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棚倉藩 - Wikipedia

棚倉たなぐらはん

陸奥みちのくこくにあったはん
棚倉たなぐらけんから転送てんそう

棚倉たなぐらはん(たなぐらはん)は、陸奥みちのくこく磐城いわきこく白河しらかわぐんきくおおぐんいわぜんぐん磐城いわきぐんなどを支配しはいしたはんはんちょう白河しらかわぐん棚倉たなぐらしろかれた(現在げんざい福島ふくしまけん東白川ひがししらかわぐん棚倉たなぐらまち)。

はんふみ

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戊辰戦争ぼしんせんそうでは、せいせいはんへいひき奥羽おううえつ列藩れっぱん同盟どうめい参加さんか白河しらかわこうにおいてしん政府せいふぐん対峙たいじ

  • 1868ねん慶応けいおう4ねん)6がつ24にち 棚倉たなぐらしろ落城らくじょうせいせい降伏ごうぶくした。維新いしんは4まんせきげんふう
  • 1871ねん明治めいじ4ねん阿部あべただしいさおだいのときの廃藩置県はいはんちけんによりはいはんとなる。しろ趾には現在げんざい公園こうえんまち公民館こうみんかんがある。水堀みずほりのまわりにはさくらならび、毎年まいとしはるには町民ちょうみん花見はなみ場所ばしょとなっている。

棚倉たなぐらはんはしばしば、中級ちゅうきゅう下級かきゅう譜代ふだい大名だいみょう懲罰ちょうばつてき目的もくてきでのてんふう対象たいしょうになり、また藩主はんしゅ長期ちょうき定着ていちゃくがなく、はん支配しはい体制たいせい不完全ふかんぜんなままてきた。石高こくだかは、表高おもてだかより内高うちだか実際じっさいはん収入しゅうにゅうになる石高こくだか)がすくないはんであった。

特徴とくちょう

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  • 山城やましろあかかん拠点きょてんとした周辺しゅうへんは、鎌倉かまくら時代ときよ陸奥みちのくこく伊達だて)の影響えいきょうにあり、室町むろまち時代ときよ常陸ひたちこく影響えいきょうにあった。陸奥みちのく常陸ひたち対峙たいじする地理ちりてき条件じょうけんから、たびたび戦場せんじょうとなった。
  • 戦国せんごく時代じだい後期こうきは、陸奥みちのくこく伊達だてまさしむねあかかん支配しはいし、常陸ひたちこく佐竹さたけたいして防衛ぼうえいをはっていた(現在げんざい棚倉たなぐら一帯いったいをとりあげた歴史れきし資料しりょう著作ちょさくでは、この時代じだいのものが時代じだいより比較的ひかくてきおお発行はっこうされている)。
  • 棚倉たなぐらはん城下町じょうかまちがたは、丹羽にわ長重ながしげ棚倉たなぐらじょう築城ちくじょうにはじまり、明治めいじ4ねん(1871ねん)まで246年間ねんかんつづいた。
  • 慶長けいちょう立花たちばな宗茂むねしげから明治めいじ阿部あべただしこうまでかぞえて、藩主はんしゅは9いえ18にんわった(実施じっしされなかった戸田とだのぞく)。
  • もと元年がんねん(1864ねん)、松平まつだいらかんやすしのないままぼっすると、分家ぶんけすじ旗本はたもと外国がいこく奉行ぶぎょう江戸えど南町みなみまち奉行ぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうとして功績こうせきのあった松平まつだいらかんただしかんえい改名かいめい)が養子ようしとして藩主はんしゅいだが、よくもと2ねん/慶応けいおう元年がんねん(1865ねん)には天狗てんぐとうらん関連かんれんして処罰しょばつけた宇都宮うつのみや藩主はんしゅ戸田とだ忠恕ただひろ(7まん7せんせき)とりょうえがまったうえかんえい自身じしん老中ろうじゅう抜擢ばってきされることになった。ところが、朝廷ちょうてい介入かいにゅうによって忠恕ただひろ赦免しゃめんされたためにてんふう中止ちゅうしされて、宇都宮うつのみやへのうつりふうがなくなったかんえいにはわりに2まんせき加増かぞうされた。ところがその直後ちょくご今度こんど兵庫ひょうご開港かいこう要求ようきゅう事件じけん関連かんれんして処罰しょばつけた白河しらかわ藩主はんしゅ阿部あべただしせい(10まんせき)とりょうえがまったが、朝廷ちょうてい介入かいにゅうによる処分しょぶんであったためにせいせい抵抗ていこうして白河しらかわじょうわたしがすすまなかったためにかんえい白河しらかわへのうつりふうふたた中止ちゅうしされ、慶応けいおう2ねん(1866ねん)10がつになって3度目どめにして武蔵むさしこく川越かわごえはん(8まん4せんせき)へのうつりふうがようやく決定けっていされた。

歴代れきだい藩主はんしゅ

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立花りっか

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外様とざま 1まんせき→2まん5500せき→3まん5000せき

  1. 立花たちばな宗茂むねしげ

丹羽たんば

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外様とざま 5まんせき

  1. 丹羽にわ長重ながしげ

内藤ないとう

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譜代ふだい 5まんせき

  1. 内藤ないとうしんあきら
  2. 内藤ないとう信良のぶよし
  3. 内藤ないとう弌信

太田おおた

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譜代ふだい 5まんせき

  1. 太田おおた資晴すけはる

松平まつだいら越智おち

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親藩しんぱん 6まん5000せき

  1. 松平まつだいらたけしもと

小笠原おがさわら

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譜代ふだい 6まん5000せき

  1. 小笠原おがさわらちょうきょう
  2. 小笠原おがさわらちょう
  3. 小笠原おがさわらちょうあきら

井上いのうえ

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譜代ふだい 6まんせき

  1. 井上いのうえただしはじめ
  2. 井上いのうえただしはる

松平まつだいら松井まつい

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譜代ふだい 6まんせき

  1. 松平まつだいらやすし
  2. 松平まつだいらかんけい
  3. 松平まつだいらかんやすし
  4. 松平まつだいらやすしえい

阿部あべ

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譜代ふだい 10まんせき

  1. 阿部あべただしせい
  2. 阿部あべただしいさお

幕末ばくまつ領地りょうち

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明治維新めいじいしんのち白川しらかわぐん37むらきゅう幕府ばくふりょう36むらきゅう小見川おみがわはんりょう1むら)、きくおおぐん14むらきゅう磐城いわきひらはんりょう9むらきゅういずみはんりょう5むら)がくわわった。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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先代せんだい
磐城いわきこく
行政ぎょうせい変遷へんせん
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