近代 きんだい 化 か 改装 かいそう 後 ご の本 ほん 級 きゅう のイラスト。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の本 ほん 級 きゅう はカブール級 きゅう と同 おな じく1920年代 ねんだい に2隻 せき とも近代 きんだい 化 か 改装 かいそう が行 おこな われたが、カブール級 きゅう の改良 かいりょう 型 がた である本 ほん 級 きゅう は不具合 ふぐあい は少 すく なく改装 かいそう の程度 ていど は必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど に留 と められた。
しかし、カイオ・ドゥイリオは1925年 ねん 4月 がつ にラ・スペツィア湾 わん にて停泊 ていはく 中 ちゅう に3番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう 内 ない で爆発 ばくはつ 事故 じこ を起 お こした。幸 さいわ い、沈没 ちんぼつ には至 いた らなかった。原因 げんいん は弾薬 だんやく 庫 こ 内 ない の装 そう 薬 やく の自然 しぜん 発火 はっか と推測 すいそく された。一方 いっぽう 、アンドリア・ドーリアは1926年 ねん に国王 こくおう ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 せい の御座 ぎょざ 艦 かん を務 つと めた。1928年 ねん には2隻 せき ともコンテ・ディ・カブールの使用 しよう 実績 じっせき から艦 かん 首 くび 甲板 かんぱん 左舷 さげん 部 ぶ にカタパルトが装備 そうび されて水上 すいじょう 偵察 ていさつ 機 き が運用 うんよう されたが、1932年 ねん に2隻 せき とも予備 よび 艦 かん となった。
このまま行 い けばイタリア海軍 かいぐん の海軍 かいぐん 計画 けいかく により近代 きんだい 的 てき な新 しん 戦艦 せんかん に取 と って代 か わられる筈 はず であった。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国 ていこく 亡 な き後 あと に新 あら たに仮想 かそう 的 てき となった地中海 ちちゅうかい を挟 はさ んだ大国 たいこく フランス のフランス海軍 かいぐん が1931年 ねん に新 しん 戦艦 せんかん ダンケルク級 きゅう 戦艦 せんかん (33cm砲 ほう 8門 もん 、30ノット)の起工 きこう を発表 はっぴょう した事 こと により、にわかに本 ほん 級 きゅう の重要 じゅうよう 性 せい が高 たか まった。
理由 りゆう は、ダンケルク級 きゅう 戦艦 せんかん への対抗 たいこう 艦 かん としてイタリア海軍 かいぐん では新 しん 戦艦 せんかん 「ヴィットリオ・ヴェネト級 きゅう 」(38.1cm砲 ほう 9門 もん 、速力 そくりょく 30ノット)を計画 けいかく していたが、1番 ばん 艦 かん 「ヴィットリオ・ヴェネト 」と「リットリオ 」ら第 だい 一 いち グループの起工 きこう がどう急 いそ いでも1934年 ねん からになり、イタリア海軍 かいぐん の建造 けんぞう ペースでは早 はや くても竣工 しゅんこう は1940年 ねん と計算 けいさん され、ダンケルク級 きゅう の就役 しゅうえき には到底 とうてい 間 ま に合 あ わないためである。そのため、イタリア海軍 かいぐん は窮余 きゅうよ の策 さく として練習 れんしゅう 艦 かん 任務 にんむ にあったコンテ・ディ・カブール級 きゅう に徹底的 てっていてき な近代 きんだい 化 か 改装 かいそう を行 おこな い、ダンケルク級 きゅう の就役 しゅうえき に間 ま に合 あ わせる為 ため 1933年 ねん からドック入 い りさせてしまったのである。そのため、本 ほん 級 きゅう 2隻 せき がカブール級 きゅう の代 か わりに練習 れんしゅう 艦 かん 任務 にんむ に就 つ く事 こと となり、更 さら にはフランス海軍 かいぐん への平時 へいじ の備 そな えとして一線 いっせん 級 きゅう の扱 あつか いを受 う けることとなったのである。
幸 さいわ い、カブール級 きゅう の近代 きんだい 化 か 改装 かいそう 期間 きかん 中 ちゅう に大過 たいか なく、無事 ぶじ にコンテ・ディ・カブールとジュリオ・チェーザレが1937年 ねん に相次 あいつ いで再 さい 就役 しゅうえき した事 こと により本 ほん 級 きゅう の役目 やくめ は終 お わったかに見 み えた。だが、フランス海軍 かいぐん はダンケルク級 きゅう 2番 ばん 艦 かん 「ストラスブール 」をヴェネト級 きゅう 第 だい 一 いち グループと同 おな じく1934年 ねん に起工 きこう させ、増強 ぞうきょう され続 つづ けるドイツ海軍 かいぐん とイタリア海軍 かいぐん への対抗 たいこう として1935年 ねん に「リシュリュー級 きゅう 」(38cm砲 ほう 8門 もん 、30ノット)を1935年 ねん から続々 ぞくぞく と起工 きこう させたのである。この時点 じてん でイタリア海軍 かいぐん は、更 さら なる海軍 かいぐん 増強 ぞうきょう のために本 ほん 級 きゅう 2隻 せき をカブール級 きゅう の近代 きんだい 化 か 改装 かいそう の経験 けいけん と、ヴェネト級 きゅう の設計 せっけい により得 え られた新 しん 技術 ぎじゅつ を投入 とうにゅう してカブール級 きゅう を上回 うわまわ る近代 きんだい 化 か 改装 かいそう を施 ほどこ す決断 けつだん をした。
近代 きんだい 化 か 改装 かいそう 後 ご のアンドレア・ドーリア。
カイオ・ドゥイリオは1937年 ねん 4月 がつ よりC.N.T,社 しゃ ジェノヴァ造船 ぞうせん 所 しょ にて、アンドレア・ドーリアも同年 どうねん 同月 どうげつ にトリエステ造船 ぞうせん 所 しょ にて近代 きんだい 化 か 改修 かいしゅう 工事 こうじ を実施 じっし し、カイオ・ドゥイリオは1940年 ねん 7月 がつ 15日 にち に再 さい 就役 しゅうえき 、アンドレア・ドーリアは三 さん ヶ月 かげつ 遅 おく れの同年 どうねん 10月 がつ 20日 はつか に再 さい 就役 しゅうえき した事 こと で判 わか るように本 ほん 級 きゅう は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん までに間 ま に合 あ わなかったのである。
改装 かいそう 前 まえ の主砲 しゅほう はカブール級 きゅう と同 おな じく既存 きそん の30.5cm砲身 ほうしん のA内 うち 筒 つつ をボーリング して砲 ほう 口径 こうけい を30.5cmから32cmに上 あ げる大 だい 口径 こうけい 化 か を行 おこな った。この方法 ほうほう ならば既存 きそん の砲身 ほうしん を加工 かこう するだけでコストも抑 おさ えられ、改造 かいぞう も砲 ほう 架 か の補強 ほきょう と揚 あげ 弾 だん 機 き の改正 かいせい で済 す むため主砲 しゅほう 塔 とう を新 しん 設計 せっけい するよりは時間 じかん の短縮 たんしゅく となった。
この改造 かいぞう により「1934年 ねん 型 がた 32cm(43.8口径 こうけい )砲 ほう 」へと生 う まれ変 か わり、性能 せいのう 的 てき にも砲弾 ほうだん 重量 じゅうりょう は452 kgから525 kgへと増加 ぞうか し、威力 いりょく 増加 ぞうか が見込 みこ まれた。同時 どうじ に第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ の戦 せん 訓 くん により射程 しゃてい を延 の ばす為 ため に仰角 ぎょうかく の引 ひ き上 あ げが行 おこな われたがカブール級 きゅう の最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 27度 ど に対 たい し本 ほん 級 きゅう は30度 ど へと更 さら に引 ひ き上 あ げられた。これにより射程 しゃてい はカブール級 きゅう の28,600mから29,400mへと延伸 えんしん され、砲弾 ほうだん 重量 じゅうりょう の増加 ぞうか により敵艦 てきかん の水平 すいへい 防御 ぼうぎょ への貫通 かんつう 能力 のうりょく も増加 ぞうか する見込 みこ みであった。
しかし、この改造 かいぞう の代償 だいしょう として口径 こうけい は46口径 こうけい から43.8口径 こうけい にダウン、砲身 ほうしん を削 けず って薄 うす くなった事 こと により命数 めいすう は減少 げんしょう し散布 さんぷ 界 かい は広 ひろ がった。しかし、発射 はっしゃ 速度 そくど は砲弾 ほうだん の重量 じゅうりょう 化 か にもかかわらず改装 かいそう 前 まえ と同 おな じく毎 まい 分 ぶん 2発 はつ を維持 いじ した。俯仰 ふぎょう 能力 のうりょく は最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 30度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど で、旋回 せんかい 角度 かくど は改造 かいぞう 前 まえ の150度 ど から左右 さゆう 120度 ど へと減少 げんしょう した。
大 おお きく変 か わったのは主砲 しゅほう 塔 とう 数 すう で後述 こうじゅつ する機関 きかん の強化 きょうか に伴 ともな い、船体 せんたい 中央 ちゅうおう 部 ぶ の3番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう を撤去 てっきょ して4基 き となった。これにより門 もん 数 すう は13門 もん から10門 もん へと減少 げんしょう 、従 したが って斉射 せいしゃ 時 じ の投射 とうしゃ 弾 だん 量 りょう は改装 かいそう 前 まえ の5.876トン(452kg×13)から5.25トン(525kg×10)へと減少 げんしょう している。砲弾 ほうだん 1発 はつ 当 あ たりの威力 いりょく は増加 ぞうか しており一長一短 いっちょういったん である。しかしながら撤去 てっきょ した3番 ばん 砲塔 ほうとう は射 い 角 かく が非常 ひじょう に小 ちい さく、13門 もん を斉射 せいしゃ できるシチュエーションは限定 げんてい される。その事 こと を考 かんが えるに総合 そうごう 的 てき な火力 かりょく はむしろ向上 こうじょう したとも言 い える。
副 ふく 砲 ほう をケースメイト配置 はいち から砲塔 ほうとう 形式 けいしき に変更 へんこう したのはカブール級 きゅう と同 おな じであるが、口径 こうけい は改装 かいそう 前 まえ は15.2cm砲 ほう であったのが、改装 かいそう 後 ご は新 しん 設計 せっけい の「1935年 ねん 型 がた 13.5cm(45口径 こうけい )速射 そくしゃ 砲 ほう 」を採用 さいよう した。改装 かいそう 前 まえ に比 くら べて口径 こうけい が小 ちい さくなったのは奇異 きい に感 かん じられるが、イタリア火砲 かほう 製造 せいぞう 技術 ぎじゅつ の発達 はったつ により小 ちい さい口径 こうけい で前 ぜん 大戦 たいせん 時 じ の15.2cm砲 ほう を上回 うわまわ る性能 せいのう が得 え られたためである。その性能 せいのう は重量 じゅうりょう 32.7kgの砲弾 ほうだん を仰角 ぎょうかく 45度 ど で射距離 しゃきょり 19,600mまで届 とど かせることができ、発射 はっしゃ 速度 そくど は毎 まい 分 ぶん 6~7発 はつ 、俯仰 ふぎょう 能力 のうりょく は最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 45度 ど ・俯角 ふかく 5度 ど で、旋回 せんかい 角度 かくど は240度 ど であった。この砲 ほう を新 しん 設計 せっけい の箱 はこ 型 がた 砲塔 ほうとう に納 おさ めた。
カブール級 きゅう の砲塔 ほうとう は連装 れんそう 式 しき で、2門 もん を同一 どういつ 砲 ほう 架 か に接続 せつぞく された事 こと により散布 さんぷ 界 かい の問題 もんだい があったが、本 ほん 級 きゅう ではヴェネト級 きゅう と同 おな じく三 さん 連装 れんそう 砲塔 ほうとう となり、しかも3門 もん の砲身 ほうしん が独立 どくりつ の砲 ほう 架 か に接続 せつぞく され別個 べっこ に俯仰 ふぎょう ・発射 はっしゃ できた。しかし、ヴェネト級 きゅう では艦橋 かんきょう と後 こう 檣の両 りょう 脇 わき の四 よん 箇所 かしょ に配 はい していたが、本 ほん 級 きゅう では前部 ぜんぶ 艦橋 かんきょう の両 りょう 脇 わき に前向 まえむ きに背負 せお い式 しき で2基 き が配置 はいち された。
これは、火力 かりょく 的 てき にダンケルク級 きゅう の前方 ぜんぽう 火力 かりょく 8門 もん に対 たい し本 ほん 級 きゅう は前方 ぜんぽう 火力 かりょく 5門 もん と劣 おと っており、それを補 おぎな うために敢 あ えて前方 ぜんぽう 方向 ほうこう に集中 しゅうちゅう 配置 はいち したと見 み られる。この配置 はいち 方式 ほうしき により艦 かん 首 くび 方向 ほうこう に最大 さいだい 12門 もん という強火 つよび 力 りょく を指向 しこう でき、左右 さゆう 方向 ほうこう には最大 さいだい 6門 もん 、更 さら に背負 せお い式 しき 配置 はいち を採用 さいよう した事 こと により後部 こうぶ に位置 いち する高角 こうかく 砲 ほう 群 ぐん を干渉 かんしょう する事 こと 無 な く艦 かん 尾 お 方向 ほうこう にヴェネト級 きゅう と同 おな じく最大 さいだい 6門 もん を指向 しこう 出来 でき た。
高角 こうかく 砲 ほう ではカブール級 きゅう においては平射 へいしゃ 砲 ほう を改造 かいぞう しただけの「OTO 1930年 ねん 型 がた 10cm(47口径 こうけい )高角 こうかく 砲 ほう 」であり、用兵 ようへい 側 がわ にて問題 もんだい とされていたが、本 ほん 級 きゅう ではヴェネト級 きゅう 向 む けに開発 かいはつ された全 まった くの新 しん 設計 せっけい である「1939年 ねん 型 がた 9cm(50口径 こうけい )高角 こうかく 砲 ほう 」を搭載 とうさい することができた。その性能 せいのう は重量 じゅうりょう 10kgの砲弾 ほうだん を仰角 ぎょうかく 45度 ど で射距離 しゃきょり 13,000m、最大 さいだい 仰角 ぎょうかく 75度 ど で高度 こうど 10,800mまで届 とど かせることが出来 でき た。発射 はっしゃ 速度 そくど は毎 まい 分 ぶん 12発 はつ と速 はや く、俯仰 ふぎょう 能力 のうりょく は仰角 ぎょうかく 75度 ど ・俯角 ふかく 3度 ど で、旋回 せんかい 角度 かくど は左右 さゆう 120度 ど であった。主砲 しゅほう ・副 ふく 砲 ほう の斉射 せいしゃ 時 じ の爆風 ばくふう を避 さ けるため、装甲 そうこう を施 ほどこ されたシールドが砲 ほう 架 か に被 かぶ せられた。
また、カブール級 きゅう において問題 もんだい 視 し されていた高角 こうかく 砲 ほう の射 い 界 かい 不足 ふそく は、前述 ぜんじゅつ の通 とお り副 ふく 砲塔 ほうとう 配置 はいち の変化 へんか により大幅 おおはば に改善 かいぜん され、高角 こうかく 砲 ほう 配置 はいち は船体 せんたい 中央 ちゅうおう 部 ぶ に直列 ちょくれつ で単 たん 装 そう 砲 ほう 架 か で片 かた 舷 ふなばた 5基 き の計 けい 10基 き 10門 もん が配置 はいち された。この配置 はいち により煙突 えんとつ 以外 いがい 、遮 さえぎ る物 もの の無 な い箇所 かしょ に置 お かれた高角 こうかく 砲 ほう 群 ぐん は広 ひろ い射 い 界 かい を得 え られた。なお、高角 こうかく 砲 ほう の射撃 しゃげき 式 しき 装置 そうち は2本 ほん 煙突 えんとつ の間 あいだ に、両 りょう 舷側 げんそく の見晴 みは らしの良 よ い場所 ばしょ に設置 せっち され、これと連動 れんどう する航空機 こうくうき 追尾 ついび 装置 そうち も艦橋 かんきょう 後部 こうぶ の両 りょう 舷 ふなばた に設置 せっち された。
また、高角 こうかく 砲 ほう を補助 ほじょ するためにブレダ社 しゃ 製 せい 「37mm(54口径 こうけい )機関 きかん 砲 ほう 」を連装 れんそう 砲 ほう 架 か で搭載 とうさい するのは同 おな じだがカブール級 きゅう の6基 き から15基 き へと搭載 とうさい 数 すう は1.5倍 ばい に増 ふ やされた。また、カブール級 きゅう では13.2mm機銃 きじゅう であったのを本 ほん 級 きゅう は改装 かいそう 時 じ から「1935年 ねん 型 がた 20mm(60口径 こうけい )機関 きかん 砲 ほう 」を採用 さいよう しており、連装 れんそう 砲 ほう 架 か で8基 き 16門 もん へと装備 そうび した。
船体 せんたい 防御 ぼうぎょ では舷側 げんそく 装甲 そうこう 250mm等 とう は変化 へんか していないが、船首 せんしゅ 楼 ろう 甲板 かんぱん が延長 えんちょう されたのに伴 ともな い、最上 もがみ 甲板 かんぱん から水線 すいせん 部 ぶ まで舷側 げんそく が面 めん 一 いち となっている。舷側 げんそく 装甲 そうこう は最上 さいじょう 甲板 かんぱん から120mm、第 だい 一 いち 甲板 かんぱん から150mm、水線 すいせん 部 ぶ 装甲 そうこう は上端 じょうたん が220mmで水線 すいせん 部 ぶ が250mmで水面 すいめん 下部 かぶ が170mmである。水平 すいへい 防御 ぼうぎょ は最上 さいじょう 甲板 かんぱん が30mm、第 だい 一 いち 甲板 かんぱん が15mm、主 しゅ 甲板 かんぱん が80mmで合計 ごうけい 135mmであった。なお、主 しゅ 甲板 かんぱん の舷側 げんそく と接触 せっしょく する傾斜 けいしゃ 部 ぶ が40mmである。
対 たい 水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ はカブール級 きゅう と同 おな じく「プリエーゼ式 しき 水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 」が採用 さいよう された。前後 ぜんご の主砲 しゅほう 塔 とう 間 あいだ に舷側 げんそく 装甲 そうこう 下端 かたん から、内側 うちがわ に大 おお きく弧 こ を描 えが いて厚 あつ さ40mmの水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ 隔壁 かくへき が配置 はいち されており、舷側 げんそく 外 がい 板 いた と合 あ わせて円筒 えんとう 状 じょう の空間 くうかん を形成 けいせい している。その中央 ちゅうおう には、水密 すいみつ された直径 ちょっけい 3.4mの中空 なかぞら の円筒 えんとう が保持 ほじ されており、全体 ぜんたい としては二 に 重 じゅう 円筒 えんとう 状 じょう の構造 こうぞう となっている。外 そと 筒 とう と内 うち 筒 とう の間 あいだ は液体 えきたい (重油 じゅうゆ 等 とう )が充填 じゅうてん されており、水中 すいちゅう 爆発 ばくはつ に対 たい しては中央 ちゅうおう の内 うち 筒 つつ が圧 あつ 壊 こわ することで爆 ばく 圧 あつ を吸収 きゅうしゅう し、また爆発 ばくはつ の断片 だんぺん を受 う け止 と める構造 こうぞう となっていた。
かえってダメージを増大 ぞうだい してしまうとも言 い われるプリエーゼ式 しき 水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ であるが、本 ほん 級 きゅう はプリエーゼ部 ぶ に被 ひ 雷 かみなり したことがないため、本 ほん 級 きゅう をもってその是非 ぜひ を判断 はんだん することは適当 てきとう ではない[ 1] 。
新 しん 戦艦 せんかん に対抗 たいこう できる高速 こうそく 力 りょく を得 え るため、3番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう と弾薬 だんやく 庫 こ を撤去 てっきょ し機関 きかん 区 く を増加 ぞうか させた。しかし、前述 ぜんじゅつ のプリエーゼ式 しき 水雷 すいらい 防御 ぼうぎょ を細 ほそ い船体 せんたい に収 おさ めたために、機関 きかん 区 く は前後 ぜんご に細長 ほそなが い形状 けいじょう となり、さらに、新設 しんせつ された中央 ちゅうおう 部 ぶ 隔壁 かくへき で機関 きかん 区画 くかく は左右 さゆう に分断 ぶんだん され、各々 おのおの 5区画 くかく に分 わ かたれた。そのため、ボイラーとタービンの配置 はいち が大 おお きく改正 かいせい された。
その配置 はいち 方式 ほうしき は、左舷 さげん 側 がわ が艦 かん 首 くび 側 がわ に低圧 ていあつ タービン2基 き と高圧 こうあつ タービン1基 き を減速 げんそく ギアで接続 せつぞく したものを1組 くみ とするギヤード・タービン1基 き の背後 はいご にボイラーを各 かく 区画 くかく ごとに1基 き ずつ計 けい 4基 き 、右舷 うげん 側 がわ は180度 ど 回転 かいてん して艦 かん 首 くび からボイラー4基 き と艦 かん 尾 お 側 がわ にギヤード・タービン1基 き を配置 はいち し2軸 じく のスクリュー軸 じく を駆動 くどう し推進 すいしん する。そのため、軸 じく 数 すう は改装 かいそう 前 まえ の4軸 じく から2軸 じく へと減少 げんしょう したが、イタリア海軍 かいぐん では既 すで に重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん ザラ級 きゅう で大 だい 馬力 ばりき 機関 きかん を少 すく ない軸 じく 数 すう で推進 すいしん する方式 ほうしき を確立 かくりつ しており、本 ほん 級 きゅう でもそれを踏 ふ まえたものと見 み られる。
また、ボイラー形式 けいしき も石炭 せきたん と重油 じゅうゆ を使用 しよう する改装 かいそう 前 まえ から重油 じゅうゆ に統一 とういつ されたことで、過熱 かねつ 器 き を装備 そうび するヤーロウ式 しき 重油 じゅうゆ 専 せん 焼 しょう 水 みず 管 かん 缶 かん へと更新 こうしん され、これにブルッゾー式 しき ギヤード・タービン2基 き を組 く み合 あ わせて、最大 さいだい 出力 しゅつりょく は改装 かいそう 前 まえ の32,000hpから2.65倍 ばい の85,000hpへと大幅 おおはば にアップした。カブール級 きゅう で93,300hpあったのに比 くら べて出力 しゅつりょく が低下 ていか していたが、これは機関 きかん の耐久 たいきゅう 力 りょく を重視 じゅうし して出力 しゅつりょく を抑 おさ えたものと見 み られる。それでも最大 さいだい 速力 そくりょく は21.5ノットから27ノットへと大幅 おおはば に増加 ぞうか しており、充分 じゅうぶん に高速 こうそく である。
船体 せんたい 構造 こうぞう は、カブール級 きゅう と同 おな じく重量 じゅうりょう 増加 ぞうか により喫水 きっすい の沈下 ちんか を防 ふせ ぐため、艦 かん 首 くび 構造 こうぞう の外側 そとがわ に新 あら たに艦 かん 首 くび 構造 こうぞう を接続 せつぞく して全長 ぜんちょう を伸 の ばしたが、カブール級 きゅう で約 やく 10m伸 の びたのに対 たい し本 ほん 級 きゅう は10.5m伸 の ばされた。これにより船体 せんたい の縦横 じゅうおう 幅 はば 比率 ひりつ は6.03から6.5へと変 か わり、クリッパー・バウ型 がた 艦 かん 首 くび への換 かわ 装 そう に伴 ともな い高速 こうそく を出 だ しやすい船型 せんけい となった。(ヴェネト級 きゅう は6.8)
船首 せんしゅ 楼 ろう 甲板 かんぱん は改装 かいそう 前 まえ では1番 ばん 煙突 えんとつ の後方 こうほう で終了 しゅうりょう していたのに対 たい し、改装 かいそう 後 ご では3番 ばん 主砲 しゅほう 塔 とう 基部 きぶ まで延長 えんちょう したことにより、副 ふく 砲塔 ほうとう ・高角 こうかく 砲 ほう は波浪 はろう の影響 えいきょう を受 う け難 がた くなった。艦 かん 尾 お 部 ぶ は改装 かいそう 前 まえ と変化 へんか はないが、戦 せん 訓 くん により艦 かん 尾 お にあった単 たん 装 そう 式 しき の水中 すいちゅう 魚雷 ぎょらい 発射 はっしゃ 管 かん 2基 き は撤去 てっきょ された。
カブール級 きゅう と同様 どうよう に開放 かいほう 式 しき の艦橋 かんきょう 構造 こうぞう と三脚 さんきゃく 式 しき の前 ぜん 檣は、プリエーゼ設計 せっけい 士官 しかん の得意 とくい とする円筒 えんとう を重 かさ ねたような形状 けいじょう の密閉 みっぺい 式 しき 艦橋 かんきょう へと更新 こうしん された。本 ほん 級 きゅう の艦橋 かんきょう の構成 こうせい はヴェネト級 きゅう の設計 せっけい を取 と り入 い れてより多 た 機能 きのう 化 か した。
下部 かぶ から航海 こうかい 艦橋 かんきょう 、戦闘 せんとう 艦橋 かんきょう 、測 はか 距儀塔 とう の上部 じょうぶ に二 に 層 そう 式 しき の射撃 しゃげき 指揮 しき 所 しょ が設 もう けられた。各 かく 区画 くかく の側面 そくめん は装甲 そうこう で覆 おお われ、対 たい 巡洋艦 じゅんようかん 防御 ぼうぎょ が施 ほどこ されていた。7.2m測 はか 距儀は上下 じょうげ 二 に 段式 だんしき となっており、上段 じょうだん が測 はか 距用、下段 げだん が弾 たま 着 ぎ 観測 かんそく 用 よう で、データーは測 はか 距儀塔 とう 上部 じょうぶ の射撃 しゃげき 指揮 しき 所 しょ と方位 ほうい 盤 ばん 室 しつ に送 おく られ射撃 しゃげき 管制 かんせい された。艦橋 かんきょう の後方 こうほう には前 ぜん 檣が置 お かれ、前 まえ 級 きゅう よりも高 たか くなったポール・マストが立 た つ。副 ふく 砲 ほう 用 よう 測 はか 距儀塔 とう は艦橋 かんきょう と独立 どくりつ してその左右 さゆう に1基 き ずつが配置 はいち された。頂 いただき 上部 じょうぶ は装甲 そうこう 板 ばん でカバーされた5m測 はか 距儀、下部 かぶ は副 ふく 砲 ほう 指揮 しき 所 しょ をもつ装甲 そうこう 司令塔 しれいとう である。前後 ぜんご に離 はな れていた2本 ほん 煙突 えんとつ も、前述 ぜんじゅつ の機関 きかん 配置 はいち の改善 かいぜん により等間隔 とうかんかく に配置 はいち され、端正 たんせい な印象 いんしょう となった。煙突 えんとつ の後部 こうぶ から後 こう 檣の間 あいだ のスペースは艦載 かんさい 艇 てい 置 お き場 ば となっているのはカブール級 きゅう と同 おな じである。後 こう 檣は改装 かいそう 前 まえ は三脚 さんきゃく 式 しき であったが、改装 かいそう 後 ご は大 おお きさの異 こと なる円筒 えんとう を積 つ み重 かさ ねたような装甲 そうこう 司令塔 しれいとう となっており、基部 きぶ に付 つ いた二 に 本 ほん のボート・ダビットにより艦載 かんさい 艇 てい は運用 うんよう される。改装 かいそう 前 まえ にあった開放 かいほう 式 しき の後部 こうぶ 見張 みはり 所 しょ は後部 こうぶ 装甲 そうこう 司令塔 しれいとう の頂 いただき 上部 じょうぶ に移設 いせつ され、探照灯 たんしょうとう 台 だい が併設 へいせつ された。