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徳美藩 - Wikipedia

徳美とくみはん(とくみはん)は、江戸えど時代じだい初期しょき甲斐かいこく存在そんざいしたはん支配しはい拠点きょてんとなる陣屋じんや山梨やまなしぐん栗原くりはらすじさんにち市場いちばむら山梨やまなしけん甲州こうしゅう塩山しおやまさんにち市場いちば)に所在しょざいする。

概要がいよう

編集へんしゅう

甲斐かいこく武田たけだ滅亡めつぼう徳川とくがわ浅野あさの支配しはいて、ふたた徳川とくがわによる支配しはいとなるが、徳川とくがわ甲斐かい支配しはいよん奉行ぶぎょうせい代官だいかんあたまによる支配しはいて、元和がんわ2ねん1616ねん)9がつ将軍しょうぐん徳川とくがわ秀忠ひでただ次男じなん忠長ただなが甲斐かいいちこく拝領はいりょうした。寛永かんえい8ねん1631ねん)に忠長ただなが蟄居ちっきょとなり上野うえのこく高崎たかさき幽閉ゆうへいされ、寛永かんえい9ねん1632ねん)10がつ23にちには甲府こうふじょう接収せっしゅうされ、大久保おおくぼただしなり水野みずのただしぜん甲府こうふじょうばんとなる(だい甲府こうふじょうばんせい)。

寛永かんえい10ねん1633ねん)2がつには、武田たけだ遺臣いしんである幕臣ばくしん伊丹いたみやすしかち下総しもうさこく相馬そうまぐんのうちにあった9000せき所領しょりょうから甲斐かい山梨やまなしぐん3000せき加増かぞうされて1まん2000せきりょうする大名だいみょうとなり、甲府こうふじょうばんねる。かんまさる所領しょりょうである山梨やまなしぐん栗原くりはらすじさんにち市場いちばむらじゅうくみ屋敷やしき陣屋じんや設置せっちされ、徳美とくみはん成立せいりつする。

かんまさる佐渡さど奉行ぶぎょう勘定かんじょうあたまなどの要職ようしょく歴任れきにんしていたため、実務じつむおも長男ちょうなん勝長かつながおこなっている。うけたまわおう2ねん1653ねん)6がつ3にちかんまさるは79さい死去しきょし、家督かとく勝長かつながいだ。寛文ひろふみ2ねん1662ねん)3がつ27にちには、勝長かつなが江戸えど役宅やくたくにおいて一色いっしき直正なおまさ刺殺さしころされる事件じけん発生はっせいし、家督かとく勝長かつなが長男ちょうなん勝政かつまさいだ。勝政かつまさ甲斐かい黒川くろかわ金山かなやま開発かいはつ近江おうみ水口みずぐちしろ守備しゅびなどで活躍かつやくし、元禄げんろく4ねん1691ねん)7がつ15にちに67さい死去しきょした。

そのあと嫡男ちゃくなん勝守かつもりまましいだが、元禄げんろく11ねん1698ねん)9がつ江戸城えどじょうない自殺じさつしている。このときのことを『廃絶はいぜつろく』では、「9がつ15にち、26さい失心しっしんかわやにて自害じがいす。よって領地りょうちおさむらる」とある。こうして徳美とくみはんは4だいをもって改易かいえきとなり、その所領しょりょう没収ぼっしゅうとなった。

甲斐かいではかんまさる隠居いんきょした寛永かんえい13ねん以降いこうとしばんせいによる統治とうちおこなわれ、寛文ひろふみ元年がんねん(1661ねん)に甲府こうふはん設置せっちされる。

歴代れきだい藩主はんしゅ

編集へんしゅう
伊丹いたみ

1まん2000せき譜代ふだい) (1633ねん - 1698ねん

  1. 伊丹いたみやすしかち
  2. 伊丹いたみ勝長かつなが
  3. 伊丹いたみ勝政かつまさ
  4. 伊丹いたみ勝守かつもり