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播磨国 - Wikipedia

播磨はりまこく

近国きんごくぞくするれいせいこくひと

播磨はりまこく(はりまのくに)は、日本にっぽん地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶんであるれいせいこくひとつ。山陽さんようどうぞくする。

播磨はりまこく

-播磨はりまこく
-山陽さんようどう
別称べっしょう 播州ばんしゅう(ばんしゅう)
所属しょぞく 山陽さんようどう
相当そうとう領域りょういき 兵庫ひょうごけん南西なんせい
しょもと
国力こくりょく 大国たいこく
距離きょり 近国きんごく
ぐんさとかず 12ぐん98さと
国内こくない主要しゅよう施設しせつ
播磨はりま国府こくふ 兵庫ひょうごけん姫路ひめじ
播磨はりま国分寺こくぶんじ 兵庫ひょうごけん姫路ひめじ播磨はりま国分寺こくぶんじあと
播磨はりま国分こくぶ尼寺あまでら 兵庫ひょうごけん姫路ひめじ
一宮いちのみや 伊和いわ神社じんじゃ兵庫ひょうごけん宍粟しさわ
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播磨はりま」の名称めいしょう

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木簡もっかんでは「はりあいだこく」・「はたあさこく」と表記ひょうきしているものもある。

播磨はりまこく播州ばんしゅう(バンシュウ)ともばれるが、「播」という漢字かんじを「バン」とむのは「播州ばんしゅう」またはその省略形しょうりゃくけいかぎられており、本来ほんらい音読おんよは「ハ」である(「播種はしゅ」・「伝播でんぱ」など)。

播磨はりまこく風土記ふどき冒頭ぼうとう国名こくめい由来ゆらいがあったとられるが、冒頭ぼうとう部分ぶぶんかけしっしておりあきらかではない。

領域りょういき

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明治維新めいじいしん直前ちょくぜん領域りょういき現在げんざい以下いかのようになっている。現在げんざい神戸こうべ市域しいきにおいては、須磨すまさかい東部とうぶ長田ながた兵庫ひょうご中央ちゅうおうなだ東灘ひがしなだ全域ぜんいきおよび須磨すまきたのそれぞれだい部分ぶぶん)が摂津せっつこく西部せいぶ垂水たるみ西にしのそれぞれ全域ぜんいききた須磨すまのそれぞれ一部いちぶ)が播磨はりまこくであった。

全域ぜんいき

兵庫ひょうごけん神戸こうべ垂水たるみ西にし姫路ひめじ明石あかし相生あいおい加古川かこがわ三木みき高砂たかさご小野おの加西かさい宍粟しさわたつの西脇にしわき加東かとう多可たかぐん加古かこぐん神崎かんざきぐん揖保いぼぐん赤穂あこうぐん

一部いちぶのみ

兵庫ひょうごけん神戸こうべ須磨すまかみたに北落合きたおちあいさん丁目ちょうめ北落合きたおちあいよん丁目ちょうめすがだい西落合にしおちあいりゅうだい丁目ちょうめりゅうだいさん丁目ちょうめりゅうだいよん丁目ちょうめりゅうだい丁目ちょうめ緑台みどりだい弥栄台やさかだい)・きた淡河町淡河おうごちょうおうご淡河町勝雄おうごちょうかつお淡河町北僧尾おうごちょうきたそお淡河町北畑おうごちょうきたばた淡河町木津おうごちょうきづ淡河町行原おうごちょうぎょうのはら淡河町神田おうごちょうこうだ淡河町中山おうごちょうなかやま淡河町野瀬おうごちょうのせ淡河町萩原おうごちょうはぎわら淡河町東畑おうごちょうひがしばた淡河町神影おうごちょうみかげ淡河町南僧尾おうごちょうみなみそお)・赤穂あこう備前びぜんこく部分ぶぶん福浦ふくうら)をのぞく)・朝来あさく生野いくのまち真弓まゆみ生野いくのまち口銀谷くちがなや一部いちぶ生野いくのまち川尻かわじり生野いくのまち栃原とちはら)・佐用さようぐん佐用さようまち美作みさくこく部分ぶぶん奥海おくみ若州わかす上石井かみいしい下石井しもいしい水根すいこん桑野くわの海内かいだい東中山ひがしなかやま)をのぞく)

当該とうがい地域ちいきの2010ねん国勢調査こくせいちょうさによる人口じんこうは230まん4449にんおとこ111まん3494にん/おんな119まん0955にん)、世帯せたいすうは86まん8208世帯せたい面積めんせきは3649.75km2人口じんこう密度みつどは631.4にん/km2[1]

沿革えんかく

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7世紀せいき成立せいりつした。はりあいだこく播磨はりまあたる西部せいぶ)・明石あかしこくひがし播磨はりま神明しんめい三木みき地域ちいき明石あかしぐん美嚢みのうぐん加古かこぐん印南いなみぐん))・はり間鴨あいがもこく北部ほくぶ賀茂かもぐん多可たかぐん))が大化たいか改新かいしん以降いこう播磨はりまこくはりあいだこく)へ編入へんにゅうされたと推定すいていされている。

飛鳥あすかいけ遺跡いせき藤原ふじわらみやあとなどからの出土しゅつど木簡もっかんなか飾磨しかまぐんを「しむらあさひょう」、宍粟しさわぐんを「宍粟しさわひょう」、神崎かんざきぐんを「神前しんぜんひょう」、揖保いぼぐんを「つぶひょう」としるしているものがある。ぐんせいまえにはひょうさとせい地方ちほう行政ぎょうせい区画くかくおこなわれていたことをしめすものである。

7世紀せいきわりころ播磨はりまこく長官ちょうかんを「吉備きびだいおさむ(きびおおみこともち)」とか「播磨はりまこくおさむ(みこともち)」と『播磨はりまこく風土記ふどき』にしるされている。この地方ちほう長官ちょうかんは、複数ふくすうこく以上いじょう統括とうかつするだいおさむ総領そうりょう)が任命にんめいされた[2]

713ねん和銅わどう6ねん)にまれた風土記ふどきうち現在げんざいにまで文献ぶんけんのここくひとつでもある(『播磨はりまこく風土記ふどき』を参照さんしょう)。

江戸えど時代じだいには、山崎やまざきはん安志あんじはん三日月みかづきはん林田はやしだはんさんくさはん龍野たつのはん小野おのはん姫路ひめじはん赤穂あこうはん明石あかしはん福本ふくもとはん新宮しんぐうはん姫路ひめじ新田にったはん平福ひらふくはんかれた。

近世きんせい以降いこう沿革えんかく

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国内こくない施設しせつ

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すべての座標ざひょうしめした地図ちず - OSM
ぜん座標ざひょう出力しゅつりょく - KML

播磨はりま国府こくふは、『和名わみょうしょう』によれば飾磨しかまぐんにあった。姫路ひめじ中心ちゅうしんにある本町ほんちょう遺跡いせき姫路ひめじ本町ほんちょう北緯ほくい3450ふん4.85びょう 東経とうけい13441ふん44.96びょう / 北緯ほくい34.8346806 東経とうけい134.6958222 / 34.8346806; 134.6958222 (播磨はりま国府こくふ推定すいてい本町ほんちょう遺跡いせき))を国衙こくがあととするせつ有力ゆうりょくされており、1984ねん昭和しょうわ59ねん)の姫路ひめじ郵便ゆうびんきょく東側ひがしがわ前記ぜんき箇所かしょ)をはじめとして[3]周辺しゅうへんからは2015ねん平成へいせい27ねん)には市内しない中心ちゅうしん平野ひらのまち[4][5]2019ねん平成へいせい31ねんれい元年がんねん)にはどう大黒壱丁だいこくいっちょうまち[6]奈良なら時代じだい大量たいりょうかわら建物たてものはしらあと発見はっけんされている。

国分寺こくぶんじ国分こくぶ尼寺あまでら

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播磨はりま国分こくぶ寺跡てらあと
兵庫ひょうごけん姫路ひめじ

神社じんじゃ

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延喜えんぎ式内しきないしゃ

延喜えんぎしきかみめいちょう』には、大社たいしゃ75しゃ小社しょうしゃ4342しゃけい5047しゃ記載きさいされている(「播磨はりまこく式内しきないしゃ一覧いちらん参照さんしょう)。大社たいしゃ以下いかしめすもので、すべて名神めいしん大社たいしゃである。
 

総社そうじゃ一宮いちのみや以下いか

中世ちゅうせい諸国しょこく一宮いちのみやせい基礎きそてき研究けんきゅう』にもとづく一宮いちのみや以下いか一覧いちらん[9]

守護しゅごしょ

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守護しゅごしょ鎌倉かまくら時代じだい加古川かこがわ加古川かこがわまち加古川かこがわじょうに、室町むろまち時代じだい赤松あかまつによって、姫路ひめじひだり書写しょしゃ)の書写しょしゃざか本城ほんじょうかれ、また、播磨はりま備前びぜん美作みさくべるためにたつの新宮しんぐうまち越部こしべかん守護しゅごかんいていた。嘉吉よしきちらん前期ぜんき赤松あかまつ滅亡めつぼうし、応仁おうにんらん播磨はりま守護しゅご復帰ふっき姫路ひめじ夢前ゆめさきまちおけしおじょう居城いじろうつした。

 
播磨はりまこく ぐんべつ略図りゃくず

※はじめのぐんめいは『延喜えんぎしき』による。

江戸えど時代じだいはん

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  • 姫路ひめじはん池田いけだ(52まんせき)→本多ほんだ(15まんせき)→松平まつだいら奥平おくだいら(18まんせき)→松平まつだいら越前えちぜん(15まんせき)→榊原さかきばら松平まつだいら(15まんせき)→松平まつだいら越前えちぜん(15まんせき)→本多ほんだ(15まんせき)→榊原さかきばら(15まんせき)→松平まつだいら越前えちぜん(15まんせき)→酒井さかい(15まんせき
    • 姫路ひめじ新田にったはん姫路ひめじはんはん):本多ほんだ(10まんせき→5まんせきと4まんせき→4まんせきと5まんせき)→松平まつだいら奥平おくだいら(3まんせき)→酒井さかい(1まんせき
  • 明石あかしはん小笠原おがさわら(10まんせき)→松平まつだいら戸田とだ(7まんせき)→大久保おおくぼ(7まんせき)→松平まつだいら藤井ふじい(7まんせき→6まん5せんせき)→本多ほんだ(6まんせき)→松平まつだいら越前えちぜん(6まんせき→8まんせき:10まんせきかく
  • 龍野たつのはん本多ほんだ(5まんせき)→小笠原おがさわら(6まんせき)→岡部おかべ(5まん3せんせき)→京極きょうごく(6まんせき)→脇坂わきさか(5まん3せんせき→5まん1せんせき
  • 山崎やまざきはん池田いけだ(3まん8せんせき→6まん8せんせき)→松井まつい(5まんせき)→池田いけだ(3まんせき)→本多ほんだ(1まんせき
  • 赤穂あこうはん池田いけだ(3まん5せんせき)→浅野あさの(5まん3せんせき→5まんせき→5まん3せんせき)→永井ながい(3まん2せんせき)→もり(2まんせき
  • 安志あんじはん小笠原おがさわら(1まんせき
  • 小野おのはん一柳いちりゅう(2まん8せんせき→1まんせき
  • 平福ひらふくはん池田いけだ(2まん5せんせき
  • 三日月みかづきはんもり(1まん5せんせき
  • 林田はやしだはん建部たけべ(1まんせき
  • さんくさはん丹羽たんば(1まんせき
  • いかるはん新宮しんぐうはん池田いけだ(1まんせき
  • 福本ふくもとはん池田いけだ(1まんせき→7せんせき→6せんせき→1まん573せき

人物じんぶつ

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播磨はりままもる

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播磨はりまかい

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守護しゅごしょく

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鎌倉かまくら幕府ばくふ

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室町むろまち幕府ばくふ

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戦国せんごく大名だいみょう

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武家ぶけ官位かんいとしての播磨はりままもる

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江戸えど時代じだい以前いぜん

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江戸えど時代じだい

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播磨はりまこく合戦かっせん

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播州ばんしゅうじん

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武田たけだ信玄しんげんこのんで愛読あいどくしたとわれる[よう出典しゅってん]人国記じんこくき』には、「播磨はりま風俗ふうぞく智恵ちえゆう義理ぎり不知ふちおやをたばかり、おやをだしぬき、あるじ被官ひかん領地りょうちを鮮くあずかへてじんほりこころざし、また被官ひかんひとおも奉公ほうこうつとむことだいに而、調しらべを以所らんとおもひ、悉皆しっかい盗賊とうぞく振舞ふるまい也。さむらいなかこう是非ぜひ也。わかさむらい風上かざかみにもおけ国風くにぶりにあらず、ひとえこく上古じょうこより如此の風俗ふうぞくついしばらくもぜんじょうことなし」という記述きじゅつがある。

人国記じんこくき』での播州ばんしゅうじん基準きじゅんは、播州ばんしゅうじんである赤松あかまつ則村のりむら円心えんしん)や赤松あかまつ満祐みつすけなど実際じっさい謀反むほんこした赤松あかまつかとおもわれる。『てん正記まさき』での播州ばんしゅうじん基準きじゅんは、播州ばんしゅうじんである別所べっしょよしちかし別所べっしょ)・黒田くろだ孝高よしたか赤穂あこう浪士ろうし大石おおいし良雄よしお)かとおもわれる。れい赤穂あこう浪士ろうしことえがかれている場面ばめんもある[独自どくじ研究けんきゅう?]

おもかわ

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明石川あかしがわ住吉すみよし神社じんじゃ (神戸こうべ西にし)付近ふきん

自治体じちたいめい流域りゅういき

現代げんだいてき用法ようほう

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現在げんざいでも「播磨はりま播州ばんしゅう)」は、兵庫ひょうごけん南西なんせい地域ちいきめいとしてもちいられる。

ひがし(とうばん=ひがし播磨はりま)・西にし(せいばん=西にし播磨はりま)・きた(ほくばん=きた播磨はりま)・ちゅう(ちゅうばん=ちゅう播磨はりま)というような使つかかたも、日常にちじょうてきになされる。明確めいかく定義ていぎはないが、区分くぶんはおおむね以下いかのようになる。

  • 二分にぶんする場合ばあい
    • ひがし播:加古川かこがわ高砂たかさご加西かさい多可たかぐん以東いとう
    • 西にし播:姫路ひめじ神崎かんざきぐん以西いせい
  • さんふんする場合ばあい
    • ひがし播:明石あかし加古川かこがわ高砂たかさご加古かこぐん
    • きた播:三木みき小野おの加西かさい西脇にしわき加東かとう多可たかぐん
    • 西にし播:姫路ひめじ相生あいおい赤穂あこう宍粟しさわ・たつの神崎かんざきぐん揖保いぼぐん赤穂あこうぐん佐用さようぐん

西にし播磨はりまのうち、姫路ひめじ神崎かんざきぐんを「ちゅう播磨はりまちゅう播)」とすることもある。

  • よんふんする場合ばあい
    • ひがし播:明石あかし加古川かこがわ高砂たかさご加古かこぐん
    • きた播:三木みき小野おの加西かさい西脇にしわき加東かとう多可たかぐん
    • ちゅう播:姫路ひめじ神崎かんざきぐん
    • 西にし播:相生あいおい赤穂あこう宍粟しさわ・たつの揖保いぼぐん赤穂あこうぐん佐用さようぐん

播磨はりまこく一部いちぶ昭和しょうわ時代じだいまえ中期ちゅうき神戸こうべ編入へんにゅうされた地域ちいきとして垂水たるみ西にしきた淡河おうごまち須磨すま須磨すまニュータウン西部せいぶがある。

  • 播磨はりまこくいきがごく一部いちぶしかないきた区域くいき須磨すま区域くいき通常つうじょうは「播州ばんしゅう」・「ひがし播」とはばない。きた淡河おうごまち神姫しんきバスかよっているが交通こうつうもう北摂ほくせつ地域ちいきである。
  • きゅう明石あかしぐんだった垂水たるみ西にし明石あかしとのかかわりがふかく、明石あかしわせて「神明しんめい」「ひがし播磨はりま南部なんぶ」とばれることがおおい。

兵庫ひょうごけん出先でさき機関きかんである県民けんみんきょくは4つにかれている。行政ぎょうせい区分くぶんはこれを中心ちゅうしんおこなわれる。

  • ひがし播磨はりま県民けんみんきょく加古川かこがわ所在しょざい):明石あかし加古川かこがわ高砂たかさご加古かこぐん
  • きた播磨はりま県民けんみんきょく加東かとう所在しょざい):三木みき小野おの加西かさい西脇にしわき加東かとう多可たかぐん
  • ちゅう播磨はりま県民けんみんきょく姫路ひめじ所在しょざい):姫路ひめじ神崎かんざきぐん
  • 西にし播磨はりま県民けんみんきょく赤穂あこうぐん上郡かみごおりまち所在しょざい):相生あいおい赤穂あこう宍粟しさわ・たつの揖保いぼぐん赤穂あこうぐん佐用さようぐん

気象きしょう予報よほう区域くいき

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播磨はりま地区ちくない以下いかのように細分さいぶんされている。

神戸こうべ垂水たるみ西にし播磨はりまこくぞくしているが、予報よほう区域くいき神戸こうべほかおな阪神はんしんふくまれている。

地震じしん情報じょうほうでは、播磨はりま南東なんとうきた播丹を「兵庫ひょうごけん南東なんとう」、播磨はりま南西なんせい播磨はりま北西ほくせいを「兵庫ひょうごけん南西なんせい」として発表はっぴょうしている。

名産めいさん

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工芸こうげいひん工業こうぎょう製品せいひん

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食品しょくひん

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べい産地さんちとして越前えちぜんこく越後えちごこくならんでられ、「いち二越ふたごえ」(いちばんにえち)としょうされた[12][13]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、弘安ひろやす5ねん1282ねん)の文書ぶんしょで、だい6だい小山こやま宗長そうちょう守護しゅごとして在職ざいしょくしたことが記述きじゅつされている[10]
  2. ^ ここまでの出典しゅってん[11]
  3. ^ 毛鉤けばり一種いっしゅとくあゆりのなかの「ドブり」にはかせないなずらええさかぎで、たちはぶし天候てんこう時刻じこくおうじて種類しゅるい毛鉤けばり使つかけていて、播州ばんしゅう毛鉤けばり種類しゅるいさかなしゅ水深すいしん水質すいしつなどにおうじて多種たしゅあり、500しゅ以上いじょうにおよぶとわれている。[1]

出典しゅってん

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  1. ^ 平成へいせい22ねん国勢調査こくせいちょうさしょう地域ちいき集計しゅうけい、28兵庫ひょうごけん”. 総務そうむしょう統計とうけいきょく(e-Stat) (2010ねん10がつ1にち). 2014ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ 福島ふくしま好和よしかず大和やまと王権おうけん進出しんしゅつ展開てんかい 3ないなるくにそとなるくに」、今井いまい修平しゅうへい小林こばやしはじめしん鈴木すずき正幸まさゆき野田のだ泰三たいぞう福島ふくしま好和よしかず三浦みうら俊明としあき元木もとき泰雄やすお兵庫ひょうごけん歴史れきし山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ 2004ねん8がつ 65-66ページ
  3. ^ 本町ほんまち遺跡いせき”. 姫路ひめじ埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター. 2023ねん11月1にち閲覧えつらん
  4. ^ 黒田くろだ, 祐介ゆうすけ姫路城ひめじじょう城下町じょうかまちあと』 12かん兵庫ひょうごけん姫路ひめじ四郷町坂元しごうちょうさかもと414-1〈姫路ひめじ埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター調査ちょうさ報告ほうこく〉、2014ねん3がつ31にち原著げんちょ2014ねん3がつ31にち)。doi:10.24484/sitereports.49119NCID BB1549845Xhttps://sitereports.nabunken.go.jp/49119 
  5. ^ "国府こくふ関連かんれん建物たてものあとか 奈良なら時代じだいみぞかわら出土しゅつど 姫路ひめじ"神戸こうべ新聞しんぶんNEXT、2015ねん10がつ13にち記事きじ)。
    "「播磨はりま国府こくふ関連かんれん施設しせつか 推定すいていちかく、奈良なら時代じだいかわら大量たいりょう出土しゅつど 兵庫ひょうご"産経さんけいニュース、2015ねん10がつ14にち記事きじ)。
  6. ^ 中川なかがわ, たけし姫路城ひめじじょう城下町じょうかまちあと』 106かん兵庫ひょうごけん姫路ひめじ四郷町坂元しごうちょうさかもと414番地ばんち1〈姫路ひめじ埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター調査ちょうさ報告ほうこく〉、2021ねん3がつ31にち原著げんちょ2021ねん3がつ31にち)。doi:10.24484/sitereports.131290NCID BC0989461Xhttps://sitereports.nabunken.go.jp/131290 
  7. ^ 播磨はりま国分寺こくぶんじあと姫路ひめじホームページ)。
  8. ^ 播磨はりま国分こくぶ寺跡てらあと説明せつめいばん
  9. ^ 中世ちゅうせい諸国しょこく一宮いちのみやせい基礎きそてき研究けんきゅう中世ちゅうせい諸国しょこく一宮いちのみやせい研究けんきゅうかいへん岩田いわた書院しょいん、2000ねん、pp. 448-453。
  10. ^ 小山おやま 1984, p. 495.
  11. ^ 小山おやま 1984, pp. 494–495.
  12. ^ いにしえの歴史れきし文化ぶんかいきづく・・・ 自然しぜんめぐまれたまち、越前えちぜん
  13. ^ 北大路魯山人きたおおじろさんじんべいはなし

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小山おやまへんさん委員いいんかい へん小山おやま小山おやま通史つうしへんⅠ(自然しぜん.原始げんし古代こだい.中世ちゅうせい本編ほんぺん〉、1984ねん11がつ10日とおかNDLJP:9643282 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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