アゾフ(ロシア語ご:Азовアゾーフ;Azov)はロシア連邦れんぽう南部なんぶ・ロストフ州しゅうの都市とし。人口じんこうは8万まん1924人にん(2021年ねん)[1]。ドン川がわ沿そいにあり、アゾフ海うみまでは約やく6kmと近ちかい。
紀元前きげんぜん1千年紀せんねんきにはスキタイ文化ぶんかの勢力せいりょく圏けんに入はいっていた。紀元前きげんぜん3世紀せいき頃ころ、ボスポロス王国おうこくからきたギリシャ人じんは、ドン川がわの河口かこうが交易こうえき上じょうの重要じゅうような土地とちであったため、ここに殖民しょくみん都市としタナイス(ロシア語ご版ばん、英語えいご版ばん)(古代こだいギリシア語ご: Τάναϊς、「川かわ」の意い) をつくった。数かず世紀せいき後ごにミトリダテス戦争せんそうが起おこり、紀元前きげんぜん63年ねんにボスポロス王国おうこくはロろーマ帝国まていこくの宗主そうしゅ下かに入はいり、ボスポロス王国おうこくのポレモ1世せい(英語えいご版ばん)(在位ざいい: 紀元前きげんぜん14年ねん - 紀元前きげんぜん8年ねん)によって居住きょじゅう地ちは焼やかれた。その後ご、ギリシア人じんの入植にゅうしょく者しゃたちは再建さいけんに成功せいこうしたが、西暦せいれき3世紀せいきにゴート人じんによって滅ほろぼされた(なお、タナイス(現在げんざいNedvigovka村むら近辺きんぺん)は、19世紀せいき中頃なかごろから発掘はっくつが進すすめられている)。
5世紀せいき頃ころ、フンの王おうデンキジック(英語えいご版ばん)宗主そうしゅ下かのAkatziroi国くにの王おうKaradachが居住きょじゅうし始はじめた。6世紀せいき頃ころ、東ひがしロろーマ帝国まていこくと、突厥宗主そうしゅ下かのハザールが進出しんしゅつし、ビザンチン・サーサーン戦争せんそう(英語えいご版ばん)、第だい三さん次じペルソ・テュルク戦争せんそうを行おこなった。7世紀せいきの中頃なかごろ、西にし突厥が衰退すいたいしてハザール・カガン国こくが独立どくりつし、アラブ・ハザール戦争せんそう(642年ねん - 799年ねん)を行おこなった。
10世紀せいきにハザール・カガン国こくが衰退すいたいし、この地域ちいきはスラヴ人じんのトムタラカン公国こうこく(Tmutarakan)領りょうになる。
1067年ねんには、キプチャクがこの地域ちいきを支配しはいし、地名ちめいをアザク(azak、「低地ていち」の意い)に変かえる。現在げんざいのアゾフの地名ちめいはここから来きている。13世紀せいきから14世紀せいきにかけてはジョチ・ウルスがこの地ちを支配しはいしたが、ヴェネツィアとジェノヴァの商人しょうにんたちは許可きょかを得えて、ターナという植民しょくみん都市とし(現代げんだいのアゾフに位置いちする)をつくり、そこに定住ていじゅうした。
1471年ねんにオスマン帝国ていこくの侵攻しんこうによりターナ(アゾフ)は占領せんりょうされ、テュルク人ひとはアゾフに要塞ようさいを建造けんぞうした。 1637年ねんの夏なつ、ドン・コサックは4,000人にんの兵士へいしと200の大砲たいほうを用もちいて、要塞ようさいを攻せめ占領せんりょうした。ドン・コサックは5年間ねんかんそこを保持ほじしていたが、1641年ねん、夏なつより強大きょうだいなオスマン軍ぐんが要塞ようさいを包囲ほうい、オスマン軍ぐんは要塞ようさいを陥落かんらくさせることができず翌よく1642年ねんに撤退てったいした。オスマン軍ぐんの撤退てったい後ご、トルコとの全面ぜんめん戦争せんそうを危惧きぐするロシア・ツァーリのミハイル・ロマノフは全国ぜんこく会議かいぎ(ゼムスキー・ソボル)を召集しょうしゅうし、要塞ようさいをトルコに引ひき渡わたすことを決定けっていした。ドン・コサックは、要塞ようさいの防御ぼうぎょ設備せつびを破壊はかいした後のちに退去たいきょした。
その後ご、クリミア・ハン国こくに打撃だげきを与あたえるために、ミハイル・ロマノフの孫まごでツァーリのピョートル1世せい(大帝たいてい)が大だいトルコ戦争せんそうに乗じょうじてアゾフの再さい占領せんりょうを開始かいしした(アゾフ遠征えんせい(ロシア語ご版ばん、英語えいご版ばん))。1695年ねんの攻撃こうげきは失敗しっぱいしたものの、1696年ねんに要塞ようさいを再さい占領せんりょうした。しかし、大だい北方ほっぽう戦争せんそう最中さいちゅうの1711年ねんにピョートル1世せいはプルート川がわの戦たたかいでオスマン軍ぐんに包囲ほういされ、解かい囲かこえの交渉こうしょうの際さいにアゾフ要塞ようさいのトルコへの返還へんかんに同意どういした(プルト条約じょうやく)。
第だい一いち次じ露ろ土ど戦争せんそうにおけるロシア帝国ていこくの勝利しょうりにより、キュチュク・カイナルジャ条約じょうやく(クチュク・カイナルジ条約じょうやく)が結むすばれ、アゾフはロシア領りょうとなった。
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