大和 国
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国名 について
その
沿革
近世 以降 の沿革
- 「
旧 高 旧領 取調 帳 」に記載 されている明治 初年 時点 での国内 の支配 は以下 の通 り(1,497村 ・495,885石 余 )。太字 は当該 郡 内 に藩 庁 が所在 。国名 のあるものは飛地 領 。下記 のほか葛 上郡 ・忍海 郡 ・宇智郡 を除 く各 郡 に寺社 領 が所在 。添上 郡 (146村 ・58,224石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、郡山 藩 、柳生 藩 、小泉 藩 、伊勢 津 藩 、伊勢 久居 藩 、公家 領 、能楽 師 領 - 添下
郡 (69村 ・40,322石 余 ) -旗 本領 、郡山 藩 、小泉 藩 平群 郡 (82村 ・30,860石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、郡山 藩 、奈良 楽人 領 広瀬 郡 (35村 ・18,558石 余 ) -郡山 藩 、伊勢久 居 藩 葛 上郡 (73村 ・23,778石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 ・五條 代官 所 )、櫛羅 藩 、高取 藩 葛下 郡 (87村 ・42,447石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、郡山 藩 、櫛羅 藩 、高取 藩 、下野 壬生 藩 式 上郡 (68村 ・22,573石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、柳本 藩 、芝 村 藩 、伊 勢津 藩 、伊勢久 居 藩 式 下郡 (48村 ・27,968石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、郡山 藩 忍海 郡 (22村 ・5,577石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、櫛羅 藩 - 宇智
郡 (64村 ・18,229石 余 ) -幕府 領 (五條 代官 所 )、旗 本領 宇陀 郡 (125村 ・33,909石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 ・五條 代官 所 )、柳本 藩 高市 郡 (116村 ・41,423石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、高取 藩 十市 郡 (85村 ・37,400石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、田原本 藩 、郡山 藩 、高取 藩 、伊 勢津 藩 、伊勢久 居 藩 、上総 大多喜 藩 [注釈 3]山辺 郡 (151村 ・49,021石 余 ) -幕府 領 (奈良 奉行 )、旗 本領 、芝 村 藩 、柳生 藩 、柳本 藩 、伊 勢津 藩 、伊勢久 居 藩 吉野 郡 (326村 ・45,588石 余 ) -幕府 領 (五條 代官 所 )、旗 本領 、高取 藩
慶応 4年 明治 2年 明治 3年 明治 4年 明治 9年 (1876年 )4月 18日 -第 2次 府県 統合 により堺 県 の管轄 となる。明治 14年 (1881年 )2月 7日 -大阪 府 の管轄 となる。明治 20年 (1887年 )11月4日 -奈良 県 (第 2次 )の管轄 となる。
国内 の施設
宮
国府
国分寺 ・国分 尼寺
大和 国分寺 東大寺 (奈良 県 奈良 市 、北緯 34度 41分 20.38秒 東経 135度 50分 23.78秒 / 北緯 34.6889944度 東経 135.8399389度 ) -総 国分寺 。国分寺 (奈良 県 橿原 市 、北緯 34度 30分 37.1秒 東経 135度 47分 41.1秒 / 北緯 34.510306度 東経 135.794750度 ) -勝 満山 満 法 院 。
東大寺 とするのが一般 的 だが、後者 とする説 もある。
大和 国分 尼寺 法華寺 (奈良 県 奈良 市 、北緯 34度 41分 32.65秒 東経 135度 48分 14.85秒 / 北緯 34.6924028度 東経 135.8041250度 ) -総 国分 尼寺 。
神社
総社 :国府 神社 (奈良 県 高市 郡 高取 町 下土佐 、北緯 34度 26分 41.86秒 東経 135度 47分 52.19秒 / 北緯 34.4449611度 東経 135.7978306度 )一宮 :大神神社 (奈良 県 桜井 市 三 輪 、北緯 34度 31分 45.11秒 東経 135度 51分 8.74秒 / 北緯 34.5291972度 東経 135.8524278度 )[11] - ただし、神社 側 で自 ら一宮 を称 した文書 は見 つかっていない[12]。
地域
郡
1896 |
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曾布 | ||||
添下 |
添下 |
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宇智 |
宇智 |
宇智 |
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江戸 時代 の藩
郡山 藩 (郡山 城 ):水野 家 〔宗家 〕(6万 石 、1615年 - 1619年 )→松平 (奥平 )家 (12万 石 、1619年 - 1639年 )→本多 家 (15万 石 →9万 石 と6万 石 、1639年 - 1679年 )→松平 (藤井 )家 (12万 石 、1679年 - 1685年 )→本多 家 (12万 石 →5万 石 、1685年 - 1723年 )→柳沢 家 (15万 1千 石 、1724年 - 1871年 )高取 藩 (高取 城 ):本多 家 (3万 石 、1600年 - 1637年 )→天領 →植村 家 (2万 5000石 →2万 500石 →2万 5000石 、1640年 - 1871年 )柳生 藩 (柳生 陣屋 ):柳生 家 (1万 2500石 →8300石 →1万 石 、1636年 - 1871年 )小泉 藩 (小泉 陣屋 ):片桐 家 (1万 石 →1万 6千 石 →1万 3千 石 →1万 1千 石 、1600年 - 1871年 )柳本 藩 (柳本 陣屋 ):織田 家 (1万 石 、1615年 - 1871年 )戒重 藩 /芝 村 藩 (芝 村 陣屋 ):織田 家 (1万 石 、1615年 - 1871年 )大和新庄 藩 :桑山 家 (2万 石 →1万 6000石 →1万 3000石 →1万 1000石 、1600年 - 1682年 )→永井 家 (1万 石 、1682年 - 1863年 )→廃 藩 (櫛羅 藩 に転 封 )櫛羅 藩 (櫛羅 陣屋 ):永井 家 (1万 石 、1863年 - 1871年 )宇陀 松山 藩 (松山 陣屋 ):福島 家 (3万 1717石 、1600年 - 1615年 )→織田 家 (2万 8千 石 、1615年 - 1695年 )→廃 藩 (丹波 柏原 藩 へ転 封 )興留 藩 (興留 陣屋 ):松平 (藤井 )家 (1万 石 、1686年 - 1693年 )→廃 藩 (備中 庭瀬 藩 へ転 封 )竜田 藩 :片桐 家 (2万 8千 石 →4万 石 →1万 石 、1601年 - 1654年 )→廃 藩 (無 嗣断絶 )御所 藩 :桑山 家 (1万 2千 石 →1万 石 →1万 6千 石 →2万 6千 石 、1600年 - 1629年 )→廃 藩 (無 嗣断絶 )大和 五条 藩 :松倉 家 (1万 石 、1600年 - 1616年 )→廃 藩 (肥前 島原 藩 に転 封 )
人物
国司
大和 守
阿倍 真 君 (従 五 位 下 ):慶 雲 3年 (706年 )任官 佐伯 男 (従 五 位 下 )和銅 元年 (708年 )任官 紀 飯 麻呂 (従 四 位 下 ):天平 21年 (749年 )任官 山村 王 (従 三 位 ):天平 神護 元年 (765年 )任官 石川 名足 (従 五 位 上 ):神護 景 雲 2年 2月 18日 (768年 )任官 大伴 古 慈斐(従 四 位 上 ):宝 亀 元年 (770年 )任官 佐伯 今 毛 人 (正 四 位 上 ):延 暦 元年 (782年 )任官 石川 名足 (従 三 位 ):延 暦 7年 2月 6日 (788年 )任官 (再任 )石川 真 守 (従 四 位 上 ):延 暦 11年 2月 2日 (792年 )任官 和 家 麻呂 (従 四 位 下 ):延 暦 12年 5月 (793年 )任官 三島 名 継 (従 四 位 下 ):延 暦 16年 1月 13日 (797年 )任官 藤原 園 人 (正 五 位 下 ):延 暦 17年 2月 (798年 )任官 藤原 縄 主 (従 四 位 上 ):延 暦 20年 1月 (801年 )任官 藤原 仲 成 (従 四 位 下 ):大同 元年 1月 18日 (806年 )任官 藤原 永 貞 (従 五 位 下 ):大同 元年 7月 15日 (806年 )任官 藤原 某 (従 五 位 下 ):大同 2年 5月 3日 (807年 )任官 (名 不詳 )藤原 継 業 (従 四 位 下 ):大同 3年 11月17日 (808年 )任官 坂田 奈弖麻呂 (従 四 位 下 ):弘 仁 元年 9月 10日 (810年 )任官 紀 末成 (従 五 位 上 ):弘 仁 12年 7月 (821年 )任官 藤原 藤 広 長田 王 (従 五 位 上 ):承 和 元年 1月 12日 (834年 )任官 滋野 貞 主 (従 四 位 上 ):承 和 6年 1月 11日 (839年 )任官 正 躬王(従 四 位 下 ):承 和 8年 1月 12日 (841年 )任官 紀 長江 (従 四 位 上 ):承 和 10年 1月 12日 (843年 )任官 藤原 長岡 (従 四 位 下 ):承 和 10年 7月 (843年 )任官 - 岑成
王 (正 五 位 下 ):承 和 14年 1月 12日 (847年 )任官 清瀧 河根 (従 五 位 上 ):嘉 祥 元年 8月 16日 (848年 )任官 丹 墀門成 (従 五 位 上 ):嘉 祥 3年 5月 17日 (850年 )任官 鎌 蔵王 (従 五 位 上 ):仁 寿 3年 1月 16日 (853年 )任官 (権守 )豊前 王 (正 五 位 下 ):仁 寿 3年 4月 10日 (853年 )任官 安倍 貞行 (従 五 位 上 ):天 安 元年 1月 14日 (857年 )任官 藤原 氏 雄 (正 五 位 下 ):天 安 2年 2月 18日 (858年 )任官 在原 善 淵 (正 五 位 下 ):貞 観 元年 12月 21日 (859年 )任官 弘 宗 王 (正 五 位 下 ):貞 観 2年 8月 16日 (860年 )任官 在原 安貞 (従 五 位 下 ):貞 観 3年 1月 13日 (861年 )任官 (権守 )紀 今 守 (従 四 位 上 ):貞 観 5年 2月 10日 (863年 )任官 藤原 春岡 (正 五 位 下 ):貞 観 5年 2月 10日 (863年 )任官 (権守 )良 岑長松 (従 五 位 上 ):貞 観 7年 5月 15日 (865年 )任官 (権守 )清原 秋雄 (従 四 位 下 ):貞 観 8年 (866年 )任官 藤原 本雄 (正 五 位 下 ):貞 観 9年 1月 12日 (867年 )任官 (権守 )藤原 本雄 (従 四 位 下 ):貞 観 10年 1月 16日 (868年 )任官 坂上 瀧 守 平教盛 平 基 盛 忠 貞 王 伴 保 平 藤原 家 依 藤原 伊 家 -寛治 2(1088)年 、白河 上皇 高野 御幸 時 負担 *藤原 輔公藤原 園 人 藤原 親 盛 藤原 長岡 藤原 登 任 藤原 真 楯 藤原 師 氏 藤原 安 親 源 重 時 源 光行 源 頼 定 源 頼 親 大江 公 景 宇都宮 信房
武家 官位 としての大和 守
江戸 時代 以前
江戸 時代
日向 伊東 氏 /日向 飫肥 藩 伊東 家 大和 柳本 藩 織田 家 上総 一宮 藩 加納 家 豊後 日出 藩 木下 家 九鬼 家 宗家 下総 関宿 藩 久世 家 上総 久留里 藩 黒田 家 但馬 出石 藩 小 出家 肥前 福江 藩 五島 家 安房 勝山 藩 酒井 家 信濃 高遠 藩 内藤 家 信濃 飯田 藩 堀家 美濃 高富 藩 本庄 家 播磨 山崎 藩 本多 家 上野 七 日 市 藩 前田 家 結城 松平 家 松平 直 基 :結城 家 初代 。越前 勝山 藩 主 、越前 大野 藩 主 、出羽 山形 藩 主 、播磨 姫路 藩 初代 藩主 松平 直 矩 :結城 家 2代 。姫路 藩 第 2代 藩主 、越後 村上 藩 主 、姫路 藩主 (再 封 )、豊後 日田 藩 主 、出羽 山形 藩主 、陸奥 白河 藩 初代 藩主 松平 基 知 :結城 家 3代 。白河 藩 第 2代 藩主 松平 明 矩 :結城 家 4代 。白河 藩 第 3代 藩主 、姫路 藩 初代 藩主 (再々 封 )松平 朝 矩 :結城 家 5代 。姫路 藩 第 2代 藩主 、上野 前橋 藩 主 、武蔵 川越 藩 初代 藩主 松平 直 恒 :結城 家 6代 。川越 藩 第 2代 藩主 松平 直 温 :結城 家 7代 。川越 藩 第 3代 藩主 松平 斉 典 :結城 家 8代 。川越 藩 第 4代 藩主 松平 典 則 :結城 家 9代 。川越 藩 第 5代 藩主 松平 直 侯 :結城 家 10代。川越 藩 第 6代 藩主 松平 直 克 :結城 家 11代 。川越 藩 第 7代 藩主 、上野 前橋 藩 初代 藩主 (再 封 )
駿河 沼津 藩 水野 家 - その
他
守護
また、
戦国 大名
大和 国 の合戦
- 645
年 :乙 巳 の変 、中大兄皇子 ・中臣鎌足 x蘇我入鹿 ・蘇我蝦夷 - 672
年 :壬 申 の乱 、大海人皇子 軍 x大友皇子 軍 - 1181
年 :南都 焼討 、平家 軍 (平重衡 ) x東大寺 ・興福寺 - 1455
年 :第 一 次 筒井 城 の戦 い、畠山 義就 ・越智 連合 軍 x筒井 順 永 - 1466
年 :第 二 次 筒井 城 の戦 い、畠山 義就 x筒井 順 永 - 1477
年 :第 三 次 筒井 城 の戦 い、越智 家 栄 x筒井 順 尊 - 1483
年 :第 四 次 筒井 城 の戦 い、古市 氏 ・箸 尾 氏 軍 x成 身 院 順 盛 軍 - 1516
年 :第 五 次 筒井 城 の戦 い、越智 家 教 ・古市 氏 連合 軍 x成 身 院 順 盛 軍 - 1565
年 :第 六 次 筒井 城 の戦 い、松永 久秀 軍 x筒井 順慶 軍 - 1565
年 :第 七 次 筒井 城 の戦 い、筒井 順慶 軍 x松永 久秀 軍 - 1567
年 :東大寺 大仏殿 の戦 い、松永 久秀 ・三好 義継 ・三好 三 人 衆 軍 x筒井 順慶 ・池田 勝正 軍 - 1568
年 :信貴山 城 の戦 い、筒井 順慶 ・三好 三 人 衆 軍 x松永 久秀 軍 - 1568
年 :第 八 次 筒井 城 の戦 い、松永 久秀 軍 x筒井 順慶 軍 - 1571
年 :辰 市城 の合戦 、筒井 順慶 軍 x松永 久秀 ・三好 義継 軍 - 1577
年 :信貴山 城 の戦 い、織田 軍 (織田 信忠 ・筒井 順慶 ・明智 光秀 ・細川 藤孝 ・佐久間 信 盛 ・羽柴 秀吉 ) x松永 久秀 軍 - 1615
年 :大坂 夏 の陣 、江戸 幕府 軍 (徳川 家康 ・徳川 秀忠 ) x豊臣 軍 (豊臣 秀頼 )
脚注
注釈
- ^
国史 に改名 記事 がないため時期 は諸説 あるが、天平 宝 字 元年 (757年 )の『養老 令 』施行 からが有力 視 される(上田 正 昭 『私 の日本 古代 史 (上 )』(新潮 選書 )pp. 142-143)。 - ^ 『
和名 抄 』の大和 国 式 下郡 大和 郷 (おおやまとごう)、現在 の大和 神社 (奈良 県 天理 市 新泉 町 )付近 (『日本 歴史 地名 体系 奈良 県 の地名 』(平凡社 )大和 国 節 より)。 - ^ 「
旧 高 旧領 取調 帳 」では後 に大多喜 県 が管轄 したとしているが、三河 国 にも飛地 のあった大多喜 藩 は、慶応 4年 の徳川 宗家 の転 封 より領地 を上総 国 夷隅 郡 にまとめられているため、同時 に奈良 県 に移管 されたものと思 われる。 - ^
同年 4月 27日 (1868年 5月19日 )にかけて移管 。 - ^
現在 の橿原 市 大軽 町 と石川 町 の接点 丈六 、ここを軽 の衢という。久米 町 、西池尻 /東池尻 、高取 町 土佐 の三 説 ある。
出典
- ^ a b c d 『
日本 歴史 地名 体系 奈良 県 の地名 』(平凡社 )大和 国 節 。 - ^
大和 国 (藩 名 ・旧 国名 がわかる事典 )(朝日新聞社 コトバンクより)。 - ^ 『
続 日本 紀 』天平 9年 (737年 )12月27日 条 。 - ^ 『
続 日本 紀 』天平 19年 (747年 )3月 16日 条 。 - ^ 『
日本 古代 史 大 辞典 』(大和 書房 )大和 国 項 。 - ^
上田 正 昭 『私 の日本 古代 史 (上 )』(新潮 選書 )pp. 140-142。 - ^ 【
秀吉 と大和 の城 (2)】大阪 の“副 都 ”担 った「郡山 城 」…秀吉 の命 受 け弟 ・秀長 が統治 、強力 な寺社 勢力 抑 え100万 石 規模 に(2/2ページ)産経 WEST(2014年 1月 2日 ) - ^ 『
和名 類聚 抄 20巻 』(国立 国会図書館 デジタルコレクション)12コマ参照 。 - ^ 『
拾 芥 抄 3巻 』(国立 国会図書館 デジタルコレクション)52コマ参照 。 - ^ 『
節用 集 易 林 本 』(国立 国会図書館 デジタルコレクション)136コマ。 - ^ 『
日本 中世 国家 と諸国 一宮 制 』(2009年 )索引 p. 7。 - ^ 『
日本 中世 国家 と諸国 一宮 制 』(2009年 )p. 41。 - ^
今谷 明 「室町 時代 の伝馬 について」(小笠原 長和 編 『東国 の社会 と文化 』(1985年 、梓 出版 社 )) - ^
永島 福太郎 『奈良 文化 の伝 流 』(1944年 、中央公論社 ) - ^
田中 慶治 「室町 期 大和 国 の守護 に関 する一 考察 -幕府 発給 文書 を中心 に-」(初出 :矢田 俊文 編 『戦国 期 の権力 と文書 』(高志 書院 、2004年 ) ISBN 978-4-906641-80-2/所収 :田中 『中世 後期 畿内 近国 の権力 構造 』(清文 堂 、2013年 ) ISBN 978-4-7924-0978-4) - ^
今谷 明 「室町 時代 の河内 守護 」(『大阪 府 の歴史 』7号 、1976年 ) - ^
今谷 明 「守護 領国 制 下 に於 ける国 郡 支配 について」(『千葉 史学 』創刊 号 、1982年 )
参考 文献
角川 日本 地名 大 辞典 29奈良 県 旧 高 旧領 取調 帳 データベース