エイブラハム・H・フォックスマン(Abraham H. Foxman, 1940年ねん - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく最大さいだいのユダヤ人じん団体だんたい名誉めいよ毀損きそん防止ぼうし同盟どうめいの最高さいこう責任せきにん者しゃ(全国ぜんこく理事りじで委員いいん長ちょう)。1965年ねんから名誉めいよ毀損きそん防止ぼうし同盟どうめいで働はたらき始はじめ、1987年ねんに全国ぜんこく理事りじとなった。
ポーランド生うまれ。カトリックの乳母うばから洗礼せんれいを授さづけられ、カトリックとして育そだてられたことにより、辛かろうじてホロコーストを免まぬかれた。彼かれの一族いちぞくの大半たいはんは強制きょうせい収容しゅうよう所しょで殺ころされた。
1950年ねんに両親りょうしんと共ともにアメリカに移住いじゅう。ブルックリンのイェシヴァを経へて、ニューヨーク市立しりつ大学だいがくシティカレッジ卒業そつぎょう。その後ごニューヨーク大学だいがくロー・スクールで法学ほうがくの学位がくいを取得しゅとく、卒業そつぎょう研究けんきゅうとしてユダヤ神学しんがく院いんでユダヤ学がくを研究けんきゅう。
全米ぜんべいのユダヤ人じん社会しゃかいの指導しどう者しゃとして、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領だいとうりょうや中東ちゅうとうの指導しどう者しゃたち、ヨハネ・パウロ2世せいと会談かいだんしてきた。
フォックスマンは、かつてビル・クリントン大統領だいとうりょうを説得せっとくして、悪名あくめい高たかい国外こくがい逃亡とうぼう脱税だつぜい犯はんマーク・リッチを赦免しゃめんさせたことから、ユダヤ人じん社会しゃかいでは評価ひょうかの分わかれる人物じんぶつである。名誉めいよ毀損きそん防止ぼうし同盟どうめいは、リッチから25万まんドルの献金けんきんを受うけたいきさつがあった。
リッチは正式せいしきに赦免しゃめんを得えるや否いなや、サッダーム・フセインが石油せきゆ・食料しょくりょう交換こうかん計画けいかくを利用りようして金儲かねもうけをするのを助たすけ始はじめた。このときフセインが儲もうけた金かねは、パレスチナの自爆じばくテロリストたちの遺族いぞくを援助えんじょする資金しきんとなった。こうしてリッチは再ふたたび米国べいこく政府せいふから取調とりしらべを受うけるようになったが、フォックスマンはユダヤ系けい週刊しゅうかん誌し『フォワード』の取材しゅざいに答こたえて、リッチから再ふたたび献金けんきんが受うけられるのであれば必かならずしも断ことわるつもりはないと発言はつげんした。
フォックスマンはまた、キリスト教きりすときょう系けいの団体だんたいや名士めいしを反はんユダヤ主義しゅぎ者しゃ呼よばわりすることで、ユダヤ人じんやイスラエルの支援しえん者しゃたちを遠とおざけているとの非難ひなんも受うけている。
なお、フォックスマンはアルメニア人じん虐殺ぎゃくさつを「大戦たいせん中ちゅうのささいな出来事できごと」と発言はつげんしている。
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