(Translated by https://www.hiragana.jp/)
イーリオスの陥落 - Wikipedia

イーリオスの陥落かんらく』(イーリオスのかんらく、Ἰλίου πέρσις, Ilíou pérsis, ラテン語らてんごIliupersis)は、古代こだいギリシア叙事詩じょじしで、トロイア戦争せんそうえがいた叙事詩じょじしたまきの1つ。はなし年代ねんだいじゅんにいうと『しょうイーリアス』の直後ちょくごはなしになる。作者さくしゃおな叙事詩じょじしたまきの『アイティオピス』をいたミレトスのアルクティノスわれる。全部ぜんぶで2かんからり、ダクテュロスヘクサメトロス長短ちょうたんたんろくかく)でかれている。しかし、わずかに断片だんぺんのこっているだけである。

イーリオスの陥落かんらく

創作そうさく年代ねんだい

編集へんしゅう

『イーリオスの陥落かんらく』は紀元前きげんぜん7世紀せいき後半こうはんつくられたとわれるが、たしかではない。古代こだい文献ぶんけんでは紀元前きげんぜん8世紀せいきとされていた。

『イーリオスの陥落かんらく』のオリジナルのテキストは10ぎょうほどがのこっているだけである。内容ないようについては、プロクロスの『Chrestomathy』のいた「叙事詩じょじしたまき」の散文さんぶんのあらすじにたよるしかない状況じょうきょうである。

ウェルギリウスアエネーイスだい2かんは、『イーリアスの陥落かんらく』の内容ないようを、トロイアがわ視点してんからいている。

内容ないよう

編集へんしゅう
  • トロイアでは、ギリシアぐんのこしていった木馬もくばをどうするかで議論ぎろんになっている。カッサンドラーラーオコオーン木馬もくばなか武装ぶそうしたギリシアへいがいるとうったえるが、人々ひとびとアテーナーせいなる遺物いぶつい、その意見いけん大勢おおぜいめる。そして、トロイアじん勝利しょうりいわす。
  • ポセイドーンは2ひきへび凶兆きょうちょうおくり、ラーオコーンとその息子むすこころす。それをアイネイアースなにこるかを予測よそくして、部下ぶかとともにトロイアをはなれる。
  • よるになり、ギリシアへいたちが木馬もくばなかからてきて、味方みかたぐんまねれるために城門じょうもんける。ギリシアぐんすでテネドスとうっていた。
  • ギリシアぐんまちはなち、トロイアじんたちを虐殺ぎゃくさつする。
  • トロイアおうプリアモスゼウス祭壇さいだん避難ひなんするが、ネオプトレモスころされる。
  • メネラーオスデーイポボスころし、つまヘレネーもどす。
  • しょうアイアースはアテーナーの祭壇さいだんからカッサンドラーをきずりろし、強姦ごうかんする。かみ々は懲罰ちょうばつとしてしょうアイアースにいしげてころすかどうか検討けんとうするが、しょうアイアースはアテーナーの祭壇さいだん避難ひなんする。しかし、ギリシアぐんがトロイアを出帆しゅっぱんしたときに、アテーナーが海上かいじょうしょうアイアースをころす。
  • オデュッセウスがヘクトール子供こどもあかぼうアステュアナクス殺害さつがいし、ネオプトレモスはヘクトールのつまアンドロマケー捕虜ほりょにする。このエピソードは前編ぜんぺんにあたる『しょうイーリアス』の断片だんぺんなかにもあるが、そこではアステュアナクスをころしたのはネオプトレモスになっている。
  • ギリシアぐんアキレウスいかりをおさえるため、プリアモスのむすめポリュクセネーをアキレウスのはか生贄いけにえにする。

はなしはそこまでで、『ノストイ』につづく。

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • A. Bernabé 1987, Poetarum epicorum Graecorum testimonia et fragmenta pt. 1 (Leipzig: Teubner)
  • M. Davies 1988, Epicorum Graecorum fragmenta (Göttingen: Vandenhoek & Ruprecht)
  • M.L. West 2003, Greek Epic Fragments (Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press)

外部がいぶリンク

編集へんしゅう

断片だんぺん英語えいごやく