雷撃 らいげき 機 き )から投下 とうか する方法 ほうほう が主 おも であった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ においては、艦艇 かんてい への攻撃 こうげき 力 りょく として高 たか く期待 きたい されていたため、各国 かっこく において威力 いりょく 向上 こうじょう ・誘導 ゆうどう 方法 ほうほう の向上 こうじょう が検討 けんとう されており、現在 げんざい のミサイル に近 ちか い高価 こうか ・高度 こうど な兵器 へいき として扱 あつか われた。
反面 はんめん 、魚雷 ぎょらい は艦船 かんせん にとって防御 ぼうぎょ 上 じょう の弱点 じゃくてん にもなり得 え た。魚雷 ぎょらい 兵 へい 装 そう は甲板 かんぱん 上 じょう に合計 ごうけい 数 すう 百 ひゃく キログラムから数 すう トンにもなる爆薬 ばくやく がほぼ無 む 防備 ぼうび に置 お かれている状態 じょうたい であり、特 とく に装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ を持 も たない駆逐 くちく 艦 かん では機銃 きじゅう や砲弾 ほうだん 破片 はへん 程度 ていど でも魚雷 ぎょらい の弾頭 だんとう が爆発 ばくはつ する危険 きけん があり、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では搭載 とうさい 魚雷 ぎょらい の爆発 ばくはつ による轟沈 ごうちん 艦 かん が多数 たすう 出 で ている。戦艦 せんかん の一部 いちぶ に装備 そうび されていた魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん は戦 せん 間 あいだ 期 き に撤去 てっきょ が進 すす み、巡洋艦 じゅんようかん の中 なか には魚雷 ぎょらい が弱点 じゃくてん となることを嫌 きら って搭載 とうさい しない艦 かん も多 おお かった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 頃 ごろ までは一部 いちぶ の海岸 かいがん 防衛 ぼうえい 施設 しせつ にも配備 はいび され、実戦 じっせん で戦果 せんか を挙 あ げた例 れい もある(オスロフィヨルドの戦 たたか い )。
P-3 哨戒 しょうかい 機 き のウエポンベイ に搭載 とうさい されたMk54魚雷 ぎょらい 現代 げんだい では甲板 かんぱん 上 じょう の魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん から水中 すいちゅう に向 む けて射出 しゃしゅつ する従来 じゅうらい の方法 ほうほう に加 くわ え、魚雷 ぎょらい にロケットエンジン を装着 そうちゃく したアスロック などの対 たい 潜 せん ミサイル をミサイル発射 はっしゃ 装置 そうち で発射 はっしゃ する方法 ほうほう や、ヘリコプター や対 たい 潜 せん 哨戒 しょうかい 機 き 等 とう で魚雷 ぎょらい を投下 とうか する方法 ほうほう が採 と られている。これは対 たい 潜 せん 前 ぜん 投 とう 兵器 へいき の発展 はってん と見 み ることもでき、艦船 かんせん から自由自在 じゆうじざい な位置 いち に誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい を投下 とうか する手法 しゅほう の一 ひと つでもある。対 たい 潜 せん ミサイルや航空機 こうくうき から投下 とうか された魚雷 ぎょらい はパラシュート を装着 そうちゃく した状態 じょうたい で落下 らっか し、軟着水 ちゃくすい した後 のち に目標 もくひょう の追尾 ついび を開始 かいし する。
現代 げんだい の魚雷 ぎょらい は、主 おも に対 たい 潜水 せんすい 艦 かん 戦 せん を想定 そうてい して製作 せいさく されており、音波 おんぱ を利用 りよう した誘導 ゆうどう 装置 そうち を搭載 とうさい している。また有線 ゆうせん 誘導 ゆうどう 型 がた も利用 りよう されている。
魚雷 ぎょらい の対抗 たいこう 手段 しゅだん としてはデコイ が主流 しゅりゅう であるが、魚雷 ぎょらい 迎撃 げいげき 用 よう の魚雷 ぎょらい も研究 けんきゅう されている[2] 。
現在 げんざい torpedo (魚雷 ぎょらい ) と呼 よ ばれる自 じ 航 こう 式 しき の魚雷 ぎょらい が発明 はつめい されるまで、torpedoという単語 たんご は、ラテン語 らてんご で海底 かいてい に隠 かく れて獲物 えもの を電気 でんき で麻痺 まひ させるシビレエイ を由来 ゆらい とし[3] 、現代 げんだい で言 い うところのブービートラップ や地雷 じらい 、機雷 きらい も意味 いみ するものだった。南北戦争 なんぼくせんそう 当時 とうじ に多用 たよう された外装 がいそう 水雷 すいらい (英 えい :スパートーピード 〈Spar torpedo〉)もこれであり、長 なが い竿 ざお の先 さき に爆薬 ばくやく を取 と り付 つ けて敵艦 てきかん の吃水線 きっすいせん 下 か で爆発 ばくはつ させる刺 とげ 突爆雷 かみなり の一種 いっしゅ である。初期 しょき の水雷 すいらい 艇 てい や潜水 せんすい 艇 てい の主要 しゅよう 武器 ぶき であったが、体当 たいあ たりするまで接近 せっきん する必要 ひつよう があるので危険 きけん で、成功 せいこう したとしても自分 じぶん も爆発 ばくはつ に巻 ま き込 こ まれる場合 ばあい も多 おお く、ほとんど特攻 とっこう 兵器 へいき と言 い って差 さ し支 つか えがないが、南北戦争 なんぼくせんそう ではスループ や装甲 そうこう 艦 かん を沈 しず めるそれなりの成果 せいか を上 あ げており、有効 ゆうこう 性 せい もあるため用兵 ようへい 側 がわ からは改良 かいりょう が望 のぞ まれていた。
史上 しじょう 初 はつ の自 じ 航 こう 式 しき 魚雷 ぎょらい (自 じ 走 はし 式 しき 魚雷 ぎょらい )のプロトタイプは、オーストリア=ハンガリー帝国 ていこく 海軍 かいぐん 士官 しかん ジョヴァンニ・ルッピス (英語 えいご 版 ばん ) (クロアチア語 ご : Ivan Lupis) と イギリス人 じん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ ロバート・ホワイトヘッド (英語 えいご 版 ばん ) によって1866年 ねん に完成 かんせい したホワイトヘッド魚雷 ぎょらい である。ルッピスはオーストリア・ハンガリー帝国 ていこく の港町 みなとちょう フィウーメ (現在 げんざい のクロアチア のリエカ ) 出身 しゅっしん のオーストリア=ハンガリー帝国 ていこく 海軍 かいぐん 士官 しかん であり、ホワイトヘッドはイギリス人 じん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ で町 まち 工場 こうじょう の経営 けいえい 者 しゃ だった。1864年 ねん 、ルッピスはホワイトヘッドに、陸 りく からロープを引 ひ っ張 ぱ ることによって駆動 くどう する浮遊 ふゆう 兵器 へいき 、salascoste (沿岸 えんがん 防御 ぼうぎょ 機 き の意 い ) の計画 けいかく を披露 ひろう し、これを完成 かんせい させるための契約 けいやく を行 おこな った。ルッピスの計画 けいかく では、時限 じげん 式 しき のモーター、接続 せつぞく されたロープ、海面 かいめん 上 じょう を攻撃 こうげき する方法 ほうほう によって、遅 おそ くて取 と り回 まわ しのきかない兵器 へいき になっていた。ホワイトヘッドはすぐには改善 かいぜん できなかったが、検討 けんとう を続 つづ け、やがて圧縮 あっしゅく 空気 くうき により水中 すいちゅう を自 みずか ら進 すす むよう設計 せっけい された管状 かんじょう の装置 そうち 、Minenschiff (機雷 きらい 船 せん の意 い ) を開発 かいはつ した。これによって初 はつ の自 じ 航 こう 式 しき 魚雷 ぎょらい が完成 かんせい し、1866年 ねん 12月21日 にち に開 ひら かれたオーストリア帝国 ていこく 海軍 かいぐん の委員 いいん 会 かい で公式 こうしき に発表 はっぴょう された。初期 しょき には適切 てきせつ な深度 しんど を保 たも つことが非常 ひじょう に難 むずか しかったが、ホワイトヘッドは1868年 ねん にPendulum-and-hydrostat_control という、振 ふ り子 こ と水平 すいへい 舵 かじ により魚雷 ぎょらい が適切 てきせつ な深度 しんど になるように調整 ちょうせい する制御 せいぎょ 方法 ほうほう を開発 かいはつ し、克服 こくふく した。オーストリア政府 せいふ がその発明 はつめい に投資 とうし することを正式 せいしき に決定 けってい した後 のち 、ホワイトヘッドはフィウーメに最初 さいしょ の魚雷 ぎょらい 工場 こうじょう を設 もう け、1870年 ねん には、最大 さいだい 約 やく 1,000ヤード (910 m)、6ノット (11 km/h) になるまで改善 かいぜん し、1881年 ねん までに国外 こくがい 10カ国 かこく に輸出 ゆしゅつ された。魚雷 ぎょらい は圧縮 あっしゅく 空気 くうき を動力 どうりょく 源 げん とし、ニトロセルロース を爆薬 ばくやく として充填 じゅうてん していた。ホワイトヘッドは効率 こうりつ 化 か をすすめ、1876年 ねん に18ノット (33km/h)、1886年 ねん には24ノット (44km/h) 、1890年 ねん には30ノット (56km/h) のデモンストレーションを行 おこな うまでになった。
世界 せかい で初 はじ めて航 こう 洋 よう 艦 かん から航 こう 洋 よう 艦 かん に対 たい して魚雷 ぎょらい が使用 しよう されたのは1877年 ねん 5月29日 にち 17時 じ 14分 ふん 、イギリス海軍 かいぐん 機 き 帆走 はんそう 巡洋艦 じゅんようかん 「シャー 」からペルー 海軍 かいぐん (反乱 はんらん 軍 ぐん が使用 しよう )砲艦 ほうかん 「ワスカル 」への雷撃 らいげき であるが、これは命中 めいちゅう はしなかった[4] 。
またこの魚雷 ぎょらい は露 ろ 土 ど 戦争 せんそう の戦闘 せんとう で試用 しよう され、1878年 ねん 1月 がつ 16日 にち にオスマン帝国 ていこく 汽船 きせん 「インティバー (Intibah)」は、ロシア帝国 ていこく 海軍 かいぐん の水雷 すいらい 艇 てい が装備 そうび したホワイトヘッド魚雷 ぎょらい によって撃沈 げきちん された[5] [注釈 ちゅうしゃく 2] 。これは史上 しじょう 初 はつ の自 じ 航 こう 式 しき 魚雷 ぎょらい による戦果 せんか であった[6] 。
魚雷 ぎょらい は、大砲 たいほう と比 くら べ小型 こがた な発射 はっしゃ 機 き で運用 うんよう できる上 じょう 、砲弾 ほうだん よりも多 おお くの火薬 かやく を搭載 とうさい して目標 もくひょう にぶつけることができるので、モーターボート のような船 ふね でも大型 おおがた 戦艦 せんかん を撃沈 げきちん する能力 のうりょく をもっていた。そのため魚雷 ぎょらい が実用 じつよう 化 か された1870年代 ねんだい には魚雷 ぎょらい を搭載 とうさい した小型 こがた 艇 てい として水雷 すいらい 艇 てい が開発 かいはつ された。水雷 すいらい 艇 てい は大型 おおがた 艦 かん に肉薄 にくはく し、魚雷 ぎょらい による攻撃 こうげき を行 おこな った。水雷 すいらい 艇 てい を駆逐 くちく し大型 おおがた 艦 かん を守 まも るために駆逐 くちく 艦 かん (水雷 すいらい 艇 てい 駆逐 くちく 艦 かん )が開発 かいはつ されたが、魚雷 ぎょらい が駆逐 くちく 艦 かん の主 しゅ 兵 へい 装 そう の一 ひと つだったため、駆逐 くちく 艦 かん が水雷 すいらい 艇 てい の役割 やくわり も果 は たすようになった。日本 にっぽん では、水雷 すいらい 艇 てい が、より大型 おおがた 化 か し外洋 がいよう 航行 こうこう 能力 のうりょく を獲得 かくとく した駆逐 くちく 艦 かん と、沿岸 えんがん 海域 かいいき での運用 うんよう に特 とく 化 か し小型 こがた 化 か ・高速 こうそく 化 か を追求 ついきゅう した魚雷 ぎょらい 艇 てい に分化 ぶんか したと捉 とら えられている。さらに潜水 せんすい 艦 かん による水中 すいちゅう からの魚雷 ぎょらい 攻撃 こうげき や航空機 こうくうき から投下 とうか される魚雷 ぎょらい (航空 こうくう 魚雷 ぎょらい )も第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう から実戦 じっせん 使用 しよう が開始 かいし され、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう には対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき 手段 しゅだん として広 ひろ く用 もち いられるようになった。
第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう の魚雷 ぎょらい は、日本 にっぽん 軍 ぐん の酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい のように二 に 重 じゅう 反転 はんてん スクリュー で推進 すいしん されるものが多 おお い。回転 かいてん 軸 じく が同 おな じで前後 ぜんご に重 かさ なった二 ふた つのスクリューが逆 ぎゃく 方向 ほうこう に回転 かいてん してトルク を打 う ち消 け すことにより、本体 ほんたい の回転 かいてん による推進 すいしん 力 りょく の低下 ていか を防 ふせ いで効率 こうりつ よく前進 ぜんしん する方式 ほうしき である。
遊 ゆう 就館 に展示 てんじ されている回天 かいてん 一 いち 型 がた
大和 やまと ミュージアム に展示 てんじ されている九 きゅう 五 ご 式 しき 魚雷 ぎょらい
日 にち 清 しん 戦争 せんそう での水雷 すいらい 艇 てい による威海衛 いかいえい 夜襲 やしゅう の戦果 せんか と、日 にち 露 ろ 戦争 せんそう の日本海 にほんかい 海戦 かいせん 夜戦 やせん における水雷 すいらい 艇 てい と駆逐 くちく 艦 かん の活躍 かつやく により、日本 にっぽん 海軍 かいぐん は魚雷 ぎょらい の有用 ゆうよう 性 せい に注目 ちゅうもく して高性能 こうせいのう な魚雷 ぎょらい の開発 かいはつ に力 ちから を注 そそ いだ。
1933年 ねん (昭和 しょうわ 8年 ねん )に日本 にっぽん 海軍 かいぐん は酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい を開発 かいはつ ・実用 じつよう 化 か し、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん において使用 しよう していた。レーダー が一般 いっぱん 化 か するまで日本 にっぽん 海軍 かいぐん は夜戦 やせん を得意 とくい としており、水雷 すいらい 戦隊 せんたい によって敵 てき に大 おお きな損害 そんがい を与 あた え続 つづ けた。アメリカ海軍 かいぐん の重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん が魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を廃止 はいし していたのに対 たい し、日本 にっぽん 海軍 かいぐん の重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん は多数 たすう の魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん を装備 そうび していたことにも、日本 にっぽん 海軍 かいぐん の雷撃 らいげき 戦 せん 重視 じゅうし がうかがえる。大戦 たいせん 中 ちゅう に日本 にっぽん 軍 ぐん が使用 しよう した酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい は、米 べい 軍 ぐん の魚雷 ぎょらい に比 くら べて炸薬 さくやく 量 りょう 、射程 しゃてい の点 てん で優位 ゆうい にあった。また航跡 こうせき がほとんど発生 はっせい しないので、夜間 やかん はもちろん昼間 ひるま であっても視認 しにん が困難 こんなん であったという。戦後 せんご に「long lance(長 ちょう 槍 やり )」と呼 よ ばれた。
高速 こうそく の航空機 こうくうき からでも投下 とうか できる本格 ほんかく 的 てき な航空 こうくう 魚雷 ぎょらい を世界 せかい に先駆 さきが けて実現 じつげん したのは、日本 にっぽん 海軍 かいぐん の九 きゅう 一式 いっしき 魚雷 ぎょらい だった。この魚雷 ぎょらい は2点 てん の特徴 とくちょう をもっていた。
1936年 ねん から、木製 もくせい 空中 くうちゅう 姿勢 しせい 安定 あんてい 板 ばん の「框 かまち 板 ばん 」を尾 お 部 ぶ に装着 そうちゃく した(九 きゅう 一式 いっしき 航空 こうくう 魚雷 ぎょらい 改 あらため 1)。
1941年 ねん から、ローリング を安定 あんてい 制御 せいぎょ する角 かく 加速度 かそくど 制御 せいぎょ 安定 あんてい 器 き を備 そな えた(九 きゅう 一式 いっしき 航空 こうくう 魚雷 ぎょらい 改 あらため 2)。この安定 あんてい 器 き は航空 こうくう 魚雷 ぎょらい にとって最大 さいだい のブレークスルーだった。
これらによって、九 きゅう 一式 いっしき 魚雷 ぎょらい は高度 こうど 20m 、速度 そくど 333km/h でも、海底 かいてい の浅 あさ い港湾 こうわん で魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ できるようになっただけでなく、波立 なみだ つ海 うみ でも発射 はっしゃ できるようになった。1941年 ねん 12月8日 にち の真珠湾 しんじゅわん 攻撃 こうげき で、第 だい 一 いち 波 は の九 きゅう 七 なな 式 しき 艦上 かんじょう 攻撃 こうげき 機 き 40機 き は、15発 はつ 以上 いじょう の九 きゅう 一式 いっしき 魚雷 ぎょらい を命中 めいちゅう させたと報告 ほうこく している。歴史 れきし 的 てき に、航空 こうくう 魚雷 ぎょらい は巡航 じゅんこう ミサイル の前身 ぜんしん といえる[7] [8] 。
日本 にっぽん 海軍 かいぐん の攻撃 こうげき 機 き では、飛行場 ひこうじょう など敵 てき の基地 きち の攻撃 こうげき には大型 おおがた 爆 ばく 弾 だん を、敵艦 てきかん 隊 たい の攻撃 こうげき には主 おも に魚雷 ぎょらい を利用 りよう していた。ミッドウェー海戦 かいせん では、南雲 なぐも 艦隊 かんたい の空母 くうぼ が攻撃 こうげき 機 き に敵 てき 基地 きち 攻撃 こうげき 用 よう の爆 ばく 弾 だん を搭載 とうさい していた途中 とちゅう で敵 てき 艦隊 かんたい を発見 はっけん し、魚雷 ぎょらい に積 つ み替 か えているところを敵 てき 機 き に襲 おそ われて格納庫 かくのうこ 内 ない の爆 ばく 弾 だん と魚雷 ぎょらい が誘爆 ゆうばく した[注釈 ちゅうしゃく 3] 。これによって日本 にっぽん 海軍 かいぐん は空母 くうぼ 4隻 せき を失 うしな い、戦局 せんきょく が逆転 ぎゃくてん するきっかけとなった。なお、この時 とき に命中 めいちゅう したのは爆 ばく 弾 だん だけであり、魚雷 ぎょらい の命中 めいちゅう は1発 はつ もない。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 末期 まっき には、大型 おおがた 魚雷 ぎょらい に操縦 そうじゅう 席 せき を設 もう けて人間 にんげん が誘導 ゆうどう し、敵艦 てきかん 船 せん に搭乗 とうじょう 員 いん ごと体当 たいあ たり攻撃 こうげき する人間 にんげん 魚雷 ぎょらい 「回天 かいてん 」という特攻 とっこう 兵器 へいき も開発 かいはつ された。イタリア でも人間 にんげん が搭乗 とうじょう する魚雷 ぎょらい が作 つく られたが、こちらは弾頭 だんとう を目標 もくひょう とする艦 かん の底 そこ に設置 せっち した後 のち に搭乗 とうじょう 者 しゃ が脱出 だっしゅつ するという運用 うんよう 法 ほう であり、人間 にんげん 魚雷 ぎょらい の名前 なまえ はついていても戦死 せんし を前提 ぜんてい とする特攻 とっこう 兵器 へいき ではない。
なお、試験 しけん 的 てき に装甲 そうこう の少 すく ない艦 かん 底 そこ で爆発 ばくはつ するように、凧 たこ 揚 あ げのように浮 うわ きを引 ひ っ張 ぱ り、浮 うわ きが敵艦 てきかん の側面 そくめん に接触 せっしょく した時 とき に艦 かん 底 そこ の下 した で起爆 きばく する構造 こうぞう の魚雷 ぎょらい も考案 こうあん された。機関 きかん として電気 でんき モーターしか使用 しよう できず、速度 そくど が30ノットに制限 せいげん され、射程 しゃてい も短 みじか かったので、実戦 じっせん では試験 しけん 的 てき に使用 しよう されただけであったが、戦果 せんか はあげている。
アメリカ海軍 かいぐん が第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ に使用 しよう したMk13 、Mk14 、Mk15 魚雷 ぎょらい は当初 とうしょ 性能 せいのう が悪 わる く、命中 めいちゅう しても爆発 ばくはつ しないことがたびたびあった。海軍 かいぐん に徴用 ちょうよう された捕鯨 ほげい 母船 ぼせん 「第 だい 三 さん 図 ず 南丸 みなみまる 」は、1943年 ねん 7月 がつ 24日 にち に米 べい 潜水 せんすい 艦 かん 「ティノサ 」から12発 はつ の雷撃 らいげき を受 う けたが、うち10発 はつ が不発 ふはつ であり、船体 せんたい 両 りょう 舷 ふなばた に不発 ふはつ 魚雷 ぎょらい 10発 はつ が突 つ き刺 さ さったままトラック島 とう に曳航 えいこう されてきた。その魚雷 ぎょらい が突 つ き刺 さ さった様 よう がかんざしを髪 かみ に差 さ した花魁 おいらん (おいらん)のようだったことから「花魁 おいらん 船 せん 」と言 い われた。また、潜水 せんすい 艦 かん 「タリビー 」「タング 」のように舵 かじ の故障 こしょう により発射 はっしゃ した魚雷 ぎょらい が潜水 せんすい 艦 かん 自身 じしん に命中 めいちゅう して沈没 ちんぼつ するという悲劇 ひげき も生 しょう じた。しかし、大戦 たいせん 末期 まっき になるとアメリカ軍 ぐん はこれらの欠点 けってん を克服 こくふく したうえ、TNT火薬 かやく の1.6倍 ばい の破壊 はかい 力 りょく をもつHBX爆薬 ばくやく による魚雷 ぎょらい を用 もち いるようになり、日本 にっぽん の船舶 せんぱく に大 おお きな被害 ひがい を与 あた えた。
こうした通商 つうしょう 破壊 はかい 以外 いがい に、アメリカ海軍 かいぐん はトラック島 とう 空襲 くうしゅう 、レイテ沖 おき 海戦 かいせん 、坊ノ岬 ぼうのみさき 沖 おき 海戦 かいせん などで雷撃 らいげき を行 おこな い、多数 たすう の日本 にっぽん 艦艇 かんてい ・船舶 せんぱく を撃沈 げきちん した。
Mk24機雷 きらい など音響 おんきょう 誘導 ゆうどう 式 しき の魚雷 ぎょらい も実用 じつよう 化 か された。また電波 でんぱ を使用 しよう する誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい も開発 かいはつ されたが、ナチスの妨害 ぼうがい 電波 でんぱ により命中 めいちゅう 率 りつ は低 ひく かった。
魚雷 ぎょらい は砲弾 ほうだん や後 のち に登場 とうじょう する対 たい 艦 かん ミサイル に比 くら べて推進 すいしん 速度 そくど が遅 おそ く、無 む 誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい を遠距離 えんきょり から発射 はっしゃ すると命中 めいちゅう 確 かく 率 りつ が著 いちじる しく下 さ がるため、可能 かのう な限 かぎ り近距離 きんきょり から発射 はっしゃ する必要 ひつよう があった。しかし、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に登場 とうじょう したレーダー により艦船 かんせん や航空機 こうくうき を遠距離 えんきょり から発見 はっけん することが容易 ようい になり、艦艇 かんてい の防空 ぼうくう 火力 かりょく と対 たい 水上 すいじょう 砲撃 ほうげき 精度 せいど が向上 こうじょう した。これらの進歩 しんぽ は隠 かく れる遮蔽 しゃへい 物 ぶつ がない外洋 がいよう において雷撃 らいげき 機 き や水雷 すいらい 艇 てい 、駆逐 くちく 艦 かん の魚雷 ぎょらい の実用 じつよう 発射 はっしゃ 距離 きょり 内 ない への接近 せっきん を困難 こんなん なものとし、雷撃 らいげき 機 き と水雷 すいらい 艇 てい の消滅 しょうめつ および駆逐 くちく 艦 かん における対 たい 水上 すいじょう 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう の重 じゅう 魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん の撤去 てっきょ につながった。さらに魚雷 ぎょらい より高速 こうそく ・長 ちょう 射程 しゃてい の対 たい 艦 かん ミサイルの実用 じつよう 化 か により、沿岸 えんがん 地域 ちいき での運用 うんよう を前提 ぜんてい とする魚雷 ぎょらい 艇 てい もミサイル艇 てい に取 と って代 か わられ、水上 みずかみ 艦艇 かんてい の対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき 手段 しゅだん としてはほとんど用 もち いられなくなった。現在 げんざい では魚雷 ぎょらい を主 おも 兵 へい 装 そう とするのは潜水 せんすい 艦 かん のみであり、水上 すいじょう 艦 かん や航空機 こうくうき に搭載 とうさい される魚雷 ぎょらい は対 たい 潜水 せんすい 艦 かん 用 よう の誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい が主流 しゅりゅう を占 し めている。
フォークランド紛争 ふんそう で1982年 ねん 5月 がつ 2日 にち にイギリス海軍 かいぐん の原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 「コンカラー 」がアルゼンチン海軍 かいぐん の巡洋艦 じゅんようかん 「ヘネラル・ベルグラノ 」をマーク8魚雷 ぎょらい で撃沈 げきちん した。これは2018年 ねん 時点 じてん において原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん から発射 はっしゃ された魚雷 ぎょらい によって撃沈 げきちん した唯一 ゆいいつ の例 れい である。この時 とき に使用 しよう されたマーク8魚雷 ぎょらい は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ に開発 かいはつ された魚雷 ぎょらい で、ホーミング装置 そうち が装備 そうび されていなかった[9] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、実戦 じっせん で魚雷 ぎょらい が使用 しよう されたのは、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう でのダム攻撃 こうげき 、ベトナム戦争 せんそう でのトンキン湾 わん 事件 じけん 、そして上記 じょうき のフォークランド紛争 ふんそう のみである[9] 。
フランス潜水 せんすい 艦 かん アルゴノート の魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん 。魚雷 ぎょらい を装填 そうてん する途中 とちゅう の状態 じょうたい で展示 てんじ されている
現代 げんだい の魚雷 ぎょらい は目的 もくてき により大 おお きく2種類 しゅるい に分類 ぶんるい される。一 ひと つは主 しゅ として対 たい 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう の大型 おおがた ・長 ちょう 射程 しゃてい の魚雷 ぎょらい であり、長 ちょう 魚雷 ぎょらい (重 じゅう 魚雷 ぎょらい )と呼 よ ばれる。もう一 ひと つは対 たい 潜水 せんすい 艦 かん 攻撃 こうげき 用 よう の小型 こがた ・短 たん 射程 しゃてい の魚雷 ぎょらい であり、短 たん 魚雷 ぎょらい (軽 けい 魚雷 ぎょらい )と呼 よ ばれる。対 たい 艦 かん ミサイルの発達 はったつ により長 ちょう 魚雷 ぎょらい は数 かず を減 へ らしており、潜水艦 せんすいかん 搭載 とうさい 用 よう の一部 いちぶ を除 のぞ き水上 すいじょう 艦 かん 用 よう のものはすでに用 もち いられていない。短 たん 魚雷 ぎょらい が現代 げんだい の魚雷 ぎょらい の主流 しゅりゅう であり、水上 すいじょう 艦 かん ・航空機 こうくうき などに搭載 とうさい される。短 たん 魚雷 ぎょらい は誘導 ゆうどう 兵器 へいき であり、誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい を指 さ して短 たん 魚雷 ぎょらい と呼 よ ぶ場合 ばあい もある。
魚雷 ぎょらい の直径 ちょっけい は、内部 ないぶ 容積 ようせき の大 おお きさに直結 ちょっけつ し射程 しゃてい や炸薬 さくやく 重量 じゅうりょう に影響 えいきょう があるので、砲 ほう の口径 こうけい 同様 どうよう に重要 じゅうよう である。魚雷 ぎょらい の直径 ちょっけい は砲 ほう ほどではないが魚雷 ぎょらい のクラス分 わ けにも用 もち いられる。全長 ぜんちょう 、重量 じゅうりょう 、その他 た の要素 ようそ は相互 そうご に影響 えいきょう される。航空機 こうくうき 発射 はっしゃ 型 がた 魚雷 ぎょらい の場合 ばあい 重量 じゅうりょう が重要 じゅうよう であり、装着 そうちゃく 点 てん や発射 はっしゃ 速度 そくど に影響 えいきょう がある。近年 きんねん の魚雷 ぎょらい 設計 せっけい において補助 ほじょ 魚雷 ぎょらい は盛 さか んに開発 かいはつ されていて、通常 つうじょう は集合 しゅうごう 型 がた パッケージが使用 しよう される。飛行機 ひこうき と発射 はっしゃ 装置 そうち のバージョンによって異 こと なるものになる。形状 けいじょう は標準 ひょうじゅん 化 か と扱 あつか いやすさと運搬 うんぱん に主眼 しゅがん が置 お かれ、兵器 へいき 体系 たいけい の効率 こうりつ 化 か が図 はか られる。運搬 うんぱん の効率 こうりつ 化 か が実行 じっこう されると運用 うんよう 上 じょう 有利 ゆうり になる。
いくつかの一般 いっぱん 的 てき な魚雷 ぎょらい の直径 ちょっけい は以下 いか のとおりである。:
324 mm (12.75 インチ )は最 もっと も一般 いっぱん 的 てき な短 たん 魚雷 ぎょらい である。
406 mm (16 インチ)はソビエト連邦 れんぽう の初期 しょき のASW 魚雷 ぎょらい に使用 しよう された。エコー級 きゅう と初期 しょき のデルタ級 きゅう 潜水 せんすい 艦 かん に搭載 とうさい 、21インチ魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん に付加 ふか された。
450 mm (17.7 インチ)は旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん において標準 ひょうじゅん だったほか、第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう のイタリア海軍 かいぐん でも使用 しよう された。また、雷撃 らいげき 機 き で使用 しよう された。ときどき、18インチと換 かわ 装 そう された。
483 mm (19 インチ)は最初 さいしょ にアメリカ海軍 かいぐん の誘導 ゆうどう 魚雷 ぎょらい であるMark 24 FIDO 魚雷 ぎょらい (en:Mark 24 Mine )で採用 さいよう されたほか、Mk.27魚雷 ぎょらい (英語 えいご 版 ばん ) やMk.32魚雷 ぎょらい 、Mk.37魚雷 ぎょらい でも用 もち いられたが、現在 げんざい ではすべて退役 たいえき している。
533 mm (21 インチ)は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん における重 じゅう 魚雷 ぎょらい の標準 ひょうじゅん 的 てき なサイズであった。以下 いか のものが含 ふく まれる:
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ の魚雷 ぎょらい
旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん の潜水 せんすい 艦 かん
ドイツ海軍 かいぐん の魚雷 ぎょらい (G7a / G7e )
NATO の魚雷 ぎょらい
いくつかのソ連 それん とロシアの魚雷 ぎょらい 、ASW型 がた も含 ふく む。
550 mm (22 インチ)は、フランス海軍 かいぐん で使用 しよう される規格 きかく である。
610 mm (24 インチ)九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい (酸素 さんそ 魚雷 ぎょらい )は旧 きゅう 日本 にっぽん 海軍 かいぐん の駆逐 くちく 艦 かん と巡洋艦 じゅんようかん で使用 しよう され、人間 にんげん 魚雷 ぎょらい 回天 かいてん の原型 げんけい にもなった。
650 mm (およそ25.6 インチ)はロシア連邦 れんぽう 海軍 かいぐん 最大 さいだい の魚雷 ぎょらい の直径 ちょっけい である。タイプ65魚雷 ぎょらい が代表 だいひょう 的 てき な形式 けいしき である。533mm型 がた が650mm発射 はっしゃ 管 かん に増設 ぞうせつ される。
他 た に直径 ちょっけい の大 おお きな魚雷 ぎょらい としては660 mm (26 インチ)、762 mm (30 インチ)と916 mm (約 やく 36 インチ)があり、複数 ふくすう の原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん に搭載 とうさい される。これらの魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん は大 だい 口径 こうけい なので、スタンダード21型 がた 重 じゅう 魚雷 ぎょらい だけでなく巡航 じゅんこう ミサイル の発射 はっしゃ にも対応 たいおう できる。有人 ゆうじん 特攻 とっこう 魚雷 ぎょらい 回天 かいてん はφ ふぁい 1m級 きゅう (上部 じょうぶ に搭乗 とうじょう ハッチ部 ぶ や潜望鏡 せんぼうきょう などが突 つ き出 だ していた)。更 さら に巨大 きょだい な、ロシアで開発 かいはつ 中 ちゅう の原子力 げんしりょく 推進 すいしん 核 かく 魚雷 ぎょらい (ドローンとも)ポセイドン (原子力 げんしりょく 潜水 せんすい ドローン) (ロシア語 ご 版 ばん ) の外 そと 径 みち は、1.6-2mに達 たっ する とする説 せつ がある。
1944年 ねん 2月 がつ 17日 にち 、トラック諸島 しょとう で魚雷 ぎょらい 攻撃 こうげき を受 う ける日本 にっぽん 軍 ぐん の輸送 ゆそう 船 せん
初期 しょき の魚雷 ぎょらい は制御 せいぎょ 装置 そうち を持 も たなかったので潮流 ちょうりゅう や波 なみ の影響 えいきょう を受 う けやすく、目的 もくてき の方向 ほうこう に真 ま っ直 す ぐ進 すす むことすらままならなかった。航 こう 走 はし 距離 きょり が短 みじか かったこともあるが、命中 めいちゅう させるためにはできる限 かぎ り目標 もくひょう に接近 せっきん して発射 はっしゃ することが要求 ようきゅう された。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の頃 ころ になると、深度 しんど 、速度 そくど 、進路 しんろ の調整 ちょうせい を可能 かのう にする装置 そうち が開発 かいはつ された。これにより命中 めいちゅう 精度 せいど が向上 こうじょう するとともに、標的 ひょうてき に対 たい して放射状 ほうしゃじょう に複数 ふくすう の魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ することや、航行 こうこう する遠距離 えんきょり の艦船 かんせん も攻撃 こうげき 目標 もくひょう とすることなどが可能 かのう になった。
オーストリアの海軍 かいぐん 士官 しかん で技師 ぎし の ルートヴィヒ・オプリー (Ludwig Obry)が1895年 ねん に魚雷 ぎょらい 操舵 そうだ 用 よう のジャイロスコープ装置 そうち (英語 えいご ではObry's Gyroscope、ロシア語 ご ではприбор обри )を考案 こうあん し、魚雷 ぎょらい の精度 せいど を高 たか めた。
深度 しんど 調整 ちょうせい 装置 そうち
常 つね に一定 いってい の深度 しんど を保 たも たせる(深度 しんど が浅 あさ 過 す ぎれば波 なみ の影響 えいきょう を受 う け、深 ふか すぎると敵艦 てきかん の下 した を通 とお り抜 ぬ けてしまうが、後 のち に艦 かん 底 そこ 直下 ちょっか で起爆 きばく させる事 こと を狙 ねら う様 よう にもなった)ための装置 そうち 。また、標的 ひょうてき により大 おお きな被害 ひがい を与 あた えるため、敵艦 てきかん 種 しゅ によって航 こう 走 はし 深度 しんど を変更 へんこう するのに使用 しよう した。
速度 そくど 調整 ちょうせい 装置 そうち
速度 そくど が常 つね に一定 いってい になるように調整 ちょうせい する装置 そうち 。何 なん 秒 びょう で何 なん メートル進 すす むか正確 せいかく に設定 せってい できるようになり、航行 こうこう する標的 ひょうてき に対 たい し、魚雷 ぎょらい の未来 みらい 位置 いち を予測 よそく して発射 はっしゃ することが可能 かのう になった。
自動 じどう 操舵 そうだ 装置 そうち
ジャイロスコープ と連動 れんどう しており、発射 はっしゃ 前 まえ に方位 ほうい を設定 せってい しておくと、魚雷 ぎょらい が外乱 がいらん によって進行 しんこう 方向 ほうこう がずれてもジャイロスコープの示 しめ す方位 ほうい と操舵 そうだ 装置 そうち に設定 せってい した進路 しんろ とのずれを感知 かんち し、設定 せってい した進路 しんろ に戻 もど るよう自動的 じどうてき に舵 かじ を制御 せいぎょ することで直進 ちょくしん ができるようになった。
電子 でんし 工学 こうがく の発達 はったつ により魚雷 ぎょらい に搭載 とうさい 可能 かのう な誘導 ゆうどう 装置 そうち が登場 とうじょう したことで打 う ちっ放 ぱな し能力 のうりょく を備 そな えた魚雷 ぎょらい が登場 とうじょう した。これにより潜航 せんこう 中 ちゅう の潜水 せんすい 艦 かん に対 たい しても魚雷 ぎょらい を命中 めいちゅう させることが可能 かのう になり、それまでの主流 しゅりゅう だった爆雷 ばくらい に替 か わる対 たい 潜 せん 兵器 へいき としても使用 しよう されるようになった。また通信 つうしん 装置 そうち を搭載 とうさい し命中 めいちゅう 以前 いぜん に自爆 じばく させたり、デコイ に惑 まど わされないように軌道 きどう を修正 しゅうせい したりするなど対 たい 艦 かん ミサイル のような使 つか い方 かた も可能 かのう となった。
音波 おんぱ 誘導 ゆうどう
敵艦 てきかん の発 はっ する音 おと を追尾 ついび するパッシブ型 がた と、自 みずか ら発 はっ した音波 おんぱ の反射 はんしゃ で目標 もくひょう を追跡 ついせき するアクティブ型 がた がある。打 う ちっ放 ぱな しが可能 かのう であるがデコイ により欺瞞 ぎまん される可能 かのう 性 せい がある。
有線 ゆうせん 誘導 ゆうどう
後部 こうぶ から通信 つうしん 用 よう ワイヤーを延 の ばして艦船 かんせん から直接 ちょくせつ 操作 そうさ する。命中 めいちゅう 以前 いぜん に自爆 じばく させたり軌道 きどう を修正 しゅうせい したりすることが可能 かのう だが、ワイヤーの長 なが さや発射 はっしゃ 管 かん との角度 かくど に制限 せいげん を受 う ける。電線 でんせん の代 か わりに光 ひかり ファイバー を利用 りよう する例 れい もある。
現代 げんだい では、有線 ゆうせん 誘導 ゆうどう の他 ほか に音波 おんぱ 誘導 ゆうどう などを併用 へいよう したハイブリッド誘導 ゆうどう 方式 ほうしき もある。そのような魚雷 ぎょらい では、途中 とちゅう までを有線 ゆうせん で誘導 ゆうどう して敵艦 てきかん を補足 ほそく 後 ご に誘導 ゆうどう ケーブルを切 き り離 はな し、音波 おんぱ などによる誘導 ゆうどう に切 き り替 か えることが可能 かのう 。射程 しゃてい や機動 きどう を誘導 ゆうどう ケーブルによって制限 せいげん されることはなく、音波 おんぱ 誘導 ゆうどう のみに比 くら べ欺瞞 ぎまん に強 つよ い。
無線 むせん 誘導 ゆうどう
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう にはアメリカ海軍 かいぐん が電波 でんぱ で誘導 ゆうどう する方式 ほうしき を実用 じつよう 化 か したが、ナチスの妨害 ぼうがい 電波 でんぱ により失敗 しっぱい が多 おお かった。対抗 たいこう 策 さく としてヘディ・ラマー とジョージ・アンタイル によりスペクトラム拡散 かくさん 技術 ぎじゅつ が考案 こうあん されたが当時 とうじ は実装 じっそう が難 むずか しく、特許 とっきょ が秘匿 ひとく されたことで主流 しゅりゅう とはならなかった。
魚雷 ぎょらい の弾頭 だんとう には各国 かっこく で魚雷 ぎょらい 用 よう に開発 かいはつ された爆薬 ばくやく が搭載 とうさい されていた。魚雷 ぎょらい や爆雷 ばくらい は、水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ で発生 はっせい するバブルパルス によって目標 もくひょう を破壊 はかい する。このため、空気 くうき 中 ちゅう で使用 しよう する爆薬 ばくやく とは成分 せいぶん が異 こと なるものが使用 しよう されている。信管 しんかん についても、触発 しょくはつ 信管 しんかん のほか、遅延 ちえん 信管 しんかん 、対 たい 水上 すいじょう 艦 かん 向 む けについては磁気 じき 信管 しんかん (直撃 ちょくげき によらず艦船 かんせん の直下 ちょっか で起爆 きばく し、竜骨 りゅうこつ ・船底 ふなそこ を破壊 はかい する)を使用 しよう しているものもある。磁気 じき 信管 しんかん は「艦 かん 底 そこ 起爆 きばく 魚雷 ぎょらい 」として、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう の日本 にっぽん 海軍 かいぐん でも開発 かいはつ され、一部 いちぶ の潜水 せんすい 艦 かん で実戦 じっせん に使用 しよう された。[10]
イギリス
トーペックス
アメリカ
HBX爆薬 ばくやく
PBXN-103
PBXN-111
日本 にっぽん
九 きゅう 七 なな 式 しき 爆薬 ばくやく
ドイツ
SW18: TNT 50%, HMD 24%, アルミ粉 こ 15%
SW36S: TNT 67%, HMD 8%, アルミ粉 こ 25%
SW39: TNT 45%, HMD 5%, 硝酸 しょうさん アンモニウム 30%, アルミ粉 こ 20%
SW39a: TNT 50%, HMD 10%, 硝酸 しょうさん アンモニウム 5%, アルミ粉 こ 35%
米 べい ソ冷戦 れいせん 時代 じだい 、より高速 こうそく で、深 ふか く、静 しず かに航行 こうこう できるようになった潜水 せんすい 艦 かん や優勢 ゆうせい な水上 すいじょう 艦隊 かんたい を確実 かくじつ に撃沈 げきちん できるように、核弾頭 かくだんとう を装備 そうび した核 かく 魚雷 ぎょらい が開発 かいはつ された。アメリカ海軍 かいぐん は「Mk45 」を一時 いちじ 配備 はいび した。キューバ危機 きき では、アメリカ海軍 かいぐん の封鎖 ふうさ 線 せん に阻止 そし されたソビエト連邦 れんぽう 海軍 かいぐん の潜水 せんすい 艦 かん 「B59」が核 かく 魚雷 ぎょらい の発射 はっしゃ 寸前 すんぜん に至 いた った。
初期 しょき の魚雷 ぎょらい は内燃 ないねん 機関 きかん により気泡 きほう (雷 かみなり 跡 あと )が発生 はっせい するため、敵 てき 側 がわ から発見 はっけん され回避 かいひ 行動 こうどう をとられたり、発射 はっしゃ した潜水 せんすい 艦 かん の位置 いち がすぐ特定 とくてい されたりする事 こと も多 おお かった。そのため雷 かみなり 跡 あと を残 のこ さない様々 さまざま な推進 すいしん 方式 ほうしき が考案 こうあん されたが、当然 とうぜん 射程 しゃてい 距離 きょり と雷 かみなり 速 そく と最大 さいだい 対応 たいおう 深度 しんど との兼 か ね合 あ いもあった。
推進 すいしん に内燃 ないねん 機関 きかん をもたない方式 ほうしき の魚雷 ぎょらい 。草創 そうそう 期 き の方式 ほうしき である。
草創 そうそう 期 き に成功 せいこう を収 おさ めた推進 すいしん 方式 ほうしき のひとつに圧縮 あっしゅく 空気 くうき を用 もち いたものが挙 あ げられる。圧縮 あっしゅく 空気 くうき は2.55Mpaに保持 ほじ され、その空気 くうき をピストンエンジンに送 おく って1機 き のスクリューを毎 まい 分 ぶん 100回転 かいてん させた。約 やく 180mを平均 へいきん 速度 そくど 6.5ノット(時速 じそく 12km)で推進 すいしん するものであった。1906年 ねん に Whitehead が製作 せいさく した魚雷 ぎょらい は1000mを推進 すいしん し、平均 へいきん 速度 そくど は35ノット(時速 じそく 64km)に達 たっ する。高 こう 圧 あつ の空気 くうき が膨張 ぼうちょう すると周 まわ りの熱 ねつ を奪 うば い機関 きかん が凍結 とうけつ する問題 もんだい が生 しょう じたが、海水 かいすい を使 つか って暖 あたた めることで解決 かいけつ し、性能 せいのう 向上 こうじょう につながった。
アルコール(最初 さいしょ はエチルアルコール 、後 のち にメチルアルコール )と圧縮 あっしゅく 空気 くうき から蒸気 じょうき を発生 はっせい させて推進 すいしん 力 りょく とする方式 ほうしき 。圧縮 あっしゅく 空気 くうき だけの場合 ばあい と比較 ひかく してスピードは増 ま したが、航跡 こうせき がはっきりしてしまうという欠点 けってん があった。[11] アルコール以外 いがい に、過酸化水素 かさんかすいそ の分解 ぶんかい によって発生 はっせい する蒸気 じょうき を用 もち いるヴァルター機関 きかん を搭載 とうさい する魚雷 ぎょらい も開発 かいはつ されている。
内燃 ないねん 機関 きかん による推進 すいしん を行 おこな う方式 ほうしき の魚雷 ぎょらい 。1904年 ねん 頃 ごろ から開発 かいはつ が始 はじ まった。
燃焼 ねんしょう で発生 はっせい する熱 ねつ を水 みず で冷却 れいきゃく していたが、冷却 れいきゃく の過程 かてい で発生 はっせい した水蒸気 すいじょうき をエンジンに送 おく り込 こ んで推進 すいしん に活用 かつよう する方法 ほうほう が見出 みいだ された。蒸気 じょうき を利用 りよう する魚雷 ぎょらい はウェットヒーター と呼 よ ばれ、蒸気 じょうき を利用 りよう しない形式 けいしき はドライヒーター と呼 よ ばれる。ウェットヒーター式 しき 魚雷 ぎょらい は、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん から第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん にかけて使用 しよう された。
燃料 ねんりょう をエンジンで燃焼 ねんしょう させて推進 すいしん する魚雷 ぎょらい の航続 こうぞく 距離 きょり は、燃料 ねんりょう のほかに酸化 さんか 剤 ざい の搭載 とうさい 量 りょう にも大 おお きく影響 えいきょう される。旧来 きゅうらい の圧縮 あっしゅく 空気 くうき を用 もち いた形式 けいしき では燃焼 ねんしょう に不要 ふよう な窒素 ちっそ などが多 おお く含 ふく まれているため(酸素 さんそ は21%程度 ていど )、純粋 じゅんすい な酸素 さんそ だけを圧縮 あっしゅく し、より多 おお くの酸化 さんか 剤 ざい として搭載 とうさい することが検討 けんとう された。水 みず に溶 と けにくい窒素 ちっそ が燃焼 ねんしょう の後 のち に排出 はいしゅつ されないので航跡 こうせき が見 み えにくくなるという利点 りてん も得 え られるが、燃焼 ねんしょう のコントロールが難 むずか しく爆発 ばくはつ 事故 じこ が相次 あいつ いだために各国 かっこく では実用 じつよう 化 か に手 て を焼 や いていた。1933年 ねん に日本 にっぽん が、最初 さいしょ は空気 くうき で燃焼 ねんしょう を開始 かいし し、徐々 じょじょ に酸素 さんそ に切 き り替 か えるという手法 しゅほう を用 もち いることで開発 かいはつ に成功 せいこう し、世界 せかい に先駆 さきが けて実用 じつよう 化 か した。この時 とき 開発 かいはつ された九 きゅう 三 さん 式 しき 魚雷 ぎょらい (戦後 せんご 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の歴史 れきし 家 か モリソンによって“long lance(長 ちょう 槍 やり )”とあだ名 な された)は36ノットで40kmにもおよぶ最大 さいだい 射程 しゃてい を誇 ほこ った。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ にドイツが最初 さいしょ の電池 でんち 式 しき 魚雷 ぎょらい G7e を開発 かいはつ した。従来 じゅうらい 型 がた の加熱 かねつ 魚雷 ぎょらい G7a よりも射程 しゃてい が短 みじか く速度 そくど も遅 おそ いが、航跡 こうせき がなく安価 あんか であるという利点 りてん があった。ただし、充電 じゅうでん 可能 かのう な鉛 なまり 蓄電池 ちくでんち は衝撃 しょうげき に弱 よわ く、使用 しよう 前 まえ に頻繁 ひんぱん に整備 せいび を要 よう し、さらには最高 さいこう の性能 せいのう を発揮 はっき させるには、あらかじめ適度 てきど に温度 おんど を上 あ げておく必要 ひつよう があった。使 つか い捨 す ての電池 でんち を使用 しよう した実験 じっけん モデル(G7ep)も開発 かいはつ されている。
Mk24 タイガーフィッシュ やDM2のような現在 げんざい の電気 でんき 推進 すいしん 式 しき の魚雷 ぎょらい は、整備 せいび の必要 ひつよう がなく、数 すう 年 ねん 以上 いじょう にわたって保管 ほかん しても性能 せいのう が低下 ていか しない酸化 さんか 銀 ぎん 電池 でんち を使用 しよう している。ほかに、電池 でんち の電解 でんかい 質 しつ に溶融 ようゆう 塩 しお を使用 しよう したものがある。
電気 でんき 、ガスタービン(イギリスのスピアフィッシュ魚雷 ぎょらい )、モノプロペラント などさまざまなものがある。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の最新 さいしん 型 がた 魚雷 ぎょらい の一 ひと つである Mk.50 バラクーダ は、六 ろく フッ化 か 硫黄 いおう とリチウム の化学 かがく 反応 はんのう で発生 はっせい するガスによる閉サイクル・蒸気 じょうき 機関 きかん を用 もち いている。
近年 きんねん の魚雷 ぎょらい には、推進 すいしん 器 き にポンプジェット を採用 さいよう したものも出 で てきており、その速力 そくりょく は60ノット を超 こ える場合 ばあい もある。ロシアのシクヴァル やドイツのバラクーダ は、スーパーキャビテーション によって200ノット(時速 じそく 370km)以上 いじょう の速度 そくど が出 だ せる。一方 いっぽう 、スーパーキャビテーションを用 もち いないMk.46魚雷 ぎょらい の速度 そくど は28ノット(時速 じそく 52km)である。
2018年 ねん 、ロシア連邦 れんぽう のウラジーミル・プーチン 大統領 だいとうりょう は、開発 かいはつ ・配備 はいび を進 すす めていると語 かた った新型 しんがた 核兵器 かくへいき の一 ひと つに、原子力 げんしりょく エンジンで長距離 ちょうきょり を航 こう 走 そう し、海軍 かいぐん 基地 きち や海岸 かいがん 都市 とし 、艦隊 かんたい を核 かく 攻撃 こうげき できる戦略 せんりゃく 魚雷 ぎょらい が含 ふく まれることを明 あき らかにした[12] 。
^ 海洋 かいよう 障害 しょうがい 物 ぶつ の除去 じょきょ などに用 もち いられることはほとんどない
^ Torpedo , p. 171によれば攻撃 こうげき は1月 がつ 25日 にち で、沈 しず められたのは国税庁 こくぜいちょう の汽船 きせん 「Intikbah」
^ 小室 こむろ 直樹 なおき 日下 くさか 公人 きみと 『大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう 、こうすれば勝 か てた』117~118頁 ぺーじ によると、澤地 さわじ 久枝 くし は雷 かみなり 爆 ばく 転 てん 装 そう はなかったことを突 つ き止 と めたという。
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