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ウェイン・ブラック - Wikipedia

ウェイン・ハミルトン・ブラックWayne Hamilton Black, 1973ねん11月14にち - )は、ジンバブエハラレ出身しゅっしん男子だんしプロテニス選手せんしゅあにバイロン・ブラックすえいもうとカーラ・ブラックもプロテニス選手せんしゅで、ウェインは3にん兄弟きょうだいなかである。ATPツアーでシングルスの優勝ゆうしょうはないが、ダブルスで18しょうげ、4だい大会たいかいでも男子だんしダブルス2しょう混合こんごうダブルス2しょうげている。自己じこ最高さいこうランキングはシングルス69、ダブルス4身長しんちょう170cm、体重たいじゅう70kg、みぎき。

ウェイン・ブラック
Wayne Black
基本きほん情報じょうほう
フルネーム Wayne Hamilton Black
国籍こくせき ジンバブエの旗 ジンバブエ
出身しゅっしん どう・ハラレ
生年月日せいねんがっぴ 1973ねん11月14にち
身長しんちょう 170cm
体重たいじゅう 70kg
きて みぎ
バックハンド りょう手打てう
ツアー経歴けいれき
デビューねん 1993ねん
引退いんたいねん 2006ねん
ツアー通算つうさん 18しょう
シングルス 0しょう
ダブルス 18しょう
生涯しょうがい通算つうさん成績せいせき 397しょう305はい
シングルス 78しょう103はい
ダブルス 319しょう202はい
生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきん 3,300,258 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくドル
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・シングルス
ちょんつよし 4回戦かいせん(1999)
ぜんふつ 1回戦かいせん(1997-99)
ちょんすぐる 3回戦かいせん(2001)
全米ぜんべい 2回戦かいせん(1998)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・ダブルス
ちょんつよし 優勝ゆうしょう(2005)
ぜんふつ ベスト8(2004)
ちょんすぐる ベスト4(1997・98・2005)
全米ぜんべい 優勝ゆうしょう(2001)
優勝ゆうしょう回数かいすう 2(ぜんごう1・全米ぜんべい1)
キャリア自己じこ最高さいこうランキング
シングルス 69
ダブルス 4

ブラックは、父親ちちおや1953ねん1956ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん男子だんしシングルス3回戦かいせん進出しんしゅつしたドン・ブラックで、自宅じたくアボカド農園のうえん裏庭うらにわに4めん芝生しばふコートを建設けんせつした。3にん兄弟きょうだいはそのなかテニス習得しゅうとくし、なかのウェインも父親ちちおやほどきをけた。1991ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテキサスしゅうにある「ニューカム・テニスアカデミー」に入学にゅうがくみとめられ、1992ねんから男子だんしテニスこくべつ対抗たいこうせんデビスカップジンバブエ代表だいひょう選手せんしゅとなる。ウェインもあにのバイロンとおなみなみカリフォルニア大学だいがくまなび、学生がくせいテニス選手せんしゅとして3年間ねんかんプレーした。ウェインがプロりした1994ねんあにのバイロンはぜんふつオープン男子だんしダブルスでジンバブエのテニス選手せんしゅとしてはつの4だい大会たいかい優勝ゆうしょう達成たっせいする。あにのちって、ウェインといもうとのカーラも国際こくさいレベルのテニス選手せんしゅ成長せいちょうした。

1996ねんアトランタ五輪ごりんで、ウェインはあにのバイロンと一緒いっしょはじめてのオリンピック出場しゅつじょうたし、単複たんぷくとも2回戦かいせん進出しんしゅつたす。1999ねん2がつドバイ・テニス選手権せんしゅけんでATPツアーでダブルスはつ優勝ゆうしょうげ、3月のインディアンウェルズ・マスターズリプトン国際こくさい選手権せんしゅけんでダブルス2しゅう連続れんぞく優勝ゆうしょうたす。この3大会たいかいではサンドン・ストールんだ。

2000ねん全豪ぜんごうオープンで、ウェインは4だい大会たいかい男子だんしダブルス決勝けっしょうはつ進出しんしゅつたす。パートナーはアンドリュー・クラッツマンであったが、決勝けっしょうエリス・フェレイラ/リック・リーチくみに4-6, 6-3, 3-6, 6-3, 16-18でやぶれ、初舞台はつぶたいではじゅん優勝ゆうしょうわった。同年どうねんシドニー五輪ごりんで2度目どめのオリンピックに出場しゅつじょうしたが、単複たんぷくとも1回戦かいせん敗退はいたいわる。オリンピックの10がつ19にち、3にん兄弟きょうだいにテニスをおしえた父親ちちおやのドンが死去しきょした。父親ちちおやうしな直前ちょくぜん時期じきから、ウェインはダブルスでおなジンバブエケビン・ウリエットとペアをむことがおおくなり、シドニー五輪ごりんでもウリエットとんでいたが、2人ふたりよく2001ねんのシーズンにいちじるしい躍進やくしんせる。2001ねん全米ぜんべいオープン男子だんしダブルスで、ウェインとウリエットはジャレッド・パーマー/ドナルド・ジョンソンくみを7-6, 2-6, 6-3でやぶり、4だい大会たいかいはつ優勝ゆうしょうかざった。その過程かていでは、2回戦かいせんあにバイロン/ジョナサン・スタークくみやぶった“兄弟きょうだい対決たいけつ”もあった。これはジンバブエのテニス選手せんしゅとして、7ねんまえ1994ねんぜんふつオープン男子だんしダブルスでバイロンとスタークのくみ優勝ゆうしょうして以来いらい2つのタイトルであった。

2002ねんぜんふつオープン混合こんごうダブルスでウェインはいもうとカーラ・ブラックみ、決勝けっしょうマーク・ノールズ/エレーナ・ボビナくみやぶり、4だい大会たいかい混合こんごうダブルス部門ぶもんはつ優勝ゆうしょうかざった。このとし長男ちょうなんのバイロンが現役げんえき引退いんたいする。2ねん、ウェインとカーラはぜんふつオープンウィンブルドン選手権せんしゅけんの2大会たいかい連続れんぞく混合こんごうダブルス決勝けっしょう進出しんしゅつした。ぜんふつでは地元じもとフランスリシャール・ガスケ/タチアナ・ゴロビンくみやぶれ、2ねんぶり2度目どめ優勝ゆうしょうのがしたが、ウィンブルドンではトッド・ウッドブリッジ/アリシア・モリクくみを3-6, 7-6, 6-4の逆転ぎゃくてんやぶり、ジンバブエのテニス選手せんしゅとして最初さいしょのウィンブルドン優勝ゆうしょう達成たっせいした。こののち、ウェインはアテネ五輪ごりんで3度目どめのオリンピックに出場しゅつじょうし、ケビン・ウリエットとの男子だんしダブルスでインドマヘシュ・ブパシ/リーンダー・パエスくみとの準々じゅんじゅん決勝けっしょうまですすんだ。

2005ねん全豪ぜんごうオープン男子だんしダブルスでウェインとウリエットは2001ねん全米ぜんべいオープン以来いらいの4だい大会たいかい優勝ゆうしょうかざった。決勝けっしょうブライアン兄弟きょうだいを6-4, 6-4のストレートでやぶって優勝ゆうしょうした。

シングルスでのウェインは、全豪ぜんごうオープン1998ねん-2000ねんに3ねん連続れんぞくの3回戦かいせん進出しんしゅつがあり、1999ねんの4回戦かいせん進出しんしゅつ自己じこ最高さいこう成績せいせきであった。1999ねんの4回戦かいせんでは、トッド・マーティンに6-7, 4-6, 4-6でやぶれている。2000ねんの3回戦かいせんでは、ピート・サンプラスから2セットを先取せんしゅしたが7-6, 6-3, 3-6, 5-7, 3-6の逆転ぎゃくてんやぶれたこともあった。

4だい大会たいかい優勝ゆうしょう 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう