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乳母 - Wikipedia

乳母うば

母親ははおやわって子育こそだてをする女性じょせい

乳母うば(ちおも[1]/めのと[2]/うば/ちもち)とは、母親ははおやわって子育こそだをする女性じょせいのこと。

概要がいよう

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かつて、現在げんざいのような良質りょうしつ代用だいようちちられない時代じだいには母乳ぼにゅうだしわるさは乳児にゅうじ成育せいいく直接ちょくせつ悪影響あくえいきょうおよぼし、最悪さいあく場合ばあいはそのいのちにもかかわった。そのため、皇族こうぞく王族おうぞく貴族きぞく武家ぶけ、あるいはゆたかないえ場合ばあい母親ははおやわってちちあたえる乳母うば使つかった。

また、身分みぶんたか女性じょせい子育こそだてのような雑事ざつじ自分じぶんですべきではないというかんがえや、のしっかりとした女性じょせいまかせたほうが教育きょういくじょういとのかんがえから、乳離ちばなれしたのち母親ははおやわって子育こそだてをおこな女性じょせい乳母うばという。

また、商家しょうか農家のうかなどで、母親ははおや仕事しごと子育こそだてができない場合ばあいに、としわか女性じょせい老女ろうじょやとわれて子守こもりをすることがあるが、この場合ばあいねえやばあやなどとばれることがおおかった。

英語えいごでは、ちちあたえるもの[ちゅう 1]子育こそだてをするもの[ちゅう 2]とを区別くべつする。ベビーシッターおよび、ナニー[ちゅう 3]メイドナース[ちゅう 4]ナースメイド[ちゅう 5]参照さんしょう

ミケーネ時代じだい(3せんねん以上いじょうまえ)の粘土ねんどばんきざまれたミケーネ文字もじには、おんな奴隷どれい集団しゅうだんない乳母うば記述きじゅつがみられる[3]

日本にっぽんにおける神話しんわじょう起源きげんとしては、『日本書紀にほんしょき神代かみよべつせつに、「彦火みこと婦人ふじんあつめ、乳母うばちおもははめしかみ・じんめ、養育よういくし、これがなか乳母うばめ、そだてることのはじまりである」と記述きじゅつしている。

律令りつりょう時代じだい日本にっぽんでは、いち多産たさんをしたいえには、朝廷ちょうていから乳母うばいちにん支給しきゅうされていたことが、『ぞく日本にっぽん』などに記述きじゅつされており、れいとして、文武ぶんぶ天皇てんのう4ねん(700ねん)11月28にちじょう、「大和やまとこくかずら上郡かみごおりかもくんうるちおんなかものきみぬかめいちに2なん1じょんだため、(以下いかりゃく乳母うばいちにんたまわった」のほか和銅わどう元年がんねん(708ねん)3がつ27にちじょうには、「美濃みのこく安八あんぱちぐんひと国造くにのみやつこせんだいつまである如是にょぜおんなにょぜめいちに3にん男子だんしんだので、いねよんひゃくたば乳母うばいちにん支給しきゅうした」などとこまかに記録きろくされている。

平安へいあん時代じだい後期こうき院政いんせいいん近臣きんしんらのなかには、天皇てんのう上皇じょうこう乳母うば縁故えんこつうじて台頭たいとうしたものもいた。

ちんれいとしては、一条天皇いちじょうてんのうははである東三条ひがしさんじょういんかい)のあいねこ長保ながほ元年がんねん999ねん)9がつ19にち子猫こねこ(コマ)をんだため、天皇てんのう子猫こねこしたがえあたえ、「うま命婦みょうぶ」という女官にょかんをその子猫こねこ乳母うばにんじたと『しょう右記うき』に記述きじゅつされている[4]。これは一種いっしゅペットシッターといえる。アイヌイオマンテくまおく)もヒグマ赤子あかごそだつまでのあいだ一時いちじてき人間にんげん母乳ぼにゅうあたえる乳母うば役割やくわりられる(「イオマンテ」「ヒグマ#人間にんげんとのかかわり」を参照さんしょう)。

和名わみょう類聚るいじゅうしょう』(10世紀せいき中頃なかごろまき男女だんじょるい乳母うば項目こうもく表記ひょうきとして、「ちおも」は「於毛」、「めのと」は「べい乃止」としるされる。

日本にっぽん場合ばあいとく平安へいあん時代じだいから鎌倉かまくら時代ときよにかけて「めのと」と場合ばあいには「うば」よりも範囲はんいひろく、「養育よういくがかり」の意味いみもあり、女性じょせいだけではなく夫婦ふうふでそれにたるケースがおおい。たとえば『奥州おうしゅうさんねん』の「いえ乳母うばせんにんといふもの」などではせんにん男性だんせいである。また、養育よういくがかり男性だんせいを「でんめのと」ともんだ。アジアにおいて、「めのと」してられる人物じんぶつとしては釈迦しゃか叔母おば釈迦しゃか生母せいぼいもうと)である訶波闍波ひさげがいるが(いちれいとして、『ぞうきょうまきよん三神みかみさん」に引用いんようられる)、ちちいくかんしては否定ひていせつられる(詳細しょうさいは「闍波つつみ」の「結婚けっこん釈迦しゃか養母ようぼ」の項目こうもく参照さんしょう)。

乳母うば世話せわけるやしなにとって、乳母うば子供こどもは「乳母子うばこめのとご」「乳兄弟ちきょうだいちきょうだい」とばれ、格別かくべつきずなむすばれることがあった。軍記物語ぐんきものがたりにおいても、主人しゅじんはた乳兄弟ちきょうだいしたしくつかえ、腹心ふくしんとして重宝ちょうほうされる情景じょうけいすくなからずえがかれている(れい:『平家ひらか物語ものがたり』の木曾きそ義仲よしなか今井いまい兼平かねひら)。みなもとよりゆきのように、乳兄弟ちきょうだい比企ひき)を優遇ゆうぐうしたために実母じつぼかた北条ほうじょう)にうとまれるということもあった。

江戸えど時代じだいかくはん江戸えど藩邸はんていおく女中じょちゅう職制しょくせいでは、藩邸はんてい赤子あかごまれた場合ばあい臨時りんじしょくとして、ちちあたえるちちちもち)がもうけらる場合ばあいられた[5]

イスラム教いすらむきょうけんでは乳兄弟ちきょうだい特別とくべつ関係かんけいとされ、兄弟きょうだい同等どうとうとみなされる。このため、シャリーアでは乳兄弟ちきょうだいにあたる男女だんじょ結婚けっこん禁止きんししているほどである。

その関係かんけい人外じんがい伝承でんしょうにもおよび人間にんげんグール母親ははおやちちうとグールと義兄弟ぎきょうだいとなるという伝承でんしょうがある。

おも乳母うば

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乳母うば やしな
けんけんやしなえさんせんだい 文武ぶんぶ天皇てんのう
藤原ふじわら繁子しげこ 一条天皇いちじょうてんのう
べん乳母うば 禎子さだこ内親王ないしんのう
藤原ふじわら豊子とよこ 後一条天皇ごいちじょうてんのう
大弐三位だいにのさんみ 後冷泉天皇ごれいぜいてんのう
藤原ふじわら光子みつこ 堀河ほりかわ天皇てんのう鳥羽天皇とばてんのう
藤原ふじわら実子じっし 鳥羽天皇とばてんのう
藤原ふじわら宗子むねこ 崇徳天皇すとくてんのう
藤原ふじわら宗子むねこ池禅尼いけのぜんに じゅうじん親王しんのう
藤原ふじわら朝子あさこ 後白河天皇ごしらかわてんのう
比企ひき みなもと頼朝よりとも
寒河そうごあま みなもと頼朝よりとも
山内やまうち みなもと頼朝よりとも
平時子たいらのときこ 二条天皇にじょうてんのう
藤原ふじわら経子けいこ 高倉天皇たかくらてんのう
藤原ふじわらりょう 安徳天皇あんとくてんのう
藤原ふじわら輔子 安徳天皇あんとくてんのう
治部じぶきょうきょく まもりさだ親王しんのう
かわこし みなもとよりゆき
阿波あわきょく 源実朝みなもとのさねとも
藤原ふじわら兼子かねこ 後鳥羽ごとば天皇てんのう
藤原ふじわら範子のりこ 後鳥羽ごとば天皇てんのう
藤原ふじわら保子やすこ 後鳥羽ごとば天皇てんのう
春日局かすがのつぼね 足利あしかが義満よしみつ
こんさんきょく 足利あしかが義政よしまさ
やしなえとくいん 織田おだ信長のぶなが
片倉かたくら喜多きた 伊達だてまさしむね
大蔵卿局おおくらきょうのつぼね 淀殿よどどの
饗庭あえばきょく 淀殿よどどの
大局たいきょく 淀殿よどどの
みんきょうきょく 崇源院すうげんいん
たからひかりいん (くす) 京極きょうごく竜子りゅうこ
だいうばきょく 徳川とくがわ秀忠ひでただ
正栄しょうえいあま 豊臣とよとみ秀頼ひでより
宮内卿くないきょうきょく 豊臣とよとみ秀頼ひでより
刑部おさかべきょうきょく 千姫せんひめ
乳母うばきょく たまひめ
春日局かすがのつぼね 徳川とくがわ家光いえみつ
あきらせい 徳川とくがわ忠長ただなが
少納言しょうなごんきょく 後水尾天皇ごみずのおてんのう
松坂まつさかきょく 徳川とくがわ綱重つなしげ
ぶんえいあま[ちゅう 6] れいもと天皇てんのう
大崎おおさききょく 徳川とくがわ家斉いえなり
うたきょう 徳川とくがわ家定いえさだ
押小路おしこうじはじめ 孝明天皇こうめいてんのう
土御門つちみかど藤子とうこ 和宮かずのみや親子おやこ内親王ないしんのう
とう 和宮かずのみや親子おやこ内親王ないしんのう

おも乳母子うばこ乳兄弟ちきょうだい

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日本にっぽん

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中国ちゅうごく

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架空かくう人物じんぶつ

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関連かんれん書籍しょせき

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ えい: wet nurse
  2. ^ えい: dry nurse
  3. ^ えい: nanny
  4. ^ えい: nurse
  5. ^ えい: nurse maid
  6. ^ 京極きょうごくただしだか後室こうしつえんもとにんむすめ

出典しゅってん

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  1. ^ 日本書紀にほんしょき』、『倭名わみょう類聚るいじゅうしょう
  2. ^ 倭名わみょう類聚るいじゅうしょう
  3. ^ 弓削ゆげいたる地中海ちちゅうかい世界せかい : ギリシア・ローマの歴史れきし講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ〉、2020ねん、24ぺーじISBN 9784065183441全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:23327422https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I030153966-00 
  4. ^ 歴史れきし読本とくほん編集へんしゅうへん増補ぞうほ改訂かいていばん 日本にっぽんてくる官職かんしょく位階いかいのことがわかるほん』(ちゅうけい出版しゅっぱん、 2014ねん) p.51
  5. ^ 久住ひさずみ祐一郎ゆういちろう江戸えど藩邸はんていへようこそ : 三河みかわ吉田よしだはん江戸えど日記にっき集英社しゅうえいしゃインターナショナル, 集英社しゅうえいしゃ (発売はつばい)〈インターナショナル新書しんしょ〉、2022ねん、184ぺーじISBN 9784797680966全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:23680135https://id.ndl.go.jp/bib/032051022 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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